プラハ旅行・後編 

2006年01月31日(火) 1時49分
次の日は朝早起きして、プラハ城へ!丘の上に立つ歴代王の居城で、名実ともにプラハのシンボル。眺めも最高だけど、敷地内の建物も全て見ごたえ十分でした。特に聖ヴィ−ト大聖堂。外側はちょっとサグラダファミリアに似てると思ったけど、中は「ノ−トルダム大聖堂にそっくりだ!」と思った。説明書の一部を読むと、聖ヴィ−トを建てるためにフランスから建築家が呼ばれたってたしか書いてあった。ステンドガラスがすっごく綺麗だった。

そのほかは新旧建築様式を取り入れた「踊るビル」を見たり、教会のクラシックコンサ−トを見に行って、もう一回プラハ城の夜景を見て帰ってきました。教会のコンサ−トは予想以上によかったな。オルガンとバイオリンと歌のコンサ−ト。あんなきれいな音色、生で聞けて幸せでした。

で、帰りはミュンヘン経由で帰ってきたんだけど、長かった----。ミュンヘンは早朝、しかも日曜だったのでどこかへ観光するわけにもいかず、パン屋で時間をつぶした。ドイツってパンがあんなにおいしいって知らなかった。パンはイタリアより全然おいしいかも。。けどちょっとだけ駅の周りを散歩していて思ったのは、ちょっと日本に似てるなあってこと。きちんとした感じが。駅のトイレも綺麗だったし。

結局フィレンツェに帰ってきたのは17時半ごろ。ミュンヘンからオ−ストリアに入って、北イタリアを抜けて、約9時間ぐらい電車に乗っていたのでしょうか・・・雪景色が美しかった・・・でもさすがに疲れた。最後の電車の中では、イタリア人の人とずっと話していたけど、この人は俳優さんでテレビのCMにも出てるらしく、「このガムの宣伝に出てるよ」といってガムをくれた。お母さんお手製のピッツァマルゲリ−タとコ−ラをすすめてくれたり、親切な俳優さんでした。

てなわけで長旅でしたが。冬は超寒い(なんたって、外歩いてたら睫毛に霜がおりて、マスカラがとれて両まぶたが真っ黒になってた)けど、とんでもなく美しいから、思い切って行く価値アリ!と思いました。

左:石畳に、ところどころミントカラーなどが効いた街並み。街灯もかわいい。
右:赤いレンガ屋根の街並みに、煙突の煙、雪、霧などが情緒を添えて。

プラハ旅行・前編 

2006年01月31日(火) 1時14分
プラハから無事に帰ってきました。美しかった---。その美しさに圧倒される街でした。あの街を訪れた人が皆なぜあんなにプラハをうっとりと語るのか、実際行ってみてよくわかった。長旅だったけど、途中車窓からも、広大な雪原や、2000〜3000メートル級の山々の連なりのパノラマ、絵本のような雪をかぶった赤レンガの町並みなど、たくさん感動的な光景に出会いました。

それにしてもいろんなことがありすぎて、木曜の夜にフィレンツェを出発したのが遠-い昔のよう。まず朝にウィ−ンについて、2時間のトランジットの間に少しウィ−ンの街を散策して、ヴェルヴェデ−レ宮殿を見て、ちゃっかりザッハトルテも食べた。で、プラハ行きの電車の中では、隣に座ったポ−ランド人の男の子としばし英語で会話を楽しみました。透き通るような金髪、青い目、白い肌の持ち主で、ポーランドの人ってきれいなんだなあ--と思った。彼はベルリンにいる彼女に会いに行く途中で、来月からはチェコのルフトハンザ航空で働く予定だと言っていた。

プラハで予約しておいたホステルにチェックインして出てきたらもう夕方だったので、その日は旧市街を散策したり、かの有名なカレル橋からプラハ城を眺めたり、街歩きを楽しみました。「百塔の街」「建築博物館の街」と称されるこの街、やはり建築群は見ごたえ。ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、さまざまな時代様式が混在していて面白かった。中は豪華絢爛で華やかな物が多かったけど、外側はどっしり古めかしく、迫力のある建物が多くて、明るくて華やかなイタリアの建物とはまた違うなと思った。そんな感じで市街はアンティ−クな雰囲気を残しているのですが、反面お洒落なカフェやバ−、LUSHがあったりもしました。

で、夜は、マリオネット劇と迷って、でもチェコ語がわからないのでJAZZ&BLUES CLUBに行き、生演奏を楽しみました。よかった--。3時間で1000円ぐらいだったし、かなりお得な感じ。料理は、中欧は主に肉料理を食べるって聞いてたので、ポ−クチョップとチキンサラダ。肉が柔らかくてジュ−シ−でうまかった!(つづく)

写真:カレル橋からプラハ城をのぞむ。そのまま絵本に出てきそうで、感動しました。

いよいよプラハ。。。 

2006年01月26日(木) 21時13分
プラハ強行突破の旅、いよいよ今夜出発です。さっきインタ−ネットで気温とか見ちゃった。うわ--。こんな寒いとこ行くんだ-。幸運なことに雨や雪ではなさそう。積もってる可能性は充分あるけど。ホットタイツに登山用ソックスを重ねばきしてブ−ツはいて、カシミヤ大判スト−ルで顔の下半分から肩にかけてをぐるぐる巻きにして、ニット帽を耳までかぶって、もちろんババシャツも着て、カイロ持って。。。がんばる。だって冬のプラハはものすごく美しいに違いない。某元同僚のた○うち氏も年末行った雪のプラハきれいだって言ってたし!イタリアのEN(ユ−ロノッテ。寝台列車)は常に遅延することで有名なので、乗り換えがうまくいくことを祈る!行きは絶対大丈夫だけど。何しろウイ−ンで2時間待ち。

チェコはたしかEU入りしてるはずだけど、通貨はユ−ロでないので、昨日フィレンツェのドゥオモの近くで換金してきました。チェココルナを持ってる換金所や銀行は少なくって、何軒かまわった後にようやく見つけた。1.00 チェコ コルナ (CZK) = 4.989 日本円 (JPY)です。だいたいCZKって何なんだ。そっからして読めん!って感じ。でも物価はかなり安いみたいですね。

昨日のソニアの料理教室三回目の料理も、すっごいおいしかった-。あんな味再現できるかなあ--それだけがドキドキ。けど来週に家を引き払うから、来週最終回だよって言ったら、「じゃあ次のレッスンの前に、私の息子がやっているバ−ルに連れて行くわ。私の息子を見せておきたいのよ。」と言ってくれた。なんだかもうそろそろお別れなのかと思うと、話していて急にさみしくなった。短い間だったけどわたしのことを「TESORO」と呼んでとっても可愛がってくれた。

とにもかくにもまずはプラハだ---私が寒さに負けないよう幸運を祈っててください!

忙しい。。。 

2006年01月25日(水) 1時54分
チャオ お久しぶりです

最近忙しくてブログを更新する暇が無い!!

とりあえずソニアによる料理教室は第二回目も無事に行われ明日が第三回目です。この前は肉料理を習った。明日はクレ−プ料理らしい。

で、藤川さんちに夕食に呼ばれたり、ミレッラのうちにも夕食に呼ばれたり、ユ−チンさんとフィエ−ゾレに行ったり、いよいよお別れイベントまっさかり。おみやげは買ったし、船便も送ったし、だいぶかたづいてはきたけど・・・うう時間が足りない。。。

なのに今週、木曜の晩から夜行に乗って急遽プラハに行ってきます。日曜の朝に帰ってきます。なんちゅうJET SETぶり。いくら寝台列車とはいえ、片道17時間ぐらいかかる。長い・・・滞在時間より長いって・・・まあしょうがないです。がんばってあったかい格好してまわりきるぞ!!すんごいすんごいきれいらしい。楽しみ---。でもいっちばん安い電車で行こうと思ってたのにイタリアは木曜と金曜にかけてSCIOPERO(ストライキ)が行われることになり、ウイ−ン経由で行かなくちゃいけなくなったからちょっと高くなった・・・まあ、それでも安いけど・・・迷惑だぞ!今日はアリタリアがショ−ペロだし。

で、来週はもう一回ソニア料理教室最終回を開講して、テストが終わって、家を引き払って、その後ミラノでゆりかと待ち合わせして、そっからニ−スに1日半行って、フィレンツェに帰る予定。あとはロ−マに行って、日本には二月中旬に帰るつもり。そろそろ飛行機も予約しなくては。。。ヴィアレッジョのカルネヴァ−レを見て帰るかどうかでちょっと迷い中なんだけど・・・有名だもんねえ、イタリアのカルネヴァ−レ・・・あのMASCHERA(仮面)をつけるお祭り。ヴェネツィアが見たいところだったけど。そうそう、ゆりかとのミラノの滞在期間中に、「最後の晩餐」の予約がとれた!なっかなかオペレ−タ−つながんなかったんだけど・・・なんと朝8時半。がんばって起きましょう。読んどきゃよかった、ダヴィンチコ−ド!

てな感じでバタバタですみません、またまた!

イタリア料理 習い中☆ 

2006年01月16日(月) 22時20分
イタリア料理を習い始めました。先生はメルカ−トのバ−ルで知り合った50代の女性、ソニア。たまたま一人でカフェを飲んでいて彼女と話したときに、「10年ほど前までフィレンツェの料理学校の先生をしていた」という話を聞き、それならうちでレッスンをしてくれないかという話をとりつけ、それが実現したというわけです。

フィレンツェにも料理学校はあるし、大概の語学学校は料理学校と提携してアマチュアコ−スを開いたりしているのだけど、どれも高い。料理習いたい、でも高い・・・と思っていたところにあった出会いだったので、これは実現させなきゃと頑張りました。2人で30、4人で50ユ−ロ。材料費別、2時間レッスンで内容はアンティパストとプリモORセコンド、デザ−ト。この前のレッスン第一回目は、生徒が私と同居人のマナちゃん二人だったので結局ト−タル4時間と長時間になって、しかも一緒に買い物するところからやってもらったので実質5時間ほど拘束したことになるのだけど、それで30ユ−ロは安いよね。

第一回目のメニュ−はペペロネのクロスティ−ニとペンネボロネ−ゼ、ティラミス。一からソ−スやクリ−ムを作るところから習った。ソニアは基本的に口出ししたり見本を見せるだけで、作業は全部自分たちでやる(そのほうが習得できるからという彼女流のやり方)。彼女はほんとにBRAVAな人で、包丁さばきなんかさすがプロって感じだった。話によるとそのへんの先生ではなくProfessoreだったのだそうだ。テ−ブルセッティングや出すタイミングもアドバイスをもらえた。

そして料理は、自分たちが作ったのが信じられないぐらいおいしかった!!その後の食事会に招いた友達の一人、コニ−なんか「今まで食べたボロネ−ゼとティラミスの中で一番おいしい」と言ってくれたほど。イタリアならではのことを学べて、すごく充実感がありました。

というわけで引き続き今週もレッスンをやってもらうことにした。いっぱい本場の味を習得して帰ります!

写真:これは三回目のレッスンで習ったZUCCOTTO。カスタード・生クリーム・チョコクリームの入ったアイスクリームケーキ。おいしいです!!

休日ウンブリアひとり旅。後編 

2006年01月12日(木) 22時49分
ふみこさんちにお世話になった翌日、電車に乗ってオルヴィエ−トに出かけた。TARENTOLA?とかいうとこで乗り換え。このマイナ−駅、ペル−ジャ民にとってはどこへ行くにもここで乗換えが生じる鬼門のようなとこらしい。

オルヴィエ−トは小さな町だけど、最近結構観光地化されてるから知ってる人も多いかも。大きな大聖堂が有名な町だ。

駅を降りてすぐフニコラ−レ(ケ−ブルカ−)に乗って、山の上のチェントロへ。降りたら、山沿いの道を歩いて大聖堂まで向かっていく。この道から緑のパノラマが見れるんだけど、この日も天気がよかったから、すっごくきれいだった--。風光明媚ってこのこと。

で、大聖堂を見た。これを見にオルヴィエ−トにやってきたようなものなんだけど、その期待を裏切らなかった。まず大きくて迫力があるのと、ファサ−ドの中心扉上にあるバラ窓、ブロンズ扉や柱に彫られている彫刻が繊細で美しい。聖書の話をもっとよく理解している人だったらきっともっと面白いんやろなあ。で、中に入ったら、中央奥に長方形の長細いステンドガラスがあり、その両脇に金を多用した美しいフレスコ画。中も美しかった。

やっぱりこの町は大聖堂がすごい。フィレンツェのドゥオモを最初に手がけたという建築家アルノルフォ・デ・カンビオの図面に基づいて設計されたという説もあるそうで、どうりでちょっと似てると思ったのかなあ。その他ではモ−ロの塔の上から見た景色が美しかった。ここは緑のウンブリアだってことがよくわかる。この日はBEFANA(クリスマス2週間後東方3博士がイエスキリストを訪ねたことを祝うイタリアのお祭りで、魔女がいい子にはお菓子を、悪い子には炭をあげる日らしい)だったから、家族連れもいっぱい町を歩いてたし、華やいだ雰囲気が楽しかった。そんなこんなでゆっくりと残りの冬休みが過ぎていきました。

左:オルヴィエートのパノラマ。空にも緑にも感動して、嬉しくなった。
右:大聖堂の中。切符切りのおじさんが「この大聖堂は、きれいだろう?完成までに300年かかったんだ」と誇らしげに話すだけある。とんでもない芸術品。

休日ウンブリアひとり旅 

2006年01月12日(木) 22時24分
年末までの曇天がうそみたいにここんとこずっと青空が続いてます。どうやら秋が梅雨にあたる時期らしく、冬は雨量は減るみたいですね。寒いけど。でもやっぱりイタリアは青空じゃなくちゃね。

そういえばパキちゃんが帰った後、しばらく料理したり美術館行ったりのんびりしてたんだけど、1泊2日だけ小旅行に出かけた日がありました。行き先はペル−ジャとオルヴィエ−ト。お隣のウンブリア州にある町で、前から行ってみたいと思っていた。

フィレンツェで秋頃に知り合ったペル−ジャ外国人大学に通うふみこさん(日本びいきのミレッラ先生とその彼氏と一緒にピザ食べた)が、予定がつぶれて暇にしているといっていて、しかも家も引っ越したとこだから泊まってもよいと言ってくれたので、お言葉に甘えててくてく訪ねに行ったというわけです。

ウンブリアは「イタリアの緑の心臓」と呼ばれるだけあって、あたりを山に囲まれた、とても自然の多いところ。私が行った日はすごく天気がよくて、チェントロを囲む道を歩きながら坂の上から見た、ずっと遠くまで続く緑のパノラマはとってもきれいだった--。イタリアにきてよかったと思う瞬間。しばらく町を案内してもらって、おいしいチョコレ−トジェラ−ト屋にも連れて行ってもらった。超おいしかったな-。ペル−ジャには大きなチョコレ−ト会社があって、年に一度大きなチョコレ−トフェスタが行われるぐらいチョコレ−トで有名な町なのです。

その日の夜はふみこさんちで一緒にパスタをつくって、ワインをあけて、ふみこさんのハウスメイトや大学の友達と夜中まで話したけど、仕事をしてから来た人たちだったから、いつもとはまた違った話ができて楽しかった。(つづく)

写真:この日のペルージャは快晴!自然が残っていて、建物は古くて、落ち着いた雰囲気のある町でした。

残すところ一ヶ月 

2006年01月09日(月) 3時57分
はやいなあ・・・。あと一ヶ月かあ・・・。

イタリア語は一応LIBELLO SUPERIORE(上級)クラスになったし、来伊4ヶ月にするとその会話力はBRAVAだ、と知り合った人たちは褒めてくれる。(仕事するには全然至らないので、たいしたことないのだけど日常会話には慣れた)イタリア各地をたくさん訪れて街には詳しくなったし、美しい景色やものにいっぱい出会った。日本にいたら知り合えなかったような人たちともたくさん知り合うことができた。これは私の人生にとってすごくいい経験だったのだと思う。仕事をしていたときより表情が柔らかくなったと言われるし、発疹もなくなった。イタリア語知らないし・・・って尻込みしてた4月から、勢いに任せて直感で好きな国に長期滞在することを選んでよかったと思う。かげながら応援し続けてくれる母や祖父母に感謝。

でもやっぱり不安に思うことはあります。なにか将来の資格をとるための留学ってわけではないし、消費するだけの生活だし、帰ったら自分の生活は否応なく激変するのだろうし。ゼロに等しいところから始まったイタリア留学を終えようとしているいま、自信もついてきてやっぱりこれをリセットしてしまうのは嫌だっていう気持ちも生まれてきているし。

帰ったら結婚の準備、仕事探し、転居の準備。何が変わるわけでもないって思って決めた決断だったけど、やっぱり変わるんだろうなあ。

でも変わって失うものもあるけど、得るものもあるだろうし、変化を恐れずにポジティブに生きていきたいと、変化の年、戦いの年を迎えて思うのでありました。そしていつもメ−ルをくれる皆様ほんとにありがとう、いつも返信遅くてごめんなさい。あなたたちがいなかったら、少なからずもっと私は弱かったと思います。

写真:BEFANAのお祭りにちなんで、pasticceriaのウインドウは魔女をかたどったお菓子でディスプレイ。細かいところまでよくできてる〜ここまでくると芸術品ですね。

Buon Anno!後編 

2006年01月09日(月) 3時04分
さっきの続きでベネツィア。クリスマスだったので、サンマルコ広場のイルミネ−ションが超きれいだった!イタリア各地で12月になるとイルミネ−ションが見られるんだけど、星型、すだれ型などバリエ−ション豊かでどれもきれい。イタリア人ってイルミネ−ション得意なんだな。そういや神戸のルミナリエ作ったのもイタリア人だしね。

私たちがとったのはリアルト橋そばのホテルで、大運河ビュ−でロケ−ション最高でした。ベネツィアンガラスを使ったシャンデリアや鏡台があって、すっごくかわいかった-。普段は高い部屋なんだけど、なんとウインタ−スペシャルプライスで驚きの低価格になってたのです。日本じゃ普通クリスマスって高くなるのに、ヨ−ロッパだとクリスマスが祝日なのでお店がほとんど閉まるし、どうやら安くなるみたいです。

で、フィレンツェに帰ってきてから食中毒事件が起きたのですが、大晦日にはなんとか回復してたので夜は食事に行き、その後シニョリ−ア広場の野外コンチェルトに行ってきました。大晦日ってイタリアでは若者が広場に集まって爆竹を鳴らすのがお決まりだそうで、酔っ払った危ない人も続出するのでちょっと危険だよとは聞いてたんだけど、やっぱりそのとおりだった(笑)

左:運河沿いに見事な建物がずらり、美しい。リアルト橋そば。
右:ベネツィアの風景は、昼も夜も見事な旅情を感じさせてくれる。

Buon Anno! 

2006年01月09日(月) 2時26分
あけましておめでとうございます。(遅いね?)皆様お正月はいかがお過ごしでしたか?

私は3週間の冬休みが明日で終わってあさってから学校。パキちゃんが帰った1月2日の後に、ポルトガルに行く予定だったのが、年末食中毒などになり、急遽中止してフィレンツェにとどまったのでわりかしおとなしく過ごしておりました。

・・・って軽く書いてるけど、死ぬかと思った・・・。

食中毒ってほんま怖いね。中学生のとき一回給食であたってひどい下痢に見舞われたことはあるけど、こんなに嘔吐と下痢をいっぺんにすごい勢いで長時間繰り返したのは初めてだった。たぶん生まれてはじめて、往診呼んだし。家にイタリア人のお医者さんが来ていろいろ質問して、熱をはかったりお腹の音を聞いたり、舌の具合を見たり、最後に注射を一本打って帰られました。

せっかく日本から来て、かわいそうなのはパキちゃんなのだけど・・・。ロ−マにも結局いけなかったし、ごみんね。でも彼もちょっとお腹の調子が悪くなってたので、私たちベネツィアの海の幸にあたったのかと思われます。疲れてたのもあるし。後日、イタリア人の知り合いに話したらアドリア海は汚いからあっちがわで海の幸は食べないほうがいいって言われた。ガ−ンそうだったのか・・・。

でもまあ、お医者さんにも、半日でここまで回復しているところを見ると君は幸運だといわれました。ひどい人で一週間ぐらいこの状態が続く人もいるそうで。油やバタ−は控えて、食べる量もちょっとずつ間隔をあけて食べるようにねと言われたので、果物や紅茶にビスケット、雑炊、煮野菜などで徐々にならしていって、3日後にはトラットリアで食事ができるぐらいになってました。

そうそう、食中毒の影に隠れてしまったけど、ベネツィアすっごくよかった!駅に降り立って最初に水の都の姿を目にしたときの、あの感動は忘れがたいものがあったな-。水の上に古い美しい建物がずらっと建ってて、そこをゴンドラが行き交う様が幻想的で、ほんとにこんな町が実在するなんて、っていう感じでした。

写真:フィレンツェには20年ぶりぐらいに雪が積もった。美しかったです。