王国神話―空から降る天使の夢
2010.01.05 [Tue] 20:20

 

1000の小説とバックベアード
2010.01.04 [Mon] 23:50

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

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『 お題 : 15年目の告白 』 2
2008.10.30 [Thu] 22:00


 それは最初から決まっていたことなんだそうだ。
「本人には伝えないであげてくれ。おそらくショックに耐えられないだろうから」
 担当医の先生は淡々とそう言った。
「娘には、最後まで希望を持って生きて欲しいんだ」
 彼女の両親は目に涙を浮かべてそう言った。
 でも、彼女は言う。
「本当のことを教えて」
 やつれきった顔を僕に向けて訊く。
「私はもう長くないんでしょう?」
 ベッドの傍らで、僕はまるでパイプ椅子に接着剤で固められたかのように身動きできずにいる。この結末が、彼女の生まれた15年前から定められていた未来だったなんて、そんなの悲し過ぎる。でも、このまま何もかもを隠したままでいることが、本当に彼女自身のためになるのだろうか。何も知らないままでいることと、知って悔いと未練を抱きながら、だからこそ最期までの時間を精一杯に過ごすこと。そのどちらが、より良い生なのだろか。そのどちらを選ばせることが、僕の愛であり、僕のエゴなのか。
 そこまで考えて気づいた。選ばせるんじゃない。
 彼女は既に、選んでいる。
「君は……」
 僕は伝えた。
 彼女は生まれつきの心臓病であること、この病院には移植手術のために入院していること、ドナーのあては未だ無いこと、もう残された時間はわずかしかないこと……。

 選んでいるなんて僕の勘違いだった。覚悟は出来ているんだろうなんて、僕の勝手な決め付けにすぎなかった。
 なにより僕は見過ごしていた。生気を失いながら、しかしその瞳には確かに、希望の光が灯っていたことに。
 それを絶ったのは僕だ。彼女を窓から飛び降りさせたのは、その背を押したのは、僕だ。
「外傷が酷い。整形外科移植も必要になるだろう」
 担当医の先生は沈痛な面持ちでそう言う。
「なぜ自分から命を捨てるようなことを」
 彼女の両親がソファに泣き崩れて嗚咽を漏らす。
 僕は手術室の赤い表示灯を見上げながら、深い後悔と自責に唇を噛むしかない。でもそのやり場のない苛立ちが、悲しみのぬかるみに取られた足に力を送り込む。涙を止める。
「先生」僕は担当医に告げる。
「外科移植には僕の体を使ってください」
 彼女の両親に告げる。
「心臓移植には僕のを使ってください」
 驚いて振り向く彼らに背を向けて、最後に言う。
「それから彼女に、愛していたと伝えてください」
 僕は走り出す。
 廊下を突っ切り、階段を駆け下りる。背後で叫び声が上がる。病室から看護師達が飛び出してくる。医師達や患者達が飛び出してくる。彼らの伸ばす手を振り切って、僕は病院の外来出口を目指す。誰も彼もが必死の勢いで追ってくる。トランシーバーを手に先を塞ごうと指示している者までいる。どこで何をしていたのか、見舞客らしからぬ作業着の男達が、前後左右から僕を取り押さえようと襲い掛かってくる。その全てをかわして、僕は走る。
 最後の警備員の脇をすり抜ける。出口へ。外へ。
 道路へ。
 向かってきた大型トラックへと、僕は身を投げ出した。

     *

「全ては私の責任だ」
 俺達脚本家チームを集めて、チーフは深いため息と共にそう言った。
 会議室の外では、さっきから視聴者からの抗議の電話が鳴りっぱなしで止む気配がない。オペレーターの皆さんはご愁傷様だ。
 ある人物の人生を、本人には秘密に、周囲を俳優で固め脚本で操作演出し、24時間放送し続けるドラマ番組「リアリティショー」。今時はどの放送局も高い視聴率目当てに製作しているが、俺達のそれは「主人公」の自殺という最悪の結末を迎えた。
「チーフライターとして、責任は私が引き受ける。君達は何も心配しなくていい」
 ありがたいお言葉だ。
「……どうしたんだ?」
 会議が終わり、他のライター達が安堵の吐息と共に席を立っていく中、一人座ったままでいる俺に、皆に続こうとしたチーフが振り向いて尋ねた。
「また人権団体が騒ぎそうですね」
「だろうな」
「そして、それだけで済む」
「……どういう意味だ?」
 チーフが眉根をわずかに寄せて問う。初めて会った時からそうだが、この人はいまいち表情が読めない。
「最近なにかと問題になってるじゃないですか。リアリティショーの主演のその後について」
 永遠に続くテレビ番組など、存在しない。
 リアリティショーもその例外じゃない。自分以外の全ては偽りであったと、その人生は操作されていたと、いつか「主人公」に伝えなければならない時が来る。
「パニックになって精神病院に行った奴、テレビ局に損害賠償訴訟を起こした奴、色々いますよね」
 だが、俺達の「主人公」は自殺した。その後は無い。
「こうなることは予想出来ていたんじゃないですか?」
「私が仕組んだと?」
 歪む唇。
「誤解だよ。恋人役の死は、あくまで番組15周年のクライマックスとして用意したエピソードにすぎない。視聴率目当ての演出だ。それに」
 疑念を持って聞いているせいだろうか。
 俺にはその言葉は、
「このドラマ展開の構成は」
 罪の告白にしか聞こえなかった。
「最初から決まっていたことなのだから」
 

『 お題 : 15年目の告白 』
2008.10.30 [Thu] 22:00


 場所は仕事場近くのダイニングバーにした。行くのは初めてで馴染みは無いけれど友人から評判は聞いているし、特別な話をするにはいつもと違う場所の方がいいように思えたのだ。
 待ち合わせの時間から5分ほど遅れて川岸君がやってきた。相変わらず遠くからでもその赤いシャツはよく目立つ。
「ごめん、待たせて」
「仕事に手間取ってた?」
「ちょっとね」
 こちらから訊かない限り余計な言い訳はしない。今まで付き合ってきて知った彼の美徳の中でも一番好きなところ。一方、いつだって言い訳が口から溢れ出てしまうのが私だ。でもそれが事態を好転させたこともある。あの時のように。
 店に入り、カクテルでお互い軽く喉を潤した後、私は話を切り出した。
「今日はね、ちょっとした記念日なの」
「記念日?」
 川岸君は首を傾げて、やがて気まずそうな表情になり、
「ごめん、思い出せない。確か君の誕生日はまだ先だよね?」
「答えは、私と川岸君が初めて会った日」
 一瞬呆気にとられるその表情が微笑ましい。
「そうだっけ? よく覚えてたねそんなの。もう何年前になる?」
「今日で、ちょうど15年目」
 注文した料理が運ばれてくる。話を急ぐ必要は無い。彼の胸元を見つめながら、思ったより平静な自分に少し驚く。
「そうか、懐かしいな」パスタにフォークをからめながら呟く彼。「確か、近所の小さい山の雑木林で」
「お地蔵さんの祠がある広場があって、そこがみんなの遊び場だった」
「そうだ。僕は両親に同い年の子が集まる場所だからって教えられて行ったんだ」
「その時、私はたまたま一人きりで」

 そのうち誰か友達が来るだろうと思っていたら、見知らぬ男の子が来たので驚いた。
 だあれ?
 引っ越し。
 引っ越してきたの?
 頷く彼。

 店内の落ち着いたBGMに導かれて、私たちはしばらくの間、懐かしい記憶の中へと沈み込む。
「でも、どうして急にそんな話を?」彼の口元に、悪戯っぽい微笑みが浮かんだ。「まさか、僕に惚れたのは実はその時からだったとか?」
 どう答えるべきか、私は少し考える。彼は話を急ぎすぎだ。まずは、その記憶のフィルムの欠落を埋める所から。
「あの日はね、ちょっとした儀式があって、そして大事な約束が生まれた日なの」私は話を、元の場所へと導くべく迂回させる。「覚えてない? それが思い出せたら、今の問いに答えてあげる」
 難しい顔をして考え込み始めた彼を、私はハムをつまみつつゆっくり待つ。
「儀式……ああ、あれか!」

 ここで遊びたいんなら、ギシキをしないと駄目だよ。
 ギシキ?
 あのツタを使って丘の向こう側まで飛び越えるの。
 私は広場でも一際太い大樹を指さす。
 やんなきゃダメ?
 上目使いに彼が言う。
 うん。できなきゃ、仲間に入れてあげない。

「ターザンごっこだ! そんなのすっかり忘れてたよ」
 ようやく思い出した彼がおかしそうに笑う。そう、それはきっとどこの子供たちの間にでもある、仲間に入るための通過儀礼。
「やったやった。怖かったけど、ここで格好つけないと仲間に入れてもらえないと思ってさ。結構、うまく飛んだんじゃないかな?」
「上手だったよ。上手すぎるくらいに綺麗に飛んだ」
 私の瞳に、あの時の光景が蘇る。今までに何度もリピートされた、目に焼き付いて離れない、木漏れ日に溶けて滑空する影。
「……でも、約束ってのは思い出せないな。何かしたっけ」
 再び顔を曇らせる彼に、私は優しく微笑みかけた。
「これは知らなくて無理もないの。私と川岸君が交わしたものじゃないから」
「じゃあ誰と?」
「祠のお地蔵さんと」

「どうか彼を生き返らせてください、って」

 首からの墜落。鈍い破砕音。広がる血溜まり。
 違うんですただのギシキだったんです皆やっていたことなんです私は悪くないんです私のせいなんですか私が殺したんですかケイムショは怖いです怒られるのは嫌ですこんなのあんまりです助けてください助けて嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い
 どれだけの間祈り続けただろう。
 ――15年。
 頭上から響いてきた声に私は顔を上げた。祠の地蔵と目が合った。
 ――このことを15年間黙っていれば、その子を生き返らせてあげよう。
 背後で何かが起き上がる気配がした。

 彼はしばらく呆然と私の顔を注視する。
「じゃあ、なに」そしてようやく口を開く。「実は僕はこの15年間死んだままで、今日生き返ったってこと?」
 とぼけて黙りこむ私に、やがて業を煮やた彼は気を取り直すように鼻で笑う。
「それじゃ、今までの僕はなんだったっていうんだ? それに例えそうだったとして、どうやってそれを証明するのさ」
 証明は、もう済んでいる。
 今のは軽い冗談だと告げて、私はさっきの問いに答え始める。最初は疑念に満ちた監視だった彼への視線が、やがて恋心へと変わるまでを。
 私の瞳に15年間映り続けた、彼の胸元の赤い血糊。それが消えてしまった今、彼を遠くから見分けるのにはしばらく苦労しそうだ、そんなことを考えながら。
 今日の話の終着点、プロポーズは、その後に。
 

『 お題 : 脱力 』
2008.09.05 [Fri] 22:00


 帰宅すると家族全員が居間の畳の上に川の字に倒れこんでいて驚いた。
「なにやってんの」
「腕立て伏せ」
 顔だけ動かして妹が答える。僕は皆を踏まないように気をつけながらテーブルのリモコンを手に取りテレビをつけた。
「飯は?」
「台所にあるから自分で用意して」
 横になったまま辛そうな声で母が言う。カバンを部屋の隅に適当に下ろし、夕飯を取りに行く。
 その間誰も一言も喋らなかった。
「飯食うからちょっと移動して」
 盆を手に居間に戻ると皆はまだ寝転がったままだった。妹が隣に寝る父の足を蹴る。
「お父さんあっちに行って」
「おお」
 まるでコロコロクリーナーのように3人はくるりと一回転して僕の場所を空けた。
 テレビの音と僕がご飯をかきこむ音だけが居間に響く。やがてうめき声を上げながら父が立ち上がろうと手をつき、またペタンと横になった。
「だめだ」
「こっちもまだだめ」と妹。
「ケンタ」母が息切れを起こしながら言う。「夕飯の片づけやっておいて。皆の全部」
 自分に仕事が押し付けられて、ようやく僕も質問する気が起きた。
「なんで皆横になったままなの」
「腕立て伏せ」
 妹がまた顔だけこちらへ向けて答えた。
「してないじゃん」
「やってたの。そしたらやりすぎた」
「うん」
「やりすぎて腕の力が抜けた」
「何それ」
「腕立て伏せってやりすぎると力が入らなくなるんだね。お兄ちゃん知ってた?」
「さあ」
「部活でやんないの?」
「たまにやるけど、そこまで数こなすことないから」
 夕食を食べ終えて台所で言われた通り洗い物を済ませた後も、まだ3人は横になったままだった。僕は自分の部屋に戻り宿題に取り掛かった。翌日当てられる部分だけ予習して残りはサボった。「お兄ちゃーん!」声がしたので居間に行くと皆まだそのままだった。
「布団かけて」
 何を言われているのか把握するのに少し時間がかかった。
「寝るの? そのまま? 皆?」
「今日は早かったからお風呂も済ませてるの。だから大丈夫」
「ケンタ、布団」
 父が億劫そうに言う。僕は押入れから布団を持ってきて皆に掛けた。
 枕はいるか、とは訊かなかった。
 居間の電気を消し、僕は音をあまり立てないように慎重に風呂に入り、部屋へ戻ってしばらく音楽を聴いたりマンガを読んだりした。そして目覚ましをセットして寝た。

 音量を下げたベルの音で目が覚める。窓の外はまだ暗い。朝練が始まるまでまだかなり時間がある。
 居間を覗いてみた。3人はやっぱり昨晩の体勢のままそこにいた。起こさないように静かに台所へ向かい、バターを塗った食パンと牛乳を胃に入れる。忍び足で部屋に戻り、学校へ出かける準備をする。
 特に深い理由なんてなかった。
 居間では家族が放置されたマネキンのように並んでいる。白んできた朝の柔らかい光が窓から差し込み、そのほんのりとした明かりと、室内に反響する寝息とが、皆の体を暗闇と静謐の奥へと沈みこませている。
 3人がその体を起こし、いつも通りに動きだす姿を、なぜか見たくなかった。
 僕はそっと玄関の戸を開け、最後に後ろを振り返り、いまだ眠りの中にいる人型の川のことを思い、閉めた。
 今日帰ってもまだそのままだったら面白いのにな。
 そんなことを考えながら自転車を漕いだ。
 それを本気で望んでしまうのは、この早朝の薄暗さと静けさのせいだと思いたい。
 

『 お題 : リベンジ 』
2006.12.26 [Tue] 22:00


 夏休み、君ならどう過ごす?
 え、俺達?
 俺達は夏休みを復讐で過ごす。
 厳密に言うと、鎌田は夏休みを復讐で過ごし、俺はそれを見守って過ごす。
 復讐だ、復讐だ。
 復讐するは我にあり。
 相手?
 俺達のような思春期の男子(って自分で言うのもなんだけど)が復讐する相手なんて基本的にはだいたいこれしかない。そして俺達の相手もそれだ。

 つまり、不甲斐ない自分自身。

     *

「来たか?」
「来たぞ」
 自転車に乗ってスタンバる鎌田の気合は今日も充分だ。ペダルを踏む足に力を溜めて前傾姿勢で前を睨みつける。俺は鎌田のやや後方で同じく自転車に乗ったまま、トンネルの奥から近づいてくる電車の音に耳を澄ます。
 そろそろだ。
 この私鉄はトンネルを抜けたところで、元々あまり出さないスピードを更に若干落とす。眼下に広がる青い海、その海岸線に沿ってカーブした線路を、ゆるやかに曲がりながら次のトンネルへと抜けていく。
 スタートのタイミングはここ数日の挑戦で把握している。もうすぐだ。
「……オーケー……ゴー!」
 俺はパチンと指を鳴らした。それが合図だ。復讐の合図だ。
「っっっしゃあああぁぁぁぁぁ!」
 鎌田の咆哮と共に俺達は走り出す。勿論すぐにはスピードに乗れない。だからスタートラインはトンネルの出口よりも少し後方だ。そして出来る限りの最高速に乗った時には上手い具合に、
「出てきたぞ!」
 列車の先頭車両が顔を出す。
「今日こそ負けねー! 明日だって負けねー! ぜってー負けねー!」
「昨日は負けたけどなー!」
「それは無かったことにする!」
「こないだ負けたことも!」
「無かったことにしてみせる!」
「イヤッハー!」
「ヒーホー!」
 すれ違う車に乗ったおっさんや、バイクに乗った兄ちゃんや、プール帰りの子供たちが何が起きているのかと俺達に視線を投げる。でも気にしない。気にしたら負けだ。気にしたから負けた。
 だから俺は鎌田と一緒にここにいる。

     *

「木塚、すまん、俺を助けてくれ」
 親友の鎌田からそう話を持ちかけられたのは、夏休みも数日を過ぎた茹だるように暑いある日の昼下がりだ。なんだ随分真剣な雰囲気じゃないか、と俺は携帯を持ち直し姿勢を正した。
「なんだよ?」
「とりあえずこっちに来て欲しいんだ。俺一人じゃ無理だ。負ける」
「負けるって何によ、喧嘩でもしてんのか。嫌だよ俺喧嘩とかできねーよ、むしろお前も逃げろ」
「嫌だ、俺はもう逃げない。つーか別に喧嘩じゃない。早とちりすんな」
「なんだそりゃ? 分かった、とりあえずそこに行く。今どこだ?」
 そうして呼び出されたのがこの私鉄沿線だ。連結部と線路の継ぎ目でガタガタ音を立てながら走り去る車両をまず一度見送って、鎌田は話し出した。
「この電車がトンネルの外を走っている間、ずっとチャリで併走していたいんだ」
「何のために?」
「去年はそもそも体力が足りなくて無理だったろうな」
「すまん話が全く見えん」
 鎌田は顔を明後日の方向へ向けたまましばらくの間黙りこむと、事情を説明する決心がついたのかようやく口を開いた。
「去年は告白し損なったからな」
 やっぱり話は全く見えなかった。

     *

「去年の夏に広瀬さんが転校しただろ?」
 広瀬さんというのは俺達の元クラスメイトで、親の都合で別の街へと引っ越していってしまった女子だ。
「なに、お前広瀬さんのこと好きだったの?」
「おうよ」
「初耳だ」
「当たり前だろ、隠してたからな」
「グッバイマイフレンド、お前がそんな風に親友に隠し事をする奴だとは知らなかった、じゃあな」
「ウェイトマイフレンド、俺は間違っていた。今は反省している」
「じゃあお詫びに帰りにガリガリ君奢ってくれ。それで告白し損ねたってのとこの場所とどういう関係があるんだ」
「告白するつもりだったんだ、ここで」
「ここで?」
 次の列車がトンネルから顔を出してゆっくりとカーブを曲がり、またトンネルへと姿を消していく。ここで?
「広瀬さんはこの列車に乗って街を出て行ったんだ」
 ああ、なんとなく分かった。
「あれか、マンガとかでたまにあるよな、最後のお別れの場面で『ずっと好きでした』とか書いた旗とか掲げて、チャリで電車と並んで走ってくやつ。なんかのCMでもやって
たな」
「あれをやるつもりだったんだ」
「なかなか恥ずかしい奴だなお前」
「だから無理だったんだ」
 鎌田は自転車のハンドルに頭をうずめるようにしてうつむくと、後悔ここに極まれりといった苦渋に満ちた顔で呟いた。
「恥ずかしいから無理だったんだ」

     *

 俺達のような思春期の男子(って自分で言うのもなんだけど)にとって2番目に強大な敵とは何か。
 恥だ。
 こんなことやったら恥ずかしくて死んでしまう、そういう恐怖感と躊躇だ。
 じゃあ1番の強敵とは一体何か。
 恥ずかしくて死んでしまうと思って躊躇して結局何も出来ない、そういう不甲斐ない自分自身だ。
 俺には鎌田の気持ちがよく分かった。親友だからじゃない。俺も鎌田も同じ思春期の男子(って自分で言うのもなんだけど)だからだ。目と目で通じ合うというのは本当だ。その時の俺と鎌田がそうだった。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「一緒いて欲しいんだ。俺の復讐を見届けて欲しいんだ。自分自身へのリベンジを見守っていて欲しいんだ」
 鎌田はそう言った。それがどういう意味なのか、俺にはよく分かった。
 一人では負けるのだ。
 恥と不甲斐ない自分自身を乗り越えるのに、たった一人で挑むのは、思春期の俺達(って自分で云々)には少々ハードルが高いのだ。
 でも二人でなら、気の合う親友同士の二人でなら、乗り越えられる。
 恥ずかしい思いが、自分自身との戦いが、誰かと共有する他愛無い馬鹿話へとスライドさせることが出来るのだ。
 それはとても大切な、今の俺達にしか、今にいる俺達にしか出来ない、一種の魔法だ。
「把握した」
「サンキューマイフレンド」
「日当はガリガリ君で頼む」
「がめついぜマイフレンド」
 魔法を使うには対価が必要なんだぜ、マイフレンド。

     *

 行けそうだ。
「鎌田! これ今日は勝てるんじゃね!?」
 そんなことは当の本人が一番良く分かっているようだった。
「うっらああああぁぁぁぁぁぁ!」
 俺の声はもう届いていない。
 生暖かい夏の空気を切り裂いて、俺達は走る。汗まみれでべとついたシャツがはためく。太股が筋肉痛で悲鳴を上げる。でも、時折顔を撫でる涼しい潮風が心地いい。降りかかる日差しの暑さが余計な何もかもを消し飛ばしていく。すれ違う人たちの視線なんて、競り合う列車の車窓から俺達に投げかけられる視線なんて、どれだけあろうが今の俺達には物の数にも入らない。
 もう何も気にならない。
 勝てる。今日こそ勝てる。そんな勝利の予感で気分はもう最高潮だ。
 だから、気付かなかった。
 いつの間にか目的がすり替わっていることに気付かなかった。
「鎌田! ちょっと待て!」
「うらあああぁぁぁぁ!」
「俺らがやろうとしてたのは『併走』だったろ!?」
「ぁぁぁ……あ?」
「勝ってどうする?」
「……」
 そういえばそうでしたっけ? といった顔で鎌田がこちらを振り向いた。そして一旦盛り上がってしまった気分の持って行き場に困るような表情を作り、
「おい! 前!」
 俺の遅すぎた忠告は、はかなくも夏の青空の中へと消えていった。
 前方不注意。見事な玉砕。
 鎌田は路上の自動販売機に顔から盛大に突っ込んだ。

     *

「なんか首がすげー痛ぇんだけど折れてないよな?」
「折れてたら生きてないだろ」
 去年の自分の不甲斐なさを乗り越えるという宣言は伊達ではなかったようだ。それ相応に結構体を鍛えていたらしい。随分と派手にぶつかった割に、鎌田はいくつかの擦り傷と軽い打ち身だけで済んでいた。代わりに自転車の方は見るも無残にハンドルや車輪が折れ曲がっていたけれど。
「これで、挑戦の日々も終わりか?」
「……ん、まあ、そうなるかな」
 前輪の回転出来なくなった自転車を持ち上げて引きずりながら、微妙な表情で鎌田は頷く。
「なんか納得いかねーって顔してるぞ」
「……結局、何も変わってないもんな、去年駄目だったことには変わりは無いもんな」
「……気にすんなよ、もう終わったことだし」
 夕暮れが近い。さっきまでの高揚や爽快感は潮が引くように消え去って、代わりに汗まみれの体のべとついた感触が気になって不快で、それが理由なのか、俺達はお互いどことなく惨めな気分で、足取りも重い。
「……あ、今日の分のガリガリ君奢るよ」
 いや、いいよ、そう言おうとも思ったけれど、下手に同情するのも逆に悪い気がした。結局お言葉に甘えることにして、俺達は近くのコンビニへと向かう。
「……広瀬さん、今頃どうしてるかなぁ、元気かなぁ」
「知らね。でもまあきっと元気なんじゃね?」
「だといいよなぁ」
 二人してうつむいたまま、コンビニの脇へ自転車を止める。だから、下を向いていたから、気付いたのは向こうが先だった。
「あ、久しぶり!」
 コンビニから出てきた彼女は、そう俺達に声をかけた。
「「……は?」」
 目の前で起こった事態を飲み込むには、少し時間が必要だった。
「一年ぶりだよね、懐かしいな」
「……広瀬さん?」
 俺はようやく声を絞り出した。
 そこにいたのは、見まがうことなく、さっきまで俺達がその影を追っていた張本人、広瀬さんだった。
「……どうかした?」
「い、いや、あんまり突然会ったんでびっくりして。どうしたの、引っ越したんじゃなかったの?」
「夏休みだからさ、ちょっとこっちに遊びにきてるの」
 そう快活に言って微笑む広瀬さんは、俺の知っている彼女よりも、ほんの少しだけ大人びて見えた。そしてその理由と思われるものを、俺の隣で鎌田が呆然とした表情で指差し続けている。あまりの事態に声も出ないらしい。分かる。その気持ちは痛いほど分かる。だから俺が代わりに訊いてやることにする。
「……えーと、そっちの彼は?」
「あ、えっとねぇ」
 広瀬さんは少し恥ずかしそうに顔を赤らめると、傍らに立つ彼にちらりと視線を送り、今あたし幸せの絶頂って感じ! とでも言い出しそうな満面の笑顔で、こう答えた。
「今付き合ってる彼氏。向こうの学校で知り合ったの」
「どうも、こんにちわ」
 俺達より明らかにルックスのいいその長身の彼氏さんは、そう言って爽やかに笑った。
 鎌田は未だに地蔵と化したまま、口をパクパクさせている。

 ……哀れだ。哀れすぎて何も言えん。

     *

 数日後。
「おい来たか!?」
「あー、来たぞ」
 修理された自転車に乗ってスタンバる鎌田の気合はほとんどヤケクソだ。ペダルを踏む足に力を溜めて前傾姿勢で前を睨みつける。俺は鎌田のやや後方で同じく自転車に乗ったまま、トンネルの奥から近づいてくる電車の音に耳を澄ます。
 前言を撤回させてもらう。
 俺達のような思春期の男子(って自分ああもういいや)にとって1番目の強敵とは何か。
 それは自分自身そのものだ。
 どうあがいても勝てそうに無いルックス抜群の男を前にして、弱々しくも膝を折り、こうべを垂れる、そんな外見しか持ち合わせない、卑屈と絶望のどん底に落ちていく気持ちを持ち上げようにも持ち上げられない、そういう悲しい自分自身だ。
 ただ、そんな俺達にも、たった一つだけ救いが与えられている。

「……オーケー……ゴー!」
 俺はパチンと指を鳴らした。

 それはとても大切な、今の俺達にしか、今にいる俺達にしか出来ない、一種の魔法。

「っっっしゃあああぁぁぁぁぁ!」
「広瀬さん、元気そうだったなぁ!」
「ちっくしょおおぉぉぉ! 良かった! 本当に良かった! 馬鹿野郎! ちっとも良くなんかねぇよ!」
「イヤーハー!」
「ヒーホー!」
 走れ鎌田。どん底に落ち込んだ気持ちをもう一度這い上がらすために。他愛無い馬鹿話に変えるために。

 夏休み、君ならどう過ごす?
 俺はもうしばらく、こいつの傷心を癒すために、一緒に走り続けてやるつもりだけどさ。