熱くてお兄系ファッションで不器用で、いつまでも若くて青くさい男・松田直樹さん安らかに。 

August 05 [Fri], 2011, 15:49
いつまでも若く、お兄系ファッションで、青くさい、青春時代のような男でした。

2002年ワールドカップで全試合出場を果たし日本代表のベスト16進出に貢献。アトランタ五輪でブラジルを下した「マイアミの奇跡」、シドニー五輪・無念のアメリカ戦に出場、ミスターマリノスとして幾多のタイトルを獲得した松田直樹さんが、4日亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

早すぎるその死。J1でもJ2でもないJFLに所属する現在の立場は、決して栄光に満ちたものではないかもしれません。しかし、松田直樹という男を見ていると、それが衰えや後退には思えませんでした。身体全体にみなぎる若さと青くささ。むしろJFLの舞台からJ2・J1を目指す、成長の途上にいたようにさえ感じられます。あの世代の多くの選手がピッチを去ってなお、前へ上へ進もうとしていた熱気。一時の陰鬱とした表情も消え、逆に初々しささえ感じていた矢先の訃報でした。

日本サッカーが世界へ駆け上がっていくとき、そこにはいつも松田直樹がいました。中田英寿や前園真聖が脚光を浴びたときも、中村俊輔や稲本潤一が黄金世代の名乗りを挙げたときも、そこに確かに松田直樹はいた。ある者は老け込み、ある者は腹に脂肪を貯め、ある者は枯れた諦観を示している2011年も、松田だけがあの頃のままそこに立っていたような気がするのです。

期待感と積み上げた実績の大きさ、それを自分でぶち壊していくような奔放さ。2010年に16年在籍した横浜F・マリノスを去ったとき、J1チームからのオファーはなかったといいます。それが松田直樹への最終的な評価でした。激情家であり扱いにくく、ムラが大きい。高い技術と戦術眼を持ちながら、それを全部無視して思い付きのように見せる攻め上がり。結果的に点を取ってしまうあたりがまた厄介な、チームに加えれば何が起きるかわからない劇薬でした。

ときにその激情は自分をも傷つけました。2006年ワールドカップ・ドイツ大会。予選での選手起用をめぐり、松田はメディアを通じて監督を批判。のちに謝罪文を送るも、ついに許されることはなく代表から放逐されました。本番で3バックの要であった田中誠を欠くことになるとはついぞ思わず。無残に大会を去った日本代表を見ながら「松田がいれば」と感じた人は少なくなかったはずです。

栄光の時、そこにいた松田は光を浴びず。挫折の時、影の濃さに松田の不在を思う。いなくなったときに存在の大きさを感じさせる…そんな巡り合わせの下に生まれていた男なのかもしれません。最後の最後までそうであったことが、口惜しい。

松田直樹さん、安らかに。お疲れ様でした。


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