劇場は人生を映し出す鏡なのです。
August 27 [Sat], 2011, 1:36
ミュージカル
私が劇団四季「夢から醒めた夢」が大好きな理由に
夢の配達人のオジサン、というストーリーテラーの存在の存在があるわけですが、
その語りがあまりにも素敵なのです。
冒頭。
「今日、私たちは劇場で会いました。
夢は眠りの中にだけあるだけじゃない、劇場でも大きく膨らむ。
どこよりも素晴らしく花開く。
誰か出会ってみたい人は?
行ってみたい所は?
舞台の空間はあっという間に変身して、その人と出会わせてくれます。
人生を生きるには夢が必要だ。
悲しい時はここへいらっしゃい。
さみしい時・・嬉しい時も、是非。
劇場は夢を作り出し人生を映し出す、大きな鏡です」
「舞台の上の俳優はいつも皆さんの仲間です。
この子をじっと見つめているうちに・・・・
皆さんの心はこの子の心と一つになる。
俳優は舞台という夢の空間の中でで様々な運命を生きる、
そのとき観客の肉体は客席に座っているが、
心は俳優の肉体を借りて劇の世界に遊ぶのです。
芝居、という夢が果てるまで・・」
これほど「芝居」という言葉を美しくはっきりと定義したセリフを私は他に知りません。
私は演劇ではなく芝居、つまり「劇を演じる」ことではなく「芝に居る側」にずっとこだわりたいと思っています。
私は演じる側が演じたい物を演じている劇はお客さん側には面白くない(もちろんいろんなお客さんがいるので一概には言えないと思いますが)と思っていて、本当に良いお芝居はお客さん一人一人が違うものが見える、いろんな思いを抱えて見るから一人一人見えているもの体験することが違ってそれぞれに揺り動かされてそれが全体に伝わってすごくいい雰囲気になるもの。と思っています。
芝居を見る、ということは 生きた人を見る ということです。これだけは他のメディアと絶対的に違うところです。
劇場って生きている人が生きている人を見る、という大変に「変」な場所なのです。つまり芝居とは究極に言えば人が生きる姿を見る場所なわけです。
悲しい時はここへいらっしゃい。
さみしい時・・嬉しい時も、是非。
いつでもこう言える制作になりたい。
(つまり、夢から醒めた夢がとびきり楽しい夢だとしたら、ヤジキタはどーしようもない悪夢、どくんごは夢と現の間、という意味でどれも同じ要素を持っていると思っているのです。どれも見終わった後、夢から醒めて悲しくて切なくてもう一度夢が見たくてでももう戻れなくて、そして今自分が今日を生きていることをどうしようもなく実感するための装置みたいなものです。)
吉本ばななのアムリタ、で
「愛とは皆がプラスのエネルギーを出し合っている状態を示す記号のようなもの(意訳)」という言葉があったのですが、まさに良い芝居を見ている客席はそういう状態になります。
そんな場所が好きなんです。
余談:
私が劇団四季にはまっていた頃は下村さんと石丸さんが2トップでいて、保坂さんや野村さんもばりばり地方も回っていて、劇場もだんだん地方に増えて、という近年の全盛期と言える時期だったので大変贅沢な舞台を見ていたんだなあと最近になって痛感します。今見に行っても何となくちょっと、物足りない。私が芝居慣れしちゃったからだけの問題じゃないと思うんだよなあ。
私が劇団四季「夢から醒めた夢」が大好きな理由に
夢の配達人のオジサン、というストーリーテラーの存在の存在があるわけですが、
その語りがあまりにも素敵なのです。
冒頭。
「今日、私たちは劇場で会いました。
夢は眠りの中にだけあるだけじゃない、劇場でも大きく膨らむ。
どこよりも素晴らしく花開く。
誰か出会ってみたい人は?
行ってみたい所は?
舞台の空間はあっという間に変身して、その人と出会わせてくれます。
人生を生きるには夢が必要だ。
悲しい時はここへいらっしゃい。
さみしい時・・嬉しい時も、是非。
劇場は夢を作り出し人生を映し出す、大きな鏡です」
「舞台の上の俳優はいつも皆さんの仲間です。
この子をじっと見つめているうちに・・・・
皆さんの心はこの子の心と一つになる。
俳優は舞台という夢の空間の中でで様々な運命を生きる、
そのとき観客の肉体は客席に座っているが、
心は俳優の肉体を借りて劇の世界に遊ぶのです。
芝居、という夢が果てるまで・・」
これほど「芝居」という言葉を美しくはっきりと定義したセリフを私は他に知りません。
私は演劇ではなく芝居、つまり「劇を演じる」ことではなく「芝に居る側」にずっとこだわりたいと思っています。
私は演じる側が演じたい物を演じている劇はお客さん側には面白くない(もちろんいろんなお客さんがいるので一概には言えないと思いますが)と思っていて、本当に良いお芝居はお客さん一人一人が違うものが見える、いろんな思いを抱えて見るから一人一人見えているもの体験することが違ってそれぞれに揺り動かされてそれが全体に伝わってすごくいい雰囲気になるもの。と思っています。
芝居を見る、ということは 生きた人を見る ということです。これだけは他のメディアと絶対的に違うところです。
劇場って生きている人が生きている人を見る、という大変に「変」な場所なのです。つまり芝居とは究極に言えば人が生きる姿を見る場所なわけです。
悲しい時はここへいらっしゃい。
さみしい時・・嬉しい時も、是非。
いつでもこう言える制作になりたい。
(つまり、夢から醒めた夢がとびきり楽しい夢だとしたら、ヤジキタはどーしようもない悪夢、どくんごは夢と現の間、という意味でどれも同じ要素を持っていると思っているのです。どれも見終わった後、夢から醒めて悲しくて切なくてもう一度夢が見たくてでももう戻れなくて、そして今自分が今日を生きていることをどうしようもなく実感するための装置みたいなものです。)
吉本ばななのアムリタ、で
「愛とは皆がプラスのエネルギーを出し合っている状態を示す記号のようなもの(意訳)」という言葉があったのですが、まさに良い芝居を見ている客席はそういう状態になります。
そんな場所が好きなんです。
余談:
私が劇団四季にはまっていた頃は下村さんと石丸さんが2トップでいて、保坂さんや野村さんもばりばり地方も回っていて、劇場もだんだん地方に増えて、という近年の全盛期と言える時期だったので大変贅沢な舞台を見ていたんだなあと最近になって痛感します。今見に行っても何となくちょっと、物足りない。私が芝居慣れしちゃったからだけの問題じゃないと思うんだよなあ。
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