傾聴ボランティア活動実践編(13)・元職人の話

October 06 [Sat], 2012, 1:06
10月1日台風一過、青空が広がるが暑い。
8月並みの気温とか。
7名が参加。
1階のホールでは前回対話した元校長のAさんが新聞記事を話題にしたお話会を開いている。
10名以上の利用者が集まって真剣なまなざしで聴いている。
まるで学習会のようだ。
その輪に入らず、1人でそれを穏やかな表情で眺めている男性に声をかけてみた。
今年75歳になる山田さんは話し好きと見えて、私の質問にもスラスラと答え、全くよどみが無い。
薫風苑の近くにお住まいなのだが、故郷は函館だという。
話題は自然に彼の生活史となった。
昭和31年、18歳の時、単身で上京し、縫製を営む親方に住み込みで雇われた。
デパートに納める婦人服の注文生産をやっていたようである。
5年の奉公、1年お礼奉公で給料は月500円だった。
休みは月にたったの2日。
後楽園まで行って巨人戦を観るのが楽しみだった。
ただし、当日売りの外野席があればの話。
昭和39年に独立し、結婚した。
東京オリンピックの年である。
昭和39年というのは日本にとっても山田さんにとっても記念すべき年だったんですね。
私はそれまでの話をちょっとまとめるように言った。
仕事はいくらでもあった時代だった。
奥さんと二人で納期に間に合わせるために、徹夜で働いたことも度々だった。
私はNHK朝ドラカーネーションの糸子のセリフ今は昼なのか夜なのかを思い出した。
問屋に服を納めるため自動車免許も取った。
生きるため働き続けて50年経った。
つい数年前まで働いていたそうol 副業だ。
だから趣味というものを持てなかったので、ここへ来ても、こうして皆さんのすることをながめているだけなのです。
すると、仕事の上での悔いはないのでしょうね。
ありません。
山田さんは。
職人稼業一筋だった道筋をふり返るように穏やかな顔で答えた。
話題は故郷の函館のことに変わった。
山田さんが話す終戦直後の函館の様子はまことに興味深かった。
進駐軍を初めて見た時のこと、満州やロシア方面から大勢の帰還者が函館に集まっていたこと、漁業の町として大変賑わっていたこと、じゃがいもばかり食べていたことなど、次々と思い出を語ってくれた。
私は、一つ一つ細かな質問をしたのだが、山田さんは嫌な顔ひとつせずに、それに丁寧に答えてくれた。
あっという間に1時間経過。
感謝の挨拶をして対話は終了した。
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