成長って、なんだ? 

March 03 [Fri], 2006, 23:57
成長という言葉を辞書でひくと、
「@育って大きくなること。育って熟成すること。」(広辞苑)
と記されているが、私が考える成長は「変化すること」なのである。
変化することが出来れば、物事が成功しても失敗しても
それは「成長」だと思う。少なくとも、そう思いたい。

何かのプロジェクトを担当したとしよう。
そのプロジェクトが成功すれば、多くの場合
それに携わった人は「成長」したと考えられる。
これは、成功させる為に努力してきた過程が認められたということだろう。
では、失敗したら、それは「成長」とは呼ばないのだろうか。
結果的には失敗しても、そこから学び得たものは沢山あるはずである。
ならば、それだけでも立派に「成長」したと言えないだろうか。

さらに、人は日々変化(成長)しているのだと思う。
ニートのような生活を毎日繰り返していても、
生きている限り、毎日何らかの影響を外部から与えられているはずである。
それは、本人が気付いていないところで「変化」しているのである。
つまり毎日何もしていなくても「成長」しているのだろうと思う。

この考え方は可笑しいだろうか。
では、生まれたばかりの幼い赤ん坊を例に挙げてみよう。
彼らはまだ言語を有していないだろうから、「考える」ことは出来ないはずである。
しかし、彼らはいつの間にか床を這うことを覚え、歩くことを覚え、
やがては言語を用いることとなる。
これを日々の成長と呼ばずして、何を成長と呼ぶのか。
「考えること」や「努力すること」だけが、成長を促すわけではない。
一番大切なのは「感じること」だと思う。
何をしていても何かを「感じる」わけだから
やはり、それは成長になるのだ。

先にも述べたように、人は日々成長し続けているのだと思う。
しかし、切磋琢磨して、必死にならなくても良いというわけではないと思う。
目的意識を持ち、目標に向かって努力するのであれば、
それは「飛躍的に成長している」となるのだと思う。


まぁ、結局は頑張らなきゃって、ことになっちゃうんだけどね
うぅん、最近、私、頑張ってることないよぉ
あっ禁煙、頑張ってる


日記って。 

March 03 [Fri], 2006, 2:24
時代によって携帯は異なるものの、
自分の心情を書き綴るという行為は、昔から多くの人が行ってきたことである。
その代表的な物が「日記」ではないだろうか。
現代ではネットで日記を公開する人が、急激に増加しているように思う。

「日記は人に見られたくない」と考える人は多いようだが、それは本心なのだろうか。
本当に見られたくないものを書き綴るのだろうか。
恐らく、無意識的、ともすれば意識的に、日記を通して
「自分の考えを聞いてほしい」という意思表示をしているのだろう。
「自分の意見は言いたいが、その意見が自分の物だと気付かれたくない。」
と考える人にとって、顔を公開せずとも自分の意見を綴っていくことが可能なネットは
意思表示の手段として、非常に有効なものだったのだろう。

さらにここで、日記を書くことの必要性も考えてみよう。

人との関わりを重んじる日本人にとって、
自分の時間を割いてでも、他人との付き合いを優先する傾向がある。
そして、我々は常に他人が何を考え、どう感じるのかを敏感に察知しようとしている。
しかし他人にばかり目が行っているが、ここで良く考えてほしい。
一生の内、誰よりも長く付き合うのは、他の誰でもない「自分」なのである。
その自分を蔑ろにせず、たまには自分自身を振り返ることで、
新しい自分を発見し、それによって、自分を成長させることも可能なのではないだろうか。
日記を書くことで、人は自分自身とのコミュニケーションを図ることが出来ているのだと思う。

と言うことで、自分の意見(考え)を気が向いた時にでも、少ぉしずつ書いていこうかなと思う
こぉいうのは初めてで、何をどぉすれば良いのか分からないけど
取り敢えず、最近の流行に乗るべく、ブログたるものを書いていくとしよう
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