愛が応えられた時。

October 02 [Sun], 2011, 0:33
先日、教会学校に来ている女の子のおともだちからハガキが届きました。小学校3年生の女の子かわいい文字で先生、おてがみありがとう。また会えるのを楽しみにしていますとあり、自作の絵が描いてありました。教会学校に来ているおともだちにお手紙を出すのが、最近の私の趣味でも返信をもらったのははじめてです。返信をもらうことがこんなに嬉しいなんてなぜそんなに嬉しいだろうそれは愛が受け取られ、愛に応えてくれたからです。おともだちに手紙を出す私の愛はほんとうに小さな小さな愛でしかないでもそんな愛でも受け取られたと分かった時に、そしてそれに応えてくれた時に深い感動と喜びが湧き上がるのです。愛は一方通行では成立しない愛は受け取られ、それに応答する時に全きものとなるある時、イエスは人の重い皮膚病を患った人と出会いました。イエス様、あわれんでくださいと病人たちは叫びました。イエスは自分の体を祭司に見せなさい病気が直ったことを証明する当時に儀式と言われ、それを信じて出かけていく途中に全員が癒されたのです。そしてそのうちの一人だけが、その人はユダヤ人ではなくサマリヤ人という外国人でしたが、イエスのもtに帰ってきてひれ伏して感謝したのです。イエスはその時、人癒されたのではなかったか神をあがめるために戻ってきたのは外国人であるあなただけなのかと言われました。イエスは人の病人に特別な愛とあわれみを注いだのに、それが受け取られ、それに応答したのは一人だけだったのです。イエスはそれに痛みを覚えられのです。しかし同時に愛に応答してその一人にどれだけイエスは慰められたことでしょう。親の愛に応えてくれる子どもがいたら親はどれほど嬉しいでしょう。しかし親の愛が踏みにじられた時、親はどれほど痛むことでしょう。妻を愛して、女子校生 画像夫を愛して、それに応えて伴が愛してくれた時にどれほどの喜びでしょう。愛は一方通行ではないのです。そして神は私たちを誰よりも愛しています。ひとり子なるイエスキリストを十字架にけるほどまでにその愛が受け取られることを神はどれほど願っているのだろうその愛に応える者が出た時に神はどれほど喜ばれるのだろう愛に応える者とならせてくださいと祈る来週の日曜日も愛する小さな娘に会えるかな。主よあなたを愛します。今、われをしもべとし仕え人となしたまえいまでも、とこしえに、御そば近くで
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