ヒグチユウコ『すきになったら』の感想 

October 13 [Thu], 2016, 22:34
町の本屋さんがなくなってしまうのではないかと思って、定期的に何かを買うようにしています。

本屋さんがおすすめする場所に、一瞬、視線が止まる表紙がありました。

すきになったら』です。



すきになったら

「すき」という気持ちは、相手をどう思うことなのかということが書かれてあります。

表紙の女の子と、ある動物が織りなす時間。誰も接することができない状況が作られていて、見守るしかない戸惑いが一種の不安を生じさせます。

この不安は、「すき」という状況そのものを表す鏡のような役割にも見えます。木村カエラさんの「ワニと小鳥」を聴いたことがある方は、わかりやすく感じられるかもしれません。



リリースが2007年だったんですね。



ワニと小鳥

町の本屋さんのおすすめは、本屋さんの個性が出ますね。客層にもよるのでしょうけれど、参考書、技術書が目立つところもあれば、推理小説、絵本が華やかな場所においてあるところもあります。

画廊のように、書店を歩くだけでも、リセットできるような気がします。

『すきになったら』は、すきに「なったら」の話ですので、誰かをすきになることを強制されることもなく、女の子の状況に委ねて読み進められます。

見える月は、誰かが見ている月と同じと思うことがあります。月の周りの闇が表紙の黒に投影されると同時に、月光は女の子の花に映りました。



全自動○○と散歩 

July 09 [Sat], 2016, 21:43


エディタを変えてから、長文に挑戦しています。まとまらない文章を書いては削れなくなるという、それでも満足してしまいます、文字を打つことに慣れてくると。

ここ数日、本社からデータが神経衰弱ゲームのように飛んで来るので、自動化を試みています。でも、全自動まではいかないので、一部、手動です。

数が少ないから現状維持できますが、多くなると...ツールを統一...という願いは、短冊に書いても届きません。

写真を見て、ある部品の適合を判断しているのですが、わからなくなったらアメリカの本社の資料を見ます。英語で枚数は少なく、記号のように見るようにしています。CADで作成されてあるので、文字数は少なく製図?のようです。

米を作る人が激減していると噂の地元です。よくお米を買わせていただいた複数の農家さんがお年を召されて、休耕田になり、限界集落が日常化してきています。若い人が移住しても、一人あたりの自治の負担が増加するので転居する事例も少なくありません。

地価が低いので、工場が建設されることがあり、従業員は外国人労働者が多くを占めています。朝になると、長い行列になって工場に吸い込まれていく様子を通勤中に目にしたのは数年前。地元出身の女性のほとんどが、歩いたり自転車に乗ったりせず、自動車が足になっています。ですから、数人の自転車の集団は目立つ存在で、必ずと言っていいほど同じような髪型をしているため、地元出身者ではないということがわかります。

地方が、このような工場群ばかりではありません。地域によります。

いつも人がいなくて昼間でもひとり歩きがこわいな、と思うことがあるくらい閑散としています。山の方に行くと、「ひとり歩きしないで」という注意書きがあります。田舎でも物騒なのかと続きを読むと、クマが追いかけてくるから!とのことです。

絶対に、散歩とか危険ですね。身を守るために自動車必須です。

人ではなく、野生の偶蹄類が散歩していて、たまに散歩中の犬と喧嘩になって頭突されて犬が被害という知らせを聞きます。回覧板には、丁寧に四コマ漫画で、かもしかといぬ の出来事が書かれてありました。

今日は、雨が降って本を読む気持ちになれたので更新できました。読んで書けるので、読めないと書けない情弱さに負けないようにしたいです。

黄色の車が売れる理由 

October 03 [Sat], 2015, 18:02


黄色の自家用車が、ある特定の地域で売れる理由から導き出されることとは...。よくある人事の質問のようです。

一見、全く仕事とは関係のない問答を繰り返すうちに、少人数でも遠隔で業務を遂行できるようになりました。小さな集団行動の機微を見逃さないために、欠かさないおまじない(!)なのです。

震災の後、東京から急遽移転した事務所との業務は、限られた時間内に要所を抑えた意志疎通を必要とするため、時間を必要とする会議はありません。毎時、業務が更新されていきます。

短文でのやりとりが増えると、顔を合わせた会議でも手短に気を遣い、まとめ文のような会話になりがちです。毎回ではありませんが、日頃から字面に感情を付け加えるようにはしています。

人の気配があまりしない場所で仕事を続けると、(それが全ての原因ではありませんが)自分を相対化することを意識的に避けるようになっています。「今の現状は望んだ上での選択」という他者からの客観視から逃れるためでもあります。

誰かと会うことは、一日の生活圏内で完結します。一方で、仕事の大半は首都圏に関わっていますので、地方で完結する仕事という意識はありません。この属性意識のズレが、少なからず働き方や生き方を支配しています。

上述の黄色の自家用車が売れる理由は、「天候と地形が生活にバイアスをかけているから」ということが統計上の随時的な答えです。実際、自家用車に限らず、建物を設計する場合でも、東京で受け入れられていることが、こちらでは全く受け入れられなかった事例もあり、地域差がサービスを分かつことに日頃から接しています。

*****

地方都市の中心部に生活機能を集中させて、若年層の流入を試みる一例として図書館の移転があります。数年前に、その徴候があり、幼い子供を連れた親子が快適に読書できるような設計になっていました。

その場所は、以前よく立ち寄る場所でした。

数年前の図書館移転後、隣接する飲食店やフロア全体の客層がファミリー層になり、活気が出ていました。私は、家族で図書館に行くことはありませんし、交通にかかる負担を考えると、今では県内の複数の図書館から、近隣の図書館に取り寄せています。

*****

今日は、思うことを書いて終わります。県内産の新米と野菜スープをいただきました。食欲が回復してきて、考えやすくなった気がします。

高額なお買い物をする感覚の人へのメッセージなのかしらと気になった、車の購買層を意識したコピーの引用です。

"It's not a matter of where you come from, what you do, or how much money you have in the bank. The only qualification is that you have a dream and pursue it passionately."

お金では買えない価値を伝える表現なのかもしれません。手が届かないお買い物をうながすのではなく、お買い物に余裕ある購買層に向けて。

Apple Watchに限らず必要なapps 

May 06 [Wed], 2015, 19:50


思いつきですが、必要なものです。

・Time tracking
・Mail
・Messages
・Camera
・Phone Calls
・Google Maps

時間と場所とメモと通知を中心に列挙しました。過去進行、現在進行、予定の形で最小限に収まってほしいです。更新されても、誰かに説明しやすいからです。

昨年の今頃、山の麓の小さな町に通っていました。居住県内の町とはいえ、初めて地方に引っ越してきた時のような感覚でした。旅の人(方言)意識です。

必要最小限の生活は余暇が絞られ、不足のものと必要なものが一層明確になり、生を見つめることだけになりました。原典に触れて、応用し、使いやすく工夫する端緒です。本気を出して原典に触れると決めたら、世界を周って人と会うのが常識、といろいろな人から言われてきましたが、本当にそう思います。

生まれて数年後からの隠遁生活は、他者からフィルターをかけられるので、自己紹介が通らない不条理が一生つきまといますが、人知れず気づきもあったのかもしれません。おかゆを誰かに作っていたら、おかゆが大好きになるように。

Hours Time Tracking - Tapity, Inc.を使い慣れるようにします。

人気ブログランキングへ

Pinterestと農耕民族 

April 26 [Sun], 2015, 0:14


なぜ日本ではPinterestが流行らないの?という投稿を目にします。

毎日、水田に囲まれて生活していると、農耕民族であることを自覚させられます。隣の水田が水を入れたら、水を入れるように、集落で浮かないように追従する行動を見ています。定住することが、生活に直結していると、転居したら最後、再び帰っても迎えられにくい状況があります。たとえ、農業を専業としなくても、土地に対する美しい偏愛があるようです。

偏愛を持たず、狩猟民族的な生活を送ってきた人に初めて、Pinterestの機能を伝えたところ、Pinterestの動線・目的がわかりやすく大変優れているというのです。

画像を集めると、自分が何者か形になっていくゲーム。共感対象の数が見えにくく、競争させず階層化されない心地よさ。では、なぜ日本で流行らない... 個人的な感想ですが、自分を自分で探すより、誰かが探してくれる方が楽と思う傾向があるのかしらと思うのです。といっても、検索結果も関連画像もPinterestが探してくれるのですけれど。

何年かPinterestを歩くと、衣食住トータルでアドバイスしていただけるようで、生活のストレスは減っています。Pin元で購入するよりも、画像に影響されて類似のものを購入したり、調理する際も、ある特定のレシピに頼らず、色彩と季節とが混ざり、複合的なイメージになります。いいかえるならば、世界中に散らばっている、自分の好きなリソースをまとめてくれる、よきアドバイザーです。

あなたが好きなコモディティはこれですと限定されたり、何かに追従したりしない(と感じにくい)ことで、自分が何者で、その知らなかった自分が、新しいものを見つけるワクワクが持続する仕組み。

そのような機能が海外で受けている状況を察すると、逆に、日本には、購入意欲をけん引する強力な何かがあるのか、それとも農耕民族の性なのか...

母校ではありませんが、文化人類学の講義を受けたことがある著者の本『身ぶりとしぐさの人類学―身体がしめす社会の記憶 (中公新書)』を読み直したいと思います。



講義では、家族間・子供同士の共感行動についての実体験をうかがいました。時間が経過して、家族の役割や形態の概念が変化しても、変わらないものってあるのかもしれませんね。理解至らず、一生を終えそうです。数日前から、蛙の声が、かすかに届き始めました。

人気ブログランキングへ

1300部でも居心地を求めて 

April 20 [Mon], 2015, 3:26


収入か居心地か。

「教科書を書く人は偉いから、間違ってはいけないんですよね。でも、人間だから間違うこともあって、それに気が付いて端から見ている私は、普通の人。普通の人は、普通に生きなくては居心地が悪くなるから、静観せざるを得ないのですよ。」

「××さん、これからは広告の時代です。広報は必要なくなるのでは?」

ある大企業の広告のコピーが原因で、対応スケジュールが過密になり過労に追い込まれた知人。

「帰属意識を持たぬように、それが君を守る手段だから」と言われた意味に気付き始めたのは、20代後半。組織、家族などのつながりの中で「私」を演じているのですが、演じきれないこともありました。本能的にはカテゴリーに分けられたくなくても、分けられてしまうのは、誰かの居心地をよくするためかもしれません。

主に女性だけが受診する医療機関の男性医師が、「あなたになら言ってもいいと思うけれど...」と前置き、2000年代からの受診傾向の変化を言われました。この会話の中で、私は「病室が、患者の社会的背景によって厳密に分けざるを得ないというのは、この科が特有であるとは限らないと思います。社会が大きな医療機関であるとしたら、病室はシェルターであっても不快ではありません。」とお応えしました。

会話から10年が経ち、その時の病室のカテゴリー化が、そのまま実社会に移植されている経験をしています。イヴァン・イリッチが描く社会に接近した現実。

「自分にとって居心地がよいカテゴリーに収まると、途端に発信力が弱まり、限られた範囲にしか届かなくなる。発行部数1300が示している。」2000年に社会学関係者が私に伝えたことです。

人が集まらない地域に住んでいると、なぜ人が集まらないかが分かります。予備校の採用試験最終面接で、地方の教育現場の現状を採用者側が切々と語ったことを思い出すと、産業・教育の明日を他所に求める理由がはっきりします。家庭を持つことを見送る1つの理由になりました。

もう1つ家庭像の欠如があるとしたら、理論の教育と現場の教育が対立したことを見てきたからです。

夜が明けてきたので、筆を置きます。庭を眺めることができるのもリミットがありますので、今朝は庭から吹く風を大切にします。それでは、また画面上のどこかで。


脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

人気ブログランキングへ

書籍検索とWindows 95 

February 22 [Sun], 2015, 1:13


迷った時に視線を送る場所と層の関係を話していました。

指揮者が曲の始まりにタクトを振り始めるとして、演奏者が2拍子の2拍目を目視する時は、自分の手元を見ることはなく演奏し始めなければ、タイミングが合わないことに似ています。

演奏が始まり、複数の音の層を同時に奏でることができる楽器であっても、主役になる音の流れはひとつ。

流れは単調に見えて、複雑な記憶には、画像として目で見たものをイメージすることが最も速いということを暗記が堪能な方から聞きました。目次のキーワードを覚えてから読み始めると、論点が(読解力不足で)霞んでしまっても、迷いづらくなるのには理由がありそうです。結局、付箋は1冊につき、1枚になります。

冬空の下、しばらく歩き始めると、そこにあったはずの書店の付近を通過します。電子化と物流変化の波が押し寄せる前に、過疎により、来店者が減ったためです。それでも、この場所から多くの映画と書籍が世に羽ばたいていき、後進に志を与えて下さったことは忘れられないのです。

寄贈図書に社印を押し、Windows 95で書籍名を検索できるようにしていた中学生のあの頃の私が今を生きているとしたら、表現の流布に浮かぶ贖えない趨勢を受け止めうるでしょうか。パソコンがある部屋から移動し、校庭から吹く風がカーテンを揺らし、お弁当と教科書を前にしている午後に戻ります。

アプリケーションを触っていて、よい意味でゾクッとする瞬間は、知りたいことが滞ることなく絞れる構造を持つ設計に出会う時です。EC系では、ある1つの機能がどうなっているかで全体を支配してしまうのかもしれません。全く詳しくありませんので、今日少しだけ気づいたので書き残します。そのことと、先に述べた図書検索の仕組みに共通していた部分がありました。朝の5時、空腹感が否めませんが、階層を持った1ステップの滞在時間と到達は、宛ら料理のレシピのようですね。

人気ブログランキングへ
yaplog!こうこく
当ブログ内検索


プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:おひさまきらら
読者になる
http://yaplog.jp/ohisamakirara/index1_0.rdf