メモ 考察。

April 24 [Tue], 2012, 18:44
墓場まで持って逝く事についてから始まる思考。
決定的に何かを守るために話してならないことって有るのだろうけど、その何かがそういったことを知ろうが知るまいが問題ないって思う。
理由は信や儀、礼、仁だったり、根底の理由はそれぞれと思うから。
多分、話されないのは本当に心の奥にしまってあって、自ら触れないでさえいるのか。
嘘をつかれているとか、信用されから話してもらえない。
や、相手が自分に言わないのと違うのじゃないのかと思う。
相手が自分をどう考えているか自分が不安なのか、或いは相手にとっての自分の価値を推し量ろうとしているかも知れない。
自らの存在価値や理由の為に相手の行動を見てしまう。
この現代社会が封建時代の風習に侵食されている、そういうことが有るかも知れない。
比較し安定感を覚えることで、自らの存在を正当化する。
自分を何かと比較して存在する必要は無い。
自分にとって相手が大切と思うならこそ、相手がもし、墓場まで持って逝くような話をした時に、自分がどういう行動をとるか。
が、問われると思う。
相手にとってではなく、自分にとっての相手の存在や自分自身を直視し、其が出来るか、また、直視する努力を試みるか。
その秤を自分にとってどのように設定するか。
いつか、友人の一人が時代と時代のはざまの人間と評した。
時代に限らず、自分ははざまに悩み翻弄されている。
苦悩は付いて回るけど、何かを考えて、探究することを大切にしたい。
人を愛すればこそ。
私自身、墓場まで持って逝くものの一つや二つは持っているかも知れない。
バレる程度の嘘や話しは、墓場まで持って逝くレベルの事ではないと思うけど、肝心なのは自分がどういスタンスを相手にとれるかだと思う。
逆に自分の真を問うことになる。
自分にとっての相手の価値を値踏みすることに繋がり、そういう自分を直視できる強さがあるかを自ら知る事になるから。
人との関わりは、袖もすり合わないほどから、命を懸けるほど以上とも言えるほどまで、大きな樹の小枝の数ほど有ると思う。
人の好奇心を始めとする、悪意や善意を含んだ感情の生む言葉や行動はそれこそ、空の奄ェ瞬時に姿を変える、また、その沿黷ツ一つを構成する水滴の姿の数ほどあるのではないか。
あらゆる要因が、あらゆる動きで互いに干渉し合う。
無限が存在するならば、無限に近いのかも知れない。
人間と言う奇妙な生物が織り成す社会は、その地図の座標に立つ位置だけで答えが出るのではない、のではないかと思う。
あらゆる干渉によってメル友募集掲示板一粒の水滴がその本質を変える。
固定された本質が変化をしなければ、答えを導き出すことは可能かも知れない。
しかし、その水滴の干渉後の姿は限りない。
スイッチを押すことにより操作されること、が無いような個でありたいなら、意外性を失わないでいることを重視するだろう。
しかし、己を見失わないでいられるかは、その個自身の強度や、周囲の環境に影響を受ける。
私はただの愚か者だ。
と、書きながら、自分は本当はただの馬鹿だと書いた方が良いのではないかと思いながら。
先日、ディーズニー110周年に作られた映画のジョンカーターを観に行っていた時の事を思い出していた。
旅先の店のことを。
不思議で不可解なことは、幾らでも起きている。
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