吾、会社より帰りて風呂に入りしのち、思ひたることを綴らむと欲す

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更新停止 / 2005年01月04日(火)
このブログ、いろいろ機能がたくさんあって楽しいけれど、字数制限が信じられません。
まあお子様向けということでした。さようなら。
 
   
Posted at 18:46/ この記事のURL
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戦いは終わった / 2005年01月03日(月)
昨年から、いや3年位前から断続的に論じてきた現代社会非反論はほぼ出尽くした感じがする。

というのもそれ以前は、病気で世界に対する関心なぞまったく失っていたからだ。
ようするに、何もかにもどうでもよく多少苦しくなく日々生きれればそれで良かった。

ぼくは1960〜70年代について何も言うべき言葉はない。僕の持論どおり、僕はその時代と言語を共有していないのだ。

「アンポハンタイ」と「アンポンタン」の区別はまったく付かなかった。
ぼくは中学2年生、つまり13歳のとき日教組の教師に対し、自衛隊擁護論を教室でぶったことがある。
その頃から、およそ冷戦とその後の失われた10年で、歴史は何も動かなかったのであった。
たとえば20代、30代世代の人々よ。
ぼくが13歳の頃と君らは大差がないのである。

マルクスは「資本論第1巻」で間違えている。彼は、「搾取されるべきプロレタリアートが存在するためにはプロレタリア階級が存在しなければならない」というような循環論・論敵先取りの誤謬をあの分厚い本の中で行っているだけである。これに気が付かなかった約100年間のマルクス主義者のバカさの程度にはさすが驚いた。そしてなおわるいことに、プロレタリア階級は「プロレタリア独裁」によって初めて現実的存在になるというのだ。つまり、もしプロレタリア階級というものがなければ、何もないのである。ロシアや中国にプロレタリアがいたか?北朝鮮にプロレタリアがいるか?そう、プロレタリアがいないから「独裁者」たちだけが現在居残って、ミサイルをわれわれに向けているのである。マルクス主義についておしまい。
また前全会社(某地方自治体)は、信じられないことに人事の実権を日本共産党系組合幹部が握っていた。オーマイガー!
当然わしは、一言もそんな連中に貸す耳は持たないし、指示に従うこともなくなった。
そのためほされて12年間立った6人の小さな係から移動することができなかった。
本当の話である。

もちろんそういうストレスが病気の大きな原因であったことをはじめてここに記しておく。
「組合に殺されそうになった」
だから、わしにはミラン・クンデラの「冗談」に涙を流すし、オレンジ革命に不必要に肩入れしたりもしたのである。わしのように言いたいことを言うとその不思議な大会社では、強制収容所に入れられるようなものであったのだ
 
   
Posted at 11:54/ この記事のURL
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FLASH版謹賀新年 / 2005年01月01日(土)
酉年(わしもじゃ)謹賀新年FLASHみてください!
 
   
Posted at 13:01/ この記事のURL
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村上龍等についての注釈 / 2004年12月31日(金)
村上龍の小説は面白い。
だが構成力はないし、彼が描こうとするメッセージに対する彼の理解力は大学2年生程度からデビュー以来まったく抜け出していない。
彼が愛について語ろうと、セックスについて語ろうと、暴力について語ろうと、ファシズムについて語ろうと、グローバリズムについて語ろうと、彼は参考書の丸写しをやっているだけである。
彼が現代サブカルチャーを背景に三島由紀夫たらんとするのは勝手だが、残念ながら思想的には二流でもない。大学生が参考書を丸写ししている程度である。

でも面白いのは、彼の語り口がぬきんでて精彩を放つからである。彼の語り口は性別とか年代を超えていろんな声に変わっていくことができるのである。その点については天才であるかもしれないと断言しておく。

その上で、彼と彼の読者は、コンテンツと語り口を取り違えているのである。
彼のSM理解や、アウトサーダーの理解は、そういう語り口で語られた「御伽噺」であって、彼は、彼の著書すべてに「@これはフィクションであり、私自身まったく良く理解できていないフィクションである」とテレビのテロップのように書くべきであるのだ。
村上龍なり、田中康夫なり、栗本慎一郎なりは、彼らのテクストの外に出て影響力を行使しようとした人物である。

誰も村上龍に経済学など学びたくはないし、誰も田中康夫が官僚制批判以外のことができるとはおもっていない、知るものは栗本慎一郎が何か宗教的野心をその経済人類学に持ち込もうとしたことはすでに感づいている。ようするにこれら汎変態性欲論者たちは、汎変態性欲がファンタジーに過ぎないというところで踏みとどまることができず、それをペンディングしたまま、社会的現時の中で影響力を持とうとしているのである。

ぼくは村上春樹の「ネジ巻き鳥」クロニクル」の奥さんの兄がだれなのか、ずっと疑問として抱えてきた。
今回の事件でわかった。
芥川賞という文壇の権威とかをステップに、その愛欲に関するファンタジーを放棄せず、権力に近づこうとしているものたちの群像を。
 
   
Posted at 18:56/ この記事のURL
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村上龍よ、土下座しろ / 2004年12月31日(金)
村上龍よ、土下座しろ
奈良小学生殺人事件に際して、まずなくなられたお子さん、そして遺族の方々に俗に言うインテリ一般から謝罪しておきたい。
だが間違いを犯したのは人権派左翼インテリではない。文化相対主義者たちである。
村上龍、栗本慎一郎、その他1980年代に一世を風靡した文化相対論者の、未消化な汎変態性欲論が、オタク系変態性欲文化の保証人となり、そして本当に「脳の性欲と攻撃性の関係に重大な問題をはらんだ」人々は、一見とるにたらないオタク文化の中に隠れ家を見出したのである。

メディアの発達した時代に、個人的な趣味はもはやプライベートでありえない。
いくつもの事件が示しているように、汎変態性欲と、男性の攻撃性が、メディアの提供するかわいらしいスタイルにおいて、悪夢のような「現実」を作るのだ。

まだ書店の店頭には「ロリコン漫画」が堂々と売られている。それらの保証人が、本人の意図と関係なく村上龍であり栗本慎一郎であり、あるいは長野県知事田中康夫なのである。
田中康夫は、プチサディズムをマスコミに承認させたヘんたいである。
両者の合意があれば、何でもやっていい、ということはない。
田中康夫は売れっ子作家で金もあり、まあ女を口説くのがうまいから、手ひどい障害を与えない程度のサディズムを世間に公表してはばからないのである。
それが正義の味方、長野県知事だから、今後長野県に子供を住まわせるべきではないだろう。
文化相対論者たちよ。
いまではその影も見つけることは難しいかもしれないが、君らは重大な犯罪の保証人なのである。
もちろん、ジェンダー論者もこれに含む。
村上龍は、子供のための職業案内書の本を書いたが、そこらへんが偽善的なところである。
君は結局16歳で風俗嬢になることを否定できないだろうし、犯罪経歴を持つ新聞店員が浴場を鬱屈させ反社会的行動に走ることも否定できないだろう。
君は退場だ。土下座して退場だ。
 
   
Posted at 13:02/ この記事のURL
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なんでCDは売れないか? / 2004年12月30日(木)
なんでCDは売れないか?
マディクロニクルズの方で、愚痴りついでにエイベックス&小室の音楽のインダストリアライゼイションについて指摘した。これは現代では常識であって、これを知らない音楽関係者、ミュージシャン、アマチュアミュージシャン、カラオケ消費者は、非常識なだけである。

さて音楽業界はCDが売れないことに悩んでおり、この1〜2年間は、何でもかんでも違法コピーの所為にしてきた。
コピーコントロールは、結局大衆的利便性の見地から、衰退し始め、数年のうちに消え去るであろう。

もともと著作権は、資本主義の根本を構築する「所有権」とは原理的に異なるものであることが、法律的に明らかになっていないのである。

もし所有権が崩壊したら、世界経済が大混乱に陥る。それは市場経済の前提だからである。だからこそ資本主義と社会主義は対立したのである。

さて著作権は、所有権ほど古い歴史はない。
たぶん実質的な権利として力を持つようになったのは、ピアノ楽譜の販売が19世紀頃一般化し始めた頃である。
そして、決定的なのはレコードとラジオの出現で、楽譜出版の権利が、音盤制作の権利へと、結構無自覚に行われ、少なくとも音楽業界では、当たり前のものになった。

だがである。この楽譜という記号表記の同一性に基礎付けられた権利が、異なるメディアに拡大解釈されることによって、今日のデジタル社会における馬鹿馬鹿しい巨大産業の盛衰の問題にまで発展することになったのである。

著作権は、個人の人格に基づく権利だが、レコード会社が守りたいのは、原版の複製に関する権利である。後者を前者から無理やり引き出そうとするからレコード業界は窒息するのは必然である。

文化庁に忠告するが、著作権法一元論は誤りである。
プログラムも著作権、CDの原版も著作権。
その原理で行けば、DNA組み換え遺伝子も「著作権」の対象となってしまうだろう。つまりそれは記号表現に還元可能だからである。
ということは、親子関係も著作権の問題である。

そのように著作権の拡張的解釈は、高度な技術社会においては無意味なのである。

 
   
Posted at 15:48/ この記事のURL
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頭痛と癒し / 2004年12月30日(木)
風邪をひいたようだ。雪降っているし。
落ちたので書くが、僕は47歳であるけれど、レコード会社のオーディションに申し込むというのは気が触れているというのは確かである。
なにしろ職業的にもっと通用するWEBデザインでも年齢で完璧に斬られてしまう。
音楽界はいわんやおやである。
なぜぼくが47歳でこんなしょうもない身分にいるかについて、詳しくない人に語れば、30歳代の終わり頃、激しい病気でほぼ働くことが不可能になったためである。その後会社の理解もあって、多少復帰を目指して会社に病気休暇をたびたびとりつつ残ったが、あるとき、さっぱりがんばって復帰しようという気がうせた。
たまたまWEB勃興期で、まだぼくもずっと柔軟でスキルを見につけるのも速かったから、ここは独立開業と心に言い聞かせて、会社を辞めてしまった。まだ半病人で、とにかく根本的に体が治るまでのつもりで、なんか外出せずにできる仕事の仕方を模索したのであった。それは半分成功するかに見えたが、なにしろ利益を出すところまで来ると会社勤めより身体にきつい。本当にまた身体を悪くしてしまった。
その後、もっぱら療養優先で、求職活動しつつ、また中断しつつ、この2004年で、ほぼ病気とはおさらばできたと断言でできるほどになった。
病気から治ったのはいいが、その間に無駄に10年くらい時が流れ、ぼくは47歳になってしまったのである。
まあ、30代後半になんか犯罪犯して10年間くさい飯を食っていたのとあんまり変わんない。
若い人たちが得ようとして燃えられない知識もスキルも腐るように持っているが、本当に腐っているのである。
40歳代の無職の人たちは、小泉―竹中の「国民にも痛みを分かち合ってもらう」の痛みだけを背負った人たちだ。
そうして毎日毎日40歳代の無職の人たちが人を殺し、傷つけ、盗み、自殺し、わいせつな行為に及ぶニュースをテレビのキャスターたちが他人事のように伝える。
青木さやか以上に僕は彼ら彼女らが大嫌いだ。
 
   
Posted at 01:44 / マディクロニクルミラー記事 / この記事のURL
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冷戦終結と、強権国家の誕生2 / 2004年12月29日(水)
まだこの地域は冷戦崩壊後の民族主義による国家の崩壊のプロセスに突入していないからその防波堤に日本の60年前の過去を、ルサンチマン的に利用しているだけである。
まったくみえすいていて成熟した日本国民は、中国や北朝鮮のプロパガンダに最善の場合でも苦笑するか、漫画にしか思えないということを、ニセの「中国」民族主義者、ニセの「北朝鮮」民族主義者は知るべきである。日本人は歴史を深く学んでいるから、長い歴史の中で「中国」などという民族が存在したことは一度たりともないことは知っているのだ。それはあまりに危うく見え透いたイデオロギーである。それに対し残念かもしれないが日本には天皇がおり、1000年以上の継続性を持って民族の態をなしている。こがくずれたことがない。だから日本人が民族的に優劣とか言うのではないけれど、冷戦後の民族主義による酷寒分裂の危機に対して、恐怖を感じることなく、より民族主義的感情を捨てるという態度を一般国民は取っているのである。小泉首相だけは国民から乖離して、冷戦後の国家の民族主義による解体の危機を大国政府首脳とおなじように観念しているに違いないか、あるいは政治音地かのいずれかである。
以上で、ここ数年の反日民族主義の内実を解体した。
だが、世界システムの大きなプロセスは、グローバリズムの新興と平行として止まらないのである。
そこで、世界は平和に自由になるどころか、大国はアメリカもロシアも中国も極度に強権化し始めているのである。
ウクライナ革命の評価は、単純ではないが、この一方的な強権化のプロセスで初めて武力衝突をともわない民族主義による国家の解体が新興したという点で画期的なことなのである。
東西対立思想などという古臭いフレームワークを持ち出すマスコミの論説員は、もう一度大学に行って勉強しなおすべきだ。とくに朝日新聞社の場合には。
 
   
Posted at 13:53/ この記事のURL
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冷戦終結と、強権国家の誕生1 / 2004年12月29日(水)
冷戦が終決したとき、だれもがビル・クリントンに平和の配当を求めた。
だが、事態は正反対に向かった。
冷戦下で弾圧されていた、民族主義の要求が、冷戦下の3大国の統治安定性事態を脅かし、それに対して、武力をともなう強権的な弾圧とそれにたいする、テロが蔓延するようになった。
東アジアは、その点中国の社会主義下での市場経済の導入でタイムラグができたらしい。
すくなくともユーゴスラビア、パレスチナ、9.11、アフガニスタン、イラク、ウクライナで順繰りに起こっていることは、ひとつの世界システムのプロセスなのである。
そしてそれは、少なくとも東アジア地域で、北朝鮮と台湾では表面化しているし、語られることは少ないが、チベットやモンゴルでも中国は民族問題を抱えている。
中国政府の反日教育や扇動は、一般論者が言うように、体制批判を封じるためではなくて、対他的に「中国」という不在の民族の神話を生み出すことである。この点は韓国政府や北朝鮮政府がやっていることも同じである。
 
   
Posted at 13:52/ この記事のURL
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血液型性格論についての正確な批判の論点再び / 2004年12月28日(火)
血液型と性格が関係があるかないかではなくて(もちろん自然科学手ににはありえない)、「性格」というものがない、ということである。もう少し譲歩すると「性格」に個人に固有の傾向性や型(タイプ)がない、ということである。
これがわかっていないので、放送倫理委員会の批判は誤りなのである。
もっと率直に言うと心理学者には心理がわかりえないということを指摘しているのである。
性格をあらゆる方法で科学的に論じようとすることが、血液型も含めて、エセ心理学なのである。

なぜなら、言語を媒介に形成されない「存在」は、幽霊だからである。

だから、血液型性格論もオカルトであると談じることができるのである。
したがって血液型番組をやるのは、よい。視聴率稼ぎだから。だがそれはオカルト写真番組とまったくかわらないということだ。

賛成するにせよ反対するにせよ、血液型性格論というものを理解できる心理学者は科学者ではないということである。なにかというえば預言者か占師のたぐいだということである。
くたばれ心理学者全般。がんばれ大脳生理学者!

今回の騒ぎの張本人と思われる本:

著者: 森本毅郎の“TBS日曜ゴールデン特版”
タイトル: 血液型人間学のウソ―エーッ、ウッソー、ホントォ……やっぱりウソ

著者: TBS, 東京放送
タイトル: G感性で「あなた」が見える―21世紀の人間判別モデル

TBS切腹!森本毅郎呆け引退!
 
   
Posted at 21:03 / マディクロニクルミラー記事 / この記事のURL
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