畏敬という言葉

June 26 [Thu], 2014, 15:12
ある時、ふと先生のことを思い出した。なぜ先生は私に足を止めてまで顕を下げたのか。私は先生を尊敬していたし、畏敬という言葉が先生への思いを表現するのに適切ではないかと思う。先生が私の知らない哲学について造詣が深かったからである。しかし、私は高校生で先生に比べたら何も知らないに等しい。それなのに、先生は初めて会った目、頭を下げられた。私にはそうされる理由がない、と思った。しかし後に、私も教師になり、親になり、このことの意味がよくわかった。人が人を尊敬するのに理由はいらない。何か条件があって尊敬するのではない。その人の存在がそれ自体として尊敬に値するのであり、相手が誰であれ、大切な友人、仲間として尊敬するのである。尊敬する時、必ず私が先にこの人を尊敬するのである。私がこの人を尊敬しよう、と決心するのであり、相手が私を尊敬してくれるのであればあなたを尊敬しようというような取引をすることはできない。尊敬を強要することもできない。私があなたを尊敬しても、尊敬してもらえるかはわからない。しかし私が尊敬しなかったら尊敬してもらえることはないだろう。


習慣化した傾向

June 11 [Wed], 2014, 13:49
結婚している人と、あるいは二人の人と同時に恋に陥るということは、習慣化した傾向を満足させる方法である。これらの他にも例えば、婚約を延期したり、あるいは決して結婚へと結実することのない求婚を続けるという方法がある。甘やかされた子どもは、結婚においても甘やかされた子どもというタイプに忠実である。結婚のパートナーに甘えたいと思うのである。このような関係は、つきあい始めた最初の頃や、結婚一年目では危険なことではないかもしれない。しかし後には困難な状況を創り出すことになる。甘やかされた二人が結婚すればどんなことが起こるか想像することができる。二人とも相手から甘やかされたいと思う。しかし、どちらも甘やかす側にはまわりたくない。これは、どちらも与えようとしない何かを期待しながら、互いの前に立つようなものである。二人とも自分は理解されていないというふうに感じることになる。自分が誤解され、行動を制限されたと感じる時に何が起こるかは明らかである。自分が劣っていると感じ、逃げ出したいと思うのである。このような感情は、結婚においては特に不都合であり、極度の絶望感が起こればことのほかそうである。このようなことが起これば、復讐心が忍び込んでくることになる。一方が相手の生活を妨害しようとする。このことを行うもっとも普通のやり方は不貞である。


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