義務教育はデタラメだ!社会科編。

September 03 [Sat], 2011, 14:54
かごめ歌の暗号わらべ遊びに隠された古代史の闇古事記と日本書紀にしるされた歴史が、実は、編選者である藤原不比等っ輩による改ざんの成果であることは、今や考古学の常識となっとるよだの。加えて、この時代あたりから今に続く官僚政治が始まって、おらだ庶民が中央政府から血税を絞り取られる制度が始まったらしい。新制度で土地を奪われた地方豪族たちは、どんどん政治に対する影響力を失って、どんどん官僚どもは自分の好き勝手に政治を利用する。中身なんか誤魔化しちゃって、うわべだけ整えておけばいいそんな思想が大手を振ってまかり通りはじめた時代だとも言える。テレビタレントや政治家なんかが、髪を染めて頬紅けて、見た目だけとことん整える、そんな現代の走り。そんただ、日本の歴史の恥部みたいな時代の賜物が記紀であり、あろうことか、それが真実として教科書に平然と記載されとる。これも、おらが義務教育が不要だと考える理由の一。ところが、そんただ不比等にたぶらかされて陰謀に加担した人方は、自分が追い落としたライバル達の亡霊に悩まされて、祟りじゃって狂い死んだもんも結構おったそな。まり、命の法則天の摂理は、ちゃんと公明正大に、それぞれの人にふさわしい運命を授けるっことなんでねうわべだけ誤魔化し続けて人生事なきを得たと思って終了した人方も、次の生でしっかり勘定を払わされる。輪廻転生。イエスも釈迦も異口同音にこの教義を広めとる。だから、おそらく真実。だから、津波でさらわれた人も、放射能にやられた人も、この世の災禍は公平に評価されて、次の世に反映されることになる。だから、あんまし悲しむな。とにかく、この時代あたりから、ゴマカシの哲学、上っ面だけ哲学っのが浸透して、それが当たり前なんだと、誰もが思うよになった。それが当たり前だと、大衆に思い込ませるために利用されてきたのが、実は科学。科学哲学の本質は、こっちとあっちの事象の間に見た目でながりが確認できねもんは認めないっ基本原則。別名、機械論的世界観。まり、科学っ思想は、上っ面だけ哲学から派生しとるわけ。根本で同質。見た目だけとりくろえばいいっことを重々承知しとる科学者どもは、だから、原子力だとか地球温暖化だとか、一見真実かどか判断できかねることを、どうです。私は立派でしょだから私の主張も立派で正しいんです。って、自己本位で推進することができたんだべ。これこそが、おらが科学は一切不要だと断言する最大の理由。ところが、今や、科学自身が目に見えないながりを認めざるをえなくなっとる。量子力学とか。ダーウィン進化説が、全く現実での進化を表現できとらんのも、目に見えないながりを一切否定したところから始まっとるから。水からの伝言が自称科学者どもにあんだけ思想攻撃されたのも、目に見えないながりが目に見えちゃうっことを認めれば、それまでの科学のインチキのことごとくが、誰の目にもばればれになっちまうから。まり、社会科だけでねぐ、理科もいらん。義務教育課程から排除したほがいい。おらは心からそ思う。さて、本題のかごめの歌に話を移すべ。この本の著者の主張によると、かごめの歌は、記紀編纂の時代よりもっとはるか昔、はごろも伝説鶴とか浦島太郎伝説亀とか、そんただもんとのながりが認められるんだと。そんただ伝説って不比等がかなり脚色してちぐはぐにしちまったらしい。大化の改新の藤原中臣鎌足は不比等の親父で、当然不比等は鎌足を正義として記そうとした。反対に鎌足らが殺した政敵の蘇我馬子は、冷酷非道な悪もんにせねばならん。ところが、この脚色、そ簡単にゃ収まらん。なぜなら、蘇我氏はそれこそ日本の太古の昔を代表する由緒ある家柄であるのに対し、鎌足は大百済からの移民らしい。この立場を逆転させるのは容易なことじゃね。だから、不比等は太古の昔にまでさかのぼって、歴史をいじりまくったんだな。っのが最近の通説。教科書には載らんども。ちなみに、天照大神っ太陽の神様って、本当は男だったのを、不比等がその時代の持統天皇っ女性にヨイショして、女だっことにしちまったんだと。不比等にしてみりゃ、単なるその場しのぎでしかなかったんだべども、それによる後世の精神的歪みはなんとも取り返しがかねもんだあったよに思う。そんただゴマカシやらその場しのぎやらで断絶させられた日本の真の歴史。したども、不比等がなんとも手を加えよがなかったのが、大衆のはやり歌である、このかごめの歌なんだな。あの歌が何を意味すんのか訳もわからずに、おらだ日本人は歌い伝えてきたわけだども、その本当の意味が解き明かされる時代が今始まろとしとる。そんな気がする。なぜなら、記紀の時代が、人智という上っ面だけ哲学、科学、中身は問わないっ時代の象徴であるならば、今おらだが生きるこの時代、地震が起きて津波、原発事故、これからもどんどん天変地異は続くであろうアセンションの時代、こいは、日本がもともとそであった太古の精神世界観の復活の時であるからだべ。かごめかごめかごの中の鳥はいい出やるかごめを、かがめっ言葉の東北訛りだと考えた研究者がおるよだども、それはあまりに的外れ。かごめはやっぱり、籠目なんだと思う。籠。まり、竹で作った容器。それが意味するものって一体何現代文明の容器といえばおもにプラスチック。人間の手で手ごろな太さに割いたり編んだりなんことはできんしろもの。このプラスチックの時代、コンクリートの時代が、も数十年もしかしたら数年ぐれで終わりを告げる。籠の時代に戻るんだな。工場で作るもの、地面をほっくり返して原料を手に入れるものは、全て廃れる。その時、籠ん中から鳥は出てくる。いい出やる夜明けの晩に夜明けの晩って、一体何時これも、えれ象徴的だな。おらだ、文明人と称する愚かもんが、時間の中で無視し続けてきたもんが、日の出と日の入り、まり、夜明けと晩でねんだ。アセンション後の文明は、時間の区切りとして、日の出と日の入りを最も重視するべな。だって、それがもともとのにんげんなんだもん。インディアンだって、アボリジニだって、アイヌだって、太古の記憶を留めた種族は時計なんざ持たなかった。日の出と共に目覚め、日の入りと共にその日の務めを終えたわけだかんな。まり、あの歌は、太古の意識の生き証人なんだべ。人智というくだらね廃れいく思想の根底に、ひっそりと、したども脈々と流れ続け、夜明けの訪れを知っとったかのよに、今再び光を浴び始める。そんなもんの象徴。鶴と亀がすべったここだけは、おらにも見当が付かん。すべったの意味がわからん。したども、その意味が明かされるのももすぐだべ。後ろの正面だれこいはよ、わらべ歌だからたわいもなく思えるども、よくよく考えると、なんかぞっとするもんがあるよな感じねっか、おらだは普段全く意識しとらんども、人それぞれ、全ての人の後ろの正面には、い何時も誰かが立っとる。おめを見てる。そんただ意味に、おらは捉えた。そんなもの信じないねっおめはんの背中にも、何か寒いもんが走っとるべんだ。そんただもん信じねっていう人ほど、寒い。科学に毒された人ほど寒いはず。なぜならば、後ろの正面が象徴するものこそが、科学が、上っ面だけ哲学が否定し続けてきた、目に見えないながりだから。おめはんの後ろの正面にゃ、何時だって誰かがおる。それは、生きとる人かもしれん死んどる人かもしれん。好きな人かもしれん嫌いな人かもしれん。おめはんを好きな人かもしれん、したども、あんまし自分を嫌う人は増やしたくねよな。さあ、おめはんの後ろの正面は誰か、当ててみれ。最後にもう一言。神代文字っもんがあるそな。中国から漢字が入ってくるずっと前から使われとった日本古来の文字。ひらがなカタカナの原点。最近の若者の国語力の低下があやぶまれるみたいなことを、偉そに言う学者がおるども、そもそもの日本語っ観点から見てどなのよ難しい漢字を誰も使わなくなった、忘れちまったからって、それが何したって漢字はよ、大からの外来語。おらだ日本人の本来の言葉は、言葉の響き言霊が体現されたもんなんだべ。世界で一番完成度が高い言語ともいえる。漢字検定くだらん。趣味としてやりたい人だけやれば本来の日本の言葉は、響きこそが重要。だから朝夜明けと麻は一緒の響き。国語の教科書も、捨てちまっていいんでねかの。悪。もう一言。アイヌ民族が朝廷に迫害を受けた歴史を教えられてきたおらはよ、天皇は世界の中心だったっ話にどもすんなりうなずけんもんがあったんだども、迫害の歴史も、記紀の時代あたりから始まったよだの。蝦夷、まりアイヌの祖先は、実は藤原氏が中央から追い出した豪族たち、蘇我とか物部とか、もともとはそんただ人方なんだと。天皇家っのも、後から後から、いろんな血が入って、いまや純潔にゃほど遠いその最たる事件は、明治天皇の首の挿げ替えだな。なんせ、千年万年続いた髪形の風習と肉食の禁止を堂々とオキテ破りしたわけだから、明治天皇は太古から続く天皇家とは全く違う外部の人間と見なしたほが、ずっと筋が通るまり、おらとしては、太古に世界を治めとった天皇スメラミコトと、今の天皇は別もんなんだと考えとる。
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