石巻へボランティアに行ってきた。1.出発〜現地での活動(1)。

July 09 [Sat], 2011, 7:09
月日に石巻へボランティアに行ってきた。現地の様子はもちろん、これから行こうと思っている人にも参考になるように、いくかのテーマに分けて書きます。写真は準備中なので、別途アルバムでアップします。テレビやメディアのフィルターがかかっていない、現実の姿です。出発現地での活動今回の活動の基本データ行き先南三物資配布、石巻物資配布、ボランティア期間年月日日泊日。現地での活動は日のみ活動内容支援物資の配布、ボランティア活動参加人数名男、女代物資班名、ボランティア班名うち名は動物救護センターで獣医のボランティア活動車台レンタカー。トントラック、グランドハイエース、ボクシー出発。時分集合昼から物資の調達、積み込みをしてくれていたメンバーと仕事帰りに直行するメンバーが合流。最終確認を行う。時出発時分栃木県宇都宮時福島県安達太良時ボランティア班は石巻専修大学へ物資班は南三へ車から外を見ると、最初はそんなに倒れた家がなく、思ったよりも被害が少ないように思えた。けど、一道を超えた途端、その景色はガラッと変わった。車が流されて車同士が重なり、ぺしゃんこになっていた。電信柱は全部傾いて、電線がたゆんでしまっている。家の一階はドアや窓が取れ、家の中が丸見えになっている。家の中には生活をしていたと思われる家具やソファなどがひっくり返っていた。すぐ後ろの家はほとんど損傷はないのに、隣の家はとても人が住める状態ではない。ここが津波が来た境界線だった。津波は町を巻き込んで家と生活を飲みこんだ。津波はある程度までいくとそこで止まり、波が引いていった。だから津波が来た家と、その隣の津波が来なかった家で被害に大きな違いが出ているのだ。道を一本はさんだだけで生死を分けてしまった。そして次に気付いたのは、鼻にく悪臭だった。今までかいだことのない臭い。魚が傷んだ臭いと一緒に、砂ぼこりを固めたような臭いが町を充満していた。絶対にマスクがないと外には出れないだろう。服に臭いがしみく位の悪臭。毎日生活していたら、気分や具合が悪くなってもおかしくない強烈さ。明らかに普段の生活とは違う空気を肌で感じた。か月立った今も、震災の爪跡を隠さない町並みにショックを受けながら、私がいたボランティア班は石巻専修大学に到着した。時分ボランティア登録受付で住所、氏名、所有資格、車の有無などを記入時分ボランティア仕事説明、作業割り振りニーズ表を持った係の人に案内されてボランティアの説明を受ける。汚泥を土のう袋にに詰める作業らしい。人数が多いって言われたけど、とりあえず全員で同じ作業をすることになった。車で石巻専修大学からキロくらい離れた、ボランティアを依頼されたお宅へ向かう。そこには横が、奥行き、高さ超の土の山が三あった。震災で倒壊した家屋の下に敷かれたコンクリートや土を掘り返して集めたものだという。さっそく一目の山へとりかかった。一番上は乾燥していてすぐに詰められたけど、その中の土がやたら水を含んで重く、シャベルがささらない。粘土のような土がどんどん出てくる。分に一度休憩を取りながら、シャベルで土を掘る袋へ詰める詰めた袋を詰むの繰り返し。シャベルは思いのほか腰や足にくる。手はシャベルの握りすぎて力が入らない。汗は滝のように出てくる。何度も投げだしそうになりながら、なんとか、なんとか三の山のうち一を片づけることができた。一キロとして、個の土のうを作った。トータルでトン。でも思ったより力がなく、作業が進まなかったり、シャベルや土のうを詰む作業をめったにしないから、作業が思うように進まない。三の山全部を片付けたかったのに、実際は一を日がかりで片付けるのが精いっぱい。時間も体力も、人手も全然足りない。私たちの様子を見ていた近所のおじいちゃんが、うちもボランティアを依頼したのに全然来ないとおっしゃっていた。今回依頼主のおじいちゃんも依頼から実際来るまでに週間かかったそうだ。依頼主のおじいちゃんは、奥様と息子さん夫婦の人暮らし。家のある一帯は津波が襲ってきて、家財道具や車がたくさん流されたという。階に避難してなんとか無事に避難できた。このお宅の周りも皆さん無事だったらしい。けど水を含んだ家具は膨張し、引き出しは全く開かなかった。中を出すこともできず、家具ごと処分をしなければならなかった。週間ほどで水や電気などのインフラは復旧した。隣町は週間ほどで復旧していたので、お風呂やご飯は隣町で食べることができた。それでも海に近ければ近いほど家は流されて避難所にいくしかなく、道をはさんだあちらは天国、こちらは地獄と話されていた。義援金の支給はまだなく、初めて一時金が月に支給される。額は万。年金暮らしのおじいちゃん宅はまだよいが、息子夫婦は仕事もなく給料が入る見込みもないため、とても万では足らないという。車が流された人は自力で生活、自活しなければいけないが、政府は被災者の自活支援に積極的ではなく、自力で生活するのはまだまだ時間がかかるそう。鉄道仙石線も復旧には少なくとも年はかかるんではないかと言われているそうで、それまでは自力で移動しなければいけない。町は歩いている人はほとんどおらず、道路は緊急支援車両ばかり。警察車両は県外のナンバー。海際は船の下に車が押しぶされて、家の残骸が海一面に残っていた。実際に見ると、その水の威力がどれほどのものか想像をはるかに超えたものだったことがすぐにわかる。でも襲ってきた波がどれほどの威力だったか、想像なんてくはずもない。
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