愛のありかた−アムリタ(吉本ばなな)

August 11 [Sat], 2012, 20:07
よしもと吉本ばななの作品は初期のものからずっと読んでいてしかしアムリタこれは読み始めて、上巻の半分もいかないうちに、挫折した。
刊行は1994年。
高校を出た年だ。
それから、彼女の作品にはあまり手を出さない時期が続いたのだけれどこの数年すこしずつまた読めるようになり、世界観に共鳴できるようになっていて先日、友達が、アムリタの文庫を買ったというので、借りてみた。
なかなか手にとれなくて、手にとっても読み進められなくて、うーんやっぱりなんだか読みにくい。
と思って中断してたのを昨晩から、また、読めるようになって、読んでいた以下、母と、主人公の会話から、抜粋。
あんたは理屈っぽすぎるのよ。
考えすぎなの。
右往左往してタイミングをのがしてはすり減るだけ。
どーん、とそこにいて、美しく圧倒的にぴかーっと光ってればいいの。
愛っていうのは、甘い言葉でもなくって、理想でもなくて、そういう野生のありかたを言うの。
それってフェミニストが怒りそうな意味のこと人間が自分や他人にしてやれることの話よ。
それが、愛、でしょどこまで信じきれるか、でしょでもそれをやろうとすることのほうが、考えたり話し合うよりどれだけ大変か。
どれだけエネルギーを使い、不安か。
つまり愛っていうのは、あるコンディションを表す記号だっていうことうまいこというわね。
あんたたちを見てると、何となく集中力が足りない、っていう感じがする。
足が止まってるときが多い。
何となく。
何よりもただがむしゃらに生きたらいいのにって思う。
この会話のすこしあとに母の名がはじめて出てくる。
たぶん、はじめて。
すくなくともわたしはそう思った。
由紀というのだった。
びっくりした。
最近の読書はシンクロどころじゃないことがほんとうに多いけれどまさかまさかまさかここまでとは。
そしてこのあと主人公は巻き込まれざるをえない運命というようなものを感じながら恋人とサイパンに行く。
そこで稼げる歌を使って供養する女性と仲良くなる。
わたしがサイパンにいったのは2008年。
写真ownerid610336帰りの飛行機でさめざめ泣いたのを覚えてる。
感覚をひらいたまま、気の向くまま、過ごしてる自分にはじめて会った旅だった。
日本の、帰国したあとの会社勤めでは、絶対に、再現のしようがない、在り方だった。
いまの暮らしでは、何割かは、再現できている主人公が感じたような昭和初期の銀座のような土地のおおらかさに感覚がひらいていったことも戦跡で歌って歩いていたことも、覚えてる。
この小説を読んでいたらあのときと同じようには行かれなかったんだろう。
でも、それならそれで、あるべき形で、なされたのだろうとは思うが。
ひとまず上巻を読み終えたのだけれど下巻に手をつけたものかどうか。
オットが、読むの、やめたらたのしくなさそう。
修行に挑むみたいな顔してると言ってプハンエステを受けにでかけていった。
ざっくりした人物と設定と、母の名のくだりを話してきかせたたしかにちょっとシリアスにとらえすぎている。
だってわたしの人生の謎解きみたいに伏線がつながっていくみたいに展開していくんだもの。
感動を通り越して怖いくらいだ。
ここで、読むのをやめたとしても小説というかたちで情報をえなかったとしてもうまいようになっていくことは、確信してるのでちょっと休憩しよう。
なんにしても。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:o3pq5nuqug
読者になる
2012年08月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/o3pq5nuqug/index1_0.rdf