面白い記事。

September 03 [Sat], 2011, 14:39
鉄道趣味的自分史ガスタービンとのかかわり、模型とのかかわり、エレクトロニクスとのかかわり、コンピュータとのかかわり、どれをとっても、どこに出しても、私の鉄道趣味的自分史は異色の歴史だったに違いありません。すべては運転リアリズムへの道だったのです。気動車私の鉄道趣味の始まりは小学6年秋。そう、あのヨンサントオの年でした。特急の運転、系しなのデビューの年です。友人から教えられた鉄道模型がきっかけ。模型で遊んでいるうちに興味は実物へと広がりました。当時まだ残っていた蒸気機関車から電車まですべてが興味の対象でした。次第に気動車への関心が強くなり、電車と気動車の性能差をぼんやりと知るようになりました。時刻表の運転時分で気動車が電車に負けるのが悔しくてしょうがなかったものです。なぜ気動車は非力なのか、どのくらい差があるのか疑問だらけでした。中学生になったころ、ガスタービン動車というものが作られたと知りました。どうも高性能らしい。またしても親愛なるディーゼルの敵が現れたのかと思っていましたが、あんな小さなエンジンならたかが知れていると侮っていました。雑誌に書いてありました。最高150キロは出せるというエンジンは直径50cm、長さ1m30cm、重さ13キログラム150でるといっても電車よりは遅いし、たいしたことはないだろうと。記事には出力が書いてなかったのです。1000馬力しばらく後、雑誌にこの車両の本線走行試験が紹介されていました。そこに衝撃的な一文があったのです。181系2両分に匹敵する1000馬力という大出力にものをいわせてぐんぐん加速する。なんとあんなものが1000馬力も出るのかたった138kgしかないのではないか。しかもエンジンカットしたキハ58を引っ張っている。なんと気動車が11Tで走っているあの強力型しなのでも8M1Tなのにこのころ、すばらしい世界旅行というT番組で世界の高速鉄道が紹介されました。未来への挑戦としてフランスのアエロトランや日本のリニアとともにカナダ、アメリカ、フランスのガスタービン動車が大々的に紹介されました。内燃機関という専門誌にもガスタービン車への期待が大きく取り上げられていました。自動車でも夢の低公害車として注目されていました当時は無公害車とまでいっていましたが。いにガスタービンの恐るべきパワーを知ったのです。ジェット推進このエンジンに非常に興味が沸いてきました。構造を見てもなぜあんな仕組みで回るのかどうもピンときませんでした。ちゃちな模型をブリキ細工で作りましたなんとアメリカには自作ガスタービンマニアがいる。模型用モーターをスターターにして灯油に点火。もちろん回りません。モーターで回している間は元気よくジェットを噴出しているのに。圧力釜の蒸気なら勢いよく回る自作タービンなのになぜまわらないのか。もちろん当然の結果ですけど、当時は悔しくもあり不思議でした。しかたないので模型のジェット推進列車に乗せようかと思いました。しかしお座敷簡易レイアウトでは脱線時に火災の危険があるので断念しました。すでにプロペラ推進列車は試験済み。このときもブリキ細工のプロペラは危険なものでした。ジェット噴射の模型を作っていたらさぞかし勇ましい列車になっていたでしょう。もちろんジェット効果はほとんどなかったはずですけど。余談ですが、蒸気タービン用ボイラーも試験しました。容器は車載を考慮してフィルム缶。熱源は出力制御の容易なニクロム線による電熱。確かに蒸気は発生しましたが電熱では出力不足。もちろんタービンは回りません。鉛車輪と電機子列車このころ、わがグループの鉄道模型界ではレーシングカーのように競争するのが流行っていました。大径車輪、ゴムベルト伝達による減速比の改造や電動機の高速回転当時、わが鉄道が開発した弱め電機子や、より芯銅線ブラシなどの極秘技術笑いが可能としたを開発し、優位に立っていました。しかし、曲線を速く走れない。模型界でも曲線通過速度が高速化のネックになっていたのです。鉛鋳造台車による低重心化も試みられ、量産試作まで行われました。鉛車輪まで試作されました電機子自体に車輪をけた、まり電動機の軸そのものが車軸というものまで構想され、11伝達によるトルク試験まで行われました。当時これを電機子列車と称し、究極の駆動システムと期待したのですなんと現在、鉄道総研では減速機構のない、まさに電機子列車そのままの駆動システムを研究している。しかし低重心化には限度があります。このころ591系振子式試験車が現れました。これも不思議でした。仕組みを理解して早速それをもじったような装置を16番の模型で試作しました。期待の曲線高速通過台車自然振子結果は無残でした。曲線通過許容速度は大きく低下し、どうして振子台車に曲線高速通過性能があるのか理解できません。重心は曲線の外方へ変位し、こてんと見事にこけてしまうのです。今思えば当たり前ですが、当時の力学では受け入れ難い事実だったのです。雑誌さえも自然振子式が曲線通過性能を上げるがごとく書いていた時代でした。直流直巻電動機数多くの車両自作と改造。多数の電動機が犠牲となりました。そのために経営危機に陥ったわが鉄道は電動機蘇生の研究に着手したのです。巻線の修復、整流子の修復。幾多の困難を乗り越え見事に成功しました。蘇生が成功すれば意のままに改造したい。模型用電動機のすさまじい改造が始まりました。極太巻線による大出力電動機、後述の高圧電動機、鉄心厚の増大、強制冷却ファンの設置。そしていに直流直巻電動機が高性能と信じ込んでいた当時のわが鉄道は永久磁石電動機に見切りをけ笑い、無謀にも直流直巻電動機に改造してしまったのです。これは見事に回りました。24ボルトの昇圧運転が必要でした。分巻電動機も試作し、性能比較を行い、いに実車走行試験まで行われました。しかし、永久磁石方式よりどうも性能が悪い。これもあのころは不思議でした。そしてなんと逆転ができない。そうです、単に極性を変えただけでは反対方向に回らないのです。驚いたことになんとこの電動機は交流で回ったのです。びっくりしました。電気ドリルを調べました。掃除機をばらしました。交流整流子電動機の存在を知りました。後で知ったことですが、ゲージなどは交流運転だったのです。変圧器模型のコントローラーが死んでしまいました。短絡事故。変圧器をばらしました。なんと入力側巻線と出力側の巻線がながっていない。完全に絶縁されているのですなぜこれで電気が出てくるのか驚異のテクロジー。当時の幼稚なわが電気技術を超越していました。まるででも捕獲して異星人のテクロジーを目の当たりにした人類のごとく狼狽しました。この仕組みは何物か、徹底した調査が始まりました。変圧器は発電機と同じ理屈であり、電磁誘導という現象を知りました。時に小学六年の終わり。模型高速化に手っ取り早いのは昇圧。変圧器の仕組みがわかればことは簡単。自分で巻けば良いのです。鉄心を作るのがたいへん。針金を巻きました。ドーナッツ型の試作機が完成。しかし発熱が大きい。なら既存の変圧器を利用し、2次側だけ意のままに作れば簡単。解体屋で大きな変圧器を入手し、2次側に2mm径の銅線を巻きました。成功。23、8程度が安定して取り出せます。もっと大容量へ。しかし、これ以上太いエナメル線はなく、元になる変圧器も解体屋にはありませんでした。ならば2mmの線を2本並列に巻いて115にして、これを2機作って直列にしてしまえ。すさまじい電源の誕生。実用最大出力は23、20。短絡時の電流は2次側は推定140。計測できる電流計がありません。1電灯線の1次側は20を超え、電圧降下で部屋の蛍光灯が消えるほどこの変圧器の登場で普通では垣間見ることのできない高温の世界を覗くこととなりました。乾電池から摘出した炭素棒は格好の炭素電極。真鍮の作成、鉄と胴、あるいは鉛と銅の合金実験、鉛筆の芯黒鉛の融解、白銀に光り輝く3000度超の世界、沸騰する銅いにはホーム溶接さえ可能となり、はんだ付けならぬ銅付けでマスコンハンドルやブレーキハンドルの自作に応用されました。革命電動機を自在に改造できる、変圧器も自在に改造できる。これは望みの性能の車両を作れることを意味します。まるで人ゲムをすべて解明したがごとく。恐るべき変革が訪れるに違いない。当時、これらを革命と総称し、輝かしい未来が約束されたものと期待されました。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:nzabzuabl8
読者になる
2011年09月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/nzabzuabl8/index1_0.rdf