少女の意識とは 

2009年06月09日(火) 23時11分
「少女の意識」とは何か。
まず最初に、「少女の意識」とは、肉体的に少女である人にしか備わらないものではありません。
むしろ、肉体的には少女であっても、決定的にこのような意識を持たない人も多くいると思います。
そして勿論そうであるからには、肉体的には少年、またはおじさんやおじいさんであっても、「少女の意識」を持つ人もいます。

それなら何故、「少女の意識」という名前なのか。

それは、この意識は「少女」という立場にいる人に最も現れやすい現象だと思われるからです。
それは肉体のせいではなく、社会的に「少女」という立場にいるということが好条件になっているということです。

私がここで基準にしているこの意識についてのもとになっている、高原英理氏の「少女型意識」についての説明の中から、私が特に「私のこの意識とぴったりである」、と思われる部分について、以下に簡単にまとめてみました。


●「少女の意識」とは

「少女の意識」とは、言い換えれば近代人の最も基本となる願望のこと。
これは基本的で融通のきく、「美的センス」のことなので、本物の少女でないものにも宿っている。
ここで「少女」という言葉を使うのは、その性質上、少女というポジションにいる人に最も現れやすい現象だと思われるため。
この意識は、ふたつの要素を内包している。


1.「自由」

無知無意識を憎み、個が個の輝きを見せることを肯定し、物質的理由による限定を軽蔑し、個の意識を妨げるあらゆる制度、慣習を否定していく。
意識はいかなる形態でもとることができ、それを外部から固定されず、自在に選択できるという感覚、これらをおさえずにいられる状態を「自由」という。
このようにこの意識は自己の多様性、多重性、可能性を何より尊び、その自由を阻害し、すべてでありうるはずの自己を一箇所にまとめようとする外からの圧力すべてに反発するのだが、これこそが常に常識の側から糾弾されつつ抵抗する「変人・異端」となる原因である。


2.「高慢」

高慢とは、自己愛が最大限に発現された場合に仮定される想像的充足感のことをいう。
しかし少女の意識としては、男性的・社会的な「誇り」「名誉」はほとんど意味がない。
とにかく、「何かの形で『自分が最高』という感覚を求めたい」のである。


●「素敵」

このうち1と2をあわせたものを「素敵」という。
これは、自由と高慢が最も望ましい割合で組み合わさった場合の種々相をいう。
逆に「素敵でない無神経なもの」とは、

・「男ならこうしろ」「女ってのは」という思い込みの押し付けがましさ
・他人を押しつぶしたい、支配者になりたい、という欲望の汚さ
・悦楽が全然感じられないことの不満

などをさす。


●成立条件

この意識は、

・大人の様態もわかった未成年
・立場的に主流でない
・或る程度モラトリアム的に放任された場所にいる

といった条件が揃わないと成立が難しい。


●現象

この意識によって次のような状態、感覚が生まれる(例)。

・性を通して感じる共同体規範への違和感
・身体上でとりあえずは「女性」を自認してはいるが、ジェンダーとしての女性は拒否
そうすることで、性的な「分類」に疑問を投げかける
・両性にまたがる意識、両性具有性をもつ
・支配者の男に対する自己の魅力、それによる自己愛
・非成人男性的美意識
・犯される側としての不如意
・少女自身の自己主張と批判
・自由と高慢への過剰な願望と憧れ
・性的限定への申し立て
・少女という外形すら否定して続く探求、変遷、変奏


●「少女趣味」と「少女の意識」

「少女趣味」とは、様式のことである。
様式として成立してしまうということは、「少女」としての自己規定が強すぎるということであり、性を越境していく契機にとぼしいため、少女の意識とは言えないことが多い。
少女が「少女らしく」あろうとしすぎた場合、それはかえって少女の意識を圧迫してしまう。
少女の意識を保つためには、「少女趣味」という秘密結社的な連帯に寄りかかるようなことがあってはならない。


・・・と、このようなことを私は「少女の意識」と呼んでいます。
これについては多分、高原英理氏がおっしゃっている内容とそうは違わないと思います。(もし誤った解釈をしていたらごめんなさい)
この説明は、私が前から確かに存在していると思っていたものを非常に良く表してくれているものであり、さらに私の領域においてもかなり重要な部分を表しているようにも思えるのでまずあげましたが、私の領域を説明するにはこれで全部、というわけではないようです。
ここでは、この意識をまず前提とし、これ以外のものについても色々と追加したり変形したりしていって、いつか私の領域を成立させてみたいな、というのが目的です。

この意識について詳しく書かれた本はこちらにあります。
もし興味をもたれた方がいらっしゃいましたらこちらからどうぞ。

少女領域
高原 英理
4336041946

母娘の関係性 

2009年06月10日(水) 11時44分
童話を読んでいると、よく「若くて美しい娘」と「若さや美しさに嫉妬する醜い母」といった人間関係が描かれます。
童話というものは心理学などにも登場することから、それは何か女性にとっての普遍的な人間関係を描いているものとしてのイメージがつきまといます。
確かに母と娘が対立する人間関係は、特例ではない、応用のきく、何か普遍的なものを感じますが、童話にそのような関係ばかりしか描かれない(私の知る限り)というのは考えものです。
童話というものは女性を教育するものでもあることから、これから女性になるであろう女の子たちは、女性にとっての問題というものはそれだけだと思い込んでしまうからです。

私は、女性にとっての普遍的な人間関係とは、大きく分けると次のような2種類が存在していると思っています。


●対立、バトル的なもの

これが、童話でよく描かれるもの。
童話では本来は実母が娘を嫉妬して殺すようなものとしてよく描かれていました。
これは後々、教育的意味合いが強くなっていくにつれて、実母ではあんまりだろうという配慮もあって、実母は次第に継母として描かれるものが多くなっていったと聞きます。
けれども私にとっては、偶然ではあっても、むしろそのような意味合いのほうが上手くこの形を表現していると思います。
何故ならこの母娘関係とは、所詮は他人同士で発生するものだからです。

これは女性の人間関係とは常に他人と他人のぶつかりあいであり、そこには友情は成立しないのだ、という考え方のこと。
つまり、常に賞賛されるべき「お姫さま」は、世の中にただ一人であるべきだという思想、つまりこれがあの有名な、「お姫さま願望」というものの正体なのだと私は思っています。

女性の価値というものは現在においても、完全に自分一人で決められるものではありません。
では何によって価値がはかられるのかというと、それは「他人にいかに評価してもらったか」というところが主になるのです。
こういった評価軸が存在していると、他人がもし他の人ばかりを評価していたら自分の存在価値が問われることになりますから、女の子にとっては少年漫画にありがちなライバルとなるような女性は必要ないのです。
女の子が無意識に望んでいる状態というものは、「紅一点」の状態なのです。


●同化、吸収的なもの

こちらは何故か、童話を読んでいるとあまり現れない形態です。
これは本来の実母と娘の関係に近い人間関係だと思います。
子どもを自分の中に取り込もうとする母。
母は、自分と同じ性別であり、半分は自分であるような娘に対して、境界線を発見することがなかなかできません。
また、そもそも境界線など発見しなくてもよい、むしろ発見したくないといったような願望ですら強く持っています。
娘にしても、生まれたときからの環境が、どこからどこまでが正しくて、どこからどこまでが間違っているのか、見極めるのが非常に難しい。
母の押し付けと、自分とをどうやって両立していったら良いのかについて、非常に悩みます。
これは母と娘が性別が同じであることから発生する問題です。
同じように、息子を自分の中に取り込もうとする母の姿も存在しますが、これは性別が違うのであくまで他人としてであり、それはむしろ恋人関係のようなものに近くなってくるので、この境界線が曖昧な「同化吸収」としてはまた別の種類であり、別の問題を孕んでいるものとなります。


これらの関係は、どちらのほうをより自分の身に迫ってくる問題として感じているかは、女性によってかなり異なってくると思います。
私が思うにその違いは、その女性が「ジェンダーとしての女性役割を受け入れているかどうか」ということによって振り分けられるのだと思います。

女性役割を(喜んで受け入れても、しぶしぶにしても)受け入れた人は、「対立、バトル」的なものを強く感じるでしょう。
そして、女性役割を拒否する方向を選んだ人には、「同化、吸収」的なものが、かなり切迫した危機として迫ってきます。
そういった女性には、対立、バトル的なものはむしろあまり感じられなくなる。
このように、童話で描かれる模様や世間などの噂と異なって、女性とは常に若さ美しさに嫉妬しているわけではないのです。
そこは誤解しないでいただきたい。

ちなみに、私はどちらを強く感じているのかというと、それは「同化、吸収」のほう。
対立、バトル的なものはあまり感じていません。
むしろその存在に気づいたのは成人してからだったと認識しています。
「少女の意識」とは、性としては女性であることを受け入れながらも、女性役割は拒否するという性質をもつものであることから、それをもつ人にとっては「同化、吸収」の脅威はかなり深刻な問題となるのです。
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