<東日本大震災>職失い「残された人も地獄」

February 16 [Thu], 2012, 13:30
<東日本大震災>職失い「残された人も地獄」
がれきの中から衣服を取り出す被災者。気仙沼の沿岸部は通行可能になりようやく自宅跡に訪れる人が多い=宮城県気仙沼市で2011年4月13日午後2時36分、梅村直承撮影 大切な家族や思い出の詰まった自宅を失った人々は、つらい心境を打ち明ける。宮城県山元町の無職、会田正始さん(64)は気仙沼市にいた妻と息子を亡くし、自宅も全壊し職も失った。「日がたつたびに家族を思い、将来を思って不安になる」と話した。岩手県大船渡市の無職、斎藤満さん(68)は「明治29年と昭和8年の津波でも被災しなかったのに、今回は自宅がのみ込まれ悔しい」。 避難者の先行きは不透明だ。岩手県宮古市の無職、山田ヨウ子さん(72)は自宅が全壊し落ち着き先が決まっていない。息子(44)が失業し生計は年金と娘(40)の収入が頼りで「いくらかでもお金の援助をしてほしい」。宮城県気仙沼市の主婦、渡辺友子さん(57)は「確かな収入のあてがなく、残された人も地獄」と話した。 子どもたちの教育も心配の種だ。岩手県陸前高田市の会社員、金野順一さん(48)は「中学1年の長男と小学1年の長女は震災がトラウマにならないか心配」と言う。宮城県女川町の会社員、遠藤忠志さん(52)は「小学生と中学生の子供は宇都宮市に移り、自分も移る予定。できればこっちで暮らしたいが、学習時間の確保も難しいだろう」と話す。 ◇「1人では余震が怖い」 地元が復興できるかどうかは、答えが拮抗(きっこう)。大船渡市の漁業、細川周一さん(59)は「我々の仕事場は海しかない。国や県は手厚い支援をしてほしい」と期待する。宮城県亘理町のイチゴ栽培、鞠子直子さん(53)は「もう一度イチゴを作りたい」と語った。一方、女川町の元船員、木村悟さん(61)は「水産業が盛んだった街は壊滅し、船、市場、工場すべてがだめになった」と復興の困難さを口にした。岩手県釜石市の無職、椎名千恵子さん(69)は「もう戻りたくない。今は避難所で皆と一緒だが1人では余震が怖い」と話した。 原発事故のあった福島県の人々は、より先行きが見えない。広野町から石川町の総合体育館に避難するLPガス販売、石井栄作さん(65)は「原発がここまでなるとは思わなかった」。戻って業務を再開したいが、地域に人が戻らなければ商売にならない。 ◇「廃炉で何万人か失業」 一方、田村市に避難した大熊町の原発作業員、亀田典夫さん(59)は「原発の仕事しか知らず、廃炉になったら他の原発で働くしかない」と言う。「町は原発に依存してきた。すべて廃炉にしてしまうと何万人かが失業する」と語った。<東日本大震災>「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見
原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。【味澤由妃】 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。 福島県から県内に避難し、この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。 市議の指摘を受け、船橋市教委は3月28日「(放射能への)大人の不安が子どもたちにも影響を与え、冷静な対応がとれなくなることが危惧される」として、避難児童に「思いやりをもって接し、温かく迎える」「避難者の不安な気持ちを考え言動に注意する」よう市立小中学校長らに通知した。 市教委によると今月から市内の学校へ通う被災者・避難者の子供は43人で、うち38人は福島県出身という。 避難児童を多数受け入れる市立行田西小学校の中村俊一校長は、「温かく迎えるのは言われなくても当たり前のこと」と強調。「放射能を巡る偏見や方言で児童を傷つけることがないよう注意深く見守ろうと、教職員に何度も話している。始業式や入学式で『いつか古里に帰れる日が来るでしょう。その時に船橋に来て良かった、友達ができて良かったと思ってもらえるよう仲良くしてください』と呼びかけた」と話す。 市教委に指摘した市議は「話を聞き、心がさみしくなった。船橋の子供たちにはいつも『思いやりのある人になってほしい』と言っている」と話す。   ◇  ◇ 千葉市稲毛区の放射線医学総合研究所(放医研)は福島第1原発事故直後の3月14日、放射線や被ばくを巡る電話相談窓口を開設。研究員や退職者6人が朝から深夜まで応対している。相談は主に首都圏から寄せられ、すでに6000件を超えている。 震災直後は「原発近くに住む親類を家で受け入れたいが、自分の子に影響はないか」という内容が多かった。その後、避難者の数が増えると「アパートの入居で難色を示された」「福祉施設や病院で被ばく線量を調べるスクリーニング検査の証明書の提出を求められた」などの相談が急増した。 今回の船橋のケースも踏まえ、放医研の柿沼志津子博士は「大人をまず教育したい。受け入れる側が心配すべきことは何もありません。むしろ心配しすぎる方が体に悪い」と指摘。「放射線について正確な知識に基づき、『正しく怖がる』ことが大切です。もっと勉強してほしいし、私たちも理解を深めてもらえるよう努力しなければならない」と話す。放医研は相談窓口(電話043・290・4003)を当面続けるという。
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