映画を見終えたとき、ため息が出た。数年前、最後の原書を読み終わって直後の感想として、自ら闘って自らの手で勝ち取った平凡、乃至は日常、或いは平和の重み、主観的に自分が感じる重さというのは与えられたそれとは比べものにならない・・・と、呆然としたのを覚えている。
原書のそれとはまた違った爽やかさを、映画は残してくれたと思う。
10年という長い歳月の間に培われた登場人物への思い入れがあるし、それゆえ「長い闘いだった」という実感が少なからずあるため、そのことがこの映画で感じる重みを増している。
1作目からの映像も交えているため、視覚的に長い物語の歴史を感じることができ、それが最後の場面での爽やかさと安堵感をも誘うのだ。
そこだけ観れば単純なハッピーエンドに思えるかも知れない最後の場面から、これほど深い感慨を受けるとは正直予想していなかった。
とりわけ日本のように、所謂「元寇」や「百姓一揆」や「戦国時代・下克上」のようなごく小さい例外を除いて、市民権獲得に(一般市民が自ら蜂起して)殆ど血を流さなかった国に住んでいる者にとって、この最終章の感慨というのは一切がカルチャーショックなのかもしれない。
レギュラーの登場人物から多くの犠牲者が出る長く泥臭い闘いを観た後の場面は重く、深いと思う。
身近にいる人の死がこんなにあっけなく大きいものか。
戦いとはこういうものか。
戦いの終わりを見届けずに死んでいった人物達の心中はいくばくだろう。
そして、戦いの終わりが自分の命の終わりと悟った時、ハリーの心中はいくばくだろう。
熾烈を極める戦闘の様子は迫力があって臨場感も十分だが、その迫力がより一層登場人物の心を引き立てる。
確かにこれはフィクションで、勧善懲悪的なお話を好む英国のお話で、そしてまた絶対悪のような存在というのは日本でも所謂「悪代官」くらいで、現実の歴史と結びつけるのはナンセンスかもしれませんが、少なくとも、鬼平が活躍した時代にフランスで起きた革命で勝利した人達の喜びや、その闘いで失った者への悲しみや痛みというのはこの読後感に多少なりとも近いものがあるのではと思う。
絶対悪であるヴォルデモートの存在はあるものの、それ以外の登場人物が絶対善というわけではない。
Part1で描かれた通り、主人公のハリーにしてみても、怒りっぽく無鉄砲で独りよがりな部分も多々ある。
そうした人間くささこそがリアリティとなって観る者の心を打つのだと感じる。
今までの作品、そしてこの作品でハリーが選び取った一つ一つの小さな選択の積み重ねこそが、この結末に結実したと思うと、本当に感慨深いものがある。あんなに小さかったハリーがこんなに大人になった、だけどどちらもハリーだ。そして、他の登場人物もまた然り。
It is our choices, Harry that show what we truely are, far more than our abilities.
18歳のハリーを、そして父となったハリーを形作ったのは、紛れもなく11歳だったかわいらしい男の子だ。
イギリス経験主義、ここに極まれり。
原書にある「まどろっこさ」を全て排し、一気に転がり出して最後までその急展開が止まらない映像の迫力は素晴らしかった。
何度でも観たい。
戦いのなんたるかを教えてくれたハリー・ポッター、選びとる勇気をくれたハリー・ポッター、ありがとう。
Harry Potterはこれからも座右の書であり、座右の映画だと思う。
是非多くの人たちに英文の原書で読んで欲しいと思う。
とりわけ日本人である我々は多くを感じられる作品だろう。
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