小学校入学までの記憶 

2015年08月06日(木) 3時06分
まぁ、小学校入学までの記憶というのは
ほとんど残っていないというのが現実だろう。

母から聞かされた事によると
・生まれたばかり(たぶん1歳くらいまで)は姉と違い育てやすく
 迷惑をあまりかけなかった。夜泣きもしないし、人懐っこく知らないおばちゃんに
 抱かれても泣きもせず、好ききらいもなく育てやすかった。
・3歳くらいまでは兎に角元気で病気もしない。
・小さいころは良かったのにねぇ〜というのがおおむねの評価だろう。

おっさんになると、子供の頃の記憶ってほとんど覚えてなく
フラッシュバックのように瞬間、瞬間の映像しか思い出せず、経緯とかはよくわからないというのが本音かな。

覚えている印象的な出来事として
@八幡駅 探検ツアー
前田の社宅に住んでいたころだから3歳くらい。
太郎君ともう何人かで、八幡駅のちんちん電車の線路に石やコインを置いて
ぺちゃんこにつぶして遊んでたら、(たぶん)警察に保護されて、母ちゃんにめちゃくちゃ怒られた記憶。
3歳の子供だけで、1キロ以上離れた駅に親に内緒で出かけたら、そりゃ心配するだろうけど
鮮明な記憶に残っているのは、ぺちゃんこになったコイン(倍くらいに)と何の悪いことをしたかもわからずに
怒られた記憶のみが、画像として脳の中に今でも保存されている。誰が首謀者だったかは未だに謎のまま。

A流血事件
桃園公園とわんぱく広場がすぐ近くで、いつも遊んでいたような気がする。
3歳の頃には、なぜかよく球場の周りを走ったり、自転車も乗れるようになっていた。
そんな映像がかすかに残っている。社宅の広場で遊んでいると、じいちゃんのバイクが
見えた時の喜び、その瞬間の画像は今でも覚えている。
公園での事件としては、どんな経緯だったらわからないが、太郎君の投げた何かが
当たったのか、頭を切って大流血。今でも傷として残っているみたいだけど気にしたことはない。
ただ、血がいっぱい出ていたことだけは覚えているなぁ。喧嘩したんだろうか、突発的な事故だったのか
未だに謎というか、母ちゃんから聞いたかもしれないが、覚えとらん。

Bこれが初恋だったのだろうか。
名前も覚えていないけど、遠足で下関水族館に行ったときに
同じクラスの女の子と一緒にご飯を食べて、手をつないだ時に
なんか電撃が走った、うれしかった記憶が微かに残っている。
その写真が確か残っていたのだけど、その子の事がまったく思い出せない。
もしくは、写真の方が記憶となり、いい思い出にしているのか、謎のまま。

C上津役幼稚園
・この頃から頭角を現し、そうとうのクソガキだったと思われるが
 都合の悪いことは直ぐに忘れるといういい性格なのであまり記憶がない。
・しいて言えば、運動会の時に行進をしながら大太鼓をたたくという役目があったけど
 ぜんぜん練習してなくて、最初だけそれっぽくたたいたんだけど、あとは全部テキトー。
 その時、心の中で感じた情けないというか、恥ずかしいというか、ごまかそうとした自分がいて
 初めて反省という言葉を覚えた出来事だったかもしれない。

Dプラレール
プラレールが本当に大好き。おじいちゃん=プラレールを買ってくれる人だと
完全にインプットされていたなぁ。おじいちゃんを好きになったきっかけもプラレールだと言っても
過言でないかも。子供って単純だしね。そごうにいくとプラレールとアイスクリームを食べさせてもらえると思ってた。

写真と見返すともっと色んな思い出が出てくるかもしれないけど
インドで思い起こした年少時代はたぶんこの程度のものだったと。

届かなかったインドからの手紙 

2015年07月31日(金) 18時52分
インドに行ったのは1997年。
1週間前に会ったマザーテレサが亡くなった年なのでよく覚えている。

インドを旅していると、なぜか今までの人生の事、これからの人生の事
などいろいろと考えてしまって。
昼間は精力的に移動し、インド人と格闘し、いろんな場所に行き新しい人と出会い、
英語を楽しみ、夜はそんな寝れないのでインドの古本屋で見つけた日本語の本を読み漁ったり
自分の過去、未来を整理して、メモに書き起こしたりしていた。

自分探しの旅という側面もあったので
過去の自分への理解を深めるために、旅で書き留めたメモをまとめ。
ちょうどカルカッタのマザーハウスから、デリーに戻るときに
日本の自分宛に投函した。

@おじいちゃんへの手紙
A自分への手紙
Bお土産として買ったはずのカーペットなどなど

全部で、4つか5つくらい送ったはずなんだけど、自分への手紙は届いてなかった。
当時のインドの郵便事情を考えると、届かないのも無理はないかも。
政府の中央郵便局から送ったのに。

自分宛に書いた内容は非常にシンプルで
3歳くらいから、自分の印象に残る出来事やどんな事を言われどんな風に思っていたか
などをつづったものだった。なので、忘れないためにも、インドで当時メモしたであろう事を
思いお越し、今後書いていきたいと思う。

命名 

2015年07月12日(日) 10時30分
生まれてくる子供に、いつか聞かれるであろう
「なんでこの名前になったの?」って説明できるように
ママと一緒にちゃんと考えた事を書き残しておこうと思います。

男の子だとわかった時から、二人の中でどんな名前にしようかって
話題になってきてね。

ママは、昼間っからいろんな名前を考えているわけですよ。
平日は仕事で名前のことはなかなか考えられなくて、
心の中では、生まれる前までには、ちゃんと決めようと思いながら
月日は過ぎていくのよね。

3か月前くらいから、あなたもちゃんと考えてよっていう
無言のプレッシャーを感じながら、本格的に検討開始!

まずは、二人でどんな子供になってほしいのかについて
結構な時間 話してね、そうするとだんだん二人の想いが
一緒だって事がわかってきた。

そして、10年後、30年後、50年後の世界ってどんなだろうと
想像し、大きくなる頃には、友達が世界中にいる事は普通になっているかも
学校もまさにグローバルで、日本国内に留まる事はないだろうという事で
下の名前でも呼びやすい事も重要な指標の一つに。

そこで、どんな子供に育ってほしいか?という事に対して連想する漢字を
徹底して洗い出し、その漢字を使った名前の画数で運勢を見て(やっぱり気になるんだよね)
下の名前でも、外国の方からも呼びやすい名前という事で3つくらいの候補を。

「航」「翔」とかの文字を最終的に選んで、画数を見て、最後は公恵先生にも見てもらって
満場一致で決めました。産まれてくる一週間以上前には決まってたな。

・わんぱくで逞しく、好奇心旺盛で、生きる為の自活力を持った子供になってほしい。
・一度きりの人生をいかに楽しく、有意義なものに過ごすか。その視点は日本のみならず、人種、宗教を問わず一番大事なこと。
楽しい人生を送るためにも、飛行機のパイロットの様に、自分軸をもって常に判断し世界という大きな舞台を
生き抜いて欲しい。ダイナミックに。

そんな思いを込めて、命名しました。

現在3歳だけど、声も大きく、いつも笑顔で、周りにも配慮し、わがままなくらいに自分の意思をもった
子供に育っているかと思ってます。皆んなに愛されているよね。

40歳の誕生日を記念して 再開 

2015年06月27日(土) 16時56分
2009年9月に、じいちゃんが死んでから、ブログを休止してました。
元々は、離れて暮らす両親にも、何しているのかを知ってもらうため、また自分自身の記録もかねて
知人、友人に公開するわけでもなく、近しい人のみに教えていたブログでしたが、気が付けばいろんな人に
知られ、なんだか書きにくくなり、更新してませんでした。

このブログを休止した約6年間の間に、現在の嫁さんと出会うことができ、結婚して、めちゃくちゃ可愛い
子供まで授かる事が出来て、独身時代とはまた違った幸福を感じてます。

本日大台の40歳の誕生日。
昔はプレゼントをもらえる日だったんだけど
また一年健康に無事に齢を重ねる事が出来たことに感謝する日だと思ってます。

子供が生まれてからは特にそう思うようになりました。

今後、このブログには、子供、家族、両親についてを
主なテーマに書いていこうと思います。不定期にちょくちょく更新。

男子はやはり甘いもの好き 

2009年10月31日(土) 20時41分
日本橋に商談に行くと、ついついよりたくなってしまう
千疋屋のアメリカンショートケーキ  

しかも、男ばかりで・・押し寄せちゃいます

店内には、マダムがいつも優雅にお茶してますが

そんなの関係なく、一瞬で平らげる。


牛乳がお皿いっぱいに敷き詰めてあって

スポンジの間には、バニラアイス!

イチゴのジャム(ビックリするほど高い)が これまたたまらなく

だんだん アイスが溶けてきて、牛乳がキンキンに冷えてきて

スポンジがジャムと生クリームと、牛乳とアイスがしみこみ

幸せな気分を味わえます。




自分の大好きな人を是非 連れて行きたくなるケーキ。

喜んでもらえると思いますよ!

*ケーキとして考えると1,000円近くするので、そもそも高いが、満足度が補ってくれるはず!

++I was born++ 

2009年09月30日(水) 23時32分
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄の奥から浮き出るように、

白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。
頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを腹のあたりに連想し 
それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。 

少年の思いは突飛しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが
まさしく<受身>である翻を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた
---やっぱり I ws born なんだね---
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

--I was born さ。受身形だよ。

正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。
自分の意思ではないんだね--
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。
それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。
僕にとってはこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
--蜻蛉と言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが 
それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと
そんな事がひどく気になった頃があってね--

僕は父を見た。父は続けた。
--友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉の雌だといって
拡大鏡で見せてくれた。
説明によると 口はまったく退化していて食物を摂るに適しない。
胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。
見ると その通りなんだ。
ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。
それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 
咽喉もとまで こみあげてるように見えるのだ。
淋しい 光の粒々だったね。
私が友人の方を振り向いて <光>というと 彼も肯いて答えた。
<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、

お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは--。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。
ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものだった。
--ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体--。


--現代詩文庫:吉野弘詩集:「I was born」より--

じいちゃん! バイバイ 

2009年09月14日(月) 11時01分
2009年09月14日(月) 11時1分

中学一年生まで一緒に住んでいたじいちゃんが、死んでしまいました。

88歳 本当に大往生だと思います。





おじいちゃんは

野球をしていた俺の練習を毎日見に来てくれたね。

(たぶん へたくそでしたが、キャッチボールの相手をしてくれました。)

負けず嫌いな俺の為に、早くうまくなるように、庭に手作りのバッティングネットを作ってくれたね。

プロゴルファー猿が大好きで、ゴルフに夢中になっていた俺に
山で採って来た木を加工して、ゴルフクラブを作ってくれたよね。
近所の友達と一緒に、庭でいつもゴルフの練習をしていたよなぁ〜

ガキ大将で勉強をまったくしない俺のために、やる気を出すように
テストで100点を取ったら、100円のご褒美をくれて、単純なおれは100点を取ることを目指しました。
おかげで勉強の楽しさもわかってきたよ。

黒崎のそごうに連れて行ってくれて、いつもプラレールを買ってくれてたよね。
おじいちゃんにおねだりすれば、買ってくれると思ってたよ。


親が働いていたため、若いお母さんにまみれて、授業参観にも来てくれました。
当時俺は恥ずかしくて、じいちゃんに怒ってたけど、じいちゃんも恥ずかしかったよね?

制服でパチンコをしていた俺を探して、パチンコ屋さんで隣に座り
「なんや!負けとるやないか?」と笑顔で・・、俺は猛省でした。

おじいちゃんは自分はお金を使わずに、いつもお年玉やおこずかいをいっぱいくれたよね。
東京に出てからもいつも交通費くれてたよね。
「顔見せに帰ってこい!って」

家を建ててからも、毎日、犬の「クマ」と「ハスキー」の散歩に来てくれてたよね。
「クマ」と「ハスキー」にとっては、間違いなくおじいちゃんがヒーローだったよ。

孫はみんな じいちゃんに愛された事を心に刻んでいると思うよ。

じいちゃんは、愛情深きゆえに、怒るときは泣きながら、声がかれてたよね。

泣きながら、声をからしているじいちゃんを見て、心配かけちゃいかん!って俺は思ってたよ。

ここ4年 ずっと寝たきりだったけど、本当に死んじゃったんだね。

なんか?じいちゃんの冷えた体を前にしても、実感わかなくて・・

ねぇ?13日の日曜日にあったばかりだもんね。

まさか、翌日に死んじゃうなんて思わなかったよ。

お盆にじいちゃんと話たのが最後になっちゃたね。

「30を過ぎて、嫁の一人の来てもおらん孫に育てた覚えはないぞ!」って

じいちゃん、泣いてたね。

俺もぐっと来たよ。

東京に出て、離れていた分、早く俺の嫁さんと子供を見せてあげればよかったのにね。

ごめん・・・・


生きていたじいちゃんに手を合わせるのが、すごく違和感だったけど
時間がたち、お墓参りするたびに、違和感がなくなり手を合わせられる気がします。

俺も子供が出来たら、じいちゃんの事をまったく知らない
子供を、お墓参りなんて行きたくもない子供を
無理やり連れて行くんだろうなぁ〜・・

遠くから、俺の人生を見守っててね!

最後にじいちゃんのネクタイ締めれてよかったよ。

久しぶりの更新ですが 

2008年12月30日(火) 15時15分
ブログの更新を怠ると
いろいろな方に心配されますが

本当に元気!

両親も俺のブログをTOP画面に設定していて

更新されていると
飲んだくれていようが
ゴルフばかりしていようが
一応 元気であることを確認して 安心するみたいです。


今は、実家に帰って来て
母親の誕生日にプレゼントした パソコンをかりて
久々のブログ更新。

正月は、まったりして

来年は
見ていてくれる人もいるようなので、がんばって更新しますよ。


全国制覇! 

2008年08月21日(木) 19時04分
富山といえば思い浮かぶのは?

置き薬

ほたるイカ

ます寿司

氷見うどん くらいでしょうか?


今日は 生まれて 初めて 富山の地を 踏みました。


富山に来て なんと 私 日本全国 47都道府県 全国制覇達成!

33歳 2ヶ月

う〜ん なんか うれしい気がします。


九州は、沖縄を小学生で制覇し、SBB時代 九州担当だったので くまなく制覇

中国は、山口はちょくちょく行ってましたが、3年前 鳥取 島根旅行で 制覇。

四国は 2年前のGW 四国めぐりツアーで制覇

関西は シロアリ駆除時代に 当然 制覇

中部は 学生時代と 仕事で 制覇

関東は ゴルフで 制覇し

東北は 学生時代に 東京から来るまで 一週間かけて 東北ツアーで制覇

北海道は ゴルフで制覇

唯一 北陸は 福井、石川、新潟は 年に一度は行ってましたが

なぜか? 富山には縁がなく

ようやく 全国制覇 達成
■白えびの掻揚げDON


■ホタルイカ


もう一度 行きたい 県は

西日本だと 香川

中部だと 三重の 志摩半島

東北だと青森と秋田かな・・


全国制覇はしたものの ゆっくり 味わっていない県も多数あるので

これから 味わいたいもんです。

時代に取り残される 

2008年08月20日(水) 0時50分
最近 テレビに出まくっているこの二人

リアディゾンとスザンヌ

つい最近まで 同一人物かと・・

俺だけじゃないよね。

ず〜ぅと ジョージアのCM スザンヌだと思ってました。

しゃべると 確かに違っていて

俺も心のどこかで 違ってるんじゃないかと・・

でも興味もないから 深追いせずにいたら 新入社員に馬鹿にされました。

既に 完全 おっさん 扱い
  



ただ、どちらかと言えば スザンヌの方が なぜか?俺は好き!


■こちらが スザンヌ


■こちらが リア・ディゾン


笑ったら わかんないよ・・
2015年08月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
アイコン画像ハーゲンダッツ
» 男子はやはり甘いもの好き (2009年11月03日)
アイコン画像吉野大好きっこ
» ++I was born++ (2009年10月06日)
アイコン画像Masae
» ++I was born++ (2009年10月02日)
アイコン画像マサ
» じいちゃん! バイバイ (2009年09月25日)
アイコン画像yamaken
» 久しぶりの更新ですが (2008年12月31日)
アイコン画像管理人
» 両親へのメッセージ (2008年07月31日)
アイコン画像安室さんへ
» 日本と英国のかけはし (2008年06月29日)
アイコン画像なみえ
» 日本と英国のかけはし (2008年06月25日)
アイコン画像bv123
» ブログ 再開します (2008年05月07日)
アイコン画像まーくん
» 子供が欲しくなるねぇ (2008年04月17日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:ntashiro008027
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1975年6月27日
  • アイコン画像 血液型:A型
  • アイコン画像 職業:会社員
読者になる
Yapme!一覧