お友達が亡くなって、
今日で、1ヶ月が経ちました。
早いものです。
去る3月ですものね。気がつけば、もう4月も半ば・・
私は、ちかよんは絶対治ると思ってました。
最初に手の膨らみを見たときから、
ずっと治ると信じ込んでいました。
彼女が胞巣状横紋筋肉腫と知ったときも、
その当時の彼が、医療従事者だったので、
色々聞いて、治る治らないでひどく喧嘩したときも、
絶対治ると思ってました。
たぶん、彼女の自分の病気に対する真正面からの受け取り方。
突き詰めていたし、自分の病気についてすごく認識してたし、
結構病気になると医者任せなところがあったりするけど、
まったく違ってた。
千佳世は生きると常に前向きでした。
記事一覧(リンク設定ができなかったのでURLのみ掲載)
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110128ddm013100014000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110211ddm013100021000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110225ddm013100153000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110311ddm013100008000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110314ddm013100010000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110408ddm013100002000c.html
まだ、未だに、メールを出せば、返事をくれる
って思ってしまうこともあります。
去年お見舞いに行こうとメールを出して会うことになったんですが、
急遽、肺に水がたまり会えなくなりましたと・・
そして、私の入院してる父への気遣い。
お父様の回復を願ってますと。
そして、心配してると、私よりもお父様に気持ちを傾けてくださいねと。
そして、肺にドレーンとを設置しましたなど、説明文が
書かれてたけど、即死する可能性もあったみたいと、
自分の経過の詳細が書かれて、気が気がじゃなかったけど、
ちかよんのほうがこう記載することも辛いんではないかと思うけど、あまりにも
冷静に書かれていた。
こちらが心配しないように冷静にとそういう装いだとは思うけど、
彼女の心情はと考えると、結局、会えずで・・・
その後も今年に入ってからも、メールを出したけど、
お見舞いの気持ちだけで充分ですと今は、退院して家ですと・・
けど、そのメールにも、お父様に一緒に頑張りましょうとお伝えくださいと
気遣いメールでした。
そのメールが最後に交わしたメールです。
2/16でした。きっとメール打つのもしんどいかなって思って。
また、メールの返信を入れたときに、これの返事はいいよーって
書いたら、それっきりなかったけど、いつも、ハートなどがいっぱいの
メールで。しかも文章が長文だったりとで大変だったと思う。
ずっと私の父の事心配してくれて、
昨日、父が目の前で、痙攣麻痺で、倒れて病院に搬送されました。
退院して自宅療養でしたが、こんなのことになるなんて、
予想だにしない出来事で。
でも、落ち着いて帰れることになりましたが、
やはり、死の怖さを、万が一の怖さが脳裏に焼きつきました。
今後も、痙攣の可能性はありです。
と余談でしたが、ちかよんの話に戻りますが、
彼女はすごく器用で、センスがとても良かったです。
自己プロデュースがうまく、自分の言葉を持ってました。
すごく素敵で、羨ましくも感じてたし、頭もよくて、すごいなって思ってました。
きらりと光る何かを持っていました。年下ながらに、尊敬の人でした。
私がアクセサリー作りをするきっかけは彼女で、
無理っと言っていた私に、手書きで、アクセサリーを作る手順が書かれてました。
私がこういうの作りたいと言ってたのを2つ
その絵が、またうまく。
今でも覚えています。それがきっかけでした。
今では、アクセサリー作家として、カフェにおいてもらったりして・・・
彼女から、教わったことはいっぱいあります。
感謝もいっぱいです。
最後にお別れしたときに、
有難うと言えてよかったです。
これからも、みんなの心の中で生き続けてると思います。
今日で、1ヶ月が経ちました。
早いものです。
去る3月ですものね。気がつけば、もう4月も半ば・・
私は、ちかよんは絶対治ると思ってました。
最初に手の膨らみを見たときから、
ずっと治ると信じ込んでいました。
彼女が胞巣状横紋筋肉腫と知ったときも、
その当時の彼が、医療従事者だったので、
色々聞いて、治る治らないでひどく喧嘩したときも、
絶対治ると思ってました。
たぶん、彼女の自分の病気に対する真正面からの受け取り方。
突き詰めていたし、自分の病気についてすごく認識してたし、
結構病気になると医者任せなところがあったりするけど、
まったく違ってた。
千佳世は生きると常に前向きでした。
記事一覧(リンク設定ができなかったのでURLのみ掲載)
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110128ddm013100014000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110211ddm013100021000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110225ddm013100153000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110311ddm013100008000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110314ddm013100010000c.html
http://mainichi.jp/life/health/chikayo/news/20110408ddm013100002000c.html
まだ、未だに、メールを出せば、返事をくれる
って思ってしまうこともあります。
去年お見舞いに行こうとメールを出して会うことになったんですが、
急遽、肺に水がたまり会えなくなりましたと・・
そして、私の入院してる父への気遣い。
お父様の回復を願ってますと。
そして、心配してると、私よりもお父様に気持ちを傾けてくださいねと。
そして、肺にドレーンとを設置しましたなど、説明文が
書かれてたけど、即死する可能性もあったみたいと、
自分の経過の詳細が書かれて、気が気がじゃなかったけど、
ちかよんのほうがこう記載することも辛いんではないかと思うけど、あまりにも
冷静に書かれていた。
こちらが心配しないように冷静にとそういう装いだとは思うけど、
彼女の心情はと考えると、結局、会えずで・・・
その後も今年に入ってからも、メールを出したけど、
お見舞いの気持ちだけで充分ですと今は、退院して家ですと・・
けど、そのメールにも、お父様に一緒に頑張りましょうとお伝えくださいと
気遣いメールでした。
そのメールが最後に交わしたメールです。
2/16でした。きっとメール打つのもしんどいかなって思って。
また、メールの返信を入れたときに、これの返事はいいよーって
書いたら、それっきりなかったけど、いつも、ハートなどがいっぱいの
メールで。しかも文章が長文だったりとで大変だったと思う。
ずっと私の父の事心配してくれて、
昨日、父が目の前で、痙攣麻痺で、倒れて病院に搬送されました。
退院して自宅療養でしたが、こんなのことになるなんて、
予想だにしない出来事で。
でも、落ち着いて帰れることになりましたが、
やはり、死の怖さを、万が一の怖さが脳裏に焼きつきました。
今後も、痙攣の可能性はありです。
と余談でしたが、ちかよんの話に戻りますが、
彼女はすごく器用で、センスがとても良かったです。
自己プロデュースがうまく、自分の言葉を持ってました。
すごく素敵で、羨ましくも感じてたし、頭もよくて、すごいなって思ってました。
きらりと光る何かを持っていました。年下ながらに、尊敬の人でした。
私がアクセサリー作りをするきっかけは彼女で、
無理っと言っていた私に、手書きで、アクセサリーを作る手順が書かれてました。
私がこういうの作りたいと言ってたのを2つ
その絵が、またうまく。
今でも覚えています。それがきっかけでした。
今では、アクセサリー作家として、カフェにおいてもらったりして・・・
彼女から、教わったことはいっぱいあります。
感謝もいっぱいです。
最後にお別れしたときに、
有難うと言えてよかったです。
これからも、みんなの心の中で生き続けてると思います。
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