『これでいいのだ』  

August 10 [Sun], 2008, 8:23
二日前から、この言葉が耳から離れません。

 이것으로 좋은 것이다  (イゴスル チョウル ゴシダ)

 It is good in this.

 『これでいいのだ』 

 この言葉、この世の出来事すべてに対してこうありたいの理想で
 呪文のように唱えても、遙かに難しいことです。

 わたしはいつも、 『これでいいの?』

 이것으로 좋아? (イゴスル チョア?)

 Is it good in this?
 
 そう自分に聞き返すばかりで、
 まだまだどころか、、、
 いいのだ!なんて
 諦めの言葉で、理想には到底無理。

 ギャグのように、軽く使っていた言葉が
 こんなにも現実には重々しい言葉だなんて、それに気付かされた今頃、この年齢
 これでは良くないじゃないの
 
 はぁ〜〜タモリさんも凄い人ですね。

  http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/08/02.html

命日3 

July 29 [Tue], 2003, 20:04
そのうちに幾時間がすぎた。当たりは薄暗く
なっている、私は「まだかな」と首を長くしてまって
いたら、おばさんが「もうすぐ来るから家の中を
そうじしてなさいて」とことづかってきた。

ふと敏雄のことが思い出された。そうだ
敏雄はどうしたんだろう、もしや 驚いて
にげはしなかったか その時 かんじ兄さんが帰って
来た。「どうだった」ときくと「呼吸しはじめている」といった
ので私はとてもうれしかった。台所の勝手口に
道子さんや久枝さんがいた。私は顔をあわせる
勇気がなかった。しばらくしてハイヤーで弟を
のせて来た。桟橋付近の人達がユタンポをかして
くれたそうだ。農校や登小の先生達が交たいで
人工呼吸をしている。はだかになった弟のおなかを
ギュッとおしては、はなしては号令にあわせてやっている

母が後の方にすわって子供がだだをこねるように
体を動かして「まさぼ まさぼ、生き返って頂だい」と
いいながら泣いている。そばにいた人が
私にせ中をさすってあげなさいといったので
私は、母のせ中をさすりながら「母ちゃん」といった
すると母は「なんで海へ行かすか」といって
手をふりながら私のうでを無意識のうちに
たたいた。私は普通、母は子をおこっているけれども
ほんとうの母の愛というものをこの時くらい
みせつけられたものはない、母の友達や知り合いが
少し休みなさいといっても「だいじょうぶよ、ぼくは
こんなのに負けるか、生き返って頂だい、まさぼ
まさぼ」と同じことをくりかえし、くりかえし
いっている。私は気が狂ったのかと思ったりした。

命日2 

July 29 [Tue], 2003, 20:02
少しばかり勉強をしていると
母がかえってきました。剛司は母のいうことは すぐ
きいてとてもすなおでしたので、母はパインをおみやげ
にもってきて「剛司は」といいました。
私は「敏雄と泳ぎにいったよ」といったので母は少し
心配そうに「おぼれなければいいのに」と
いいおわらないうちに父の工場の前の家の子供が
「おばさん、おばさんちの剛司泳ぎに行った」といった
ので「うん」と何げないようすで答えました。

ところがその子供はあわてたようすで「今ね
さんばしの所でおぼれて死にそうよ」というのを
きいたとたん、私はどうしていいのかわからず「母ちゃん」
といいました。母はあわてた様子でその子に、
「うちの父ちゃんにいってきて」といったのでその子は
自転車にのってとばしていきました。母はすぐ洋服を
着替えてつっかけをはいて外へでました。
父と敏雄のお父さんが自転車をとばして下へ
いきました。母は走っていきました。

私は家に残りました。由美子は笑って、「ねえ
にいにいがおぼれたて」と由紀ちゃんにいいました。
私はおちつかず家を歩きまわりました。鏡を
見ると顔色がなく気持ちの悪い色でした。

隣近所のおばさん達が私の家の前でガヤガヤ
話をしています。私は仏壇にせんこうをたてて
「神様、どうか弟を救ってください」と一生懸命
に祈った、「もし弟が死んだら私の責任だ
いや絶対に死ぬもんか」二つの考えが私の頭の中
をかけめぐる、死ぬという考えが私の頭では
死なないという考えにかって満ぞくしているようだ。
それでも私は死ぬという考えを否定した。

もし死んだら、この世に神があるのかと私は
思った。私が二年生の時、弟の一男がなくなった。
剛司まで神がさらってしまったら母は何を
たのしみに生きてゆくのであろうか、、、、
神様、神様、  私は心の中で神ばかりを
頼りにした。子供達が「死んだてよ」と
表でさわいでいる。私は「絶対に死ぬもんか」と
思いながらも、涙がわきでてくる。

命日1 

July 29 [Tue], 2003, 19:56
7月10日は剛司(まさし)兄の命日でした。
これは、42年前に明美姉が書いた文です。

七月十日なんで私がこの日を忘れることができましょう。
弟と親せきの子を一度になくしてしまうなんて、
どうして私たちは不幸なんでしょう
もしこの世に神様がいるとしたら
どうして私達だけを不幸にするのでしょう

その日は試験だったので私は早く帰りました。
弟はいつものように家でるす番をしていました。
私は「ひるねをするから どこにもいきなさんなよ」といって
ひるねをしようとしたが なかなかねむれません
そこへ隣の由紀ちゃんが来たので話しをして遊びました。

私はその前に、二階へいって、かんじ兄さんや敏雄たちと
話をしました。かんじ兄さんが不祥という字を覚えなさい
といいました。私は「そう」とだけいって本をよんで
いました。そこへ弟が上がって来て話をしてるうちに
「泳ぎに行きたいね」とだれかがいったので剛司(弟)も
「いくか」ということで剛司が「かんじ兄さんいかない」と
いうと かんじ兄さんは「いかない」 「あさってなら
いくよ」といいました。

剛司は「あさってなら学校からの
水泳よ」といいました。話はそこで終わって私は
下へおりていきました。剛司は女よりもいろんな
所へ気がつく方で、やがて断水するはずだからと
いってお米をといでコンロへかけて「ねえねえ(姉さん)
五時になったらコンロへ火をつけてね、ぼくが
忘れたらよ」といいました。私「うん」と答えました。

それからしばらく立って剛司が「泳ぎにいってもいい」
といったので 私は母がいないので「わからんよ」と
いったら剛司は、「いくよーねえ」とせがむ
ようにいいました。私は敏雄もいっしょだからと思い
「うん、早く帰っておいでよ」といいました。
剛司はよろこんで敏雄に「いこう」といいました。
敏雄が「タオルは」といったので剛司は「んで」と
敏雄のもっているタオルをゆびさしました。私が
「お前はもっていかん」といったので剛司は「ぼくも
もっていく」といったので私は「そうさ」と答えました。

剛司は今年 はじめて泳ぐのでとてもうれしそう
でした。私は登野城にいた時の家の海の方
で泳ぐと思っていたのにまさか桟橋で泳ぐとは
思いませんでした

(無題) 

May 23 [Fri], 2003, 9:43
親島の芸能を満喫

会場も全面禁煙に

東京竹富郷友会


 【有田静人東京通信員】場内を全面禁煙にした総会が大好評を得た−。うつぐみ
の心を東京に集結した東京竹富郷友会(国吉英男会長)の第78回総会が11日、神奈
川県川崎市中小企業婦人会館で催され、総勢130人を繰り出して親島の芸能を披露し
た。
 全面禁煙は、12組織の中でも初めての試み。こうした思い切った行動は、他の郷
友会役員から評価された。
 当日は、文化庁や郷土史家、竹富ファン、そして親島の石垣、那覇、高知、大
阪、長野、宮城県の各地から約500人が出席、熱気に包まれた。その原動力は、国吉
家一族のパワーだった。
 会場には、大野隆志写真家が取材した「種子取祭などのパネル展」や上勢頭芳徳
町並み保存調整員事務局長提供の「史資料展」などが総会に花をそえた。
 総会では、平成14年度の活動報告、会計報告に続き予算案、事業計画案などが承
認されたほか、2005年には創立80周年を迎えることから記念事業を成功させよう−
と誓い合った。
 開会に先立ち、国吉会長はイラク戦争、北朝鮮問題や長期化する不況などの国際
情勢に触れる中で「こういうご時世ここ“うつぐみ”の精神を発揮し、乗り越える
時。親島の芸能を見て、触れ、不況を忘れて下さい」とあいさつ。
 続いて、内盛佳美竹富公民館長が公共事業など近況報告。そして上勢頭芳徳さん
は「過疎化が進む昨今、10年連続人口が増え続けるのは竹富だけ。竹富島と西表島
が近い将来、世界遺産に登録されるだろうと報告した。
 祝宴は、「掃除かち節」で座を清めると国吉家一族10人の地謡をバックに会長夫
妻の「かぎやでぃ風」で力強く座開き。「しきた盆」「世曳き」「真栄節」と続
き、圧巻は、三世美女16人による「ジッチュ」。日体大生の「ダブルタッチ」(縄
とび)。フィナーレは巻き踊り(クイチャー)。浅草の三社祭りをよそ目に、初夏
の1日を心ゆくまで楽しんだ。


国吉ファミリーによる座開き「かぎやでぃ風」


(無題) 

May 23 [Fri], 2003, 9:33

東京?沖縄? 

May 09 [Fri], 2003, 21:54
今日おばあちゃんが上京してきた。
毎度の事だけどおおしんかだ〜

でも、一人でも欠けたら嫌だから
嬉しいことだ(^^)

今夜はうるさいよ〜
東京は大揺れだ〜

もう、明日しか練習できない
こうしてる時間は無いのだ〜;;
三味線、三味線
その前にひざまづきが辛い^^

GW終わった 

May 09 [Fri], 2003, 8:24
GW終わって良かった
さ〜〜今週は三味線デイ!
寝ても冷めても三味線
それくらい大好きにならないと
いけないのだ。

なんせ、おばあちゃん達姉妹9人
を前に披露するんだ

ひぇーーービビルゥーー
、、、てことのないように心臓を鍛えたい(^^

命日。 

May 07 [Wed], 2003, 12:40
昨日はおじいちゃんの命日だった。

今日みたいな五月晴れの日で苦しい空を見ていた夕方
夕日はやんわりとビルの横を覆っていた

なんだか家に帰りたくないと思って、、、
スーパーの2階の電話の前でずっと『あと5分待とう』と
何度も言い聞かせて受話器を握る・・・

そうしが電話にでておじいちゃんがね、、、、
その声は普通にはっきりと聞えた

なぜ早く家に帰らなかったのかと後悔したような 
もっと遅く知ってたら 沖縄行きを迷わず明日の朝にしよう
・・・と決められたのに

こんな夜が来るのが長かったのかと思うくらい
暗くならない夜眠れない夜だった

喪服を持って行くのをためらわない自分がいやだった
夕食やら明日の弁当やらを作ってる自分がキライだった
ダダッ子のように泣けない自分が悲しかった
最後に会ったのはいつだっけと考えている自分も冷たく思えた

ゴールデンウイーク3 

April 26 [Sat], 2003, 12:04
突然の知らせのその日は、なかなか家に帰りたくなくて
仕事が終わってもなんだか、スーパーでだらだら
買い物をしていたな〜。

そうしが友達と家にいたんだ。
もう帰ったかな〜と思い家に電話をしたら、
おじいちゃんのことで石垣に電話をするように、、て、
・・・・もう、なんて聞いたか覚えてないけど
やけにそうしの声は大きく聞えてた。

すぐ、家に帰ったて母に電話が通じるわけもなく、
亀井のあばちゃんが常に待機してくれて、、、そっちへ電話をする。
様子はわかったけど、今から沖縄へ行けるわけもなく
行けても、石垣に着くのは明日になる。。。
どう急いでも、どうにもならず、子供達はどうする。
あー頭おかしくなる、、、

また、こやって考えるだけで時間が過ぎるのを待ってる。
それにしても、こんな時にちっとも力にならない我が夫!
その夜、いないのはしょうがなくても、それを一大事に思えない
感覚を疑うな〜。
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