-DREI- 

2005年04月10日(日) 19時55分
8月。まだ暑さは続いていた。
この街には8月に結構大きな夏祭りがある。私はお祭りに出ることにした。
お祭りの練習中も矧とのメールは欠かさなかった。
どんなに夜遅くなろうとも矧は私からのメールを待っていてくれた。
だから、私もどんなに遅くなっても送った。
弓弦ともメールをし始めたのはこの頃だ。其の時は弓弦は良いお兄ちゃんって感じだった。
実際15コも歳離れてたから、そう思ったのかも知れない。
弓弦とのメールはふざけも無かったし、部活の話題位しかしなかった。
其れが当たり前だと思ってた。
一方、矧とのメールにはお互いにふざけて
「矧、好きだよvv」とか「昧愛してるvV」とか平気で打った。
抵抗も感じなかったし、本当に矧を好きだった。でも、恋愛感情はこの当時無かった。
夏祭り当日。私は祭典区の浴衣だった。
お祭り1日目に矧からメールが来て、メールの内容は「一緒に夜店見に行かない?」だった。
私は喜んですぐに「いいよ。」と返事を打った。
夜店を回りながら
「付き合ってるって云われたらどーする?」なんて訊かれた。
だから、「噂は噂。」と流して置いた。
だって、其の時私は特に矧に恋愛感情を抱いては居なかったからだ。
好きだけど、LIEBEでは無かったからだ。
それに、部活の先輩が矧のコトを好きだったから、其の先輩を裏切りたくは無かった。
たったそれだけのコトだった。
そして、其の頃から私と矧のメールの内容はエスカレートしていった。
「好きだよ」から「愛してる」へと。
同時に、この頃、来年8月の矧のアメリカ留学の知らせを聞いた。
矧はまだ此処にいるのに、何か淋しかった。

-ZWEI- 

2005年03月21日(月) 21時31分
7月。この地方には珍しい程夏は暑かった。
この頃から私の親は良く喧嘩をするようになった。
私は誰かと繋がっていたいと強く願うようになった。
私は、学校の夏期講習に申し込んだ。英語と数学に申し込んだ。
矧も同じ講座を申し込んでいた。
講習が終わったら涼しくなる時間まで部室に居た。
さとみに歩、それから矧と私。たまに桃が居た。
そして、その部屋の管理人と云っても過言じゃない弓弦はいつも隣に居てくれた。
思えば、この時何故弓弦の存在に気付いていなかったのかが不思議な位だ。
メンバーが集まった時に良く話したのはやっぱり恋愛の話だった。
メンバーは女の子が断然多かったけど、色んな意見を持ってる女の子居たし、
特に脳内ショッキング・ピンクのさとみの意見は色々な意味で凄かった。
私は、さとみの意見を聞いて、「この子とは合わない」と本能的に感じ取ってしまった位だ。

-EINS- 

2005年03月01日(火) 19時04分
私は矧のコトをあまり詳しくは知らなかった。
小学校も中学校も一緒だったのに同じクラスになったコトは無かったし、
特別付き合いも無かった。
唯一の繋がりは矧が私の腐れ縁・萌絵の幼馴染だった位だが、
それも小学校低学年までの話だった。
矧に近づき始めたのは高校に入ってから。
矧は私の所属する部活に7月になってから入ってきた。
其の当時、部員として最後に入った私は、
先輩にも先生にも可愛がられてた。
だから、矧が入ってきて思ったことは「私は最後の部員じゃなくなった」だった。
其れ以外は特に感じなかった。
機械技術を担当してる私は本当に先生に可愛がられてる。
でも、やるべき仕事は凄く多かった。
1人しか機械技術担当が居ないからだ。
矧が入ってきて、矧も機械技術担当になって私の仕事は20%位減った。
簡単な仕事は矧に回る。其の分、難しい仕事に集中出来た。
夜が遅くなることもあったから矧と良く一緒に帰った。友達として。
矧とは良くメールした。他愛も無い話題だったり、相談事だったり。
そんな矧との時間が其の当時は凄く好きだった。

-NULL- 

2005年02月19日(土) 22時02分
ブラック珈琲が大好きな私。
そんな私、三柴昧に
貴方は良い思い出を残して嵐の様に去っていきましたね。
此れは、私から貴方へ送る言葉です。文字の羅列です。
でも、読まれるコトは無いでしょう。
ね?…矧。

27・28・29 

2005年01月30日(日) 11時45分
「待ってるぞ。」
「待ってるね。」
たった一言がこんなに重いとは知らなかった。

[28]
昼でも夜でも頭が真っ白だった。
氣付いたら腕が真っ赤だった。
慌ててたケド、ボーっとしながらメールした。
「せんせい、痛い。」

すぐに返って来た返事は
「痛いって?」。
だから
「腕がまっか」。
送ったらすぐに電話が鳴った。

赤血球やら白血球を戻すトコを浅く傷つけてしまってて、
右手がまともに使えなくて、幸い薬は飲んでなかったから意識飛ばなかった。

話してる内に日付が変わってた。
思ってみれば、話訊いてもらいながらひたすら泣いてた。

あの人は
ODのコトも・癖のコトも・原因のコトも全部々々解ってた。
「逃げ道作るのは悪いコトじゃない。
でも、逃げ道作る方向間違ったな。」って云われた。
最初の方は本トにパニック起こしてたから言葉殆ど覚えてない。
ドクドクドクドクと
自分の中から赤いモノが出てった反動の様に
痙攣が始まる。
赤いモノは止まったのに 痙攣だけが止まらない。

今まで泣くコトを知らなかったかの様にだたひたすら泣いた。
我慢しようとして泪を止めようとすると
「我慢するな。」って言葉が来た。
何か酷いコトを云われた訳じゃなくて、
云ってるコト合ってるから・自分が甘えてるの良く解るから・
あんな優しさ降ってきたから。

川村センセからも電話が来た。
長い時間話訊いてくれた。

何だか人が怖い。
でも、皆最後には同じ言葉を云ってくれる。

「いつでもいいから辛くなったら電話しろ。遠慮とかいらねーから。」
「誰でもいいから電話でもメールでもなさい。落ち着くまで話訊いて貰いなさい。」

「月曜、待ってるからな。俺は待ってるぞ。」
「月曜日、待ってるね。」
待たれてると云うコトが・待ってる人が居ると云うコトが
こんなに嬉しくて・辛いコトだとは思わなかった。

言葉がこんなに重いと思ったのは初めてだ。
悩むコトは・泣くコトは
とても贅沢だ。

見つかりません。 

2005年01月18日(火) 22時01分
此処はワタクシ「椛」の闘病生活日記です。
鬱病とか、、、
色々御座居ます。更新が不定期になること請け合い。
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