2011年 加古川マラソン 3.動かぬ脚に己の矮小さを知る。
22kmを通過し、走りへの意気込みを新たにしたぼくの前に、
例によって最大最強の敵が現れた!
強い便意の登場である。
便。
その香しきもの。
普段であれば、オフィスから飛び出して、
トイレに駆け込めば、本能的、必然的に出会える生涯の伴侶。
「会いたくて。」
そんな言葉に象徴されるような、定期的な1日/回の排便は、
ぼくにとって、爽やかな朝のはじまりを告げる教会の鐘のようなものである。
だが、しかし!!
何故、今なのだ??
ぼくは便意をこらえながら、
黙々と走った。
とてもじゃないが、走りに集中できる状態ではない。
臀部の違和感は、ゆっくりと脳内を侵食あい、
やがてぼくは「便」に首っ丈の状態になっていた。
するとじわじわペースが落ちてきた。
自分でも、走りに集中できなくなっているのがひしひしとわかる。
「まずいな……。」
ぼくは実感した。このままではマラソンに集中できない。
これは再びトイレに駆け込むしかない。
急げ!そしてトイレへ駆け込め!
すると、すっ、と後ろからぼくを追い抜いていく小さな影があった。
それは見覚えのある影だった。
―――爺!!
ぼくはその後姿で直感的に判断した。
マラソンにおいて、爺さん婆さんほど恐ろしい存在は無い。
彼らは、その顔に刻まれた深い皺が物語るように、
圧倒的な人生経験をつんでいる。
まさに己の人生の縮図のようなこのマラソンの場においても、
冷静沈着な判断力と、常に一定のペースを保ち続ける持続性をフルに活かしている。
走りのダイナミックさこそ無いにすれ、
それを上回る圧倒的な継続力によって、勝利を手にするダークホースだ。
特に今ぼくを抜き去った「爺」は、
先ほど一番最初のトイレに駆け込んだあたりからぼくがずっと目をつけていた武士だった。
加古川マラソンは、途中で折り返し地点があるのだが
その折り返し地点から戻ってくる先頭集団(登録選手)達が、
次々にこの爺に向かって敬礼をするのである。
「がんばってください!」とか、
「○○さん!」とか、
崇敬の念をこめて挨拶をしては、風のように走り去っていく登録選手達。
この爺は只者ではない、と判断したぼくは、
一回目のトイレのあと、
爺の背後にコバンザメのように張り付いて走ることにした。
だが、ぼくのペースのほうが速かったため、
15km地点くらいでちぎって先にいってしまった。
ぼくは再び自分のストライド、自分のピッチに戻り、
「もう、二度と会うことは無いでしょう。達者で。」
と心で念じて、抜き去ったのだ。
だが、その爺が、再びぼくの目の前に現れた。
今か!
爺よ、今なのか!!
こっちは、便意でそれどころではないというのに、
爺は残酷なほどに勝負をかけてくる。
ぼくといえば、必死で爺についていくので精一杯だ。
そして30km地点にやってきた。
ここまではなんとか爺についてきていたぼくだが、
いよいよ体に異変を感じ始めた。
脚がどんどん重くなっていく。
まるで錘をつけて走っているかのようだ。
25kmくらいから違和感を感じ始めたが、
それが徐々に脚全体に広がっていく。
まるで凍りつくかのような硬直感。
もっとも恐れていた事態。
脚の限界に達してしまったのだ。
幸い呼吸は乱れていない。意識もはっきりしている。
しかし、あまりにも不思議なことに、脚だけが動かない。
痛み、というものではない。それすらも感じない。
ただ、動かない脚。
まるで丸太になったようだ。
その丸太を前後に動かすことによってぼくは前に進んでいる。
不思議な感覚だ。
爺がどんどんペースを上げていく。
いや、そうではない。
ぼくのペースが落ちているのだ。
その証拠に次々とランナーに抜かれていく。
嘘のように順位とペースが落ちていく。
先ほどまでの走りはどうしたというのか。
そしてついにぼくは爺を見失ってしまった、
彼は、いや、彼と共に走る一集団は、
同じペースで彼方へと消え去り、
後には便意に悩まされるアラサー男子だけが取り残された。
その後、トイレに駆け込んだぼくは、
失望と絶望まま、残りの8kmを走らなければならなかった。
走りに対する絶望ではない。
トイレに駆け込んだことも後悔はしていない。
それよりなにより、己に対する失望であった。
30km以降の脚の硬直はいかんともしがたい。
一体他のランナーはどうやって鍛えているのか?
実は、鍛える鍛えないという問題ではないのではないのか?
「才能」の違いなんじゃなかろうか?
人は生まれながらにして、筋肉の組成が決まっているという。
持続力の長続きする筋肉(赤筋)、
パワーが瞬間的にだせる筋肉(白筋)、だ。
実は、今こうやってぼくを抜いている人たちは、
ぼくとは異なる筋肉の組成なんじゃないだろうか。
それならば、ぼくはどうやってもこの人たちに勝てないんじゃないだろうか。
ぼくには、巨大な夢がある。
自転車冒険家として活動し続ける今、
次なる目標は、圧倒的な持続力が試される最強の舞台だ。
その舞台にぼくが挑むことに何の意味があるのだろう?
ぼくである必要性はなにがあるのだろう?
今こうやってぼくを抜き去っている人々がいるのであれば、
彼らが挑んだほうがよい結果が残せるんじゃないだろうか?
悶々とした気持ちが膨らんでくる。
脚もパンパンに膨らんで、もはや動くか動かないかの状況だ。
ぼくの脚はこれ以上動かない。
静かな悲痛に包まれていると、いつの間にやらあと1kmであった。
ゴールは唐突にやってきた。
視界の向こうに加古川マラソンの巨大なアーチがみえる。
それが徐々に近づいてくる。
あっけないほどの幕切れだった。
ゴールと共に、タオルを女子高生にかけてもらい、
(絶望に包まれて走っていた非リア充の若人達はここで昇天しただろう)
男子高校生にポカリスエットをもらった。
ゴクゴク飲んだら実にうまかった。
記録は、3時間20分。
自己ベストから20分弱も差があるが、個人的には満足している。
呼吸器は最後まで乱れなかったし、
足の裏にはまめひとつもできていなかった。
来週からのベトナム戦にダメージを残すことは一切ないだろう。
これが一番の収穫だ。
前半も後半も、トイレばかり考えて走った加古川マラソン。
後半は自分の脚の限界を実感し、
同時に旅のことについてもゆっくり考える時間を与えてくれた。
脚の持続力を伸ばさない限り、
後半の追い上げはきついことも判明した。
これからの自転車の旅では持続力も必要になってくる。
マラソンにかこつけて、そのあたりを学んでみるのもいいだろう。
家に帰って、お風呂に浸かれば、
ほっと、今日の走りが思い出されて、
なんともいえぬ満足感を得たまま、ぼくは深い眠りに落ちた。
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