1997' 2/21 (金) 深夜 3 時近く。 

February 21 [Fri], 1997, 3:00
到頭シンガポールに着いた。

今はもう水シャワーもすんで寝るばかりとなっている。

天井ではファンが回っている 外は雨だ。

薄暗がりの 4 人一部屋。カトリセンコウもある。

サンディズ・ニュー・プレイスはとても居心地が良さそうだ。明日の朝ご飯もただでもらえるらしい。

飛行機を 7 時間も乗ったのは初めてだったが、隣人を選べば快適な空の旅となるのである。

北浦和在住・国家試験を控えた 28 才女性に(仮名 A 子)色々な世界話(世間話ではない)をしてもらい、たいくつはしなかった。でも、旅の友は真の友ではないのである。彼女とは、イミグレの前にはぐれてしまった。

A 子と北浦和ミスドで再び出会うことはありうるのか?

予定通り(23:59)チャンギ空港へ着き、タクシーを拾い、Mr. TAN に色々と世話になりながら(テレカをかりて、宿へ Tel をしたのである。)サンディまでたどりついた。

サンディ・・・奴はナイスガイだ。背も高め。

明日も雨になるのだろうか? ラッフルズには雨がつきものである。でも雨では困る。旅人の私達だ。

ふと、日本のもろもろを忘れて旅人になりきっている自分に気づくのもいい。これが旅情というものなのだ。もう寝る。

1997' 2/22 (土) 深夜 1:26 

February 22 [Sat], 1997, 1:26
夢 : サンディ登場。大変びびる。

早くもシンガポールで自らの貧乏加減にガクゼンとする。

朝 7:30 にフルーツのブレックファーストを採り、勇んで両替へ。2 万円が 115SD×2 になった。

が、ラッフルズホテル(ティフィンルーム)のハイ・ティー代と、サンディー' ルーム代で、230SD はすっかり無くなった。本当(マジ)に無くなってしまい、エアコンバスのお金も足らず、予定していたセントーサ島のミュージックファウンテンは中止の運びとなる。でも明日はいく。

昼間はカッページ = センターで『ダンダンヌードル』なるあえ麺を食べる。3 ドル。とても好吃しかも安い。又便宜又好吃。安く食べようと思えばそれも可能なのだ。

カッページ = センターでは、大宮在住の高校生ユウコちゃんとやらに声をかけられた。マレーシアの知人一家に連れられて、シンガポールへアソビに来たという。すっかり話がもりあがる。マレー人パパが、「色々と車で連れていってあげるぞ」というアプローチをしてくれたのだが、ハイティーの予定が入っていたので泣く 2 お断わりした。住所を交換し、写真をとって別れたのだ。

ラッフルズへ行く前に、夢のようにすさまじいスコールに降られつつマーライオンを拝みに行った。奴はやはり魚だ。

道端で食パンにはさんだアイスクリームを食べ、地元ブランド店を冷やかしつつまた街をゆく。ここは都会だ。

ラッフルズは素晴らしかったが、貧乏人のゆく処ではない。

1997' 2/23 (日) 深夜 0:34 

February 23 [Sun], 1997, 0:34
恋に落ちた。

あまりに久しぶりの恋なので大変とまどっている。

彼はサンディの家の使用人らしき(?)人で、背中というか肩の辺りにクールな Tatoo もんもんをしょっている。とってもハンサム。声もいい。朝食の時、『Tee or Coffee?』ときいてきた。手脚が長くて、サンバーンの肌である。超好み(ハート)

ただ、一つ問題がある。

タケノウチノリコさんも彼をねらっているのだ。

彼女は、彼に Tee を注いでもらっている間、鐘が鳴ったそうだ。なんとかして彼女をだしぬかなくてはならない。

やはり・・・夜ばいか?

そういえば今日はセントーサ島を満喫してきたのだった。

海、つり橋、フェリー、マーライオン、ミュージックファウンテン、フライドホッケンミー、ヤオハン、バス、長歩き、フライドクワイテオ、はき慣れないサンダル。色々楽しかったが、やはりマックスグッドなのは、あの名も知らぬにいちゃん。

もしもこれが、運命の人だとしたらどうなる? 彼とはもう 2 度とあえぬのか。そりゃ困る。

今夜はまちがいなくにいちゃんの夢を見るだろう。

もう寝る。夢で夜ばいする。明日はマレーシアだ。

1997' 2/24 (月) 10:40 

February 24 [Mon], 1997, 22:40
またしても恋に落ちた。

シンガポールから遠く離れ、今はマラッカの宿にいる。

夕食をとりに出た帰り、KOBAN でポリスマンに声をかけられた。ポリスマン・・・お巡りさんにあたくしは弱い。

彼の英語はあたくし達ぐらいブロークンだったが、帰りの道や、道路事情を教わり、挙句のはてに写真までとってバイバイしたのだ。

「See you again」とお巡りさんは言った。アゲイン・・・何という甘いお言葉だ。

もんもんを背負ったにいちゃんとは、結局一枚も写真をとれなかった。残念だがあたくしには次の恋があるのさ。いいさ。

(ちなみにタケノウチノリコさんはまだもんもんのにいちゃんで鐘が鳴っているらしい。)

一都市で一人ずつ恋が芽生えるとは・・・あたくしもナカナカの者である。

ところでバイザウェイ、今日は J・B でサルタン王宮を観た。日本の迎ひん館がハナクソに思える迫力だ。

だが、徳川家ゆかりの秘宝はどれだかわからずじまいだった。そして長距離バスでマラッカへ。バスは意外に快適でラクチン♪ 夕食はニョニャ料理。チェンドールアイスカチャンというデザートを食ったが・・・太好吃了!! 外見はゲキブッキーだが、んまい!

お腹はちょっと不安だが、まあいい。もう風呂に入る。

1997' 2/25 (火) 9:30 

February 25 [Tue], 1997, 21:30
マラッカも今よい限りだ。

今日は朝からフル稼動だった。

朝食は宿でインスタントラーメン。中華街を進み、ツーリスト・インフォメーションに寄る。フェリーのチケットを買い、マラッカ川クルーズへとの運びになった。

川は緑白色ににごり、よどみ、所々で強く臭う。川の両岸では、古い中国系の建物、色とりどりの花々は絶好のビュー & ピクチャーポイントとなる。そこは『ラ = マン』のショロン地区の様だった。

その後、St. ポール教会を巡り、サルタンパレスへ。そこで、SHURIF(F) という管理員の人と知り合いになった。彼は大変気さくでフレンドリーで、何枚もの写真を撮った。

彼のケータイの番号を教えてもらったので、K.L. で Tel するかもしれない。「タイ人はマレーシアンとは違うから気をつけて」と言われた。彼はナイス = ガイだ。

その後、全く英語の通じないバスで、St. ジョーンズ些へ。白昼夢のように暑く、すぐに夕陽の見える場所へと移ったのだった。

そこは海へ向かってつき出た桟橋で、浜辺では少年が釣りをしていた。釣り人は他にも結構いた。私達は買ってきた水やお菓子を食べつつマラッカ海峡へ落ちゆく夕陽を眺めたのだった。やっと沢木耕太郎においついた。

私達はマレーシアに来てから大勢の人に助けられてここまで来ているのだ。夕食は宿の下の食堂で食べた。明日は K.L. だ。

1997' 2/26 (水) 9:40 

February 26 [Wed], 1997, 21:40
K.L. のとある安宿でこれを書いている。

今夜のこの宿は、今迄とは違い本格的なゲストハウスなので、とまどうことも多い。もちろん No A/C 。

9:00 のバスでマッラカを後にし、11:30 にはもう K.L. のプドラヤバスターミナルに着いていた。全くマレーシアという国はバス網が発達している。だが、それも今日迄のこととなるだろう。

白亜の K.L. 中央駅で、マレー鉄道のチケットを買ったからだ。K.L. 10:00PM 発 B.W. 行と、2:00PM 発 B.K. 行。バターワース迄は A/C のスリーピングシート。こいつはラクチンだ。

が、バターワースからバンコクまでは、2 等のファンでシート。まあバンコクの後はピピ島なので頑張りも効くだろう。

とにかく、明日の夜はもう K.L. を発ってしまうのだ。今日のうちに、観光スポットの官公庁と旧モスク、中華街はみて回ってしまった。明日はもしかしたらマラッカで出会った SHURIF 氏とあちあって、食事の一つもする予定でいる。サティしゃぶしゃぶとビールなんかいいのではないだろうか。

今日の街歩きの途中で、K.L. 中央駅に寄った時、突然のスコール(夕立ち ?)に逢って、しばらく脚止めを喰った。ホームはガラーンとして激しい雨と雷鳴ばかり響く。美しいマレー女性が歩いている。私達は彼の地に来て、芥川龍之介や谷崎潤一郎、宮本輝の話をしていた。

今、宿の外では、クラクションとエンジン音が響いている。天井ではファンが回っている。私は独りで日記を書く。明日も早いのだろう。

1997' 2/27 (木) 11:16 

February 27 [Thu], 1997, 23:16
ついにマレー鉄道に乗った。

今、このページをスリーピングシートの 2F 席で書いている。窓から見える景色は真っ黒だ。こんな時はもう異国も海外もない。

「こんな闇夜の中をゆくときは

列車の外はみんな水族館の窓になる」

宮沢賢治の詩の一節に同じことが書いてあった。

クアラルンプールを後にし、マレー鉄道はぐんぐん北上する。先ずはバターワースで一旦停車し、半日の後で又 14:00 発のバンコク行へ乗りかえる。

今日は一日、名残り惜しい K.L. の街をねり歩いてすごした。安宿で、買ってきた朝食のクッキーを食べ、ハガキを出すために G.P.O. へ。それからインド人街に往き、近くの青空食堂でナンとマトン & チキンカレーの昼食を取る。裏通りのとある店で働いているというインド人の青年とお喋りしつつ、皆たいらげた。生のスイカジュースも飲み干した。マレーシアでの食事は何故か皆おいしい。

マラッカで出会った SHURIF 氏にコールしたが、都合があわずドタキャンとなってしまった。急に OFF となった時間をつぶしに、あちこち歩き回って最後の K.L. を楽しんだのである。到頭サテーは食べられなかったが・・・。

夜、市庁舎付近でライトアップを待っていたが、20:00 を回っても鐘が鳴っただけ。がっかりしたが、まあいい。クアラルンプールの街は、美しい。明日も早いのでもう寝る。

1997' 2/28 (金) 

February 28 [Fri], 1997, 22:45
早朝にバターワースの駅に到着する。マックス蛇が多く、イライラするが蛇とり線香で対抗する。

朝の駅ホームで、何人ものマレー人に声をかけられながらハガキを書いた。

バターワースは海をはさんだペナン島のジョージタウンの「おまけ」みたいな処で、私達もハガキを書き終えるとすぐフェリーに乗って移動した。

バスに乗り、街一番の展望台へ行く。10 時のスタートをぼんやり待っていると、一人の女の子に出会った。彼女の名前はドゥーン。マレー語と中国語、片コトの英語で私達とお喋りを始めた。

はじめ私は、彼女を新手のガイドだと思っていた。だが、2 時間程たち、ヤオハンの中の食堂で互いの住所を交換する頃には、彼女に対し、「疑ってしまったことへの後悔」がいっぱいになっていた。彼女は私達をヤオハンの中の日本書店へつれていってくれた。走る走る走る。ヤオハンの中をあんなに全力しっ走した日本人は私達だけだろう。

ドゥーンは最後に私達と一枚写真をとると、帰りのバス停まで案内してくれた。再見! 再見! と手を振って別れた。

3 等列車の IE はものスゴイ乗り物だ。

私はフェリーから眺めたジョージタウンの街並を遠く夢のように感じながら、騒音と熱風と震動の中マレー鉄道に乗っている。国境もこれでこえる。

明日はバンコクだ。

1997' 3/1 (土) 

March 01 [Sat], 1997, 22:47
マレー鉄道をようやく降り、昨夜車窓から眺めた星空をまぼろしの様に感じながら、バンコク中央駅ファランポーンステーションに足を着く。とうとうバンコクだ。

両替をし、宿を Tel で取り、いつもの様に移動を開始する。先ずはトゥクトゥク。中原中也似の運ちゃんは、山の様な荷物と私達を、あの小さなトゥクトゥクにおしつめてバンコクの街を猛ダッシュしてくれた。気づくと、すぐ横を走るバンコクっ子達は皆笑っている。笑いたくもなるだろう。気をぬくと落ちそうなくらいぎゅう 2 づめだった。

とにかく宿につく。結構驚いたことに、宿はあのパッポン通りのすぐ脇だった。

部屋は大変きれいで、バスタブも A/C も温水シャワーも出た。私達は狂ったように洗たくをしたのだった

サンディの家以来のお湯で体を洗った私達は、久々にさっぱりした心地で、久々の、二度目のバンコクの街へ出た。又もトゥクトゥク。カオサンロードで明日のピピ島移動の手配をした。カオサンロードは白人でいっぱいだ。皆バティックを巻いている。とても歩き易い。

その後で又しても久々のイセタン & そごうへ。ワコールの下着を買いだめする。買い物はいい! 明日はコットンハウスに行く! 特にナコは目をたらして喜んでいる。

夜はピザを食べた。地図を読みまちがえてえらく歩いたが、大変うまい。帰りはタクシーで帰った。バンコクは年々都市として整備されているようだ。安全なことこの上ない。

1997' 3/2 (日) 

March 02 [Sun], 1997, 22:50
朝一でマンハッタンホテルのコットンハウスへ行く。じゅんこもたけちゃんもなこも目を血走らせて買うわ買うわ。私も目あての下着ケースを手に入れてほくほく。買い物はいい!!!!!

マックで昼食。こっちのマックはちっともファースト・フードではなく、しかも高い。でも久々のマックに舌鼓を打つ。

その後でタワーレコードへ行き、ばなちゃんへおみやげの CD を買う。多分、これだろう。スカパラのタイ版 CD ・・・。

最後のタクシーでカオサンロードへ。車中、タイ人の運ちゃんにしつこく Tel 番をきかれた。奴はハンドルをはなして紙に書こうとするから恐ろしいことこの上ない。仕方ないので日本の電話番号を書いてやったら、タイの Tel 番を書けという。

あのなー 私達はツアリストで在住者じゃないんだよ。

とにかくカオサンロードに着く。残り少ない時間で、バティックを買った。私のは地味め。紺色に、オーソドックスなアジアン模様が入っている。日本でも(家でなら)着れそう。

バスはマレーシアのバスよりは大分劣るが、IE のマレー鉄道に比べると天国のようだった。A/C もきいている。

が、私はその日生理になってしまい、タンポンは入れてあったもののほう和状態。しかもかえのタンポンは手元になく、途中やっとバスの停まった休喫所で、タイ人のおっちゃん(売子はん)から J & J のナプキンを買ってことなきを得たのだった。その後で、おっちゃんの視線が恥ずかしいこと恥ずかしいこと。もうイヤーン。

バスは走る。懐かしい縦立ちの蛍光灯が光る。もうすぐピピ島だ。