年の差カップル 

July 11 [Sun], 2010, 10:45
先日、友達の誕生日会だったのに、気分が悪いと嘘をついて途中で帰ってしまった。
実際気分が悪くなったってのも少しあるけれど、それは女友達の一言が原因だった。

「先週、職場の人たちとBBQしたんだけど、上司が10歳くらい若い奥さんを連れてきてて、それがすごい気持ちが悪くてさー」

という何気ない一言を聞いて、なんだかこっちのほうが気分が悪くなった。冗談じゃなく脂汗か冷や汗みたいなのがドっと出てきた。
私は年上が好きでたまらなくて、一番好きなのは40代。30歳以上年上と付き合ったことも。
ちなみに、私は現在25歳だが、年の差についてまったく気にしたことはない。
彼女もそれは承知していたはずだが、まあうっかりポロリと本音が出たといったところだろう。
「ごめん。貧血っぽい」
と嘘をつき、女の子3人を残し、彼氏に車で迎えに来てもらった。まあ、なんだかとにかく悲しかったんだ。

助手席のシートにもたれ、私は年の差について考える。
私の趣味趣向は置いておいて、そういえば世の男性たち、紳士もそうでないひともおしなべて若い女が好きである。
本能的なものと言われているが、動物界ではどうやら違うらしい。

というのも、野生動物の雄たちは出産経験があり、生きる知恵が豊富な頼れるオカン的メスを好む傾向にあるらしい。生まれた子供の生存率もおのずと高くなるだろうし、野生の見地からすれば、それは理にかなっているのだろう。
すると、若い私が経験豊富な年上を好きになる、というのは野生の公式ににガッチリあてはまるわけだし、生物学的には矛盾はなくなるかもしれない。

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一方人間界では。
40代や50代と付き合っていたころ、私は初めて年の差カップルが奇異の目で見られることに気付いた。

18歳上の男と外でご飯を食べている時、隣のデーブルでは50歳くらいの夫婦らしき二人が食事をしていた。
その御婦人のほうが、鏡越しに私たちの姿をこっそり観察している。
「視線がたまたまそこに来た」というのではなく、数十秒間にわたるあまりに執拗な視線であった。
赤の他人の不躾な視線を笑い飛ばすくらいの余裕は若い私にもあって、あとで男との戯れの話にも使った。

だが、私は思った。
年の差カップルをを嫌悪する人々の深層心理はどこから来ているのだろう?


人間社会の時代背景が原因と考えられなくもない。
若い女&若い男 もしくはその逆も金銭関係によって成り立ってきた。明治3年に制定された「新律綱領」では妻と妾を同等の二親等とすると定められていた←wiki先生より  というオドロキの事実もある。
妻が黙認している2番目の女とはいえども、嫉妬や金銭問題など目に見えぬ黒い葛藤の生まれる関係性ではあるだろう。
女子高生がウリをするのも目新しい話題ではないし、年の差カップルは「金で女を囲う年取った男」と「金目当てで近づいてきた若い女」そういう風に世間に見られてもおかしくない。

一筋で貞操観念の強い良妻賢母型な女性ほど、そういうイメージを想起させる年上男&若い女の組み合わせは嫌悪感を生むものなのかもしれない。

たしかに、「若妻を連れてきた上司キモイ」といった女友達は、強い確信を以てして、「○○歳までに結婚して、子供を産んで、年取った親の世話をしに田舎に帰って」と人生設計を決めている。知り合って間もない男性に自分の作った肉じゃがを作ってあげるくらいの尽くし型だ。


幸か不幸か、私は年上とお付き合いした時もその関係性が金銭で成り立ったことは一度としてなかった。
社会的地位はあっても、私と関係を保つためにお金をばらまくことはなかった。(私にそれほどの価値がなかったのかもしれない。)
そりゃ美味しい御馳走は食べさせてもらったことはあったが、彼らは金をばらまく代わりに私を自宅に招き、
一緒に映画を見たり、戯れたり、時には食事やお弁当を作ってくれたりした。

実際の年の差カップルって、普通の健全な若い男女と大して変わらない気がするの。
二人のことは当の本人たちしか知らない。
一見幸せそうに見えるカップルが結婚したとたん不幸になったり、会話のなさそうな二人が視線で愛をはぐくんでいたりする。

私は愛情を知った。 知恵を学んだ。 男の苦悩に胸を痛めた。 その苦悩を笑い飛ばすユーモアを見た。

次は他人の非難を気にしない強さを身につける番だ。

糸瓜と蟻 

July 10 [Sat], 2010, 10:54
夏の日差しよけに、グリーンカーテン作りを決意したのが1か月前。
2m*3mくらいの窓の外へ斜めがけの棚を設置し、ヘチマの苗を2本植える。

肥料をやることと水を絶やさぬようにすれば毎日何センチも伸びて、すぐに窓の高さまで達した。
ここからは縦に伸ばしたくないので、成長点に摘心と呼ばれる剪定を施す。
こうすると最初は一本調子で伸びていたツルが枝ヅルを伸ばし始め、横にも伸びていくようになる。
それも気に入るところまで延びたら、先端を摘心してさらに孫ヅルを伸ばすんだって。
うまくいけば、棚全体を葉で覆えるかも。

やたらと蟻がヘチマのつるの上を歩いていて、まあ蟻って嫌いじゃないし、家に侵入さえしなければ好きだし・・・
と放置してます。ていうか、毎夏家の中に入ってきた蟻が、今年は入ってきていない。全部ヘチマのほうへ流れてるのね。

ところでヘチマは害虫に強い植物らしい。確かに、虫食いの跡などほとんど見られない。
理由を調べてみると、蟻がヘチマを守ってるらしい。どうやら共生関係にあるようで、葉の裏から蜜を出し、蟻で
体中を覆うことによって、害虫から身を守っているのだとか。

人間よりしたたかだなあ、、、50:50でないと関係って成り立たないものなんだなあと思った。

無題 

May 03 [Mon], 2010, 13:17
「登場人物があなたに似てると思って」と持ってきてくれた本が2冊ある。
森見トミヒコの「夜は短し歩けよ乙女」と姫野カオルコの「ツ・イ・ラ・ク」である。
前者の登場人物は「黒髪の乙女」で、後者は主人公の「隼子」だったと思う。

二人の共通点は、酒に強く、空想的で、あまり俗世的な幸福に頓着しない様子で、一見男の興味を引くようには思えない。これが友人から見た私の人物像であるらしい。
彼女は私のことを「飄々としている」と評したこともあった。

実際の私がそういう雰囲気を持っているか、というと自身がモウロウとしているため自分でもよくわからない。

私がその二人の主人公に似ているのか否か、ということのが問題ではなく、俗世的な幸福にさほど興味のなさそうな主人公たちが、俗世的な最たるテーマである「恋愛」小説の主人公に足る素養を持っていたことが面白いと思った。この二人の少女が登場する舞台は、いわゆる「恋愛小説」であった。

私はこの二つの作品を読んだとき、恋愛の崇高な部分を感じずにはいられなかった。
それは愛を神聖視するという意味でも、肉欲を汚れとしてみるという意味でもなく、精神と肉体が両方存在したうえで魂の触れ合いが行われ、それは当事者同士にしか理解しえず、他者どうこう言うこともできない世界が確かに存在するのだという確信だった。

私自身の恋愛だって、友人たちの目には不思議に映ることが多々あるようだ。
同年代の青年に興味がなく、もっぱら好きになるのは「40〜50代の紳士」と自他共に認める「枯れ専」だ。
見た目が地味なくせに、遊び歩いているものだから、あからさまに軽蔑のまなざしを送ってくる者もいる。そしてその軽蔑のまなざしの持ち主は男にせつない顔をさせる権利を持ちえたことがあるのだろうか。

なつのむし 

August 08 [Fri], 2008, 11:04
虫がとても好きで、小さいころたくさんの虫を育てていた。
蚕や蝶、ナナフシ、コオロギ、カミキリムシ、蛍、・・・

黒い幼虫は黒揚羽になったし、蚕の幼虫は飛べない腹の膨れた蛾になった。

クワガタムシを捕まえようと、近所の敷地に忍び込んで、怒られた。


真夏の暑い日、羽化前の蝉をみつけた。
蝉の殻は半透明で綺麗だけれど、中身の入った蝉は初めて見た。
はやあしで、アスファルトの上を歩いていた。

私はそっと捕まえて、大事に大事に持って帰った。

しばらくして、落ち着いた蝉は籠の中で羽化の準備に入った。



次の日の朝。

蝉は、殻から体を半分だけ出したまま、硬直していた。
体は茶色くなって、不格好にはみ出している。

私は少しだけ泣いた。仕方なかったのだという気持ちと、申し訳なさをないまぜにしながら。

3年ぶり 

July 27 [Fri], 2007, 23:21
3年ぶりに恋してしまった。。。

おかげで毎日街を遊び回って、外泊して、あんまり家に帰らなくなってしまった。
でも毎日世界がきらきらして見えて、すべてが思い通りに行って、小さなことに心がとらわれなくなった。

怖いくらいにうまくいってしまって、これが縁とか絆とか呼ばれるものなんだろうか、とおもう。



ホテルの遅い朝。
モーニングが終わって閉められたカフェのおばさんがこっそりわたしてくれた二つのパンの味、おろしたての木綿のワンピースの少し堅い生地、すべてが昨日のことのように思い出せる。

駅のロッカーの前で流した涙や、携帯ごしに聞いたくぐもった声が記憶に層を重ねていく。 

街で偶然ただようブルガリの香水が、こんなに懐かしくなるなんて思いもしなかった。


絶対に誰かが傷ついて、ハッピーエンドなんてあり得ないのに、突っ走ってしまうのがちょっとこわい
P R
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