今日の一冊 

2004年11月01日(月) 22時19分
性の民俗誌 講談社学術文庫
「一夜妻」「一時女郎」「女のよばい」「いざいほう」等々、日本には、古来特色ある性にまつわる民俗が存在し、さまざまな形で各地に伝承されてきた。こうした性風俗の実態は、部外者へ明らかにされることはない。『伊勢物語』等の古典文学、『日本書紀』等の史書から民謡までもあまた渉猟し、日本人の性への意識と習俗の伝統を、民俗学的見地からたどり返す一冊。

津山30人殺傷事件 

2004年10月31日(日) 12時14分
 日本犯罪史上、類を見ない空前の惨劇はある日突然起きてしまった。
たった一夜のうちに村人30人を殺害、一瞬にして村を阿鼻叫喚の地獄へと突き落としたのは都井睦雄・・22歳である
成績優秀、神童と言われたこの青年を一体何が狂わせてしまったのか。
岡山県苫田郡西加茂村大字行重貝尾。人口50名余の農村地帯である。
村人はほとんどが朝の早くに目を覚まし、そして夜は日が沈むまで真っ黒になるまで働く。冬は冬で副職の養蚕に精を出した。
それでも村人の暮らしぶりは質素そのもので、大抵の家の飯は3割程麦が混ざっていた。
3割と言うとさほどでも無いように思うが、麦は水を吸うと倍に膨れ上がりかさが増す。実際飯が炊き上がってみれば、半分以上が麦という状態であった。
この様に書くと、とても貧しく寂れ切った寒村というイメージがあるかもしれないが、実際のところは当時の山間部・農村地帯などの平均的生活水準であった、とある。
言い換えれば、ごくごく平均的で平和的な小さな村で犯人・都井睦雄は何を考え、凶行に至ったのか?

犯人・都井睦雄の生い立ち /

三原山 

2004年10月26日(火) 22時53分
1933年(昭和8年)、この年の社会的事件といえば
三原山の噴火口に投身自殺者が相次いだ事である。

伊豆大島・三原山で1月9日に噴火口上の煙と消えた実践女学校専門部生徒
真許三枝子(当時23歳)を第一号とし、続いて2月12日には同校生徒で友人の、
松本貴代子が投身自殺をした。
これが伊豆大島観光ブームと相まって、火口投身自殺の流行の始まりともなってしまう。
当時の流行歌であった『島の娘』『燃えるご神火』『大島おけさ』等がかもし出す情緒と、
当時の世相が生み出した現象であると言える。
1月以降4月までに自殺者60名、未遂者160名に及び
三原山の名は自殺名所として全国に知られるようになった――
<明治・大正・昭和 世相史より 一部引用>

 
 ほんの4ヶ月弱の間に一定の範囲内で、これほどの人数が先を争うかのように
自らの命を絶ってしまったのは、やはり当時の不安定な世相が反映しているのではなかろうか?
これは今の時代にも言える事だとふと思ったのだが・・・

今日の一冊 

2004年10月26日(火) 22時22分
帝都東京 殺しの万華鏡―昭和モダンノンフィクション 事件編  新潮文庫編集部
戦前、新潮社が発行していた総合月刊誌「日の出」から、事件ノンフィクションを厳選。
現場を目の当たりにした者にしか綴る事の出来ない詳細なディテールと
時代背景が生々しく甦ることうけあいです。

間引きを唄うた手毬唄 

2004年10月25日(月) 23時25分
明治頃から伝わるとされる『子おろし唄』『間引きを唄うた手毬唄』というのがある。

二階ばばさん縁から見ィれば
菊や牡丹や手毬の花や
行けばよう来た上がれとおしゃる
上がれ茶々飲めうすべり煙草
茶々も煙草もご無用でごんす
わしが腹にはおろし子がござる
堕胎せ堕胎せと七月八月
出来たその子が女子の子なら
苞に包んで三ところ締めて
向うの小川へザンブリコとはめて
鳶と烏のふまいどさして
鳶は喜び烏は憎む
今度出来た児が男の子なら
髪を生やいて中剃り剃って
寺へ上ばして手習いさして
寺の小僧さんが無調法のもんで
高い縁から突き落とされて
一丈二丈の鼻紙捨てて
たれが拾うたと調べて見ィれば
京や大阪の屑屋が拾うて
屑屋どうすりゃ皮とって投げた
川のまんなかで糸屑拾うて
打って紡いでおかせにかけて
キコリコパタリコと織り上げてみたら
帯にゃ短したすきにゃ長し
これは元吉さんの夏羽織
ちょっと百ついた
また百ついた

これは明治のいつ頃からかは定かではないが、唄い継がれて昭和の初頭まで残っていたとされている。
 この唄が残っていた地方では、野菊の茎、麦わらの茎、ホウズキの茎、または根を使い堕胎を行った。
さらに堕胎された児が男であれば扇子を添えて、女であれば杓子を持たせてムシロに包んで三箇所くくり、苞の形にして川へ流したという。
(時には生きたままの嬰児を苞にして流した)
流された遺体は鳶やカラスに突かれ、荒らされたという。
間引いた後、他人から『子供さんは?』と聞かれた際には、
『シジミ拾いに行きました』と挨拶を交わしたとあるが、
なぜここで『シジミ拾い』なのだろうか?
誰かご存知の方はいないでしょうか・・・

今日の一冊 

2004年10月25日(月) 21時17分
ミステリーの系譜  松本清張 著

「闇に駆ける猟銃」「肉鍋を食う女」「二人の真犯人」の3編を収録。
全て実際に起こった事件を描いたノンフィクション。

夜這いという風習 

2004年10月25日(月) 18時25分

日本は比較的性に開放的な民族だったと、ある本で読んだことがある。
それは夜這いという形で後世に残り、昭和の始め頃まで実際に行われていた事でもある。
夜這いとは、字の通りに夜相手女性の家へ赴き、肉体的な関係を持つ事である。
相手方が『OK』のサインを事前に(日中など)出しているか夜這いという事自体がある意味儀式化・形式化されていて、それに従って行われなければ、成り立つものではないと考える。
 相手あっての事である。見当違いや見込み違いも多々あったようで刃傷沙汰まで発展してしまったケースも珍しくはないようだ。
昭和7年頃の某少年鑑別所の報告書には、『女性宅へ夜這いをかけに侵入後、この日は女性に拒否をされてしまった。
後日再度女性宅へ侵入、この時女性宅は家人全員が留守であり、前回の夜這い時の腹いせも相まって、箪笥から金品を盗んでそのまま逃走した』とある。
この男は当時17歳で、山間の農村に住んでいた。夜這いの対象の女性も同部落内の女性だという。
また、夜這いの対象者はこの女性に限らずそれまで関係を持ったものは6人程居り、その中で関係が続いているのは2人だと言う事だった。
この男は調書で『ものごころついた時から、周囲の男たちは女性宅に侵入して肉体関係を持ち、またその事を皆で批評していた。『あの女はすぐに股を開く』だの、『あの女は誰とでも寝る』だの。悪いこととは全く思わず、普通のことだと思っていた(家屋侵入罪について言及した時)』

今日の一冊 

2004年10月24日(日) 19時41分
津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇
筑波昭 著
岡山で起きた30人連続殺傷事件を詳細にわたり記述されている一冊。
都井睦雄本人の写真や、犯行当時の村の地図・犯行経路などかなり緻密に様々な点から描かれており、資料としても資料としても扱える一品。

『穢れ』という意識 

2004年10月24日(日) 18時17分
女性が月に一度は迎えるもの、月経・生理。
古来から血は不浄なものとして忌み嫌われていた。
不浄や穢れという意識は鎌倉時代、平家宮中の高貴な身分階級の間で発生したと言われる。
それが徐々に平民へと伝播して行き、また伝播していく過程でよくありがちな多少の変化を伴って昨今に至る。
昭和の初頭に実際あったとされる資料によると
 その地方・産業の形態(農業なのか・漁業なのか?)などにより詳細は変わってくるが、大まかな所は大体同じと考えてもいいと思う。
女性が月のものを迎えると、土間から先には上がることを絶対許されず、土間に足を踏み入れる際には清めの塩を撒く。
食事はもちろんトイレも別とされ、期間が終わるまでは隔離状態とされる。
これはまだ良い方で、昭和以前の時代には隔離専用の洞窟や忌み部屋なるものが用意され、強制的にそこに閉じ込められた。
 平成の今になっても、こういった差別意識が残る地域は多いようだ。
歴史が重んじられる寺院や山への入山など、やはり古くは『女子禁制』とされた場所に多いようである。
Myblog japan
■プロフィール■
名前・・nokoko
昼は保険のセールス・夜はクラブ勤めの本大好き女です
MyblogList
最新コメント
をとこ
» 犯人の生い立ち (2008年10月04日)
汁大臣
» 犯人の生い立ち (2008年09月30日)
kensuke
» 津山30人殺傷事件 (2008年09月27日)
ちちち
» 犯人の生い立ち (2008年09月24日)
隙間男
» 犯人の生い立ち (2008年09月23日)
enkyoです
» 犯人の生い立ち (2006年05月07日)
堀江です
» 犯人の生い立ち (2006年05月05日)
リンリン☆
» 犯人の生い立ち (2006年01月18日)
あみ
» 犯人の生い立ち (2005年11月10日)
hirobumi
» 犯人の生い立ち (2005年04月12日)
プロフィール
  • ニックネーム:nokoko
読者になる
Yapme!一覧
読者になる