November 08 [Thu], 2007, 0:36
違う。
私が望んだのはこういうんじゃなくて

・・・・違う違う違うの・・・
違うんだってば・・・・・・・・・・・


デモ、アノコヲコロシテシマッタノハ「ワタシ」

あの子じゃなくて私が死ねばよかった。
私なんかいなければ良かった。

私が…

私の…

私…


私は自分を責めることしか出来なかった。
このときもっと周りを見ていれば。

 

November 08 [Thu], 2007, 0:25
それからしばらく変わらない毎日が過ごせていたと思う。

はっきり言ってこの頃の記憶はもう断片的にしか覚えていない。

その中で覚えていることが「アカチャンヲオロシテキタ」という母の言葉。

は?
耳の奥に、頭の中に言葉は響いたのに聞えなかった。
理解が出来なかった。

否、したくなかった。

娘である私に認められないのなら産む理由がない。
そう母は言った。

立派に生まれてきて母と男の間で幸せに生きるはずの命が消えた?
私が認めないから?
だから殺されたの?
私のせい?
私が







コロシタノ?

 

November 08 [Thu], 2007, 0:01
数日後、母から妊娠したと言われた。

そんなこと知っていたが、一言「そう」とだけ言っておいた。
そこで母は下を向いたまま「産もうと思う」と言った。

私の心は母の妊娠に気づいた日から煩悶し続けていた。
私は「産めばいい」と返した。

母が顔を上げて私を見る。

しかし、「でもやっぱり私はその赤ちゃんを兄弟としてみることはない。
赤ちゃんの誕生を成長をあったかく見守ることとか出来ない。
だからあなたとの関係を切ろうと思う。
私は祖父母と生きていく。あなたはあの男と赤ちゃんと暮らしてほしい」
そう返した。

金銭的に不安はあったものの本気でそうやって生きていくつもりだった。
そうすればみんなが幸せになれると思っていた
思っていたのに…

 

November 07 [Wed], 2007, 23:46

ある夜、母が仕事から帰ってくるとトイレに駆け込み、しばらくすると部屋に閉じ篭った。

トイレを見ると妊娠検査薬の説明書が落ちていた。


正直あのときの感情はなんともいえないほど複雑だった。

心の中に無数の感情の粒を孕んだ風が吹き抜けカラカラに乾いてしまったようで、
そのくせ何もかもが巨大な渦に飲まれて水そのものに融けこんでしまいそうな、
自分を喪ってしまいそうな虚無。

目の前が真っ暗にという表現にも当てはまるのかもしれない。

とにかく自分の存在が異様に不安定で軽すぎてどこにでも飛んでいってしまえそうなほどの不安。

(わけの分からない表現だが、未だにあの感情を表現する言葉を
自分自身で手に入れることが出来ていない)

 

November 07 [Wed], 2007, 6:02

毎日が不愉快でどうしようもなかった。

我慢の限界を超えた私は、ある日私は母に対してそれをぶちまけた。

泣きながら、怒鳴りながらの悲痛な娘の態度にさすがの母も事態を重く見たのだろう。

隣の部屋で話し合いがされているのを自室に閉じこもった私は暗闇の中でただ聞き耳を立てていた。


その次の日から男が我が家に上がりこむことはなかった。

私は夜、安心して眠ることが出来るようになった。

しかし程なくして気が付いた。
夜、家族が寝静まった頃に母が足音を忍ばせて出かけていくのを。

私はそれでも良しとした。
私に関係のないところで逢瀬を重ねるのなら耐えられると。

 

November 07 [Wed], 2007, 5:57
それからは母と男が疎ましくて仕方がなかった。

隣の部屋が汚く思えて入ることを避けた。

隣から毎晩聞えてくる声が気持ち悪くて眠れなくなった。

イヤホンをして音楽を爆音でかけて寝ることもしばしばあった。

そのころ学校でも少し上手く行かないことが続き
イライラしながら過ごしていた。
(私自身がちょっとした友達の態度に我慢がきかなかったのかもしれないと今になって思う)

男が来ることが嫌で嫌で涙をこぼしたことがあった。

母の反応は冷たかった。
「何をバカみたいに泣いているの?」


あのときの母の顔を私は一生忘れない。

 

October 29 [Mon], 2007, 2:56
男が家に来るようになっても私と関わることはあまりなかった。

朝は洗面所などですれ違いざまに挨拶を交わす程度。
夜は大体八時過ぎごろに二人で帰宅してくる。
晩御飯も外で食べてくるか買い物をしてくるので、一緒に卓を囲むこともなかった。
ちなみに当時私のご飯は祖母がつくっており、
母と食事の時間が合うことはなかったのでコレについては何も感じたことはない。

しかし、私が寝ようと電気を消す時間帯。
壁を一枚はさんだ隣の部屋。
母と男が寝起きしている部屋。
男が来ている間はほぼ毎日聞えるのだ。
母の吐息交じりで悲鳴混じりの声が。

小学校六年生の私にはそれがなんだか容易にわかった。

私は嫌悪した。

誰でも行う行為。
他人に言わせれば「なんだそんなこと」といわれることでも私は胸が苦しくて仕方なかった。
自分の母と他人の男が・・・という状況に
私は声を噛み殺して涙した。

 

September 17 [Mon], 2007, 23:08
最初に変だと感じ始めたのは母が相手の男のことを細かく説明し出したときだ

○○さんはこんな人だ、こんな仕事だ、こんなことを話した

だが、私には関係のないことなので耳を傾けて聞くことはなかった。

母の勤めていた老人介護施設の理事だ、ということはかろうじて覚えていたくらいだ。


あるとき母が言った。

男を家に連れてきて泊めるのだ、と。

母の言い分はこうだった。

「男は住まいは横浜にあり、自分の管理する施設を月に1度一週間ほど視察に来る。
だけどそのためのホテル代がバカにならない。
だから家に泊めてそのお金を浮かすのだ。」と。

私は突拍子もない話に驚き以外には何も感じなかった。

ひとまず反対すると怒られた。

家の実権は自分が握ってるのだから男を泊めるのだと。

ならば最初から相談せずにそうすればいいのに。

そんな中で男が我が家を出入りするようになった。

 

September 14 [Fri], 2007, 5:12
私は小学校1年生のときに東京から山形県鶴岡市に引っ越した。

祖父母と母と4人でお金はないが食うに困るほどではない生活をしていた。

父とは金銭的な問題で離婚したらしい。

別に父親がいないことを気にしてはいなかった。

だけど、いたら私の人生は違ってたのかな…と思う。


あれはいつだっただろうか。

詳しい年はもう覚えていないけど、小学校4・5年生の頃だったと思う。

母がある男と頻繁にメールや電話を交わすようになってた。

別段気にとめていなかった。

でも時を追うごとにその頻度は増していった。

母と話をする時間も減っていくうちに段々と気がかりになっていった。

でもこんなのはただの序章でしかなかった。
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