2010年代のモバイル市場は、ケータイやスマートフォンだけでなく、さまざまな情報端末がコミュニケーションやデジタルコンテンツを扱う「多様化の時代」を迎える。Appleの「iPad」のような新たなマルチメディア端末やAmazonの「Kindle」に代表される電子書籍端末、携帯ゲーム機やデジタル家電、カーナビゲーションやデジタルサイネージ。こうした“ケータイ以外”のデジタル機器が今後10年で続々とオンライン化され、そこに向けたコンテンツ配信の需要とビジネスは拡大するだろう。
【拡大画像や他の画像】 このような時代の変化において、注目度が高くなっているのが、携帯端末向けマルチメディア放送(モバイルマルチメディア放送)である。これは2011年に停波するアナログテレビのVHF帯(207.5MHz〜222MHzの14.5MHz)を用いて提供する新しい放送サービスであり、日本では「MediaFLO」規格を推進するメディアフロージャパン企画(KDDIとクアルコムジャパンが共同設立)と、「ISDB-Tmm」規格を推進するマルチメディア放送(NTTドコモやフジテレビらが設立)が、商用サービスの提供へ向けて準備を進めてきた。
モバイル通信という観点では、2010年代は3Gの持続的進化に加えて「LTE」や「モバイルWiMAX」など次世代技術への移行が行われて通信容量は増大する。これら通信インフラは双方向性のあるコンテンツ配信に向いており、引き続きインターネット上のビジネスやサービスを支える柱で在り続ける。しかし、その一方で、さまざまなデジタル機器に安価かつ同時にコンテンツを配信するのならば、放送型のモバイルコンテンツ配信インフラの方が効率が高い。例えば、iPad向けに始まった「ビューン」のようなサービスは、通信インフラよりもむしろ放送型インフラでコンテンツを配信し、通信は補完的に使うといったサービス形態の方が適しているのだ。
このように2010年代のモバイルコンテンツ市場を考える上で重要な「携帯端末向けマルチメディア放送」の受託放送事業者を選定する審査が、今まさに総務省において行われている。既報のとおり、6月25日には総務省で公開説明会が実施され、選定作業はいよいよ大詰めだ。
筆者はこのモバイルマルチメディア放送について、これまでMediaFLO方式で一足早く商用化された米国や、島根県や沖縄県で実施された実証実験を取材してきた。
まさに佳境を迎える日本のモバイルマルチメディア放送はどうなるのか。商用化から3年が経過したアメリカにおけるMediaFLOの最新状況をリポートしながら、それらを考えてみたい。
●立ち上げ期から発展拡大期に入ったMediaFLO
日本での携帯端末向けマルチメディア放送について考える前に、MediaFLO方式での商用化開始から3年が経過した米国の現状について見てみよう。
米国でMediaFLOの商用サービス「FLO TV」が始まったのは2007年のこと。当初はVerizon WirelessがV CASTMobile TVという名称でサービスを開始し、その後の2008年からAT&TもAT&T Mobile TVとしてサービスをスタートしている。サービスエリア拡大も順調に進み、現在では全米112都市をカバーし、米国人口のおよそ3分の2に相当する2億人が視聴可能になっている。今は通信大手2キャリアからのサービス提供と全米でのエリア拡大を一段落させて、会員増と新たなサービス対応に取り組んでいるところだという。
会員増に向けては、大きく2つのアプローチを取っている。
1つは端末ラインアップの拡大だ。米国におけるMediaFLOは当初、日本のワンセグケータイのような「携帯電話内蔵型」から始まった。しかし現在では、スマートフォンや専用ポータブルTV、車載TVといった端末の多様化が始まっており、今秋までにはiPhone用の外付け受信機と専用アプリも発売されるという。また試作機の段階では、iPad向けの専用小型受信機とiPadアプリも開発ずみ。これを使えば、iPadでMediaFLOのストリーミング放送やHD画質による蓄積型放送(クリップキャスト)、データキャストによる電子書籍の配信などが利用できる。
MediaFLO端末の販売もすでに普及フェーズに入っている。例えば筆者は今回の米国取材の際、ロサンゼルス国際空港にて乗り継ぎをしたのだが、そこに設置されていたBest Buyの自動販売機ではFLO TVの専用ポータブル受信機「PTV」が販売されていた。これを買ってユーザー登録すれば、すぐにMediaFLOが見られるのだ。また、クルマ向けのMediaFLO端末市場にも注目が集まっており、クライスラーがディーラーオプションとしてMediaFLO車載器の販売を開始しているほか、「トヨタ自動車が(公道での)MediaFLO受信に関する実験に参加するなど、自動車メーカーやカー用品メーカーからの注目度は高い」(Qualcomm Business Development Directorのアリ・ザミリ氏)という。
2つめの取り組みはコンテンツの拡充だ。FLO TVではサッカーのワールドカップ全試合を中継しているが、これにより会員の視聴時間が平均1日30分から2時間程度まで延び、新規会員の獲得にも貢献したという。
「モバイル環境で、いつでもどこでも試合中継が見られる。そういったFLO TVのよさが、ワールドカップでうまく伝えられた。ブログやSNSでの(MediaFLOの)評判も上がっており、認知度向上にも大きく貢献しました」(ザミリ氏)
このように米国のMediaFLOサービスは、エリア拡大期から普及期に踏み出したところだが、一方で、実施されているサービスが「多チャンネル ストリーミング放送」のみに留まるという課題もある。MediaFLOの強みはクリップキャストやIPデータキャストといった“データ系サービス”との相性のよさにあるが、それらが始まるのは今年後半からだ。
「クリップキャストの投入が遅くなったのは技術的な問題ではなく、パートナーも含めてビジネス上の準備が必要だったため。今後は積極的に力を入れていき、コンテンツプロバイダーの育成・支援にも注力したい」(ザミリ氏)
その取り組みの第1弾として、Qualcommは「FLO Developer Challenge」というコンテストを実施。MediaFLOのデータキャスト機能を用いたBREW Mobile Platform(BMP)およびAndroid向けのアプリやサービスを評価し、優れたものには賞金を出すという。
●「ネットワーク品質」がサービス成功の鍵を握る
携帯端末向けマルチメディア放送の商用化では、日本より先んじた米国のMedia FLO。ここでの経験からQualcommでは、「ケータイやスマートフォンなどモバイル端末にサービスを提供する上では、高いネットワーク品質の実現が普及と成功の大前提になる」(ザミリ氏)ことを学んだという。とりわけ重要なのは、インドア(屋内)エリアの充実だ。
「米国のFLO TVでは『2枚の壁を挟んでも受信できる』程度のインドアカバレッジを基本としてエリア設計しています。アメリカと日本では送信局の高さや電波出力の規制条件が違うので一概に比較できませんが、重要なのは、屋内で小型のモバイル端末できちんと受信するためのノウハウは、屋外に受信アンテナを設置できる従来の放送(テレビ)とはまったく違うということ。ケータイやスマートフォンで培われたモバイル通信の技術とノウハウが重要になります。その上で、きちんとした数で携帯端末向けマルチメディア放送のネットワークを構築しないと、インドアや高速移動時の品質が悪くなる」(ザミリ氏)
モバイル端末で、屋内や移動中にもきちんと受信できないと、ユーザーのサービス品質への不満が高まり、その上でのコンテンツ配信や新サービスの普及・成功がおぼつかなくなる。Qualcommではアメリカでの商用経験を背景に、KDDIと共同で取り組む日本のMediaFLO実証実験に参加。その結果として、総務省に申請した基地局数(全865局)になったという。
「有料のサービスである限り、どこでもきちんと視聴できることが当然。これまでの経験上、これは非常に重要で、日本においては865局(mmbi側は125局)の送信局が必要と判断しました」(ザミリ氏)
実際に筆者も今回の米国滞在中にPTVを用いてMediaFLOの受信状況を試したが、屋外はもちろん、屋内でもしっかり受信しており、クルマなどでの高速移動中にもクオリティの高い受信ができていた。平地が多い米国と、海と山に囲まれた日本ではフィールド環境そのものが異なるが、「商用サービス」で実績を積んだことは、MediaFLO陣営の大きな資産になっているようだ。
●エリアの早期立ち上げと多様性が重要
米国におけるMediaFLOの「今」を見ると、日本の携帯端末向けマルチメディア放送に必要なものも多く見えてくる。
まず重要なのは、前出のとおり、“ケータイ感覚”で使える高品質エリアを早期に立ち上げることだ。メディアフロージャパン企画が主張するように「インドア」と「高速移動中」のエリア品質は特に重要であり、そのために同社が日本の沖縄や島根で実際にMediaFLOを動かし、綿密なフィールドテストを行ったことは注目すべきポイントだろう。筆者はどちらも実際に取材したが、特に沖縄では、屋内での受信性能の高さに加えて、高速道路を走るクルマの中でも途切れないエリア性能に感心したのを覚えている。彼らが日本での実地テストと総走行距離8000キロ超にも及ぶ走行試験で導き出した865局という基地局数はかなりリアリティのある数字と言えるだろう。
そして、エリアと並んで重要なのが「多様性」だ。ここには2つの要素がある。
1つは「端末の多様性」だ。米国のMediaFLOを見れば分かるとおり、携帯端末向けマルチメディア放送の受信端末として携帯電話・スマートフォンは確かに重要だが、サービスの広がりでは「それ以外」への展開が重要になる。
特に重視すべきはカーナビやリアシートエンターテインメントシステムなど車載端末への広がりだろう。クルマ向けは音楽・映像の配信サービスで注目なだけでなく、カーナビ向けのリアルタイム渋滞情報や地図更新データの配信といったデータキャスト分野での潜在需要が大きい。トヨタ自動車が北米や沖縄でMediaFLOの実証実験に参加した狙いが、まさにここにある。携帯電話市場だけでなく、自動車関連市場とどれだけ連携しやすいかも、携帯端末向けマルチメディア放送の成功には重要なのだ。
そのほかにも端末の多様性という点では、スマートフォンやiPadのような新たなマルチメディア端末との連携のしやすさも重要になるだろう。誤解を恐れずにいえば、携帯端末向けマルチメディア放送への対応が、国内市場限定の従来型携帯電話向けのみでは「海外市場と連携する」メリットが生まれてこない。今後のモバイル市場において重要なクルマとスマートフォンで、海外の巨大市場との連携性を勘案しておかなければ、新たな“ガラパゴス技術/サービス”を生みだすだけである。
2つめが「サービスの多様性」だ。
筆者は今回、再び渡米してアメリカのMediaFLO最新事情を取材したが、そこで感じた不満が「携帯端末向けマルチメディア放送ならではのサービスがまだ始まっていない」ことだった。多チャンネルのストリーミング放送の需要を否定はしないが、携帯端末向けマルチメディア放送の本質的な価値はそこではない。とりわけワンセグが普及している日本では、地上波テレビのサイマル放送がすでに多くの端末で受信可能であり、有料多チャンネル放送の需要は限定的になるだろう。ストリーミング放送はワンセグで行い、携帯端末向けマルチメディア放送は多様なコンテンツ配信サービス用に展開するという形でないと、ユーザーニーズの喚起は難しい。
踏み込んでいえば、日本における携帯端末向けマルチメディア放送で重要なのはインターネットで標準的な技術を用いた「データキャスト」と「クリップキャスト」であり、通信と連携するデータ系サービスだ。携帯端末向けマルチメディア放送の実現にあたっては、これらデータ系サービスでの運用性の高さや、通信型コンテンツビジネスとの親和性が特に重要だ。ワンセグがなかった米国では多チャンネルストリーミング放送の立ち上げが先に行われたが、日本の携帯端末向けマルチメディア放送ではデータ系サービスの早期立ち上げとコンテンツの充実が必須になるだろう
●見えないISDB-Tmmの世界
さて、ここまでMediaFLOの事例や取材をもとに携帯端末向けマルチメディア放送実現への課題や可能性を見てきたが、それには理由がある。ドコモやフジテレビなどが推すISDB-Tmmについては、過去に取材の機会が少なく、大規模なフィールドテストの記者向け体験会などがほとんど行われていないのだ。MediaFLO陣営が沖縄で行ったようなメディア向け公開実験もなかったため、実際のサービスとして、屋内へのエリア浸透力がどの程度あるのか、クルマでの受信性能は十分にあるのかなどが分からない。どれだけ端末の多様化が起こるのか、データ系サービスの機能はコンテンツプロバイダーにとって使いやすいか、放送以外の市場が創出される可能性はどうかといったことが、筆者にはまったく「見えない」のである。
6月25日に実施された公開ヒアリングでは、マルチメディア放送側から開発計画の説明が行われたが、これもシミュレーションに基づくデータが中心で「机上の計算」の域を出ていない。例えば、ISDB-TmmではMediaFLOよりはるかに少ない基地局数125局でサービス展開をする計画だが、これで果たして多様なモバイル端末/車載端末での利用に十分なクオリティのエリアが構築できるのか。また、ドコモが持つエリア構築や通信型コンテンツビジネスのノウハウが、きちんと生かされるのかなどが説明されておらず、ISDB-Tmmへの不鮮明な印象は拭えない。
ISDB-TとISDB-Tmmは、名前こそ似ているがまったく異なる技術であり、ISDB-Tを前提にISDB-Tmmを議論することも見当違いである。厳しい言い方をすれば、現状のISDB-TmmはMediaFLOと同じ土俵に上がっておらず、「国産技術だから」という感情的な理由のみがひとり歩きしている状況だ。他国で商用化されていないのはしかたないとしても、MediaFLOと同程度のリアリティのあるデータを提示すべきではないだろうか。
今からでも遅くはない。マルチメディア放送には詳細な技術説明会の実施と、実際に動くISDB-Tmmテスト環境(できればフィールドテスト)の公開を行ってもらいたい。また、モバイルマルチメディア放送が“通信連携型の放送サービス”であることを鑑みれば、ドコモが社長自らアピールするなど、サービス実現に向けて積極的な姿勢を見せることも必要だろう。
●総務省はフェアで透明な選定ができるか
筆者はこれまで日米で携帯端末向けマルチメディア放送の取材を行い、この新たなコンテンツ配信インフラの可能性や市場効果を見てきた。その立場から、「新たな周波数の割り当ては、新たな市場と企業を育てるものでなければならない」と考えている。インフラ構築をするのが大手企業でも、その上で新たなビジネスやサービスが生まれるような“市場創出の姿勢”がなければ、新たな周波数を割り当てる意味はないだろう。周波数は放送業界・通信業界のどちらのものでもなく、国民の共有財産であり、ユーザーと市場のものだ。重要なのは要素技術の出自や業界間の駆け引きではなく、選定される方式に技術的・経済的な合理性があり、そこから持続的に成長可能な新ビジネスが誕生するかどうかである。
総務省はフェアで透明な選定ができるのか。そして、その結果として新市場の創出ができるのか。期待をもって注目したい。【神尾寿】
(プロモバ) 7月5日20時20分配信
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