関東の戦国大名についての話し

February 12 [Tue], 2013, 9:43
関東では京都で応仁の乱が起きる以前より、
享徳の乱・長享の乱・永正の乱の3つの大乱が立て続けに起こっており、
古河公方と関東管領山内上杉家・その庶流の扇谷上杉家が3つ巴になって覇権を争った。

その間隙を縫って伊勢盛時(北条早雲)が伊豆の堀越公方を滅ぼす。
その子孫が北条氏を自称した。この北条氏と上杉氏が関東の覇者を巡って戦い、
1546年河越夜戦により上杉氏の勢力が衰えた。

1552年、北条氏が古河御所を制圧して古河公方を掌握。
山内上杉氏が上野を追われ長尾景虎(後の上杉謙信)を頼ったことから
北条氏と長尾氏(のちに上杉氏を継ぐ)とが関東を巡って争った。

関東管領を継承した上杉謙信は一時は北条氏の居城小田原城を攻囲するも奪えなかった。
この上杉氏・北条氏の争いは全関東の諸豪族を二分すると、
北条氏康と里見義堯(上杉陣営)による国府台合戦など、各地で戦いを引き起こした。

1579年、上杉謙信が死ぬと常陸の佐竹氏、安房の里見氏などが北条氏の侵攻に抵抗したが、
北条氏の勢力拡大を抑えることができなかった。
更に奥州支配を進める伊達氏によって佐竹義重は南北両方面での戦いを余儀なくされた。

やがて、豊臣秀吉が惣無事令を発すると、北条氏政は奥州の伊達政宗・三河の
徳川家康と同盟して対抗する。圧倒的な武力で海から山から迫り来る豊臣軍の前に北条氏は降伏した。

この時、北条陣営に付いた関東の多くの領主が所領を没収され、
小山氏や千葉氏のような鎌倉時代以来の名家も姿を消している。
1590年8月には関東に移し替えとなった徳川家康が江戸に入城した。


戦国時代

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:けんさん
読者になる
2013年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/njkotr/index1_0.rdf