上原美優の芸能界仲間もショックと驚き

May 13 [Fri], 2011, 7:43
眞鍋かをり、1ヶ月前に飲みに行こう、話しを聞いて欲しいという話があった。
けれどもスケジュールがお互いに合わなかった。

中川翔子、10日にまたいつか遊ぼうという約束をしていたのになぜ。
「TBS『飛び出せ!科学くん』のロケでご一緒して以来、何度もメールのやり取りをさせてもらっていました。美優ちゃんは人懐っこくてかわいくて、ロケでもいっぱい笑わせてくれて、気遣いの温かさに、尊敬もしていました。10日に美優ちゃんから、遊ぼうって誘ってくれていたのに…。どうして?ということしか今は考えられず、気持ちの整理がつきません」



ペナルティ・ヒデ(40)は「突然の事で気持ちの整理がついていません。一緒にロサンゼルスロケに行った時も、周囲に気を配る女性でした」

ほしのあき、「3カ月前の収録はいつものように元気でした。恋の相談をされたことはないけど、受けてあげられればよかった」

ほしのあきさんは恋愛のことや結婚について語っていただけに気持ちは微妙でしょうかね。

同じグラビアではあったもののそれほど仲良しではなかったのかなという雰囲気ですね。



楽しんごさんも一緒に写真を撮ったこともあり、誕生日パーティーを開いてくれると話していたのにと驚き。

しかし芸能界毎回同じ仕事現場でもないでしょうし、忙しいのでなかなか会う機会もないでしょうね。

上原美優は亡くなる前日に父親に電話おしていた、うえはらみゆ

May 13 [Fri], 2011, 7:31
鹿児島県種子島に住む上原美優さんの父・藤崎久男さん(78)は前日11日に上原さんから2度にわたって電話があったことを明かす。

1度目はオフだった午前11時半ごろで、上原さんは「『もう種子島に帰りたい。お母さんの所に行きたい』と泣いていた」という。何とかなだめて電話を切り、午後10時10分の2度目の電話では「もう元気になったから、仕事行くから、大丈夫だよ」と思い悩んでいた様子はなかったと言う。





種子島の母のお墓に行きたかったのか、それとも種子島の実家ではなく母の亡くなった後のところへ行きたいと言う思いつめた意味合いだったのか。

上原美優さんは家族も多く、家族とのつながりや絆をよく話していただけに家族の支えも感じていて子供ではなかったとは思いますが、兄弟姉妹は独立してしまいあまり頼れないという状態でもあったのでしょうかね。



大家族、貧乏生活の話が多かったものの、ぱっと見ると一人っ子など大事に育てられたような雰囲気も感じる女性でしたし、繊細なところもあったのか。

父親が55歳、母親が43歳の時の子供なので、脳の遺伝的なことも関係しているのでしょうかね。

思いつめたところもあって仕事など対応できない、適応できない状況になっていたのか。


上原美優が自殺で死去、生前から死亡が発見されるまでの経緯

May 13 [Fri], 2011, 7:19
上原美優(うえはらみゆ)死亡前日の11日午後から翌12日午前0時ごろまで上原美優さんが交際していた男性と一緒だった

その後、上原美優さんに「1人になりたい」と言われて部屋を退出

約2時間後の午前2時ごろに上原さんのケータイに電話したが連絡が取れなかった

12日午前2時ごろ、2〜3年前から交際中のアパレル関係の会社員男性が上原さんの自宅マンションを訪問した

すると上原美優さんが4階の自室ドア付近にベルトとスカーフをかけて首をつっていた

すでに意識はなく、約1時間半後に搬送された都内の病院で死亡が確認



、「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか」という手紙が残されていた。

パチンコ店では「俳優の三浦春馬似」とデートする姿も見られた。

「昨年3月のお母さん(藤崎イチ子さん)の急死が相当な心労となっていた」


母からの「いつもテレビを見ている」という言葉が励みになっていた。

上原美優さんは母親を亡くした後は「精神的なアップダウンが激しくなり、オフの日はふさぎ込むことも多かった」

恋人にふられて睡眠薬自殺を図った過去を告白したことまおった



葬儀・告別式は実家の鹿児島県種子島で行われる予定。

元々は芸能界に憧れていたわけではなく、不良グループの中から抜け出すために入ったそうですね。

レースクイーンやキャバクラで働いた後に芸能界デビュー。

種子島に帰りたいと言うほどそれほど芸能界に思い入れはなく、目的だった母を喜ばせるための芸能界活動もなんのためにやっているのかわからなくなったのでしょうかね。


P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/nisisan/index1_0.rdf