「無限次元の頭脳を使って生きる」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時26分
「無限次元の頭脳を使って生きる」(五井昌久氏著作より)
1.この、三次元の世界が人々の目にうつってくる、その根源には、無限次元の波動の世界が存在するのでありまして、その無限の世界から、神々はその人々、その国々に必要なものは常に与えられるようになっているのであり、形の上、三次元の世界の上では、有限と見える、この地球世界が、実際は無限の世界から、いくらでも欲するもの,必要なものを、与えつづけられる世界なのだ、ということが真理なのであります。「本もの贋もの(白光出版)」
2.ところが、真実の人間というものは、この肉体よりも数等倍も優れた機能をもつ体が幾層にも奥に奥に存在しておりまして、奥にゆくにつれて、微妙この上もないものになってくるのであります。そしてその一番奥の存在が宇宙神の御心の中心にある直霊(なおび)ということになるので、この直霊が神そのものということになるのであります。ですから、人間の心の一番奥深いところは、神そのものとなるのです。そうした神そのものの働き場所を神界というのであり、次第に霊界、幽界、肉体界と、その働きのひびき(波動)が遅鈍になってくるのであります。
3.人間の頭脳というものは、肉体だけのものではなく、肉体とはくらぶべくもない、霊体、神体の頭脳があるのです。こうした高度の頭脳の働きも、肉体頭脳のほうが常に、休みなく働きつづけていますと、その高度のひびきをつたえることが出来ないのです。いいかえますと、肉体頭脳の波動が、直霊のほうからのひびきとは無関係に想念の働きを続けていますと、肉体の働ける範囲の、狭い浅い判断や行為よりできなくなって、永遠の生命,宇宙の大きな流れに沿ってゆけるような働きは出来ないのです。
4.人間の体というものは、大きく分けて、肉体身,幽身、霊身、神体というように四つに分かれております。それは、七つの名称をつけて、七つにわかれているといってもいいし、細かく分ければ数限り無く分かれているのであります。ですから、あらゆる体から智慧が湧き出で、あらゆる階層の知識もあるのであります。肉体身は、一番鈍なる体なのであります。そこで、肉体頭脳にまつわる知識や想念を、肉体身より微妙なる体のどこかの頭脳に一致させてしまえば、肉体身の頭脳で考えるより、微妙な考えが湧いてくるのであります。普通、インスピレーションというのは、人の肉体身以外のどこかの階層の頭脳波動から肉体頭脳に伝わってきた、智慧なのであります。
2、3、4は「老子講義(白光出版)」より。

「夢について」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時25分
「夢について」(五井昌久氏著作より抜粋)
(続宗教問答183〜184P)
夢というものは、肉体の頭脳に入る以前、つまり、過去世からの想念波動と、肉体頭脳に今日まで経験として残っている想念波動を、肉体意識の眠っている間、いわゆる霊魂が、幽界なり霊界なりに還っている間に、その人の守護霊が、幽体に夢の画として、現しているのを肉体人間が見るわけなのであります。
人間が一度発した想念は、善悪に関わらず、いつかはまわりまわって、自己の運命として還ってくるもので、想ったことは、行ったことと同じようなものなのです。そこで、神様は、各人の守護霊に、各自の業想念を肉体の世界の不幸としては、最小限の現れにするようにと、幽界において夢のように現して消滅させているのであります。
(質問ありませんか?184P)
毎日毎日霊界に行って、こちらの想いを分霊魂魄の魂・魄要素もつけて、向こう(霊界)で洗うんですね。浄めですね。「ポイントは、(魄要素もつけて)です。肉体界の物質要素である魄要素もつれていくということです。」
(以下も五井先生の著作からの抜粋だが、引用本は、未整理)
睡眠は、あの世に、生きながら往っている状態なので、肉体頭脳の意識を何ものかの力で休止させられている間に、霊線(後頭部から、でている)というものだけで、肉体につながりながら、その人の霊魂が、守護霊の力で霊界の浄めの場に行き、そこで浄められている状態なのです。そして浄められているその間に、幽体に蓄積されている業想念波が、目醒めてから意識しているといないとにかかわらず、夢として現れ、消えてゆく姿となってゆくのですが、普通の人はこの原理を知らないので、その消えてゆく姿をまたつかんで、再び自己の意識の中に積みこんでしまうのです。
睡眠の場合も睡りに入ってからは、守護の神霊の力によって、すべてなされるのですが、目醒めて生活している時のその人の想念行為が、強くこの睡眠中に働いて、守護の神霊の働きを助けたり、妨げたりするのであります。ですから日常生活の想念行為の高低善悪は、その人の睡眠中の効果を左右するのであります。例えていえば、常に人を傷めつけ痛める想念行為の持主は、守護の神霊がその業想念に妨げられその霊魂を、神界霊界の高い浄めの場に導きいれることができにくくなり、睡眠中の浄めの効果を高めることができなくなるのです。人間というものは、自分で気づこうと気づくまいと、常にこうして守護の神霊の援助加護によって浄めつづけられているのであることを、感謝の気持ちで思いみることが大切なのであります。
今夜から、睡りに入る前には、必ず世界平和の祈り言を唱えつつ睡りに入って下さるとよいと思います。そうすれば、あなたがたの睡りは、全く統一と同じ状態の睡眠となるからなのです。
定まった統一の時間は勿論ですが、歩いている時、乗り物の中、起床時に、就寝時に、常に世界平和の祈りをなさっておられると、その祈り心は、仕事の最中でも、生き生きと心の中で輝きわたって、その仕事は、いかなる仕事であろうと、世界人類を浄める意義ある仕事となってくるのであります。世界平和の祈りをなさっている方々は、どんな予知的な夢を見ようと、その夢の内容ごと消えてゆく姿と思って、世界平和の祈りの中に入れてしまいさえすれば、悪い予知夢も、実現せずにすむことになるのであります。すべては、波動の世界なのですから、常に、善念波動を起こして生活してゆくことが大事です。その善念波動のうちでも、世界平和の祈りは、最も神様のみ心にかなった光明波動となるのですから、寝ても睡めても、世界平和の祈りを心に置いての日常生活にして頂きたいものであります。

「天命について」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時24分
「天命について」(五井昌久氏著作の抜粋、一部続宗教問答)
人間は、誰一人として天命を持たずに生まれてくる者は、ありません。ただ、この天命というものが、この世だけの天命と、一つの分霊が生まれ変わり死に変わりしながら、守護神と全く一つになって、果たす天命とがあるのです。この世の生活は、一なる神が、神々として分かれて、その神々が各自の天命を果たしてゆくための、一齣一齣の現れなのですが、この一齣一齣は、その分霊魂魄としての一つ一つの天命があるわけなのです。ですから、天命には永遠の生命性を持った、神々としての天命と、個々人として、この世やあの世で果たす天命との大小二通りの天命があるというわけになるのであります。
人間というものは、実は神の生命が、智慧や創造力等々の神のもつ能力をそのままもった心が、根源となり、人々の相(すがた)として、存在しているのであります。ですから、ひとびとがそうした本心から、離れた生活さえしなければ、神そのものとして、この世の生活をしてゆけるわけなのです。しかしながら、この世は、物質体の世界なので、人々もそうした物質体としての生活を各自の経験として、味わなければならないことに、なっていましたので、今日までは、その経験をしつづけているわけなのです。そして、やがては、神霊なる人々が、物質体(肉体)がもつ波動とすっかり、調和しきって、肉体を持ったまま、物質界に住まったまま、神そのものの全能を発揮してゆくことになるのであります。現在はその課程ではありますが、これからの一歩一歩は、急速に霊化現象を示してゆくものとおもいます。
脳性小児麻痺や精神薄弱のような場合は、こうした人々は、一体どういう霊魂がまとったのでしょう。こうした人々には、二種類あるのです。一種類は、前世において、自己の力や権力を笠にきて、他の人々の肉体や精神を痛め傷つけつづけてきた人々、そうしてもう一種類は霊魂自らが自己の霊系統または、肉体系統の因縁消滅を買って出て、そうした不具の身に生まれ出ているのです。いわゆる菩薩行のためであります。どうして、こうしたことが菩薩行になるのかと申しますと、一つには、そうした不具の子を産み育てることによって、苦しみ悩むことによって、その両親や周囲の人々が自ずと浄化されてゆくのです。苦しみ悩むということは、過去世の業因縁を自然と消滅させてゆくことになるのです。肉体意識としては、苦しみ悩むだけで、なんのプラスにもならぬように見えるのですが、実は、霊魂的には、自分の過去世からの誤りをその苦悩の中で、はっきりと認識してゆくのです。過去世の誤りを認識すると言うことは、もう再びそうした誤りを冒さぬための反省となるのです。
肉体人間というものは、霊波動と物質波動の両面からなっておりまして、これが全く調和した交流を成し遂げている人が、精神面も物質面にも立派な生活をしてゆくようになるのです。霊波動と肉体波動との間に幽波動という中間的な波動がありまして、この波動の世界には、いわゆる、迷った想念、不調和な想念の波が渦巻いているところなのです。この世界の波動が神霊界からくる光明波動を遮って肉体波動と神霊波動との交流を妨げますと肉体が神霊波動の完全性を失ってしまい、神霊的自由が発揮できなくなり、不自由な肉体となってしまうのです。こうした不自由な肉体が小児麻痺となり、精神面にこのマイナスがくると、精神薄弱者となったりするのです。普通にこの状態を心霊的には霊魂の障礙(しょうがい、さわり)といっているのです。このさわりをなくすためには、肉体面の力を強化する方法も良いけれど、それにも増して、必要なのは、神霊の光明波動をより強く、肉体に交流させなければならないのです。その、方法は、周囲の人々の愛年による神霊への感謝によるのです。感謝しながら、守護の神霊を呼び続けることなのです。この一番やさしい方法が、世界平和の祈りなのです。
何ごとも想いの習慣によるので、人間神の子と想う習慣をつけ、人間は霊であり、生命そのものであって、肉体ではないと想う習慣性をつけますと、いつのまにか、肉体にばかり把われる想念が、肉体に把われぬ想念に変化してくるのです。肉体に把われなくなれば、異性への想いも自然と精神的なものが多くなり、自ずと浄化されたものになってくるのです。
なんにしても、人間はその想念がすべてを決定してゆくのですから、想念のあり方が、その人の運命をつくりあげてゆくのだ、ということになります。人間は、個人的には、過去世の因縁を浄化するために、生まれていると同時に、神のみ心の大調和性をこの地球界に顕現するための一つの働きをするために、生まれてきているのです。貧富に把われず、地位や立場にこだわらず、その人の生きていることそのものが、世のためになり、世の光と自らなってゆくような、そういう人に多くの人々がなってゆくことが、私たちの理想なのです。
宇宙人は、自らが霊的存在であることを知っていますので、霊的な働きは当然できますし、その波動をすこし粗雑にしてゆけば、肉体としても現れることができる自由自在性を、その生活の中に持っているのです。

「神界や霊界に本住の地がある」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時21分
「神界や霊界に本住の地がある」(五井昌久氏著作より)
わたし達はすべて、神界や霊界に本住の地があるのでして、そこから、肉体界に心のひびきを伸ばして、言い換えれば波動を伝えてきて、現れているのであります。
それが、いつの間にか、波動の伝わってきている肉体界のほうを主にしてしまった、つまり習慣性によって、肉体界に想いが固着してしまったのです。そこから肉体界の文明文化も切り開かれていったと同時に、本住の地の神界霊界を忘れ果ててしまった、ということになって、逆立ちして生きている状態になってしまったのです。「これからの文明文化(白光出版)の99ページより」

「七種類の光と五種類の光」、(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時20分
「七種類の光と五種類の光」、(五井昌久氏著作より)
この直霊(神)から分かれたいくつかの分霊が、またいくつかに分かれ、またまたいくつかに分かれて、霊界という世界が出来たのであります。これは、霊人の誕生であり、霊界の誕生であります。この霊人たちが、大神の他の分けられた光によって出来上がった宇宙の星と人々に呼ばれている世界に、魂魄となって、物質体をまとって、生活することになり、ここに初めて、地球の肉体人間と同じ要素をもつ人間がつくられたのであります。そうした星星の世界で種種な経験を積んだ分霊たちは、一方は再び直霊と合体し、守護神という役目になって、一方の分霊がまたいくつかの分霊となり、分霊魂魄となって、地球世界に誕生することを指導し、その地上生活を援助することになったのであります。霊界に生活していた分霊たちは、お互いに光りの交流を行い、七種類の光(性能)が種種と交ぜ合わさり、その光の交流の瞬間に、多くの子孫的分霊に分かれてゆくのですが、このうち二種類の光(直霊)から分かれた分霊たちはそのまま霊界で働いているのであり、残りの五種類の光から分かれた分霊たちは、守護神の援助によって、物質界に霊魂魄として、最初の地球人間として、誕生して行ったのであります。
 神道でいう言霊は、各神霊の働きを説いているのであって、太初にコトバあり、コトバは即ち神なりき、の聖書のコトバは光なのであり、そして、アオウエイ(アイウエオ)の母音は、五直霊(命)のことなのであります。ですから、言霊がはっきりこの肉体界に、そのままひびきを現せば、この地球界に神界が出現するのでありますが、業想念(自我欲望の想念)が邪魔していて、今日では、いまだ神々のみ心はそのまま現れてはいないのであります。光は神の言葉であり、業想念は迷(カルマ)の言葉であって、この二つの言葉が入り交じって、肉体人間の言葉となっているのでありますが、光の言葉は神界に生まれ霊界を通って輝いている言葉であって、永遠にひびきわたっているのでありますが業想念の言葉は、幽界、肉体界のみにある言葉なので、いつしか消え去ってゆくべきものであります。

「誤った想いの最大のもの」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時19分
「誤った想いの最大のもの」(五井昌久氏著作より)
白光出版「愛すること」の21ページより、抜粋の一文です。
「戦争も天変地変も、すべて人類そのものの誤った想いがつくり出しているのです。誤った想いの最大のものが、生命の親である神の存在を忘れたり、ないがしろにしたりしていることなのです。」

「個人・国家・人類を守護するそれぞれの守護神」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時18分
「個人・国家・人類を守護するそれぞれの守護神」(五井昌久氏著作より)
守護神の中には、個人個人の救済を主として、働く守護神もあれば、そうした守護神
によって,守護霊となった神霊もありますし、国家を護り、人類を護るのを主にとし
ている守護神郡もおります。わたしどもが、救世の大光明と呼んでおりますのは、人
類を護る守護神郡のことであり、個人個人が世界平和の祈りをすることによって、そ
の個人の守護の神霊も、救世の大光明の仲間入りをして、人類救済の仲間入りをして
働くことになるのであります。そういたしますと、それまで、単独で個人救済にあ
たっていた守護神、守護霊が、人類救済の大光明の大きな光明力の一つとなって、こ
とにあたれば、いつでも、救世の大光明の大きな救いの力を流しいれてもらえるとい
うことになり、個人も得をし、人類全体としても、一人でも多くの人の協力を得られ
たことになり、一挙両得というか、個人人類同時成道ということになってくるので
す。「(非常識・常識・超常識、白光出版)よりの抜粋。」

「各種のボディを持った自己」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時17分
「各種のボディを持った自己」(五井昌久氏著作より)
「現在、肉体に現れている自己というものが、じつは大生命の本源から光明波動として、各種の波動の階層に、各種のボディを持った自己として存在していて、肉体という自己に波動が伝わってくるまでには、幾階層もの波動圏を通ってきている」(これからの文明文化(168ページ)、白光出版より)

「人間の本質は、霊であって、最も微妙な光明波動の世界から様々な階層に、生命波動がその階層にふさわしい体をまとって生きているものである。」(聖書講義、白光出版より)

海馬溝について(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時11分
海馬溝について
「神は沈黙していない」(五井昌久著)の65〜66ページからの抜粋です。
以下抜粋です。
「過去からの想念波動の蓄積は、その脳の海馬溝といわれるところにあるので、この海馬溝は幽界、霊界、神界という、他の階層との波動の交流点であるのです。ですから想念波動の記録は、その交流点を通して、幽界から肉体頭脳に、肉体頭脳から幽界に或いは霊界神界にと交流してゆくのであります。そして、睡らされているときの肉体意識は、肉体界と、幽界、霊界、神界との交流の妨げをしない無意識状態なので、神霊界の光明を肉体頭脳に流しいれ、肉体頭脳に蓄積されている、業想念波動の記録を、夢と画いて消し去ってゆくのであります。そういう働きが急速になされるので、その時、その働きを司る、肉体頭脳の一部、つまり海馬溝が活発に働くという事になるのです。」

「宇宙子と生命波動と人類の関係」(五井昌久氏著作より)

2011年09月26日(月) 9時10分
「宇宙子と生命波動と人類の関係」(五井昌久氏著作より)
以下「信仰と直感」(白光出版89ページより)
宇宙神の御心、宇宙子科学の言葉でいえば、宇宙心ですが、この宇宙心は、宇宙の最初の働きかけである、宇宙核を通して、縦に天地を貫いて、輝いているのであります。この天地を貫いている宇宙心のひびきは、七つの宇宙核を根幹とし、縦横の働きとして、宇宙一杯に生命波動を響かせているのであります。この生命波動の一番最初のひびきを、宇宙子科学では、宇宙子となづけていまして、この宇宙子には、活動しているものと、静止しているものとがあり、いずれも+と−があるのです。中略。活動している 宇宙子の働きは、私達が、霊と呼び、或は、精神とよんでいる働きの面となり、物質化されている宇宙子と調和して、その物質、つまり肉体の働きをなさしめるのであります。こうして、精神と肉体との調和した人間が出来上がるのであります。ところが、この、宇宙子の調和が破れますと、そこに、すべての、不調和が生じてきまして、病気や不幸という、運命上の欠陥が現れてくるのです。精神的宇宙子と物質化された宇宙子との交流を、さまたげる想念波動がなければ、完成された人間がそこにあるわけなのです。中略。まず、精神的宇宙子を縦とし、物質的宇宙子を横の働きとします。何ゆえ、精神的宇宙子を縦とするかと申しますと、精神的宇宙子は、そのまま、宇宙核につながり、宇宙心につながっているからなのであります。そして、物質的宇宙子は、はじめは、精神的宇宙子と同じように、宇宙心、宇宙核につながっているのですが、その活動をはじめて、ある拠点拠点にまできますと、各自横の働きとして、横広がりに働きだすのです。そして、常時、精神的宇宙子の縦から、働きかける光によって、その活動力を補給されつづけて、その活動を続けるのであります。人間の場合、物質としての肉体がここにありますが、この肉体は、霊的精神的宇宙子の絶え間ない補給によって、その存在が保たれているのです。そうした、宇宙子の活動を、生命の活動と言っているのです。中略。精神波動にしても物質波動にしても、ふるくなりますと汚れてくるのでありまして、本来の働きが出来なくなってきます。精神波動でも,宇宙核のなかからたえず、宇宙子の補給を受けていないと、精神活動が汚れてきて、理非判断が出来なくなって、人類の迷惑にも気づかず、原水爆実験をつづけていくようなことにもなってゆくのです。理性が曇るのも、直感がにぶるのも、すべて、宇宙子波動の新陳代謝がうまく出来ていないからなのです。そこで、常に,その新陳代謝をうまくやるように、人間の想念は、いつでも、宇宙核の方に向けておくことが大事なのです。宇宙核と言っても普通の人には、わからないので、神さまの方に、想いを向けて置く生活が大事だというのです。
以下は、「本もの贋もの」(白光出版、188より)
宇宙子とよばれる生命波動の中には、精神面の働きをもつものと、物質面へ向かってゆく働きをもつものとがありまして。いずれも七つ七つの組み合わせとなっては働いてゆくのですが、この七つの組み合わせのなかにも、精神波動一、物質面に向かってゆく波動六というのもあれば、物質面へ向かってゆく波動一、精神面の波動六というのもあるのです。この、組み合わせ方によって、人間生命として現れたり、鉱物生命として現れたりするのであります。
以下「愛することより」(白光出版、65ぺーじより)
活動している宇宙子が多くて、静止している宇宙子の数の少ない融合合体が精神になり、その反対が物質となるのであって、ともに、宇宙心、神の御心の働きかけによるのであります。
以下「日本の天命」(白光出版、28ページより)
人間の働きは、本来、上下左右に働くものであって、上下の縦の働きによって、神のみ心、生命エネルギーを補給し、横の働きによって、神のみ心である、天命を完うしてゆくのであります。