「無事、出産。」 

2009年01月25日(日) 21時22分
18:02、

2995gの元気な男の子が
無事に産声をあげました。

母子ともに健康です。


しみじみと
沸き上がる愛情を感じてます。


おめでとう ありがとう

「誕生直前」 

2009年01月25日(日) 10時18分
ほかの赤ちゃんの産声が
聞こえ、緊張する。


リアルになってきた


しかしいまだ不思議な感覚



父親前最後の更新


赤ちゃん、そして
父親になった自分、
母親になった奥さん、


もうすぐコンニチハ

「ジンツウ来る」 

2009年01月25日(日) 8時12分
1月25日AM6:45。

妻より電話あり。

朦朧とした中、電話をとる。



「腹が痛い。病院行きます」




一気に目が覚める。


「わ、わかった。すぐいく。」


電話を切って、ひと呼吸おき、

準備をしようと動き始める。


あれ、タオルっているかな・・・?

あ、泊まりの可能性も考慮して、パンツもいるかな・・・?


なんてことを考えながら、

その場をいったりきたり。



いつか来るとは思っていたが、

いざ来ると、やはり落ち着かない。




では、茨城行ってきます

「さよなら愛しき日々」 

2009年01月15日(木) 8時50分


毎日のように通っていた、

カフェオルガニコが1月末で閉店してしまう。

もう、本当に残念。



あぁ、残念。



この3年間で、300杯は飲んだと思う、

ここのおいしいコーヒー。



20回は食べたと思う、シナモントースト。



店員さんも、顔を見るだけでブレンド+マドラー

(マドラーは特別にきび砂糖というものをいれるので)

をくれた。



あぁ、残念。無念。



「日日是好日」 

2009年01月06日(火) 0時45分


また、素晴らしい本に出会ってしまった。


お茶の本なんだけど、

人としての生き方が書かれた本。

今の自分に、完全にシンクロする内容だった。



日日是好日(にちにちこれこうじつ)とは、

そのまま、毎日がいい日、という意味。


だが、

「人間はどんな日だって楽しむことが出来る。
そして人間は、そのことに気付く絶好のチャンスの連続の中で生きている。」

このことに自らの体験を通して、深い気付きを得るとき

日日是好日、の世界が、その扉を開ける。



ここのところ、表現することは、生きることだ、という

感覚が自分の中に芽生えてきている。

生きることは、表現である、とも言える。



先日、表現研修を会社でおこなった。

歌舞伎や踊り、芝居を本気で学び、実践することだ。

かの有名な「外郎売」や、「大江戸東京音頭」を

師に稽古をつけてもらって、型から学ぶ。



正しい型は、美しい個性の表現を生む。

はじめは、型にはめられることに抵抗があり、

自分流でやりたい!と思うものだが、

型を一人前に出来るようになって、ようやく、

自分の個性が出始めるのだ。



型に心が入ることで、美しさがにじみ出る。

そのとき、自然と個性はあらわれるもの。



そういう感覚を、体験で知ることの出来た、いい機会だった。

練習は大変で、毎日のようにお風呂で練習した。

台詞をすべて覚え、丹田に力をこめていうことができるよう、何度も繰り返した。

踊りも、鏡の前で何度も動きを確認した。

本番が一番よかったと言ってくれた人が居た。

でも、やってみてわかったことは、その型をつきつめていく過程には、

さまざまな学びや気付きがあること、そのことが嬉しくてたまらないこと。

また、表現すること、その躍動感が楽しくてたまらないこと、だった。




型、手順に沿って取り組むうちに、自然と色々なことに気付く。

この本にも、「長い目で今を生きること」と書かれているが、

あせらず、自分のペースで、自分の日常から、今を味わう。

そのことで、自らたくさんの素敵な気付きを得ていけば、それでいいと、伝えてくれる。




あまりにも深い本で、心に深く、深く染みた。



この本の魅力を、語りきることはできない気がする。

「言えばきっと、言葉が空振りになることがわかる。思いや感情に言葉が追いつかない」




書き口もやわらかく、すごくわかりやすい。



読んでてあまりにもはまってしまい、

帰りの電車で読みきれず、

最寄り駅のホームのベンチで、残りを一気に読破した。



帰りは、仕事でかなり疲弊していたにもかかわらず、

まさに日日是好日な気分に浸り、

近くのコンビニで、久々にビールを買った。



新年初めての、ひとりビール。

自分自身との乾杯に酔いしれた。


日日是好日、に感謝。



<名言>

(次読んだら、またちがう部分が心に刺さるんだろうな。
というわけで、今時点での名言という意味で記載)

太陽の位置によって、一年を二十四の季節に分ける「二十四節気」では、
その等分点を「大寒」「春分」「雨水」「夏至」「立冬」などに名づけて呼ぶが、
特に、二月の「立春」の前日を、冬と春の分岐点という意味で、「節分」と呼ぶ。(P153)

二月になった。お稽古に行くと、
「不苦者有知」という掛け軸がかかっていた。
(中略)
『苦と思わざる者は、地有り』。または、『フクワウチ』。うふふ・・・(P154)


「やめる」「やめない」なんて、どうでもいいのだ。
それは、「イエス」か「ノー」か、とはちがう。
ただ、「やめるまで、やめないでいる」それでいいのだ。(P185)


人生に起こるできごとは、いつでも「突然」だった。昔も今も・・・
もしも、前もって分かっていたとしても、
いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできないのだ。
(中略)
だからこそ、私は強く強く思う。
会いたいと思ったら、会わなければいけない。
好きな人が居たら、好きだと言わなければいけない。
花が咲いたら、祝おう。
恋をしたら、溺れよう。
嬉しかったら、分かち合おう。
幸せなときは、その幸せを抱きしめて、100パーセントかみしめる。
それが人間に出来る、あらんかぎりのことなのだ。
だからだいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・・。(P196)


茶道の風景を外から見れば、ただ黙って座っているに過ぎない。
しかし、見えない場所で、同時に、別のことが起こっているのだ。
その静けさは濃密だ。
「・・・・・・」
走ってだれかに伝えにいきたいような胸の熱さと、
言葉が追いつかない虚しさと、
言いたいけどいえないやるせなさが、せめぎあう沈黙。
沈黙とは、こんなに熱かったのか・・・

「静かに並んで座ったまま、私は、先生と気持ちを共有したような気がした。
先生は言わないのではない。言葉でいえないことを、無言で語っているのだった。」(P225)

「ふとしたことから旅は始まる」 

2009年01月03日(土) 18時14分

カミさんの実家である日立から、

鈍行列車に揺られて帰る途中、

ふと導かれるように、電車を降りた。



隣に空いていた席に座ってきた親と、別の席に座った子の二人組を見て、

親と子が離れ離れに座るのもなんだな、と思い、

席を譲ろうとちょうど立ち上がった、ということもあるが、

どこかでみたような、懐かしい、田舎の風景に、

心惹かれ、思わず駅を降りてしまったのだ。




常磐線高浜駅。

駅前はいい具合に寂れている。

家はまばら、ロータリーなんてもちろんない。



明日から仕事だし、少しでも自然を満喫するか。

この駅は、十分にその願いを満たしてくれそうな雰囲気を漂わせていた。




早速、駅の外に出て、散歩する。

いわゆる、観光地ではないようだ。

少なくても、歩いていける距離に観光スポットはない。




地図を見ると、「高浜神社」というものがある。

そういえば、初詣がまだだった。

安産祈願でもしに、神社へいくことにした。




10分ほど田舎道を歩いて、「高浜神社」に到着。

市の文化財に指定されている、小さくて歴史を感じる神社。

敷地内には、滑り台や、鉄棒、ブランコなどの遊具がある。

昔は、神社は子供の遊び場でもあったのだろう。




誰も居ない。賽銭箱もない。

ひとり、御堂に向かって手を合わせ、お祈りを済ませると、

重たいリュックを背負ったまま、ブランコに乗った。



懐かしく思い、ちょっと楽しくなって、

どんどんこいでみた。

昔から嫌いだった、ジェットコースターのような

高いところからひゅーーーっと落ちる時の感覚が蘇る。

すごく恐かったけど、懐かしい気分になり、どんどんこぐ。



昔は、ブランコをこいでこいで、勢いをつけて、

前方へえいっと飛び降りる競技をおこなっていたものだ。

どれだけ前に着地できるかを競う。

着地の姿勢もポイントになる。



随分勢いがつき、さすがに恐くなった。

あれ、どうやって止めるんだっけ?止め方を忘れた。

自然と止まるだろうと、そのまま揺られていても、

なかなか速度は落ちない。

面倒になり、子供のときのように、えいっ、飛び降りた。



滑降姿勢は悪くない。



しかし、着地がまずかった。

リュックが重すぎた。



バランスをくずし、尻餅をついてころんだ。



誰も居ないことは分かっているのに、

妙に恥ずかしく、ささっと、その神社を出た。




少し、奥に進んでみようと、

駅からさらに離れてみると、

左側に、高台になっており、そこに向かう階段が見える。

随分高くまで続く階段だ。

あの上からは、街を一望できそうだ。

ということで、登ってみることにした。




階段のふもとには、またもや社と御堂がある。

軽く手を合わせ、階段を上る。

随分急斜面で、正月太りのカラダには多少きつい。




上りきったとき、振り返ると目に入ってきたのは、

霞ヶ浦と、そこから流れる川、そして田園風景。

うねうねと曲がった道路を、何台か車が通っている。

午後2時半の太陽は、青空に浮かびながら、

あたたかく、力強い光を放っている。




体に染みる風景だ。

写メールを撮ろうと思ったが、やめた。

液晶に移る風景は、残したいそれとは大きく異なっていたからだ。

また、経験上、このパノラマを、この感覚で味わうことは、

今しか出来ないと知っていた。



登ったその先には、竹林があった。

静かな自然に溶けようと思っていたので、

ちょっとの冒険心と共に、奥深くへ進んでみることにした。




獣道を先に行くと、小さな墓地があった。

聖域を侵す感じがあったが、

小さく、「すみません、奥に入らせてもらいます」と唱え、

竹林を奥に進む。静けさを求めて。




5分も歩くと、竹林が終わり、視界が開けた。

家はないが、畑があり、大根やキャベツが栽培されている。

貸し畑だろうか?

人の気がない。



さらに、進むと、竹林の中に、

切り拓かれたような場所があった。

様子を見ようと、中に入っていくと、

80センチくらいに切った木がたくさん集まり、

ベンチのようになっている。




よく見ると、

2つの木が互いにもたれかかるように、バランスをとって、

地面と三角形をなし、それがいくつも連なっている。

まるで木で出来た、トンネルのような感じだ。



明らかに人為的なものだったが、

ここに住む動物がつくったようにも思えた。




リュックをそこに下ろし、

瞑想をすることにした。




竹林の中での瞑想も悪くない。

自然との調和を図ろう。



「キーコ キーコ」

ブランコをこぐような音が聞こえ、振り向いたが

誰も居ない。

少し不安になる。



狸や猪はいてもおかしくない。

そういえば、さっき畑に獣の足跡があったっけ?

そう思いながら、目を閉じる。




獣に襲われた時、どうしよう、なんて、

不安がやってくる。乱れる心。

先が見えない不安とは、かくなるものかと

ひとり静かに納得する。



風の音、鳥の声、竹のしなる音。

自然の奏でる音楽を聴きながら、

心を静めていく。



*  *  *  *  *  *  *


身震いをして、現実に還ってくる。

少し寒くなってきた。



目を開けると、すでに先程のような不安はない。

仮に獣が来ても、すこぶる仲良くやれそうな心境だ。




目の前には、木や竹が切られ、少し拓けた土地がある。

落ち葉が一面に敷かれたその土地は、

まるで、寝転がってくださいといわんばかりだ。

言われるがままに、自然のベッドに向かって、ゆっくりと倒れこんだ。



あたたかい。

土や落ち葉のぬくもりか。




斜め上を見上げると、何本もの竹が空に向かって大きく伸びている。

こうして寝そべって、空を見ることはあまりない。



自然ってのはすごい、と思った。

同時に、天高く伸びる竹たちは、

ゆっくり、あわてず進めばいいのさ、

僕らもそうなんだから。と言っている気がした。



自然のベッドに寝そべっていると、

生態系の一部に溶けた気がしてくる。

落ち葉が微生物に分解され、養分となり、木に還る。

自然が生きるシステムを、体で感じた。




10分ほど寝そべっただろうか。

西日の気配が漂ってきたから、そろそろ帰ろう、と

立ち上がる。

すると、寝ていたところのすぐそばに、

おっきな栗の実がたくさん落ちていた。

竹林のすぐそばに、栗の木が何本かあったようだ。


おいていたリュックを取りに、さきほどの

木のトンネルのところに戻る。

気になって、もう一度そのトンネルを良く見てみると、

なぞが解けた。

立てかけられた木から、きのこが生えていたのだ。



そういえば、きのこを倒れた木を利用して、

栽培しているところを見たことがある。

なるほど、自分はきのこの畑で瞑想をしていたわけか。



自分の体に胞子がついている気がして、

体に生えるきのこを想像して、ほんの少し笑えた。




面白い。

同じ場所なのに、瞑想前とは

ちがう景色が見えてくるのだから。



そんな高揚した気分で、来た道を戻る。

同じようで、ちがう道に見える。



歩いていると、急に、木の枝が上から降ってきた。

行くときに木の枝が降ってきたら、

サルでもいるかも、と恐怖や不安を感じたかもしれないが、

帰るときには、「来てくれてありがとう」と竹林が

言ってくれている気がした。

林に「ありがとう」と声を返した。



竹林を抜け、階段を下りる。

気分は上々。




道路に出ると、看板が見えた。

「こがねみそ」


好奇心が頭をもたげる。

昨日、テレビで見た「はじめてのおつかい」で

小さな子が、味噌蔵におつかいに行っていたのを思い出し、

これもシンクロか、と感じ、足を運ぶ。



ガラガラ、扉を開けるが、誰も居ない。

ゆっくり商品の味噌を見物する。

種類は少ないが、贈り物用の箱や樽もあり、

ここらでは、有名な味噌作りの老舗のようだ。



家の味噌も切れたところだし、

せっかくだから、ちょっとだけ買おうと決め、

店の人を探すが、奥の味噌蔵にも人は居ない。




玄関に戻ってみると、庭の掃除をしているおばさんがいる。

「すいません。味噌を買いたいんですが」と声をかけてみると、

「あーごめんねぇ」と掃除用手袋を脱ぎながら、店内に入ってきた。




「味噌汁に合う味噌って、どれでしょう?」

「甘いのが好き?そうでもないんなら、こがね味噌だね」

と、教えてくれる。



樽入りは400グラムで340円。

袋入りだと500グラムで270円と安い。

こちらを買おうとするが、ちょうど品切れ。


残念がっていると、

「計って持ってきてあげるよ」

とおばさんは味噌蔵へ入っていく。

「樽とかいれなくても、帰ってタッパーにいれれば大丈夫だから」

なんてサービス精神が旺盛なんだろう。



人の好意を嬉しく思いながら、

270円を支払おうとすると、

「これもつけたげる。年始だから」

と言って、甘酒(220円)もつけてくれた。

先程、実は甘酒うまそうだなーと思っていただけに、嬉しかった。

なんて気前がいいんだ。



「どうもありがとう」というと、

満面の笑みを返してくれた。



旅はこれだからたまらない。

これで甘酒ドレッシングでもつくろうか、とさらに気分はのってくる。



駅のほうへ向かうあぜ道を、気分良くあるいていると、

本日3つ目の御堂を発見。

ちょっと寄り道していく。



またもや小さな御堂。

手を合わせ、無心で祈る。




ふらっと降りた駅だったが、すごくいい時間を過ごすことができた。

この短時間での旅に感謝しながら、電車を待つ。

旅はいつも、自分の想像をはるかに超えたギフトを与えてくれる。





帰りの電車、さっそく忘れないように旅の記録を作っていると、

隣の人がうたたねしている。

手には、白いカバーの本。

「ホ・オポノポノ」



この旅の思い出を胸に刻みつつ、

思い出したように唱えた。




ありがとう、愛しています。



「あけまして」 

2009年01月01日(木) 21時23分


あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。




年末年始は、カミさん実家の茨城県日立市で過ごしました。

海が歩いてすぐなので、

朝起きて、初日の出を拝みにいきました。



太平洋の水平線から昇る初日の出が、とても、とても綺麗でした。。




朝日は、今住んでいる柏市の家からも良く見えて、

これまたすっごく綺麗で、いつもエネルギーをもらうのですが、

水平線から昇る日の出も格別。




やっぱり朝日や夕日はいいなぁ。


世の中の中学生の3割くらいは、夕日をみたことがないらしい。



もったいないぞ、若者よ!(自分もまだまだ若者ですが♪)

「奇跡のリンゴ」 

2008年11月27日(木) 12時16分



自分の力だけで何かをなすのではなく、

自然と心から向き合い、
自然に生かされていると感じて、作物と向き合う。

無農薬にすることが最も困難な作物のひとつであるリンゴ農家として、
その30年の生き様から、
万人に共通する、自然との向き合い方を教えてくれる一冊。

木村秋則氏のドキュメンタリーであるこの本は、
その奇跡のリンゴが生まれた畑で書かれたという。

人の生き様、リアルから浮き出てくる真実は、
何よりも伝わるメッセージだと思う。

そう、そうなんだよ、という共感と、
生きてくれて、そのことを体現してくれてありがとうという
感謝を禁じえない。

永久に保管したい一冊。


<名言>

自分の力ではどうにもならないことを悟ったとき、彼は初めてリンゴの木に向かい合うことが出来たんだと思う。
木村がリンゴの木に話しかけるのは、心からリンゴの木に感謝しているからだ。相手が聞いているかどうかは問題ではない。リンゴの木は、リンゴという果実を生産している機械ではない。リンゴの木もまた、この世に生を受けたひとつの命なのだ。当たり前のようなことだけれど、心からそうだと思えることはまた別の話だ。木村は人という生き物として、リンゴという生き物と向かい合っている。綺麗事ではなく、数限りない失敗と際限のない徒労を重ねた末に、ようやくそういうものが見える場所に辿り着いたのだ。(P112)

そして荒れ果てた畑を見回し、彼は愕然としたのだ。自分に何かが出来ると思っていたときには、見えていなかったことがはっきりと見えた。木村の4つの畑には、800本のリンゴの木があった。その800本のリンゴの木が飢えて、死にかけていた。自分はいったいなんということをしてしまったんだろう。そう思っても、彼に出来るのは、とにかくリンゴの木に頭を下げることだけだった。果実なんてもう実らせなくてもいいから、とにかく枯れないでくれ、生きてくれと頼むことしか出来なかった。経験や知識ではなく、木村は自分の生身の心だけでリンゴと向かい合っていた。(P113)

自然の中には、害虫も益虫もいない。それどころか、生物と無生物の境目すら曖昧なのだ。土、水、空気、太陽の光に風。命を持たぬものと、細菌や微生物、昆虫に雑草、樹木から獣に至るまで、息としいける命が絡み合って自然は成り立っている。その自然の全体と付き合っていこうと木村は思った。自然が織る生態系という織物と、リンゴの木の命を調和させることが自分の仕事なのだ、と。(P136)

「百姓は百の仕事という意味なんだよ。百の仕事に通じていなければ、百姓は務まらないのさ。」(中略)自然は細切れになどできない。それは、木村があのドングリの木の根元で掘った重要な真理だった。自然の中に、孤立して生きている命など存在しない。自然をどれだけ精緻に分析しても、人はリンゴひとつ想像することは出来ないのだ。バラバラに切り離すのではなく、ひとつのつながりとして理解すること。科学者がひとつひとつの部品にまで分離してしまった自然ではなく、無数の命がつながり合い絡み合って存在している、生きた自然の全体と向き合うのが百姓の仕事なのだ。だから、百の仕事に通じなければならない。(P185)

「baby baby baby」 

2008年08月14日(木) 0時45分
結婚して3ヶ月。

相方の妊娠が発覚してからが、

人生の転機だったように思う。




新婚生活は楽しいものだったけど、

ずっと一緒に住んでいた二人だから、

生活はそこまで変わらなくて。




新婚旅行でタイ・サムイ島での

ハネムーンベイビー。

はじめは、全く実感がわかなかった。

でも、そんなに大きく驚いたわけでもなかった。

自然に授かったbabyを、自然と受け止められている自分に

どちらかというと驚いた。



高校3年の頃に、ある病気で1ヶ月入院し、

40度近い高熱を、1日に何度も出していたし、

自分に子供ができるのか、実は大きな不安があった。



だからこそ、

子供が選んでくれたんだ、と、

妊娠の報告を受けた時は、少し嬉しかった。





旦那になり、親になる。

(新婚旅行で痛風にもなった。)

相方のおなかは日々成長中で、もう5ヶ月になる。

オヤジとしての意識も、日々向上中。



いま、この瞬間すでにオヤジな自分。

生まれ出でずとも、おなかの中に生きている時点で。




少しずつ、自分の生き方が変わってきています。

「結婚しました」 

2008年05月19日(月) 0時59分
遅ればせながら報告です。

2008年4月26日、結婚しました。


 


大学1年のときから、

7年間、付き合ってきた女性と、

これからは、夫婦として

共に歩んでいくことになりました。






式は、ごく身近な友人を集め、

東中野の式場にておこないました。

式の準備と仕事の繁忙期が重なり、

胃痛で倒れもしましたが、

なんとか、無事に式も済み、

5月11日〜17日には、タイへの新婚旅行もいってきました。



改めて、

これまで、仲よくしてくださった皆さま、

ありがとうございました。

今後は、夫として、

精進していきたいと思います。

一方で、

これまでと変わらぬ友情を、

みなさまと深めていければと思っておりますので、

どうぞ宜しくお願いいたします。



ささきたかひと
2009年01月
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