ちょっとだけ、さよなら。

2010年03月30日(火) 0時00分

NicolaとConnieとBitの日記を作成した頃は
最初は1週間に1度くらいの間隔で作成して
アップロードしていました。

それが、気がつけば毎日の更新となり、
ブログが楽しくて励みにもなって
いましたけれども‥

毎日書くのに、すこし疲れました。
だから、ちょっとだけ、さよならします。

ブログ日記を観に来てくださっている方々
どうぞ、お元気でいらしてくださいね。

私のブログ日記を観ることを、毎朝の新聞を
読んだ後の習慣としていると伝えてくださった方々
その、習慣を変更させてしまって、ごめんなさい。

今まで毎日、観に来てくださいまして、
どうもありがとうございました。


私がブログ日記を書くことによって得た益は
信じられないくらい、たくさんありました。
自覚できるのは自分の心が強くなれたことでした。

そして、いろいろな背景をもたれる方々と
お近づきになることができました。
そうした人々からの良い感化も受けました。

でも趣が変わって来て、私は自分の心の限界を
思い知るようになりました。それは‥

エキセントリックで粘着性がありサイコな人間も
この世界にいることを知ったからです。

他人の心の闇にふれることには、ある一定の
責任が伴います。

例えば‥心を注いで心の秘密を、誰かに打ち明ける
ということは、その人のお話を聞く側にも付帯して
責任が伴うのです。

つまり、心を注いで他人に語るということは、話し手は
その人の目の前で服を脱ぎ、裸体をさらすような状態
になるのとおなじことのように思えるのです。

聴き手は、そこで、なにかをはおってあげようという
細やかな優しい気遣いがなければ、心を注いで話した人が
羞恥心の中で震えるまま‥となってしまいます。

そして、あとから話さなければよかったと悔やむような
そんな結果をもたらしてしまうようになるのなら‥
語るよりも黙っていた方が賢明なのかもしれません。

そんなことで、気まずくなって関係が変化したり
ギクシャクしてしまうのは悲しいと思ったのです。


だから、話を聞きことが出来ないと拒絶した私は
冷たく映ったことでしょう。
でも‥私には力量不足で重荷過ぎるのです。

人生経験における経験不足による私の未熟さと
それに伴う、感情移入できない私の人間性が
問題をよけいに難しく感じさせました。

簡単平易にいえば、私の力不足でした。
私のような経験の無い者の語る言葉は無益です。
時には無知ゆえに残酷であり、有害となります。

それで、私の言葉が悪影響を及ぼしてしまうの
かも知れないと考えました。
なんて、返答したらいいのかわからなくなりました。

ですので他愛なく思ったことを自由に語ることが
難しく感じてきました。

私の考え方とか物事の捉え方を見つめなおし
私はブログ日記の方向性を見誤ったと悟りました。

心が敏感で鋭敏で繊細な感受性の豊かな人々を
これ以上傷つけたくはないと思うようになりました。


ですので、ブログ日記を毎日書くのはやめました。
それで、不定期に書くことにしました。

それもなにか、特別な出来事があった時にだけ
ブログ日記を書くことにします。

そして、NicolaとConnieとBitの日記に
ふさわしいアルバム日記として書くことにします。

主な理由は先ほど述べたとおりなのですが
正直な自己分析をしてみますと‥ああっ。
ほんとうのことを言います。ほんとうは、ほんとはね。

モチベーションがすっかりと低下して
しまったことが一番の理由なんだと思います。

そして、心が傷み悲しくて辛いのです。これは
NicolaとConnieとBitの日記なのだから‥

だから、コニーちゃんがいないとなんだか
なんだか、とても辛いのです。

もう、なにもしたくないのです。
静かにしていたい。

悲しすぎて、寂しくて、たまりません。
それが、一番の理由なんだとわかりました。


また、ブログ日記を書ける日が来たら‥
ニコラの狂犬病の予防接種の話と
ニコラの混合ワクチンのことについて
今度は、書くつもりでいます。

それからこれまで、私が書いて来たブログ日記は
カテゴリーが曖昧でした。

ですので、INDEX を作成してほしいと言う
ご提案が多く寄せられました。

承りましたから、少しずつまとめるつもりです。

ですが、すべてのワンちゃんたちに対応するとは
思えませんので、シニアなニコラの特殊事例として
あくまでも参考になさってください。

出来上がりましたら、またアップロードします。

では〜♪ それまでお元気で、
ちょっとだけ、さよなら〜♪

花冷え

2010年03月29日(月) 6時59分

花冷えの寒い朝のお散歩でした。

小雨がぱらつき、帰る頃には
雨となりましたから
急ぎ足で帰ってきました。


桜の花も咲き始めています。

あまりの花冷えする寒さで
お腹が痛くなってきました。

腸ではなくて胃が痛いです。


mixi でおしりあいになったマイミクシィのお友達犬
ビオラちゃんが永久の眠りにつきました。

朝に、日記の中で語られていました。
16歳と8ヶ月‥もうじき、17歳になるくらいの
長寿であったと思います。

ですが、いくら長寿と言われましても
なんとなく、そう思えないのが不思議です。

本来ならば、まるで奇蹟のような
憧れてしまうくらいの年齢での、お別れなんだと
思いました。

エレガントな美犬のイエローラブラドールの
優しいビオラちゃんでした。

ビオラちゃん‥安らかにおやすみなさい。


人間も犬も高齢化社会になっているようです。

犬の介護グッズもいろいろと増えてきました。
経験から創作された介護グッズなども
多くあります。

それでも、元気なお年寄りも多いですし
健康思考や情報もたくさんあります。

朝の公園でラジオ体操している人々の数は
とても多いです。
ほとんどがシニアの世代です。

大きな声で話に興じている人々の会話が
耳に入ってきました。

心臓疾患は、朝方に多く起きて
脳内出血などは、遅い夕方から午後7時以降が
多いのだそうです。

こんな寒暖の差が激しい日が続くと
みんな命がけの心構えをしているかのように
話題が錯綜しています。


もうじき、お花見の時期になりますね。

今年の桜は綺麗に長く咲くといいのだけれど。


フラン犬って、なあに?

2010年03月28日(日) 6時33分

先日、ビットのことを書いた
ブログ日記のなかで、登場していた
フラン犬のぬいぐるみについて

その‥フランケンってなんですか〜?
どこに売っているのですか?

などの、ええぇ〜?のご質問がきました。
意外な反響に驚きです〜♪

フラン犬については、過去にブログ日記で
紹介したことがあったのですが‥

見つけるのが難しかったので、今ここで
ご説明いたしますね。


フラン犬‥フランケンと呼ばれている
ラブラドールのぬいぐるみについて

フランケンはもともとは、ペルシャ猫の
コニーちゃんに買ってあげたコニーちゃんの
お気に入りのぬいぐるみでした。

将来、本物のラブラドールを飼うことに
なるとは思いもしなかった時に、偶然見つけて
買ったコニーちゃんのぬいぐるみなのです。

ビーズなど入っていなくて、全部、
綿が詰まっているぬいぐるみです。

たまたま、みかけた1000円以下のワゴンに
山積みになっていたぬいぐるみです。

いろいろな犬種や動物の中から、この犬を選び
形が気に入って購入しました。

その時は、この犬がラブラドールとは気づかなくて
ラベルを見て、あとでラブラドールと知りました。


コニーちゃんはこの、ぬいぐるみが大好きでした。
とても気に入っていて、いつも遊んでいました。

コニーちゃんの遊び方は、遠くから伏せてねらって‥
狩猟するみたいに、いきなり飛びつき、まるで
アフリカのサバンナのライオンがシカ類を襲うかのように

首にかぶりつき、前足でロックして、横倒ししながら
ガブガブ噛み付いて、最後には後ろ脚の猫キックを
気のすむまで、ケリケリし続けて遊ぶ‥

‥ということを毎日のように、飽きもせず日がな
繰り返して、楽しく遊んでいたのです。

耳をくわえて引きずって遊んだりもしていました。

コニーちゃんはぬいぐるみには、いつもそのようにして
男の子らしく、過激に挑んでいたのです。


とりわけ、フラン犬には加減がありませんでしたから
いつも、破けたり、切れたり、時には、中の綿がでたり
目玉のボタンが転がって、顔がぁ〜‥という状態に
なったりしました。

そのつど私が、すぐに修復作業をしました。
最初に繕った時には、太い糸が黒色しか
みつからなかったので黒糸にしました。

それが、意外にも‥できあがると味わい深く
クスッと笑ってしまうような効果をもたらしました。

家に遊びにきたほとんどの客人は、必ず
フランケンに着目して、まじまじ見ながら
一笑して、それで話題が発展して‥

フランケンが話題作りとなり和やかな雰囲気になり
フラン犬のその後の変化を楽しみにされて
いらっしゃる方々も結構いるくらいでした。

悲しい深刻な話をして、涙ぐんでいた人が
フランケンに目をやり、突然に‥
ふふ‥と笑い出して、緊張感が解けたことも
ありました。


フラン犬‥フランケンという呼び名は、
弟が名付けたフランケンシュタインに
ちなんだ名前です。

家に来た時に、なんだこれ〜?あっははは〜♪と
大爆笑してものすごく受けて、喜びました。

「これは、フランケンだよ、フランケン、フラン犬!!」

‥ということから、フラン犬と書いて、フランケン
という名前になったのでした。

フランケンのことを知っている人は、家に訪問すると
必ず、そわそわしながら、キョロキョロしながら
フランケンを探して、その後のフランケンの変貌振りを
確認して笑っていました。

これ見るのが楽しみなんだ〜♪‥なんて、言う人が
多かったのです。

フラン犬は年代物です。
かれこれ15年近くの年月を生き残って来た、
ぬいぐるみなのです。



DOG DOC・ドッグドック

2010年03月27日(土) 0時00分

年に1回のニコラのドッグドックです。
腫瘍マーカーキットの検査もいっしょに
行っています。

DOG DOC 14,700円
ガン検診(腫瘍マーカー)26,250円

合計、40,950円でした。

これには、アニコム保険は使えませんので
全額自費で支払います。

昨年は治療のなかに血液検査が含まれて
いましたので、少しだけ、安価でした。

ニコラの DOG DOC・ドッグドック
賛否両論あるのはわかります。

義務づけられているわけでもなく
どうしても、しなければいけないという
検査ではありません。

だから、自己判断の自己満足に過ぎない
検査なのかもしれませんけれど。

だけど、毎年自主的に行っているのです。
来年も行うつもりでいます。


レントゲン検査の時に先生のご厚意で
股関節まで広い範囲で撮ってくださいました。

それで、ニコラの今の現状を知ることが出来ました。

かなり、悪化していて、丸いところがなく
球体の骨の形でなくでこぼこしたザラザラの
軟骨も崩れて、悲惨な状態でした。

脊椎も悲惨な状態でした。
関節が可哀想なくらい悪化していました。

これは、かなりの痛みを抱えている状態
なんだそうです。

対処方法は、鎮痛剤を与えることと
関節サポートのサプリメントが必要です。

骨格的にニコラの弱いところを
把握することが出来ました。

ですので、リードの加減やしてはいけない
力のことなども認識できたので
理解が得られてよかったです。

最近はニコラのことを多方面から
気をつけてみていて、今度からは
スケルトンで見つめるようになるのだと
実感してきました。


DOG DOC・ドッグドック‥
高齢犬なんだから、もうなにもしなくても
いいんじゃないの?‥と、言う人もいます。

でも‥私は精密な健康診断と考えているのです。

それで?意義ある検査なの?って訊かれると‥

よくわかりません、ほんとうはちょっと
揺れています。
でも‥安心はお金である程度買えるのです。

未然に事前に、病気の兆候を知ることも出来る‥
というようなパターンもあると思うし‥

もしそうなったら、手術とかなにかが出来ると言う
安定した状態ではない受容体なんですけれどね。

未然に防ぐ‥というところに重きを置いています。
ほんとうはただの自己満足なのかもしれません。

精神的な安心感が得られることは事実です。
ある程度の状態を知ることの大切さを感じるから

だから、このままずっと続けるつもりです。


4月には狂犬病の予防接種があります。
血液検査の結果をお聞きする時に
今年の方針を決めるつもりです。

なんでもなければ、狂犬病の予防注射は
受けさせるつもりでいます。

それから、6月は混合ワクチンです。
このことについては、レトロウィルスの混入問題を
解決して納得してからでないと受けさせません。

ニコラの行っている動物病院もワクチンの製薬会社
デュラミューンだから、ちゃんと訊かなくては。


確か、レトロウィルスは生ワクチンに混入していたと
報道されていたと記憶していましたが

その後、なんにも情報開示してくれないから‥
心配や不安な気持がいっぱいです。

動物病院には製薬会社側からは、なんと言って
説明しているのかが、気になるところです。

隠蔽工作なんかしていないといいのだけれど。
でも、どうやって本当の実体を知ることが
出来るのかしら? その方法が知りたいです。


裏切り者のユダの死

2010年03月26日(金) 0時02分

12使徒の一員であったユダ・イスカリオテが
イエス・キリストを裏切り、銀30枚で祭司長に
引き渡す手はずを決めた時に、すでに彼の背信は
確定していたのでしょう。

イエスが罪に定まったのを知り、悔恨の情を
感じたユダは銀30枚を祭司長に返して、
わたしは義の血を売り渡して罪を犯したと言い

祭司たちからは、「どうしろというのだ!
あなたが処置すべきだ!」と冷たくあしらわれ
裏切り者は、人間からも見捨てられたのでした。

その銀貨は受け取り拒否されたあと、ユダは
銀貨を神殿に投げ込み首をつって自殺します。


おそらくユダは木に首をくくったのでしょう。
なぜなら憶測ではあるのですが、マタイ書には
首を吊った。と記されているのみで、その後

使徒行伝ではその後の展開として
‥ユダはそのまま落ちて‥と
続く記述が記されているからです。

ユダの死に言及している書は、四福音書の中では
マタイによる福音書にあるのですが、ルカは
ルカ書のなかでは触れずに使徒たちの活動の中で
詳細に言及しています。


ユダの死についてこのように言及しておりました。
たぶん、首を吊ったその木の枝が折れたのでしょう。
こう説明しているからです。

ユダはまっさかさまに落ちて、その身は真ん中から
音を立てて張り裂け、その腸はみな注ぎ出された。

と使徒たちの活動、使徒行伝1章18節に記されています。


裏切り者の死は壮絶な有様だと実感しました。
この書を霊感の元に書き記したルカは
医師でしたので描写がとても医学的です。

私は聖書のなかの記述の中で、好きな書はこの
使徒行伝である、使徒たちの活動が好きです。
そして、ルカ書が好きです。

ルカという人物に好感が持てるのです。
私はルカが好きなのです。


聖書筆者は神の霊感による導きで全部で40人の
人間の手により、1610年という長い期間を経て
書き記されました。

創世記から最後の黙示録であるヨハネの啓示に
至るまでの一貫性ある主題に貫かれた内容は
単なる人間の著作を凌駕するものとなっています。

この聖書全巻が書き記された背景も時代も生まれも
教育も異なる人間たちの執筆ということ自体奇蹟です。

それらが、ビブリア‥小さな書‥という意味の66冊が
1冊の本となり、バイブル・聖書となったのです。

聖霊による神のみ言葉であることは明白であり
信憑性があります。

「聖書全体は神の霊感を受けたもので、教え、戒め、
物事を正し、義にそって訓育するのに有益です。」
ー テモテへの第二の手紙3章16節 ー


PASSION・怒りの炎が燃えた。

2010年03月25日(木) 5時41分

最初から聞く耳持たない人間が誠実な
善意の人間の真摯なアドバイスに逆上して
被害者意識を演出し、管理人に泣きついて

その人間をコミュニティから追放し
強制退会処分に追い込むように画策した
おぞましき陰謀を目の当たりにした
昨日の出来事でした。

私はこの厚顔厚かましいオバサンが許せない。

自分のしようとしている事柄にアドバイスでは
なくて単なる同意を得るために使われたのです。

自分の耳に聞きたい言葉のみを聞くだけの
軽い気持で立てたトピックであったのだと

最初からもともと、アドバイスなどいらなくて
自分のしたいようにどうせするのだという
すでに固定された考えが出来ていたのでした。

実際にアドバイスも取り入れられないことは
既存していた事柄があとで暴露されたことで
わかったのでした。

その、からくりがわかった時点で私の怒りの炎は
頂点に達しました。

ものすごく、ふざけている。
ボワッと怒りの炎が燃え上がりました。

がっかりしました‥愛犬家ならいい人ばかりだと
そう思っていたから‥真相はひどすぎたのです。

許せないのは人の心を利用したことです。

心から保護された犬の行く末と幸福を願う
マイミクシィが語るアドバイスの言葉は
その犬の幸せに繋がらなかったのです。

今までの様々な経験からなる実績ある含蓄ある
言葉の価値を認識できない豚に真珠のような人間に
話していたなんて虚しく無意味なことでした。

そんな下心のあった卑怯な人間に惜しみなく注いだ
時間と知識とを捧げた貴重な労力はすべて無駄となり
水の泡と消えてしまったのです。

なんてことでしょう!‥そればかりでなく‥
管理能力のないコミュニティの管理人の手により、
それらの貴重なコメントが削除されてしまいました。

彼女の語った素晴らしい貴重な宝のような知識が
トピックから忽然と消えてしまったのでした。

まるで、虫食いの死海文書のようなそんな
無価値な無意味なトピックの枠だけが
残骸のように残っただけでした。


こんな傍若無人な人間のなし得る愚行が見過ごされ
人に心を込めて爽やかに率直に誠実な心で語り
切々と説明していたマイミクシィが追放処分なんて
言語道断です、アンフェアです。

彼女の真剣な必死な熱心さの目的は、それはひとえに
見捨てられて保護された猟犬
イングリッシュセッターを幸せに導くためでした。

そのことをなぜ?見極められないのかと管理人の
洞察力のなさを悲しく思いました。

保護された犬の命と理想的な環境を作るため
骨身を惜しまずに、熱い情熱と燃えたぎる熱意の
彼女の語る言葉は鋭利で、トピ主の心を調べる
剣のように切り刻むかのようでした。

それが問題点となったことは致し方ありません。
ですが‥真髄がわからなかったのでしょうか?
いいえ、私には彼女の心がはっきりと見えていました。

むしろ誠実な質問に誠実に答えずに、はぐらかす
トピ主の逆上して矛先をかえる態度に疑念を感じました。

私はマイミクシィのすさまじい情熱的な熱意が
犬の命に対する熱心さに、絶対に確実に救済する
決意のような勢いに、犬を心から気遣い愛する気持が
伝わって来て、人間としての本来あるべき姿をみて、
深く感動していました。

だから、おなじような気持のポジションに立ってない
この、トピ主がますます怪しい人間に思えて来ました。

そのため目が離せなくなった、mixi の新しく入会した
犬のコミュニティでの出来事に燃えた数日間だったのです。

保護された犬に対する理想的な環境づくりに
尽力をされている人々の姿に圧倒されました。

そのことだけに思いを集中して、一致団結し連携して
1頭の犬の命を救うために燃える熱意を示している姿
それを垣間見ることが出来て、このうえなく興奮しました。

これこそ、真の動物愛護の気持と基本姿勢なのだと思いました。
なんて、素晴らしい人々なんだろうと心の底から感心しました。

雰囲気で感情的に流されて、感情で動く根っこの無い
気分屋のボランティア活動家ではない、まさに真剣勝負の
命がけのレスキューを感じ取ったのです。

私は、気がつけば心から感動して感涙していました。
心から応援していました。

話がいい方向に向かうように筋道立てているのに
あまりにも非協力的でいよいよ怪しくおかしな振る舞いの
トピ主でした。

私が注目した書き込まれたコメントのほとんどが‥
それらを語るコメント書いている人物たちは皆
私の古くからのマイミクシィたちばかりだったのです。

彼らの思いは一つの方向を指し示して、向かっているかの
ように見えていました。

彼らを誇らしく思いました、mixi 内でお知り合いになり
近づき親しくなれたことを嬉しく光栄に思いました。


でも、彼女たちと違って‥私には悲しいけれど、
彼女たちのような感情を持っていませんでした。

私にはここまでの熱意や情熱は他の犬には抱けません。

というのは、私は自分をよく知っているのです。
私は没頭してのめり込んでしまうと周りの景色が
集中しすぎてなにも見えなくなるタイプなのです。

そうなると、自分の一番大切な愛犬ニコラが
疎かになってしまうからです。
ニコラを犠牲になどしたくはありません。

私には優先順位の順番を狂わせることも
順序を入れ替えることもできません。
つまり、簡単に言うと私は不器用な人間なんです。

ですがおなじ立場でも、彼女たちは違いました。
愛犬と暮らしながらも、そこまで活動できる人なのです。

彼女の発言から、私は彼女の犬に対する愛情の深さと
秀でた才覚と裏打ちされた知恵を実感していました。

保護犬を安住の地へとふさわしい適任者の元に導くため
例えば、おなじ犬種の飼い主や克服すべきクセや弱点を
トレーニングして直して行くことの出来る技量を持つ

実力のある適材適所のふさわしい飼い主へと譲渡させるべく、
細心の注意と識別力と人間性を洞察することの出来る、
真贋を見極める目のリテラシーの持ち主であることを
実証していたからです。

命を託せる人物だと犬の方から、私たちを助けてください。と
お願いして来るような人間に思えて来ました。

私は、彼女の鋭い指摘や真っ正面から詰問して
心の動機を探るような、心を試すような誠実な質問に
真剣さと気迫を感じ取りました。

保護活動を行う動機は真剣に犬の命を確実に救う。という
ポジションから1mたりとも微動だにせず動かずに。

自分の意見に自信を持って語ることができるのは
それまで行い続けて来られた保護活動の裏付けられた
実績と経験からにじみ出た真実の姿なのだと感じました。

中途半端な気持でこうした保護活動に携わっているような
相手の目を背けさせない程の迫力に目を見張りました。

彼女の発言する厳しい指摘は真実な評価を成し遂げて、
とうとう、その人となりと心の特質とを露呈させました。

彼女の言葉から、持ち主である自称保護活動の人間の
人間性が性格面の問題点などが如実に姿を現したのです。

そして、同調してほかのコメントを書いた人間たちの
スタンスも暴かれるように露呈しだしてきました。

客観的にみると、それぞれの重きを置いている
視点からして異なっている事実がわかってきたのです。

なかには人間関係を重んじるために、自己保身のような
連帯意識を重視して、問題点をはぐらかすという

取り繕うかのように意味のない理屈をこねるコメントや
ゴミクズみたいな考え方を非現実的な見地で机上の空論
のようにあり得ないことを書いている人もいました。

短絡的なものの見方をしていたその甘い人間たちは
マイミクシィの彼女の言葉の働きで本性を現しました。

マイミクシィの彼女の語る言葉は、諸刃の剣のように
考えと意向を見抜くような効果を発揮したのです。

ついに真髄を見抜かれた、彼らは激しく逆切れして
爆発して怒りだしました。

そして、自分の本当の正体と真価をみんなの前に
さらけだしたのです。

結果的にマイミクシィの彼女の言葉は保護活動を行う人の
スタンスをジャッジしたみたいな効果をもたらしました。


そこに見えていたのは、適性のない実質的に
力不足である人間性の弱点とも言える
曖昧な心の動機の形でした。

この人は真実を語っていない、なにかを隠している。
と、異臭が漂うようなイヤな気持になりました。

人間的な特質の中でこの人の欠けているように感じられた
特徴というのは、自分が主観的に感じた事柄なのですが‥

自尊心がとても強く、相手の意見に対して謙虚な気持で
耳を傾けることが出来ない、つまり、アドバイスなど
退ける心が柔軟でない傲慢さ、批判に弱く自分に甘く
依頼心も強く、基準が明確ではなくて日和見的で
すぐに責任転嫁する被害者意識の強い人間であることを
露呈していると感じたのでした。

ですので、おそらく感情的に流されて感情的に動き
手に負えなくなると、即座に犬の命は手放してしまう人
となるかもしれないと感じとれました。

実際、途中でトピックを見放して最後まで責任を持って
トピックの行く末を見届けることを放棄したのですから
よけいにそう思えました。

犬のQOLよりも、自分の自尊心を優先する人間には
そうした人間には、命を扱うことは不向きなことと
理屈抜きで感じ取りました。

だから生命を扱う事業、特に保護活動には向いてない人
だと思いました。
命の重みをしっかりと認識して、さらにその命の尊厳を
しっかりと把握できている人でなければ実践することが
できない保護活動であるのだと思いました。

私は私のマイミクシィの彼女たちの実践し続け
実績を残し経験豊富な根拠に基づき語る、こうした
真剣さに深く感動し、mixi 内で親しく知り合えて、
素晴らしい人格者であることもコミュニティ内での
コメント発言から、詳しく知ることが出来ました。

心から彼女たちを尊敬している熱い心の自分を感じて
感涙の涙と共にこの出会いを嬉しく思いました。

それなのに、その日の昼下がり、そのコミュニティで
彼女のコメントによると、管理人から強制退会を勧告され
追放処分になることになったとの結果報告が記されていました。

あまりにも、偏りみている管理人の技量の無さと
管理能力の欠落した致命的な欠陥をみました。

それこそ、真贋を見極める目のないことを
表したその愚かな判断が‥ただ、残念でした。

アンフェアだと思いましたし、謝罪の形を潔く語ったのに
ほんとは、感謝の言葉は受けても謝罪することなど
する必要もない彼女だったのに‥

とても、悔しい思いをしました、誰かがこれじゃあ
犬死にです。と書いていたけれど。
おもわず、ぷっと吹き出して笑ってしまったけれど。

ほんとうにこれでは、まるで犬死にみたいです。なのに‥
ずるい人間たちは息をひそめて隠れているのです。
私は、卑怯者とずるい人間に腹が立ちました。
でもこれで、すっかりなにもかも理解できました。

マイミクシィの彼女の行いはこれからもそのまま
彼女について行き、彼女はこれからもリアルに確実に
犬の命を助けながら無駄のない人生を歩まれるのだと。

彼女のまっすぐな鋭い審美眼で人々を選別していく
見極める作業はずっと続くのだと思いました。

だから、敗北したみたいな感じだけど、ほんとは
そうじゃなくて、決して恥じる必要は無いのだと、

これからも私が彼女を見つめる目に信頼は増えても
変わることなく親しく感じていくのだと思いました。


ただ、気づき残念に思う事柄として、自分の心の中に
彼女たちを支持して、自分もコメントを書き込み
擁護できるほどの気持やそこまで奮い立つような
保護犬の里親探しに尽力を尽くす気力や愛情や
モチベーションがないことがわかったことでした。

私はそういう意味で無力な人間だと感じています。
ですがこれは、自己卑下したのではなくて、
自己認識であり現実的な自己評価なのです。

言い訳がましいけれど、おそらく最近つづけて
あまりにも悲惨な動物虐待の写真をみてしまったことで
強烈なショックを受けて、それがインパクトありすぎて
心がフリーズして麻痺しているのだと分析しました。

あまりにも悲惨で残酷だった犬の写真は動物虐待の
針金がお腹にグルグル巻きの犬の写真とそれから

ラブラドールみたいな犬の鼻に釣り針のような
牛の鼻輪みたいなフックが取り付けられていて

おおきなビックリしたまん丸な目で自分の身に起きた
ことに驚いているかのような犬の写真でした。

この、鼻輪フックの犬はフカヒレを捕るための
サメの生き餌として用いられるトロール船の漁法
に生きながら海に投げ込まれ、食べられるそうです。

そんな残酷な出来事が知らない世界の現実に起きている
ことであったのです。
そんなすさまじい今まで知らなかった実態をみてしまった
のでした、ですからしばらく、私は再起不能です。


ビットのこと

2010年03月24日(水) 6時24分

ヒマラヤン猫のビットは私が衝動買いした
お買い物の猫でした。
ペットショップで買った猫というのは
これまでで、ビットだけです。

14年前の12月に荒川屋という小さなお店で
ウィンドー越しに、ビットの姿を見つけて
素通りせずになんとなく目と目が合いました。

飛び回って遊んでいる姿が可愛かったのです。
私を見上げる、小さな子猫の愛くるしさに
思わず微笑みました。

そして、子猫が私を見つめる目が‥まるで‥

ボクをおうちにつれてって、ボクと仲良くして♪
とでも言ってるかのように見えて惹き付けられたのでした。

見れば見る程、仕草が可愛くて、懐かしくて‥
ロックオン状態になりました。それで、とうとう、

‥この猫をみせてください。
‥という言葉を発するようになったのでした。

お店のおばさんに首をつままれて、空中に浮いた
子猫の姿をみて私は、とても驚きました。

空中でもがく姿を見て、このお店のオバサンは
猫の扱い方をしらないんだ‥と感じました。

手に受け取り、私に抱き上げられたこの子猫を
しっかりと抱いた瞬間、あっ。うちの子になる。
という、啓示を受けたような確信に変わりました。

そういう、インスピレーションのようなものを
感じることって、お買い物の時によくあるのです。


でも、その時は私の心にはべつの動機もあったのです。

それは、ひとりぼっちでお友達のいないまだ、1歳にも
ならない子猫のコニーちゃんのことを考えていたのです。

なぜならその頃、開設した法律事務所で正規の事務員が
決まるまでのお手伝いとして、短期間事務員となって
働いていたので、共働きだったのです。

コニーちゃんが来るから、当初は2ヶ月くらいの約束で
お手伝いしていたのが、なんだかんだと弁護士から
お願いされて、延期している理由を言われ、しぶしぶ
承諾して、働いていたのでした。

それが、思いがけず長くて長期間になってしまって
延ばし延ばしの半年になろうとしていました。

だから、ひとりぽっちのコニーちゃんのことが
とても気がかりで心配でいました。

まだ子猫なのに、ひとりでお留守番してる
可哀想な子猫のコニーちゃんになかよしの
弟分を与えてあげたかったのでした。

だから、ビットはコニーのために買った猫
だったのです。

ビットはいいお買い物でした、私が受けた
印象どおりの猫でした。

ほんとうに素直で気だてが良さそうな感じに見えた
そのとおりのヒマラヤン猫でした。まさに、そのとおり‥

ビットはペルシャ猫のコニーとおなじ長毛種だったので、
きっと仲良しになれると、その時の私は安直に考えました。

ですが今振り返ると、ずば抜けたコニーの気性の激しさと
エキセントリックになると狂暴にもなる勝ち気な性格
であったコニーと仲良くできる猫を、私は直感で選び
よく見つけたものだ。と、思い返して感心しました。


その後の荒川屋にて‥のつづきです。

それで‥すぐに夫に電話して、買いたい子猫を
内金を払いおとり置きしたいと伝えました。
だから、ヒマラヤンの子猫の購入を許可してほしいと
真剣にお願いしました。

滅多にそういうことはしない私だったので、夫は驚き
あなたがそういうのなら‥そうしていいよ。
と言い、吹き出しそうな声で返答してくれました。

そして、待ち合わせをして、この子なの♪どうかしら?
というと、あなたが気にいったんでしょ?と言いつつ
なかなか、可愛いね、でも目がへんじゃない?
と言いました。

夫の指摘どおり、ビットはたしかに眼振でした。
でも、死んだシャム猫のチャムの面影が重なって
眼振でもいいから、ほしくなりました。

シャム猫を多頭飼いしていた私の叔母が昔、
シャム猫の眼振はよくあることなのよ。と
言っていたからです。

ですので、さほど、眼振であっても問題ないと
思いました。

夫が眼振を指摘して、1万円を値引きしてもらい
ほんとうは値引きする月齢ではないけれど
即決だから、とお店のおばさんにまけてもらい
ヒマラヤン猫のビットを買ったのでした。


その後、ビットは下痢の日々が続いていて
動物病院で治療費がかかり結果的には高い
お買い物となったのでした。

ビットという名前は主人が名付けました。
コニーは、私がつけた名前でしたので、今度は
自分が名前を考えたいというのでそうしました。

bit ‥というコンピューターの最小単位を意味すると
主人が説明した時に、私もビットという名前のビ‥の発音が
C'est La Vie の Vie という響きをイメージして
とても気に入りました。

時々、ヴィトン、ブービー、ブビ、ビビ、ビッタン、ヴィヨン‥
などと、変化して呼ばれています。

‥お留守番をしていたコニーちゃんにビットを
引き合わせた時のことは忘れられません。

コニーは最初威嚇して、それからいつも遊んでいた
ぬいぐるみのフラン犬とビットをおなじ扱い方をして
前足で押さえつけて、噛み付きながら後ろ脚で
猫キックしたのです。

ビットは驚いて鳴き叫びました。

ぬいぐるみのフランケンは糸で縫えば
修繕できるけれど‥
ビットはかみ傷と引っ掻き傷で血だらけに
なりました。

仲良く出来ないのなら、荒川屋に返そうか‥と
考えてしまうくらいでした。

そんな状態が、2日ほど続きました。
深刻な事態に思えて、ビットが可哀想でした。

そんなビットに、どこで暮らしたいの?と思わずきくと
主人がふざけて腹話術のまねをして、小さな高い声で
荒川屋〜 というのでした。

ところが‥ある時、ビットが賢く行動したのです。

コニーに対して、恐怖の声で威嚇して身構えて
怒った声を出していたビットが、急に態度を変えて

コニーが羽交い締めしたら、為すがままになり
甘えた声でコニーに訴えるように鳴いたのです。

コニーもそんなビットの態度に態度を変えて、
急に優しい態度になりました。

それで、今度はものすごくビットを可愛がるようになり
抱きしめて、舐めまわし世話するくらいビットが
気に入ったようでした。
これで、めでたしめでたし〜♪となったのです。

その日から、ずっとふたりの関係はコニーの死まで
続いて来たのでした。


後から知ったのですが、猫同士の相性というのは
種類によってもあるそうなのでした。

動物病院で健康診断していただいた時に獣医師は
将来、立場が逆転して、ヒマラヤンの方が強く
なりますよ。といわれたけれど‥

その先生の読みは外れて、最後までコニーの方が
リーダーの座を保持して君臨していました。

そのペルシャ猫のコニーちゃんが死んでから半年たち
ビットと私の関係が新しく構築されつつあります。

今までは、ずっとコニーちゃんがいて存在が隠れていた
ビットとの間に、新たな関係が築かれつつあるのです。

最初はドギマギすることが多かったのですが、遠慮なく
甘えて来るようになってきました。

今は、私に対して鳴く発声の仕方も変わって来て
1対1の接触という今まで経験しなかった絆が
ビットとの個人的な互いの繋がりができました。

それで、ビットはお兄ちゃん風をニコラに吹かせて
お昼寝しているニコラの顔に急接近して、夢を見て
ケイレンしているみたいな赤目のニコラに驚いたり
それでも、傍にくっついてスライドしていっしょに
眠っています。

目と目が合うとツメをださない猫パンチしてみたり
突然にニコラに体当たりして、ニコラを脅かすのです。

でも、ニコラの胸に顔をこすりつけてスリスリして、
積極的に自己アッピールしています。

なんとなく、新しい家族構成に慣れて来たこの頃です。



Momentum

2010年03月23日(火) 8時00分

Oh, for the sake of momentum
I've allowed my fears to get larger than life
And it's brought me to my current agendum
Whereupon I deny fulfillment has yet to arrive

And I know life is getting shorter
I can't bring myself to set the scene
Even when it's approaching torture
I've got my routine


Oh, for the sake of momentum
Even though I agree with that stuff about
seizing the day
But I hate to think of effort expended
All those minutes and days and hours
I have frittered away.

And I know life is getting shorter
I can't bring myself to set the scene
Even when it's approaching torture
I've got my routine


But I can't confront the doubts I have
I can't admit that maybe the past was bad
And so, for the sake of momentum
I'm condemning the future to death
So it can match the past.

when I can't confront the doubts I have
I can't admit that maybe the past was bad
And so, for the sake of momentum
I'm condemning the future to death
So it can match the past.

(Aimee Mann: Momentum )


勢いのために

ああ、勢いのために
私は自分の生活に不安が誇張されるように
許可していました。

そして、それは私の現在の議事日程を私に
もたらしてきた人
するとすぐに、私は到着する履行を拒否しました。

私は自分の寿命が短くなっていることを
知っています。
私は自分自身のシーン設定をもたらすことが
できません。
拷問に近づいての場合でも
私は自分のルーチーンを持っているのです。

ああ、勢いのために
にもかかわらず、私は一日を押収については
スタッフに同意するのです。

でも、私の努力のことを考えるのは嫌いです。
これらすべての時間と日と配分を
私は浪費しています。


私は自分の寿命が短くなっていることを
知っています。
私は自分自身のシーン設定をもたらすことが
できません。
拷問に近づいている場合でも
私は自分のルーチンを持っているのです。

でも、私が疑問に直面することはできません。
私は、たぶん過去の悪かったことを認めることが
できないのです。
勢いのために、私は過去に合うものを見つける
ことができる死に対して、将来を非難しています。


風にさらわれてしまいそうだった。

2010年03月22日(月) 7時17分

すさまじい春の嵐の強風でした。

街路樹は折れて、ゴミは街中に散乱し
予測を超えた春の風の自然現象でした。

町のポスターも植木鉢も‥わけのわからない
なにかの物体も転がり落ちて、風にさらわれて
ごちゃ混ぜになって地面に落ちていました。

風の偉力は読み方を間違えると大変危険です。
野焼きをされていた方々の風向きが急に変わり

風上から風下へと急変し、炎に巻き込まれ
焼死してしまったというニュースをお昼に聞いて
驚きと自然の猛威の恐ろしさに身震いしました。

ほんとうに悲劇的な事故でした、心から悼みます。
予測しなかった自然の猛威に遭遇してしまわれた
おもいがけない事故があちらこちらでありました。


風の吹く日と、晴れやかに晴れ渡る快晴の空の日は
私が不安になるお天気の日です。

風の日はものすごく、こわいです。
風にさらわれてしまいそうになる気持がするのです。

オズの魔法使いのドロシーと愛犬トトみたいに
いっしょにどこかに行くのならいいけれど。
きっと、そうではないでしょう。

こんな風の日は、ほんとにたまらなく不安です。
風の中を歩くと、へとへとに疲れます。

おまけに某国からの公害と大気汚染とが
入り混じった黄砂がやって来ているそうです。

道理で、ほっぺがヒリヒリしてピリピリして
なんかおかしいのです。


それから快晴の空の日も、たまらなく
不安になります。

なにが不安なのかというと‥この後につづく
落胆の恐怖が待ち受けているかのようで
漠然とこわいのです。

だからなんとなく、犬友達にお別れの言葉を言いたくて‥
気持が不安定でいるから冷静な今この時に、
これまで私にしめしてくださった、親切や友情などを
感謝しようと思ったのでした。

楽しかった愛犬たちとの思い出と共に回想して
感謝の言葉と落ち着いた気持の状態で、ありがとう。と
お別れの言葉を言いたくて二人の犬友達に電話しました。

そしたら、なんと、一人はちょうど、幼い子供が
お昼寝の導入時間だったようで、傍で大きな泣き声が‥

子供がぐずりだし大泣きしはじめて話し声も
聞きとれない状態となり、じゃあ、またね〜♪と
言って切りました。

しかたないので、もう一人の犬友達にもかけてみました。

今度は、なんか反響しているかのような音と水の音‥
ちょうど、子供たちをプールにつれて見学していた時
だと説明していました。

プールで大騒ぎしていて、お話に集中できなくて
だから、ゆっくりお話しすることも出来なくて‥

二人のあまりにも日常的な時間帯の中に飛び込んだ
私は、なんだか‥興醒めしてしまいました。
ふたり‥らしすぎて、笑ってしまいました。

あまりにも似つかわしくない‥なさ過ぎる
シチュエーションであったから、お別れの言葉なんて
とても、言えなかったのでした。

まぁ‥いいわ。
またいつか、きちんと言いたい心境になれたら
再び、チャレンジしてみます。


ニコラは適応がよくて順応性が素早くて、
お耳が聞こえなくなってからは、お散歩の時に
私の心の声を読み取るようになりました。

だから、私の心が上の空でいたり、考え事をしていたり
途方にくれていたりするとすぐに悟られます。

心配して、その場に立ちどまりじっと、不愉快そうに
私の顔を見つめたり、だいじょうぶだから‥と言って
目をそらすとニコラは、自分の後ろ脚が不安定なのに、
私に飛びついてマウントして注意を引こうとするのです。

ニコラに心の声を読まれるから気をつけないとなりません。

言葉をだして話すよりも、心の声のコマンドの方が
ビシッと伝わります。

ツケ、と心でコマンドかけたら、瞬時に伝わり、
ピタッと私の左側につき側歩しました。


海が見える場所でニコラと暮らしたいと
思いました。

海を眺めていたら、もっと明るいものの見方が
できるのかもしれません。

海の近くに住んでいる人がうらやましいです。
そして、海岸を毎朝お散歩したいです。

潮騒の響きを聴きながら‥
追憶の彼方から‥愛しい我が子の面影を懐かしむ。
トラちゃん、チャム、ムンク、リリック、コニー‥

そんな時間がこうして、宝石箱から転がり落ちた
宝石のかけらを拾うみたいに、海岸の砂に埋もれた
美しい貝殻を拾いたい。

海はすべての人々の思い出を抱えているかのようです。

波が輝きながら‥永遠に続くような風景を
いつまでも見つめていたいのです。

朝日にそして夕焼けの光をあびて、
私の傍にはニコラ‥

さざ波に反射した陽の光は‥波光のきらめきとなり
思い出のようにきらきらと煌めくのでしょう。


心の秘密

2010年03月21日(日) 6時31分

そもそものブログ日記を作成した目的は
ニコラとコニーとビットの思い出のアルバム
として、このブログ日記を用いることと

ある特定の人間に、ニコラとコニーとビットの
日常生活を知らせたい気持と連絡とれないその人に
自分の心の機微の内情を伝えたかったことが
始まりでした。

いろいろな人が私のブログ日記を観に来てくださり
いろいろなコメントをメッセージとして寄せて
くださるようになってからは、なんとなく‥

だんだんと私の個人的な世界では、もはや
なくなっているという気持がしてきました。

それで、このブログ日記の意義を再び見つめなおして、
いつも純粋なスタイルでのニコラとコニーとビットの日記
として綴るという思いを新たにしました。

けれど‥時折、私のブログ日記は特定の人間に
宛てた内容になることもあります。
心の苦しみが破裂しそうになった時に、どうしても
心のなかを注ぎだすように語りたいのです。

でも、その人がこのブログ日記の存在を知っているのか
どうかについては私は知りませんが‥

でも、知ってても知らなくてもどちらでもいいから、
目的はこの私が忘れないように‥踏みにじられた
私の人生の軌跡を綴っておきたいのです。

あまりにも卑劣で理不尽すぎて、身勝手な行動に
振り回され続けているのを知りながらも、今もなお

思いやりの欠けた利己的な態度を続けている
人間の悪事を損なわれた私の人生の一時期を
記録しておかなければならないからです。

ですからこうして、私と共に被害者となったコニーと
ビットとニコラの日記の中に綴るのです。

‥無念の気持として残るとしても、こうして形に残し、
一つの軌跡として保存しておきたいのです。


それは‥自分自身が忘れないために。
そして、自分がこの世の中からいなくなった時に
マイノリティーな人々の記憶の中に残るとしても、
きちんと記録の中にも残したほうが正確だからです。

‥この世は、冷徹で残虐で悲劇に満ちています。
それだから、私は隔離された自分の造りあげた
安全な場所である、精神世界に留まり続けて

ずっと、そこから一歩も外に出ないで、
死ぬまで、なにも知らずに留まっていれば
よかったのです。

そして、そこに爬虫類的な邪悪で狡猾な
ウソつき人間を招き入れなければよかったのだ
と反省しました。

あなたが私に犯した罪は‥あなたが思う以上に
とてつもなく、おおきいのです。

既成事実により世の中の人の見地から見て、
時効とみなされている事柄に一見見えるのかも
しれないけれど‥それはちがいます。

神の見地から‥神の目からご覧になるのならば、
あなたが処罰を免れることなど、決して出来ない
悪なのです。

あなたはいずれ、必ず裁かれるのだとそれが筋道と
私はそう確信しています。


「なんであれ、人はその蒔いたものを
刈り取るのです。」

これが普遍的な原則だからなのです。
だとしたら‥あなたの場合は腐敗を刈り取るのです。

それにたとえ、神さまが憐れみ深くも
あなたのことをお許しになったとしても、
罪の処罰は免れることはできないのです。

そして今も‥この私があなたの罪を覚えています。
あなたの犯した罪は忘れられないからです。

たとえ、神さまがあなたを許されても
私は絶対にあなたを赦さない、許せない。
絶対に、絶対にあなたを赦しません。

私にしたあなたの悪事は未来永劫忘れない。
決して、死ぬまで許すことなどできません。

‥記憶の中にとどめ置き、忘れてはならない
事柄なのだから。

なんども、そう心の中で言い聞かせました。
そう繰り返し言い続けることで、私は力を
得ていたのです。

ですが‥いつのまにか‥時間の流れが
そうした熱意をかき消しました。

すべてが虚しく思えてきたのです。

なぜなら、憎しみからはなにも生まれない。
それにほんとは最初から、私はあなたのことなど
これっぽっちも憎んでなどいなかったからです。

あなたを思い出すと‥いつも暖かい思い出ばかり
あなたに抱いた愛を私はいつも思い出して
あなたのことは忘れたりはしなかったからです。

だけど‥心のどこかでは、ある種の憎しみに近い
感情を抱いていました。

‥でもそれは当然の報いでしょう?
あなたは私のことをそれだけ深く傷つけたのだから‥

おそらく、この感情はあなたに対する嫌悪感です。
裏切り者に対する嫌悪感に近い感情なのだと思います。
なぜなら私は嘘つきと裏切り者が大嫌いだからです。


ある理論に投影すると‥‥

自分が決してあなたを許さない。などと、
そこまで言える人間ではないことがわかります。

己を知ることにより、身の程を知るのです。
人のことを赦せないほど、狭量なのになぜ?
私は自分にはこれほどまでに寛大なのでしょうか。

矛盾しています‥自分の犯した小さな悪事がまるで、
パイの層のように重なって積み重なって厚みを帯びて
罪深さが確立されて来ているのを見ていても、
他の人の場合のように自分は自分を糾弾しないのです。

自分の罪?‥それ自体はたいした重罪でないのに
重なる厚みに圧倒されて、良心が心苦しくなって
罪悪感に苛まれます。

あたかも、私の罪はチョコレートや糖蜜のような
言い訳という、情状酌量の余地があるという甘味な
ごまかしでコーティングされているかのようです。

ですから‥真実から目をそらさないで
現実を直視すべき時が近づいて来ました。

自分の心が気づいた時がすべてを自ら告白し
正すべき時だったからなのです。

神さまと自分の間では事が正され罰を受け
今の段階では、白くなりました。
きっと、たぶん、おそらく、きっと‥

人間社会では、なにをどう正せるのかは、
煩雑で複雑で自分一人で解決出来る大きさの問題
ではないことは誰の目にも明白な事柄です。

課題ははっきりしているのに解決策がハッキリと
その明確な方法が見えて来ないのです。
その理由は、あなたが卑怯でずる賢いからです。

いっそのこと、罪の形が固定されたのなら
一口で丸呑みして噛み砕き食べて飲みこんで消す。

そんな解決方法があるのだとすれば、
それならば簡単です、原始的な方法ですでに即決です。

物事の解決は簡単いとも簡単に終局を迎えるのですが
この問題だけはそんな訳には参りません。

あなたは自分は利己的で他人に厳しいのに、自分には、
とびきりに甘くて蜂蜜以上糖蜜以下の甘い態度で
知らぬふりをしています。

でももうすでに、心の中では罪悪感すら抱くことなく
ケロイド化した無感覚な分厚い心の持ち主となっていて
平然としているのなら‥うなじが固く、心も思いも頑に
凝り固まってしまっているのなら‥

いつも通りの日常生活を何事もなかったかのように、
別人として生まれ変わったかのような気持で
過ごしているのでしょうね。

平然として、素知らぬ振りをして、まるで自覚なき
偽善者のような様で暮らしているのでしょう。


あなたと私の大きな違いは、これで明白です。
心の状態が全く異なるのです。

私の innocent な愚か者の罪は情状酌量の余地が
あるけれど、あなたの場合は異なります。

邪悪な心で意図的に私を陥れる目的のために
計画した陳腐な演技なのでしたからね。

一つの体に3つ4つも龍のような首をつけ
この世の悪知恵の悪臭のような息を吐き討議して
大仰なことを語り、根拠のない自信に欺かれ

呼吸するかのように嘘を吐き、悪意に満ちた
毒を持ち憎悪と侮蔑の言葉で凝り固まっている。

あなたが私に行い続けた悪質な隠された陰謀も
すべて、暴露されて誰の目にも明白です。

時の経過の中で歴然と明るみに暴露されて
列挙されて記録保存されているのです。

あなたが私に行った謀殺計画も私はすべて
知っています、事故死すると思ったのでしょう?

だから、心に秘めるべきことを言葉にして語ると‥

罪が輪郭を表しだして、形になって来るのです。
目の前に見えて来るのです‥あなたの真実の姿が
はっきりと見えて来るのです。

あなたは真実という鏡に映し出された自分の姿を
まっすぐに目をそらさずに見る事が出来ますか?

あなたの姿はとても醜い‥醜悪な化け物のような姿
‥その姿はおぞましく、とても恐ろしく思います。
この人物が私の愛している人なのかと疑問です。

無知であるがゆえの罪、至らなさによる罪‥
‥それらが、積もり積もって、大罪のように
感じられるのが、私の罪、私の罪深さなのですが‥

でも、あなたのはちがうのです。
なんども言うけれど‥あなたはずるい罪人です。

あなたの場合は、確信犯のような悪意に基づく
悪質な行為なのです。

だから、あなたは絶対に許されないのです。
罷免も放免もない、いいえ、最終的に死が訪れた時に
あなたはすべての罪から無の形で放免されることでしょう。

繰り返して言うけれど、あなたの罪は大罪です。

あなたは私の心を殺すだけでは飽き足りず
体までも殺そうとして失敗したのですから。

私はこのことゆえに、あなたを糾弾しなければ
なりません。

努力してもいつまでも、愚か者である私だけれど
真実を表明して、罪を告白して‥
一つだけ、わかったことがありました。

私の罪が裁かれた時に、関連して同時に
あなたの罪も一緒に裁かれるのだということが。

ですから今度はあなたが申し開きをする番です。
タイヤに空気を入れすぎると破裂するのです。
それは、よくご存知でしたよね。