まだい養殖について思う

December 11 [Tue], 2012, 10:00
けれども今日知性的な直觀を優越な認識の作用と考へる場合にもなほ道徳的條件を認識のために必要な前提として考へないといふことは何によるであらうか。我々はこの場合デカルトの哲學の劃期的な意義に思ひ及ばなければならぬ。デカルトにおいて有名なのは彼の懷疑である。すべてのものについて疑ふべきである(de omnibus dubitandum)といふことを彼は方法とした。懷疑といふのは動かし難いものを搖り動かし(eversio)、迫り來るものを押しやる(remotio)ことである。私は極めて自然に私の周圍の物が現實に存在することを知つてゐる。感官を通して受け容れられる世界は私の意志の左右し得ぬものである。いま私が煖爐に近づくとき、私は欲するにせよ欲しないにせよ熱を感じなければならず、從つて熱の感覺が私とは違つた物體、私の前の煖爐から來ると考へざるを得ない。同じやうに私はこの煖爐に向つてゐる私の存在することをいはば自然的衝動によつて信じてゐる。懷疑は我々の自然的な態度において動かし難く思はれるこのやうな現實の存在を搖り動かさうとする。懷疑は、しばしば誤つて解されるやうに、定立に對する反定立もしくは肯定に對する否定ではない。むしろそれは、デカルトによると、ひとつの假定(suppositio)であるに過ぎない。私は私の單純な、原始的な體驗に現はれる世界に對して、そのあるがままに任せておきながら、しかもその固有の力を失はせることができる。そのために私は暴力を用ゐることを要せず、それの虚僞であるのを示すことも不要である。むしろ私は私に力をもつて迫つて來る存在をそのままに押しやつて、これに對して同意することを差し控へねばならぬ。ところで懷疑が方法的意義を得るためには、懷疑は一般的に遂行されなければならない。しかし次に懷疑はまた秩序をもつて遂行されなければならない。
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