正直、不正直 

July 28 [Wed], 2010, 1:32
行ったことのない土地の
細い通りに面したオープンなカフェで
静かに細い月を見ながら
手元のドリンクを飲んでいる

いつもからだの「どこか」にある
静謐で心を揺さぶるイメージたち

現実と思われぬものが
いま、ここ、にあると思われる瞬間もあるけれど
いつまでも
「どこか」は「どこか」にあるべきかもしれない

10代の終わりに読んだ小説の主人公の悲しみが
いつまでも心から離れないように
わたしたちは過去にも未来にも
現実以上を生きているんだ

過去/1年前の言葉 

June 18 [Thu], 2009, 1:29
時折
様々なことを忘れているものだなと
やわらかい悲しさに包まれる
原風景に出会うために
旅を続けていたはずなのに

暗い葉陰に身を隠して
自身の声を求める
それは私の身体からではなく
どこか深い地層から響いてくる
決して荒立たず
海底の生き物が呼吸するように
響くのを
遠い昔に聴いた気がするのに

ざわざわ 

October 30 [Thu], 2008, 23:59
ここのところ、
まるで心の中を見透かされたかのように、
絶妙なタイミングで、絶妙な出来事がやってくる。
いいことも、悪いことも、まだそのどちらか分からないことも。

何かが変わる予兆なのかもしれないし
これまでやってきた様々なことの結果
(そしてやらなかった様々なことのしわ寄せ)が
いま一気に押し寄せているのかもしれない。

秋風に吹かれて雲を見ると、
よけいにこころがざわざわしてしまう。

ふたり旅 

October 02 [Thu], 2008, 1:00
高校の時に、ふたり旅を描いた映画を観た。
何度も何度も観たというわけではないけれど、
映像も音楽も台詞も、今でもくっきりと私の中に残る。
その映画を一緒に観た友達と、その映画の終焉の舞台へ旅をした。

一人旅が好きだったけれど、
ふたり旅で、異国の地でお互いの関係性が浮かび上がって、
優しい言葉もそうでない言葉も、一言一言が大きくて
だから楽しかったり苦しかったりすることが、この旅の景色になった気がする。

63年目の感覚 

August 10 [Sun], 2008, 10:57
遠い国で、戦争が始まった。

本当に久しぶりのサマソニに行って、目当てのバンドのライブ以外の時間はのんびり食べたり飲んだり、海を見たりしていた。
海を見て、友達がぽつりと漏らした。
「戦争が始まっちゃったね。」
私は「うん」と返しながら、どきりとする。

海沿いのステージからは、カントリーが入っているようなゆるいノリの音楽が聞こえてきて、
視界に入ったふたりのちょっと肉付きのよい白人女性が、お酒を飲みながら長いパーマのかかった髪を揺らしてゆらゆら踊っている。
平和。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。目の前にある平和。

最終兵器彼女にあった、印象的な言葉。
「この日、この街の平和は終わった。」
話中で戦争が始まってから、かなりの月日がたち、局面が悪化したある日、この言葉は呟かれる。
それまで戦争がとうに始まっていても、人々の日常には平和があったのだ。
リアルだと思った。

戦争と平和は対極じゃなくて、
同じ日常に吸い込まれ、私たちは日々を生きている。
63年前に終わった戦争は、人々の日常をどのように侵食したのだろうか。

「戦争が始まっちゃったね。」
例えば、8日に始まったのが日本で起きた戦争でも、私は同じようにサマソニに遊びに行って、海を見たりするのだろうか。

稚拙な感覚。戦争を体験していないある日本人の若者の、リアルな感覚。

パラレルワールド 

August 04 [Mon], 2008, 23:58
仕事の関係で
真夏の暑い陽射しの中
東京都の埋め立て処分場へ行ってきた。

一面に広がる見渡す限りの埋め立て場は、
濁ったビニールが太陽に反射しながら白く光り
カラフルな不燃のさまざまなモノ達が散らばって
これまでに降り立ったことのない世界を作り出していた。
美しい、とさえ思えてしまうような。(ただし悪臭はのぞいて。)

「北極の氷は今年の夏にもなくなるかもしれません。」
7月前半に受けたとびっきりの警鐘。
でも、まだリアリティが持てないでいる。

ただ、ゴミの地平線の向こうに霞むお台場の不思議な建造物たちを見ていたら
足下に広がるゴミの世界と
いったいがどちらが本当の世界なのか分からなくなった。

グランドマザー 

March 31 [Mon], 2008, 1:39
時が経っても
夢に出てくる
変わらない声で
私の名前を呼んでも
呼ばなくてもいい
話さなくてもいい

“いる”とはなんだろう

どんなに遠くを旅しても
砂漠の真ん中でも
雲の上でも
あなたに出会う

私の心の静けさは
永遠にあなたとともにある

ご近所さん 

January 26 [Sat], 2008, 0:52
先週は、33歳のブラジル人男性。
今週は、27歳のエストニア人男性。

2週間くらい前、なんとなくLast.fmというサイトに登録してみた。
iTunesで再生した音楽と連動して、
自分の聴いている音楽の傾向と近い人を診断し、「ご近所」として教えてくれる。
その結果が上記。
私の音楽ご近所は、予期もしていなかった国にいるらしい。

不思議な心持ちになる。
あなたととっても音楽の趣味が合う人がここにいますよ、と
システムは教えてくれている。
(おのおのがどのアーティストの音楽を何回再生しているかも見ることができるのだ。
エストニアの彼と私の最近のフェイバリットはpicastroだった。)
でも、私はその「エストニアのどこかにいるに違いない」彼へのシンパシーを感じながら
きっと一生出会うことはないんだろう。
すでに「出会う」ことに、バーチャルとリアルの垣根はなくなりつつあって、
その絶対的差異を言うことはできないかもしれないけれど。

世界は狭くなった?
選択肢は広がった?
自由になった?
肯定と反証。
世界がどこへ向っているのか、
コントロールしている人は誰もいない。

計画 

January 14 [Mon], 2008, 1:14
もともと「人生計画」というようなものはない。
結婚はいつかはしたいな、とか
子供は欲しいな、とかそういうことは漠然と思う。
進みたいと思う方向性はあっても
タイミングについてはあまり考えたことがない。

小さい頃、なりたいと思うものはあった。
探検家、天文学者。
まだ踏み入れたことのない未開の地へ行ってみたい。
山の中に凛と立つ天文台で、ずうっと星を眺めていたい。
その頃の思いは、今も変わりない気がする。

今、現実的に仕事をしていて、それで給料をもらって生きているけれど
仕事とお金がつながっていて、
それが生活のため、という意識はあまりない。
あくまでも、やりたいと思うことをしている。仕事として。
それが今本当にしたいこと、やるべきことなのか
いつまでここにいるのか
次にどこへ行って何をしたいのか、ということは日々自問している。
そんなに遠くないうちに、そこへの答えはひとまず出さなければいけないと思っている。

無計画に生きて行くための若干の計画性。
今後2,3年はそれが必要かもしれない。

心願の国 

December 31 [Mon], 2007, 0:19
今年も残すところあと1日。
日々の早さに驚かされることは言うまでもない。

今年こそたくさん本を読もう、と思いながら
また遂げず終いだけれど
人生のベストになるであろう本に出会ったことが至高の幸せ。
原民喜の「心願の国/夏の花」と題された自伝的短編集。
彼の言葉には、懐かしく悲しい白い西日が差していて
痛みの中に、身を砕かれるような美しさがある。


 僕は今しきりに夢みる、真昼の麦畑から飛びたつて、青く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか、それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃焼がパツと光を放ち、既に生物の限界を脱して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実してゐたなら……。)
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■東京在住
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