鬱狩り1 

2006年10月11日(水) 0時42分
昔、山田正紀というSF小説家が「神狩り」という小説を書いた。
神は絶対で圧倒的で、姿も見えず、ありとあらゆる場所に存在し、
人間など天災に見せかけて蟻を潰すように消滅させることができる。
その神を主人公は狩るという。
神の痕跡をたどり、ひとつずつ神の存在を明らかにしていくことで
神を追い詰め、狩り出していくのだと誓う。

この小説が好きだった。


鬱は絶望的に強大で、逃げることしか出来なかった。逃げて逃げて逃げて
ひたすらに逃げ続けたのは正しかった。逃げなければ壊れていた。
逃げながらずっと考えていた。
逃げのびることはできるのか。
逃げおおせることができたならラッキーだ。ひどくひどくラッキーなことだ。
しかし分かっていた。あいつとは一生つきあうことになる。

いつか波が押し寄せたとしたら、あの涙の止まらない夜がやってきたら
どうやって生きのびればいいのだろう。

何か手はないか。
鬱を知ること。鬱から逃げる自分を知ること。鬱に立ち向かう自分を知ること。
武器は知識と自己分析しかないのか。

教養書にあるような通りいっぺんの知識ではなく、
いつでもどこでも戦えるようなテクニカルな対応策を見つけ出すことができれば
鬱は狩れるかもしれない。

鬱狩りだ。

鬱とは焦燥感の加速 

2006年10月10日(火) 1時24分
また鬱のよう。
やばい、とふと気づき、数分後にまた、やばいと思う。断続的に気持ち悪い圧迫感が来る。
特に、鬱の「やばさ」とは首の後ろが焦げつくような焦燥感に似ている。
あれだ、数百人を前に壇上に上がり、演説をぶたなくてはならない時のような、転入生のような、あがりを伴うような焦げつきだ。

鬱は緊張の連続を生み出す。緊張のスパーク。どこにも逃げていけず導火線の火がジリジリ胸元の爆薬に近づいてくる感覚。
緊張することで弛緩することがない。唾を飲んでも飲んでも喉がひりひりと焼ける。

鬱に立ち向かおうと何度も何度も考えて、対策を講じてきた。しかし、この圧倒的な焦燥感だけは、遠浅から一気に押し寄せてくる大波のようで、どうしようもなかったことを覚えている。波からは離れることしか出来ないのだ。高いところからじっと波が引くのを待つしかない。

今、波は向かってきてはいない。しかし喉と首は相変わらず焼けつくようで、焦がされるようで、知恵熱のようなぼうっとした頭のぶれが生じている。

防波堤はあるか。背中には炎が燃え上がってはないか。

孤独を求める了見9 

2005年09月10日(土) 23時53分
19。鬱の隙間に、妙に頭が冴える瞬間がある。もっとも、ブログ更新など、どろどろとした底辺の状態ではとてもでは行えないのだが。(今は、ディスプレイ全体の文字が読めている。昨日の書き込み中はそうじゃなかった、そんな違いはある。)

冴えた、というより、もやがかかっていない間に、今の状態を分析してみる。
一日の大半はまともに過ごせている。何の介入もなければほぼそのままでいられる。どんな滅入った映像を見ようが、重圧な仕事を押し付けられようが、その程度ではぐらつかない。
席を立ったり、トイレだったり、そんな一瞬に己の状態が確認できる。だめなときは、そんな合間にも鬱が忍び込んでいる。

もとい、自分自身だけで鬱の状態を作り上げるのは本当は難しいのだろう。何を自分の中に取り入れるか、その混入物が毒か否かで鬱が呼び起こされるのだと思う。多くは記憶であり(記憶といっても自分自身の記憶ではない。他人との記憶。他人から見た自分、二人称の記憶だ。)直接の他人の介入になる。ひどい時は、電柱1本、ドア1枚を見ただけで鬱の火種に着火する。

誰かの声をおそれて孤独を求めるのは、無造作に開放された鬱の窓、鬱のスイッチ群を相手に渡してしまうからだ。自分の感情など、もとよりコントロールできていないのだから、後は誰かからの操作がおそろしくてたまらない(おそろしいなどという感情を持つ暇もなく、相手にしてみれば自分がどこで間の悪いことを言ったのかさえわからないうちに一瞬にして傷つけている。たちが悪い。本当に情けなくなるくらいにたちが悪い)

孤独を求める了見。誰かによって傷つかないための防波堤。どこにほつれがあるかも分からない命綱を他人に渡す莫迦はいない。誰かに頼ること、頼れることは素晴らしいことだと知っているのに、その誰かに凶器を渡すようなむげなことができない。そりゃ傷つける覚悟のある人と、傷ついて立ち直る余裕のある自分がいれば、幸せなのだと思うけど。(傷つくことはそんなに嫌いじゃないし、耐えれると思う)

自分が病気ではないと信じることが初期症状の恐ろしさだというが、自分が病気だと分かったところで良化させる術を知らない泥沼も、十分絶望的だ。何より、義務に包まれた日々と人間関係はそんな病人を放っておいてくれない。

猫はどこへ行ったろう。まだ見えはしない。見えることはないと分かっているが。

孤独を求める了見8 

2005年09月09日(金) 23時59分
18日。電話のベルが鳴り続ける。

集団の時間から一人の時間へ移行した時から、突然、人と話すことが恐ろしくなっている。拒絶・敬遠という表現が近いかもしれない。ぼんやりと着信画面を眺め、留守録の音を聞き、それでも誰かに対して自分の紡ぎだす言葉を想像できずに、取りあげかかった手を降ろす。

意識の重心がゆっくりと脳から額、目、鼻の辺りへと降りてくる。目の高さよりも下になった時点で、目の焦点が合っていないことがはっきりわかる。今ディスプレイを見ているのに、まるで3Dアートを見るようにディスプレイ全体が視界に入っていない。画面中央の数文字は見えるがその周辺の情報が脳に伝わらない。何かを確認するたびに、いちいち首を振らなくてはならない面倒な状態になっている。

はっきりわかってくる。まずい。この状態はまずい。続けると戻ってこれなくなる。

意識の重心の変化に伴って、心臓がずっしりと重くなる感覚が、あの頃の常だった。ビルディングの出口で、地下鉄の階段の踊り場で、夜風に触れた瞬間に涙が止まらなくなっていたあの頃の感覚だ。今は、あれに比べれば全く軽い。

次はどういう変化が現れるだろう。同じ動作を繰り返し始めたことがあった。多動症の子供みたいにうろうろと何をするでもなく部屋中を歩いていた。近いところはあるけれども、今はまだそんな行動はない。

何度も何度も繰り返し思う。あの状態を脱した根本の要因は何だった? 鬱を食い止めたのは何だ?

まだ猫は見えない。だが、猫を見るときっと泣き出すに違いない。

孤独を求める了見7 

2005年09月08日(木) 23時35分
17日。浮き沈みが激しく、いつもそうだったように危機感を抱く。

鬱なのはまだよいとして、それに段々と気づき始める過程が問題なのだと思っていた。
知らなければ漂っていられるのかもしれない。
より深みに沈みこむことはないかもしれない。

鬱の怖ろしいのは、己を知りすぎるという部分だ。往々にしてマイナスの感情と記憶しか持ち得ない状況で、自己を知るのは危険だ。知らねばその未来を見据えられないが、悪循環のスパイラルの中でそういった行動は自滅に近づいていると思っていた。

一度その危険性に気づけば、自己分析を防ぐ予防線が張られる。今はそれに頼り、思考を閉ざすことで逃亡を図っている。

平然と日常を過ごしながら、一方で思考を閉ざす。その二面性が瞬間ごとに顕れ始めると、いよいよなのかもしれないと、嫌な気持ちを覚える。まだ猫は現れない。

孤独を求める了見6 

2005年09月07日(水) 23時50分
16日、月の半分が過ぎた。
どうだろう、孤独はまだ過ぎ去らない。ただ、だらだらと同じ状態を維持しているわけでなく、上下の浮沈を繰り返している。

以前のものは、瞬間を回顧していた。街中の風景、行間の言葉、TVから流れる音楽、1フレーズでも入り込んだなら、その瞬間に過去を思い出していた。つらい記憶だけを蘇らせて泣いていた。それが鬱というものだ、だから仕方がないとも思っていた。

今は涙など流れない。しかし客体として、たまにじんわりと感傷の泥濘に浸るような感覚がある。どろどろと朽ちていくようだ。すごく、すごく気持ちが悪い。しかしそれを回避する方法はなく、また余程のきっかけがないとそんな泥水は出現しない。放っておくだけだ。

自分を愛する人と話す機会があった。しかし、だんだんと言葉が喉を通らなくなり、気がつくと相槌しか打てなくなっていた。以前は、これよりさらに酷く、一言も言葉を発することができなかったから、まだましなのだろうか。言葉が紡げなくなるのも、自分の鬱の典型的な症状だが、それは愛情に因るものだからか、それとも何か。

孤独を求めているとは言い難い、しかし孤独に陥るような思考回路が形成されつつある。危険な兆候。猫が見え始めねばよいが。

孤独を求める了見5 

2005年09月02日(金) 23時28分
11日の経過。
ほぼ平常に戻ったように感じる。但し、わずらわしい事案には一切近づかないという限定において。

自身に課したのは負荷と褒美と書いた。やはり、孤独の範囲を越えてはおらず、他者と関わりを持とうなどという気概はさらさらない。人が恋しいという状態の意味が分からない。

内向という言葉が真を伝えていると思うのは、こういった心の中でもさらに内奥を求めていくのが今の心根と言えるからだ。
原因を追求する。未来を模索する。自身を回顧する。いずれにしても、外部への働きかけなど毛頭ない。さびしい、のだろうと客体の自分は見ている。

この一切の外向を捨てての心の動きは、傍目で見ていても心苦しいし切ない。頑なになっているわけでなく、素の感情が他者を必要としないのであれば、見苦しいばかりに自己完結した絶望的世界だと思える。(思ったところで、何が変わるというわけでもないが) 

飛躍を覚悟で言えば、おそらくだ、自分を愛せるかどうかを試しているのではないか。他人が、そして自分自身が。

他人に愛される前に自分を愛せるかどうか、そんなところにこだわっているからこその内向世界なのではないだろうか。日を追えば愛せるようになるのか。いやむしろ、無条件の愛を与えられた方がいっそ。

孤独を求める了見4 

2005年09月01日(木) 23時31分
10日目。
幾分の上向きの兆し。
その要因は何かと探ると、休養といった類のものでなく、負荷と褒美だと感じている。

この場合の負荷とは誰かに押し付けられた存外のものでなく、自身で意図的に積み上げた負荷になる。半ば強制的に運動を課した。いつもよりもきつめの運動と、それに備える気構えを課した。

褒美とは、今最も欲している本を連続して読むこと、これを増した。本の種類としては、寝所でも車中でも徒歩でも読み進めねばならないと感じるほどの魅力的なもの。

これと対比して日常的な継続した行動を減らした。テレビやPCの視聴だ。日常のルーチンワークを減らし、非日常をとりいれることで、手前の鬱は解消の兆しを見せた。つまりは、根底の欲求を侵すまでには、今回の鬱の進行は至っていないということになる。何をやっても気が晴れることのなかった時とは違うということだ。

問題なのは、学校にしろ会社にしろ家庭にしろ、日常は我々を二十四時間全方位から取り囲んでいる。この包囲をどう突破するか、いかに非日常を、しかも自分にとって最も魅力的な非日常を手にできるかが鍵といえる。

そしてそれは、欲望を、根底にある各自の本心に直結した欲望をむきだしにして、満たしにかかるという作業になる。この時に欲望の獣が動けるかどうか動かすための餌、囲いとなる檻、妨げとなる環境が何にあたるかを、見定めねばならない。これが鬱の状態から厳しいとすると、日ごろから欲望を常に監視しつづけておく必要があるのだろう。

孤独を求める了見3 

2005年08月31日(水) 23時58分
9日。

瓦解する要因があればと思っていたが、ある歌を聴いている間にその意識を変える。

ロードオブメジャー「月の葉書」。

自分の相手としている人間も同様の鬱を抱えている。自分が無視を決め込むことでその鬱が深刻化しているかもしれない、そういう配慮が出来ないのが鬱の症状なのだが嫌でも無理でも捻じ曲げてでも、それだけは防がなくてはならない。

同じ気持ちはもう二度と御免だからだ。
人がみな勝手ばらばらであり、独立独歩の精神で生きているというのは、己の内部であり、誰かに押し付けるつもりなど毛頭ない。自分の不手際による被害を誰かに与えるなど想像したくもない。

最大限に自分勝手ならば、勝手ついでに自分を律してみよと言いたい。今の鬱を律することが不可能であっても、やはり誰にも不利益を与えたくはない。

愛しているとは決して思えず、面倒な感情の交錯と作為的な表現で、やはり鬱をやっつけねばならないと感じ始めている。いや、鬱であろうがなかろうが、そんなことにかまっている場合ではない。はらわたが腐り落ちようが彼の人には微笑を絶やすわけにはいかない。

そういえば、何かを強いることで、何かを制してきたような思いがある。
どれほどに弱っているのか分からないが、強引な荒療治を行なう時期、クールがやって来たのかもしれない。

孤独を求める了見2 

2005年08月30日(火) 23時56分
8日が経過した。

感情は平穏のまま、揺るごうとしない。孤独を捨てる時がいつか。誰かが恋しくなった時か、現在の均衡が破られたときだと思う。

ごのままのバランスが維持されれば、長く孤独をつなぐことになるだろう。不安の種があるとすれば、その孤独を捨てた時の人の反応であり、自戒と後悔の念に尽きる。

ならば今すぐそれを止めればいいのにと、思えど維持する自信が全く無い。快く返事をし、明るく振舞い、にこやかに微笑む、そんな応対を続けられないと思う。今、自分が鬱に沈み込んでいるのか、それとも限りなく平常に近い躁の状態から戻ったのか、それすらも分からない。

涙を流すこともなく、夜風に胸を苦しめることもなくなった。過去を慮るわけでもなく、これまでのところ昔の病気とは異なる様相に思う。長いのか短いのかそれが良いのか悪いのか、分からないうちはまだ、孤独であればよい。

鬱。
2006年10月
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