落ちる人 第12回

May 09 [Tue], 2006, 22:56
左足の骨折部分の回復を待ちながら、まずは右足と松葉杖で歩き始めたわたしですが、
左足を放っておいてもよい、ということにはなりませんでした。

左足の膝関節、これを曲げなければなりません。
長いことギプスで固定されていた関節は、すっかり固まってしまい、
まったく曲がらなくなるのです。

足首や指は、ギプスの中で少し動かして、固まってしまうのを予防できましたが、
膝はどうにもなりませんでした。

毎日決まった時間に、温湿布を山と積んだワゴンがやってきます。
これで左膝をくるんで、さて茹だって少しは柔らかくなったか、というところで
曲げにかかるのですが、これが痛い。

痛いです。この世の地獄。

この時間には、あちこちの部屋から、ぐわあ、うおお、きええ、ぎゃあ・・・様々な悲鳴が
響き渡り、整形外科病棟は阿鼻叫喚地獄と化すのです。
泣き叫んでいるのは、大人も子供も一緒です。みな、ギプスがとれて、どこかの間接を
曲げる練習をしているのです。
骨折をすれば、快復までに誰もが一度は通る道・・・・・
しかし「もう直らなくていいから、リハビリやめます」、そういいたくなるほど、辛い道です。

実際、途中であきらめてしまう中高年の患者さんもいらっしゃいます。

麻酔をするわけにはいかないのか?
誰でも一度はそう考えますが、それはだめです。
痛み、というのが、その時点で曲げる限界を知るための指標だからです。
もし麻酔をして、まったく痛みを感じることなくぐいぐい曲げたらどうなるか?
靭帯もわずかに残った筋肉もすべて断裂してしまい、新たな傷病名がカルテに載って、
回復が数ヶ月先に延びる、ということになります。

落ちる人 第11回

April 19 [Wed], 2006, 22:39
いよいよリハビリが始まりました。

まず最初に何をするか?・・・・ベッドから起き上がることです。
何を当たり前な、と思われるでしょうが、これがそれほど簡単ではありません。
わたしは7ヶ月間、ずうっとベッドに寝ていた人間です。
寝ている人間の全身に血液を送るのは、心臓にとってはかなり楽な仕事です。
つまり、わたし同様にわたしの心臓も長く怠惰を究めてきたわけです。


そんな人間が、7ヶ月ぶりに起き上がってベッドの端に腰掛けたとしたらどうなるか?
重力の作用で、全身の血液が一気に下半身に集中します。
足は急に流れ込んだ多量の血液で赤黒く丸太のように膨れ上がり、
そこここで毛細血管が耐え切れずに破れ、内出血の斑紋が浮いてきます。

ところが怠惰に慣れた心臓は、重力に逆らって上半身に血液を送ることができません。
結果として、足が焼けつく様に痛み、頭は酸欠で急激な立ち眩みを起こします。
慌ててベッドに横になる。落ち着いたところで、再度挑戦・・・またのびるw
これをこまめに繰り返して、やっと上半身を起こすことができるようになるわけです。

リハビリといっても、わたしの折れた左足はまだ「やっと骨が繋がっている」という状態で
「絶対に体重をかけるな。地面につけることもまかりならん」と
お医者に厳命されていました。破ったら最後、また最初からやりなおし、だというのです。

地面に触れないよう、左足は皮と金属の装具で、膝を曲げた状態で固定されました。
ギプスと変わらない気もしますが、寝る時は自分で装具を取り外すことが出来ました。
ただし「寝返りをうって、左半身を下にすれば間違いなく再度骨折する」と
脅かされていましたので、その恐ろしさで(寝惚けてやりかねませんから)、しばらくは
眠れない夜が続きました。


左足の回復を待つのは今までと同じ。まずは全身の機能回復から、です。

落ちる人 第10回

April 03 [Mon], 2006, 0:01
わたしが手術をうけ、右足以外の胸から下をギプスに固められてから
4ヶ月以上がたちました。世間はそろそろ師走でした。

毎日飽きもせずに(仕事とはいいながらw)回診に来ては、難しい顔をつくってばかりの
お医者が突然にいいました。
「もう良いだろう。ギプスはずしてリハビリやろうか」

お医者の口から聞く、初めての前向きな言葉でした。

わたしが喜んだか、というと実はそれほどでもありません。
完治への希望は全く捨てていなかったにもかかわらず、環境が変わるのは面倒でした。
家庭教師の授業以外にはやることもなく、ただ寝たいときに寝て、起きているときには
天井を見上げて考え事をする。たまに看護婦さんを捉まえて雑談をする。本を読む。
14歳の男にとっては限りなく退屈な生活でしたが、わたしはその怠惰さに
慣れつつありました。
寝たきりなら寝たきりで何とか生きていける。一生がこれでも悪いことばかりじゃない。
・・・・・今思えばずいぶんと無気力なことを考えていたものですが、当時のわたしは
下手に希望を持って、それがぬか喜びに終わることをひどく警戒していました。

さらにわたしは、リハビリがちっとも楽な仕事ではないことを承知していました。
リハビリを始めれば、確かに治癒に近づいていくのでしょう。
しかし、ギプスに固められて寝ていればよい日々よりも、はるかに痛くて辛い毎日に
なる
のです。
それがわたしを躊躇させました。
「高校受験に間に合いそうだ」・・・無邪気に喜んでいる親と担任教師が
わずらわしく思えました。
「受験するのは俺だぞ」 苦しいことから逃げたいだけのわたしは考えました。
「気楽に喜ぶなよ」
長い入院にやっと少し光明が見えたのに、わたしは不機嫌でした。

落ちる人 第9回

March 13 [Mon], 2006, 0:30
入院中に出来た同い年の友だちが、2人いました。

1人はO君、性別は男です。
彼は内臓を患っていて、同じ病院の内科に入退院を繰り返していたのですが、
どこかでわたしのことを聞きつけたらしく、わざわざ整形外科病棟まで遠征して
来たのです。すぐに気が合い、以来しばしば遊びに来るようになりました。

とても病気とは思えないほど快活で明るい男で、わたしは自由に病院の中を
歩き回れる彼がうらやましくて仕方がありませんでした。
TVや漫画の話もしましたが、看護婦さんの着替えを覗きにいく話や
スカートの中を覗くテクニックの話
の方が、興味深くありましたw

病院を脱走して寿司を食べに行った、と聞いたときは、驚きました。
彼は内臓の治療のために、厳しい食事制限を受けているはずでした。
「いいの?」 心配になって尋ねました。
「醤油もワサビもつかえないから、寿司は不味かった」
そう聞いて、はじめてわたしは、O君の顔色が普通の人よりもずっと悪いことに
気がつきました。迂闊な話ですが。
「でも病院食だけじゃやってられない」
いつも快活なO君が少し沈んだ顔になりました。

もう1人はY子さん。女の子です。同じ整形外科に入院していました。
「同い年だから友だちになったら?」と看護婦さんに連れられて
わたしの病室にやって来たのが親しくなったきっかけです。
おっとりしていてかわいい女の子でした。大抵、ピンクのパジャマを着ていました。
彼女は必ずO君が消えた後で顔を出しました。
女の子と二人きりでいるのは嬉しくもあり、気詰まりでもありました。

落ちる人 第8回

March 06 [Mon], 2006, 0:02
こうして30年近く昔の入院生活を振り返って見ると、
苦痛だけしかなかったと思い込んでいたにもかかわらず、
けっこう楽しいエピソードが浮かんできたりして驚くことがあります。

というわけで、今回は間奏曲です。お気楽にどうぞw

わたしが転落事故を起こしたのは、「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」
「世紀の対戦」のあった年でした。
対戦の日時が近づき、スポーツ新聞が盛り上がる中、ボクシングが好きで
アリの大ファンだったわたしは、密かに
アリが猪木をボコスコに殴って病院送りにでもしてくれないかな」
と不穏な期待をしていました。
入院患者さんには猪木ファンも多かったため、おくびにも出しませんでしたが。

困ったのはTVでした。
「勉強の邪魔」という理由で、わたしの病室にはTVが置いてなかったのです。
「これだけはどうしても見たい」
大部屋で一緒だった患者さんたちも、「TVを貸してやれ」と看護婦さんに
掛け合ってくれたりしました。結局TVは貸してもらえませんでした。
わたしはベッドからはびくとも動けませんから、観ようにも観られないわけです。

すると、大部屋の患者さんたちが一計を案じました。
彼らは、大挙してわたしの部屋にやってくると、皆でわたしを
点滴や検査器具ごと担ぎ上げ、TVのある大部屋へと運んでくれた
のです。
皆、骨折や椎間板ヘルニアの患者さんですよw
よくあんな無茶苦茶をやったものです。

落ちる人 第7話

February 28 [Tue], 2006, 1:17
手術が終わってしばらくすると、わたしは個室に引っ越すことになりました。
「大部屋では勉強できる環境にはない」という親と担任教師の意向でした。
確かに大部屋ではエロ雑誌や博打など、ロクなことは覚えませんでしたからw
個室に移っても、相変わらず漫画雑誌、エロ雑誌、新聞の差し入れは
続きましたし、読んだあとは親や教師の目に触れないよう、看護婦さんが
苦笑しながら毎日片付けてくれましたけれど。

「高校受験も近いから頑張れ」 そういわれても困りました。
治る時期も教えてもらえないのに受験勉強などする気になりません。
かといって「勉強が何年か遅れても、足が不自由でもなんとでもなる」、
そんな慰めにも頷けませんでした。

勉強というのは将来に希望を持つ人がすることです。
わたしが思いつく将来像は暗いものばかりでした。

無傷の膝に穴を開けてまで引っ張った左大腿骨は、結局は真っ直ぐに
戻りきれず、変な形のままで無理矢理ネジ止めされていました。
高校どころか、治癒後、歩ける保証すらもらえていませんでした。

母親は申し訳ないくらいにまめに病院に通ってくれたのですが
心労から愚痴をこぼすことが多くなりました。
「あんたがもうちょっと注意すればこんなことにならなかった」
「最初から手術してればこんなことには」
延々繰り返される愚痴は、わたしが自分自身でもう数千回も反芻した内容
それを親の口から毎日念押しされるのはたまりませんでした。

落ちる人 第6話

February 24 [Fri], 2006, 0:01
手術当日。
わたしは死刑執行を待つ犯罪者のような心境で、迎えを待っていました。
情けない話ですが、とにかく怖かった。恐怖で身体が固まり、筋肉痛すら覚えました。
前夜から一睡も出来ず、やがて襲うであろう苦痛の時間を何度も想像しました。
飲食は前夜から禁止でしたが、許可されていたとしても喉を通らなかったでしょう。
口が乾いて貼りついてしまうので、少しだけ水は欲しいと思いました。
周囲の励ましも耳に入らず、「痛いぞ」という冗談の脅かしにだけ過敏に怒りました。

手術室は嫌がらせのように寒く、恐怖と冷気で身体が瘧のように震えました。
ライトは眩しすぎ、身体に塗られた消毒液がピリピリと沁みて、何もかも不快でした。
手術台に、両手を広げた磔の格好で固定されました。
左腕には血圧計などの計器が取り付けられました。
次に右手首をメスで切開され、動脈が露出しました。そこに畳針ほどの注射針を
刺され、点滴がつながれました。

「手術範囲は狭いから局部麻酔でいくからね」 お医者の声がしました。
何でもいいから早くしてくれ。そう思いました。
現れた局部麻酔注射の針の太さと長さに目を剥きましたが、痛かった記憶は
ありません。麻酔注射は腹と左太腿近辺に何本も打たれました。

太腿に冷たいものが触り、すっ、と走りました。
今、メスで切られた、と分りました。
切り口にお医者の指(実際には鉗子か何かの器具でしょう)が突っ込まれ、
傷口が拡げられるのを感じました。
麻酔をされているのに、痛み以外の感覚が健在なのが不思議でした。
「骨が出たよ」 看護婦さんがささやきました。
「教えるなよ!」 怯えた患者が心で叫びました。

落ちる人 第5話

February 19 [Sun], 2006, 0:22
他人を結果論で責めるのはよくないことなのでしょう。
しかし、わたしは「医者は間違ったことは言わない」と無邪気に信じていました。
「2ヶ月後で治る」という言葉を頼りに、心を安定させてきたのです。

説明によると、骨と骨との間に、砕けて死んだ骨の破片が何個もあって
それが邪魔になって、骨同士がくっつかないのだということでした。
「その程度のこと、最初から分らないのか」
納得できませんでした。
当時はCTスキャナーなどない時代で、難しい診断ではあったのでしょうが。

さらにわたしを激昂させたことがありました。
もし経過が良好で、このまま骨がくっついたとしても、わたしの左足は
一生、杖無しでは過ごせないところだった・・・そう初めて聞かされたのです。
「詐欺だ」 わたしは思いました。
「最初からきちんと治す気はなかったのか」
「手術に切り替えましょう」 お医者がいいました。「手術室の空きを見てみます」
すぐやれよ、と思いました。間違ったのはあんたなんだから。
「そもそも転落した自分が悪い」ことは忘れていました。

わたしは当時、大人にとって「いい子」を演じていました。無駄に目上の人間に
逆らうリスクを充分に承知していました。
その場でお医者を罵ったりはせず、不安に怯える素直な子供を装い、
お医者に尋ねました。
「手術したらどれくらいの期間で、どこまで治りますか?」
返事は「やってみなければわからない」でした。
危なく、お医者に何かを投げつけるところでした。

落ちる人 第4話

February 15 [Wed], 2006, 0:23
左足を除いて、わたしは順調に回復していきました。

まず頭蓋骨の亀裂がふさがり、頭を左右に振れるようになりました。
折れた肋骨もほとんど治癒し、思う存分深呼吸が出来るようになりました。
骨盤骨折もいつの間にか治っていましたし、肩甲骨のひび割れも消えました。
24時間体制だった左手の点滴も、1日4回に減らされ、ついに両手が
自由になりました。
これで、10cmくらいですが上半身を起こせますし、身体を横にひねることも出来ます。
身動きとれない状態は変わらないのですが、びくとも動けない頃に比べれば
格段の進歩です。

この頃は8人定員の大部屋にいました。
皆、大人で、中学生はわたしひとりでした。
病院から一生出られない人、背中に刺青いれた人、首が悪い人、腰が悪い人・・・
色々な人がいました。
彼らはわたしには親切で、一人では何も出来ないわたしの買い物をしてくれたり
届かない物を取ってくれたり、世話をやいてくれました。
わたしを大人として扱い、対等に話をしてくれました。
それぞれ怪我や病気を抱えているのですが、不思議に明るい人ばかりでした。
回復具合が心配で、しばしば憂鬱な顔を見せてしまうのはわたしだけでした。

落ちる人 第3話

February 11 [Sat], 2006, 23:38
どのような苦痛にも終わりはあるものです。
二週間ほどたつと、打撲の痛みはほとんどなくなり、骨折の痛みも何とか
痛み止めの助けを借りて耐えられる程度にはなりました。
右手だけが自由で、あとはベッドに固定されて動かせませんでした。

わたしがまともに意思表示できるようになると、さっそく警察の方が事情聴取に
やってきました。「自殺・事故の両面から調べているのだ」と、当の本人に
そんなことを言われても困るのですが。
自殺未遂ではない、と納得してもらうために、自分の口から
「いかに自分が馬鹿な勘違いをしたか」を力説せざるを得ず、
自業自得とはいえプライドがかなり傷つきましたw

次にお医者がやって来て、病状の説明をしてくれました。
「骨折が10数箇所、全身打撲、挫傷が数箇所、細かいのは数え切れず」
お医者は淡々とメニューを読み上げました。
それが全部、自分ひとりの話だとは信じられませんでした。

「先生、頭をちょっとでも動かすとすごく痛いんですが」
「頭蓋骨がちょっと折れただけです。心配要りません。じっとしてれば
くっつきます」
「頭蓋骨がちょっと折れた」のなら普通は物凄く心配するんじゃないでしょうかw
「先生、痛くて呼吸がし辛いです。深呼吸が出来ません」
「肋骨が何本か折れてます。安静にしてくっつくのを待ちましょう」

要は、骨があちこちで折れてはいるものの、手術をせずに固定しておけば
治癒するのだ、とそういうことのようでした。
P R
プロフィール
  • ニックネーム:根子岳の猫
  • 性別:男性
  • 現住所:熊本県
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