ステレオとモノラル、スピーカーとヘッドフォン
2009年11月08日(日) 22時42分
私が小学校2年生までは、我が家にはTVがありませんでした。
当時はまだ安月給の公務員の家庭はみんなそんな感じの、時代だったのです。
その後、最初は白黒TVが入り、それがカラーTVになりましたが、しばらくはスピーカーは一つ。つまり音声はモノラルだったのです。
一般のカセットテープレコーダーも安い蓄音機もモノラル。家具のような高級ステレオだけは左右にスピーカーがあってレコードやFM放送をステレオ再生できるのですが、なかなか聴く機会がなかった。
父は早く亡くなっていたのですが、父が買っていたオーディオ雑誌が残っていて、私が中学生の頃にはかなり興味しんしんでそうした古い雑誌を読みふけっていました。
そうした雑誌には、元々モノラルがあたり前だった時代にステレオでの再生体験がどれだけ素晴らしいのか、モノラルの1スピーカーから2つのスピーカーになってどういう置き方聞き方をするのか等が詳しく書かれていました。
自分は殆ど意識はしていなかったものの、母子家庭で弟と妹もいて、うちはお金がなかったのでしょう。
それが理由なのか私自身が家にあった沢山の文集とかの本を読んでいれば満足していたのか、中学生になるまでは、駄菓子屋以外、殆ど自分でなにか買うとかはなかったような気がします。
なのにそうした古いオーディオ雑誌の影響か、中学生になってから、急にオーディオ装置が欲しくなりました。
当時は結構あったオーディオ専門店や、電巧堂などの総合電気店に通ってカタログ集めをしたりして、何年も貯めていたお年玉を使い、SONYのFMチューナーとカセットデンスケとヘッドフォンを買ったのが私にとっての「ステレオ」の始まり。
モノラルではまったく1次元のただの音が、ステレオにすると「音場」として空間的にフワッと広がる、そのまさに次元の違いに深く感銘を受けた記憶があります。
以来、自分にとってはともかく音は最低2chないとダメ、という刷り込みがあります。
きちんとした2ch再生環境があれば、左右だけでなく前後の奥行きは確実に表現できます。
錯覚かもしれませんが、高さとか自分の後ろにまで定位が広がるケースもあるような気がしています。
(ダミーヘッド生録音+ヘッドフォン再生とか)
普通に間を空けて対象に向けた2本のマイクで録音した音や、個々の楽器に個々にマイクを向けてそれを左右に配分したマルチ録音とかは、原理的に前方左右に置いたスピーカーで再生するのが最も忠実だという思い込みも、こうした経緯の中で読み考えた結果染み付いたものです。
なのでヘッドフォンは(ヘッドフォン専用に録音されるダミーヘッド録音のソース以外)、あくまでも代替的なものだという思い込みがあります。
でも多分、今録音されている音楽の多くは、昔のような単純なマルチミックスではなく、計算された音場の中に配置するようなDSP処理されたものなのではないかと推測します。であれば、多分、聴く人の多くがヘッドフォンを使うことを想定し、それに合わせたミキシングがされている可能性も十分あるでしょう。
もっと言えば、結局のところ、録音の仕方や制作の考え方にあわせた再生の仕方が最も忠実、という考え方自体がもう古いのでしょう。
絵や小説は、制作者の意思を離れて、見る者読む者がそこから何を感じるかだ、という話があります。音楽も詞やメロディは既にそうなっていると思います。であれば、録音と再生についても、そういう関係であっておかしくないのでしょう。
長岡鉄男氏の生きた世紀は既に過ぎ去った、ということでしょうね。
頭ではそう思いつつ、なかなか腹にまでは落ちきらない、そんな自分もいます。まあ年取ったということかもね…。
当時はまだ安月給の公務員の家庭はみんなそんな感じの、時代だったのです。
その後、最初は白黒TVが入り、それがカラーTVになりましたが、しばらくはスピーカーは一つ。つまり音声はモノラルだったのです。
一般のカセットテープレコーダーも安い蓄音機もモノラル。家具のような高級ステレオだけは左右にスピーカーがあってレコードやFM放送をステレオ再生できるのですが、なかなか聴く機会がなかった。
父は早く亡くなっていたのですが、父が買っていたオーディオ雑誌が残っていて、私が中学生の頃にはかなり興味しんしんでそうした古い雑誌を読みふけっていました。
そうした雑誌には、元々モノラルがあたり前だった時代にステレオでの再生体験がどれだけ素晴らしいのか、モノラルの1スピーカーから2つのスピーカーになってどういう置き方聞き方をするのか等が詳しく書かれていました。
自分は殆ど意識はしていなかったものの、母子家庭で弟と妹もいて、うちはお金がなかったのでしょう。
それが理由なのか私自身が家にあった沢山の文集とかの本を読んでいれば満足していたのか、中学生になるまでは、駄菓子屋以外、殆ど自分でなにか買うとかはなかったような気がします。
なのにそうした古いオーディオ雑誌の影響か、中学生になってから、急にオーディオ装置が欲しくなりました。
当時は結構あったオーディオ専門店や、電巧堂などの総合電気店に通ってカタログ集めをしたりして、何年も貯めていたお年玉を使い、SONYのFMチューナーとカセットデンスケとヘッドフォンを買ったのが私にとっての「ステレオ」の始まり。
モノラルではまったく1次元のただの音が、ステレオにすると「音場」として空間的にフワッと広がる、そのまさに次元の違いに深く感銘を受けた記憶があります。
以来、自分にとってはともかく音は最低2chないとダメ、という刷り込みがあります。
きちんとした2ch再生環境があれば、左右だけでなく前後の奥行きは確実に表現できます。
錯覚かもしれませんが、高さとか自分の後ろにまで定位が広がるケースもあるような気がしています。
(ダミーヘッド生録音+ヘッドフォン再生とか)
普通に間を空けて対象に向けた2本のマイクで録音した音や、個々の楽器に個々にマイクを向けてそれを左右に配分したマルチ録音とかは、原理的に前方左右に置いたスピーカーで再生するのが最も忠実だという思い込みも、こうした経緯の中で読み考えた結果染み付いたものです。
なのでヘッドフォンは(ヘッドフォン専用に録音されるダミーヘッド録音のソース以外)、あくまでも代替的なものだという思い込みがあります。
でも多分、今録音されている音楽の多くは、昔のような単純なマルチミックスではなく、計算された音場の中に配置するようなDSP処理されたものなのではないかと推測します。であれば、多分、聴く人の多くがヘッドフォンを使うことを想定し、それに合わせたミキシングがされている可能性も十分あるでしょう。
もっと言えば、結局のところ、録音の仕方や制作の考え方にあわせた再生の仕方が最も忠実、という考え方自体がもう古いのでしょう。
絵や小説は、制作者の意思を離れて、見る者読む者がそこから何を感じるかだ、という話があります。音楽も詞やメロディは既にそうなっていると思います。であれば、録音と再生についても、そういう関係であっておかしくないのでしょう。
長岡鉄男氏の生きた世紀は既に過ぎ去った、ということでしょうね。
頭ではそう思いつつ、なかなか腹にまでは落ちきらない、そんな自分もいます。まあ年取ったということかもね…。
[ PR ]ブログ 登録
- Audio Visual |
- URL |
- コメント(0) |
- トラックバック(0)






















