桜流し 歌詞考察

February 06 [Fri], 2015, 7:10
昨日、金曜ロードショーのエヴァの新劇qを観まして。といっても、エンディングはカットされてしまっていたんですが……。猛烈に聞きたくなりました、桜流し。聴きましたらもう、この気持ちを言葉にしたい!と衝動が……。
という訳でがんばります。

この歌は
『開いたばかりの花が散るのを 「今年も早いね」と 残念そうに見ていたあなたは とてもきれいだった』
から始まります。
あの時は隣にあなたがいたのに、今はもういない。ああいないんだ、とどこか冷めたような、
達観したような気持ちで桜を眺めている情景が目に浮かびます。
この光景は心に根付いていて、ふとした瞬間瞬間にそのヴィジョンが頭に浮かぶのに、『私』はそれを、どこか遠くから見つめている。
大切な人を喪った喪失感の中にいる。
ぽっかり空いた穴の、その中心に立っているんだと思いました。いつもは気がつかないけれど、時折自分は穴の中にいるんだ、とどうしようもなく思い知る。その欠落が戻らないんだと分かっているから、どうしたらいいか分からない。
『もし今の私を見れたなら どう思うでしょう あなた無しで生きてる私を』
『あなた』はきっと優しい人だったんでしょう。だから『あなた無しで生きてる私』を見ても喜んでくれるかもしれないし、もしかしたら悲しむかもしれない。後者に思い至るのは、『私』があなた無しで生きてる、ということに罪悪を感じているからでしょうか。
   『あなた無しで生きてる』
あなた無しで生きられてる、じゃなくて、生きてる。
死んでいないから生きてるに過ぎなくて、決して『生きられてる』訳じゃない。
どうしてでしょう。死んだらあなたが悲しむから?死にたくないから?
そんな理由なんて特になしに、『生きてる』から生きてるのでしょうか。


『あなたが守った街のどこかで今日も響く 健やかな産声を聞けたなら きっと喜ぶでしょう 私たちの続きの足音』
私が最初に思い浮かべたのはこんな映像でした。
枯れ木の並木道を歩きながら、ふと振り返る。白い息が頬をかすめる。そびえたつ高層ビルの群れ。
そこで『私』は思います。ああこの街のどこかで、今日も新たな命が生まれている。あの人が守った街で、新しい生命が芽吹くなら。それでいいじゃないか、きっとあなたも喜んでるよね?
そこには少しのやるせなさと、それに反する安堵も含まれているように思えます。そのかわりにあなたは失われてしまったけれど、という怒りにも似た感情と、単純に、よかった、という安心。わずかながらこの二つ、ひょっとしたらもっとたくさんが、せめぎあっているのではないでしょうか。

『私たちの続きの足音』
これこそが、この産声の響く街なのではないかと。
たとえあなたがいなくても、あなたがその身を呈して守ったものは生き続けている。私と一緒に生きている。あなたが残したともいえるこの街が、続きの足音なのではないかと思います。
足音はあるのにあなたはいない、この寂しさの累積がやがて激情に変わるのではないかと思います。
まさに『怒りと悲しみの累積』ですね。はい、閑話休題。


『もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない

開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな

どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら』

先程の累積が爆発するのがここです。
桜を見て、あなた無しで生きてる私を見て、産声が響くかたわらあなたはいないのを見て、慣れかけていた心がふと剥き出しになる。そこに、あなたがいない、それが刺さる。
『もう二度と会えないなんて信じられない  まだ何も伝えてない』
ここには言葉はいらないでしょう。ストレートに気持ちが伝わってくる一文です。それはもう、痛ましいほどに。

『もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない

開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな

どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら』

ここで少し飛びますが、『everybody finds love in the end』
について。
万物は終わりに愛を見つける、という意味合いでしょうか。
『私』はこのフレーズに至るまでの心の整理を、まだつけられていないように感じます。終わりに愛を見つけるんだみんな、と言い切れるほど、まだ別れを克服していないのだと。
『開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな』
これも『私』目線ではないのではないかと。
ですが、桜を見ていた時の『私』の心の奥底にある思いを、誰かが言葉にした、というのならしっくりきます。『everybody finds love in the end』
もそうかもしれません。自覚していないけど意識の核心にはある思いを、誰かの言葉が形にした。それなら納得できる、と私は思いました。

『開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな

どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら』
ここが『もう二度と会えないなんて信じられない』のメロディと違って、最初の『開いたばかりの花が散るのを』のところと同じ旋律なのはなぜでしょう。
深い意味は特にないのかもしれませんが……。
あくまで考察として、繰り返しの意味があるのではないでしょうか。
開いたばかりの花が散るのを見ていたあなた、開いたばかりの花が散るのを見ていた木立、
そしてあなたはもういない。
それを漠然と繰り返す毎日。前に進んでいない訳ではないけれど、この季節になるとつい思い出す光景。
春になればなったで、もうすぐ散ってしまうのかと思い出す。
夏になればなったで、もうすぐ枝は裸になってしまうのかと思い出す。
秋になればなったで、枯れ木のような桜を見て思い出す。
このメロディで終わって、このメロディではじまる。
忘れられる訳がないんです、だからこそ『もう二度と会えないなんて信じられない』
『まだ何も伝えてない』から、一層とらわれる。

最後の『どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら』

全ての終わりに愛がある、everybody finds love in the end.
心の奥底で凝り固まっていた概念が、ここで顕れた、と考えます。
何が怖いのか、とつい私は考えてしまいました。
私が死ぬことかとも思いましたが、それは微妙に違う気がします。
やはり、あなたの死に、まっすぐ目を向けること、でしょうか。
あなたはいないけれど、その終わりさえもきっと愛だった。
それなら私は目を逸らさないよ、あなたの最後の愛から。
こんな感じでしょうか。なんとなくシンジくんとカヲルくんの関係性と似通った感じですね。


カヲルくん視点とかシンジくん視点とか度々議論がなされますが、私はあえてそれを放棄したいと思います。
ただあえて言うとすればこの歌は、一人を軸として置きながらも、それを取り巻くさまざまな人の視点の交錯なのだと思いました。連続的に切り替わる思いと意思を、『私』という存在を芯にすることで表現した、そんな歌なのだと思いました。




お疲れ様でした。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
宇多田さんの声は、やっぱりまっすぐに、歌詞を耳に運んでくれますね。後ろのピアノとバイオリンが、もの悲しげな雰囲気を更に助長します。
桜流しとタイトルを初めて目にして、思い浮かんだのが『灯籠流し』でした。散って川に流れていく花びら、それこそが死者への追悼。思いさえあれば、灯籠でなくとも想いは伝わる。
こういう事でしょうか。
何度聞いても飽きることはありませんね。
レクイエムとありますが、まさにその通りの歌だと思います。残された人たちといってしまった人たち、どちらの心にも寄り添い、慰める歌。
もうすぐ桜の季節になることでしょうが、この歌を思い出しそうです。
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