Where are you from? 

March 08 [Wed], 2017, 16:53
Where are you from?とスペインを旅行中に、他の旅行客やチケット売り場、レストランのウェイターさんなどに何度か訊かれることがあった。直訳すれば、Be動詞なので、おそらく「どこの出身ですか」というのが一番近いだろう。
ワタシの回答は「From Japan」となる。さらに、日本の?といわれたら東京というが、最初からTokyoのみ、あるいはTokyo, Japanといった返事はしないと思う。
なぜそんなことが気になったかというと、他の人の回答を見ていて、これって出自についての感覚が反映されるなあと思ったからだ。
今回一緒にスペインを旅行していたKellyは、常に「From Japan」と答えていた。彼女が日本在住であることを考えれば、これはつまりワタシが「From UK」と答えるようなもので、つまり現在の居住地を答えているわけだ。カタラン人として誇りを持っているNuriaの回答は「Barcelona」で、Spainではない。ワタシが東京といわない理由はたぶんNuriaに近くて「だって東京近郊とかじゃなくて本当に東京出身だからこそ、あえて言わなくてもいいと思っている」という傲慢さがあるのかもしれない。

たまたまインターナショナルな仲間で夕飯を食べたので、その席でみんなに訊いてみた。「ほとんどのみんなが、出身地と違ってロンドンに住んでいるわけじゃない?で、たとえば中国みたいな出身国でもイギリスでもない第三国で、Where are you from?って訊かれたらなんて答える?」と。
シシリア島出身のAntonioは「Italy but living in London」っていうかなというので驚いた。勝手にシシリアンというのはイタリアとひとくくりにされるのを嫌うのかと思っていたからだ。他のみんなも同じように驚いたのに対しAntonioは「うーん、でも相手が聞きたがっているのは結局は国レベルなんじゃないのかなあ」という。でもまあ無口で謙虚な彼の性格からいったらそうかもしれない。相手が何を求めているかを考えて答えるなんてある意味コンサルタントの鏡のようでもある。
誇り高きスコットランド人であるJennyも意外なことに「From Great Briten」かなあ。イギリスの中だったらもちろんScotlandだけど、海外だったらやっぱりNationではなくてCountryで答えると思う、という返事。日本人とイギリス人のハーフでイギリス育ちであるBruceは「まあ、簡単じゃないよね。聞かれた時の状況とかコンテクストによるし、自分は外見からいって血筋を訊かれてるんだなあって思うことも多いからそういう場合はまずHalf Japaneseっていうし、自分の英語のアクセントから尋ねられているんだったらBackinghamshireっていうし、他の海外だったらEnglandっていうね。GBじゃなくて」という一筋縄ではいかない彼らしい返事。
バルセロナっ子を自認するBrunoもぱさっとシンプルに「Spain」。北イタリア出身のMonicaは「Italian」そしてプライドの高いミラノっ子なStefanoも、「Milanとはいわないかな。やっぱりItalianだよね」ということだった。

実はワタシは韓国人であるKellyが旅の間ずっとFrom Japanとこたえていることが気になって仕方なかった。なんで住んでいる国を答えるんだろう。ワタシがいつか急にFrom UKなんていう日がくるんだろうか、と。確かに彼女はでも人生の1/3くらいを日本で過ごしたので、そういう意味では日本に帰属意識を感じているのかもしれない。千葉への愛着もとても感じられるし、特に「Xのコンサートでヨシキが俺たちは千葉出身なんだっていったじゃない?つい嬉しくって歓声あげちゃった」などというくだりはまさに千葉出身の日本人がする反応だ。
そんなこと気にするワタシって、ものすごいナショナリストなのかしら?とBrunoにいったら、「え、気づいてないの?ナツミって相当にナショナリストな日本人じゃん。だってそもそも日本語の先生になろうと思ってたでしょ」と突っ込まれてしまった。た、たしかに…。そんなに自分の国を盲目的に愛したりはしていないけれども、欠点も含めてやっぱりちゃんと認めてあげたい。

圧倒。 

January 29 [Sun], 2017, 20:27
1・27-29の週末を利用してノルウェーの北極圏の街トロムソに行った。目的は「オーロラ鑑賞」それだけ。ちなみに英語では、オーロラというよりもNorthern Lightsというほうが一般的なよう。オーロラ姫の名前は普通に使うのにね。
トロムソという街には実は16年前、姉がまだ旅行ガイドの北欧編を担当していたころ、そしてワタシがミネソタで大学院生をしていたころに来たことがあった。8月なのに白いものがチラホラと空を飛びかい震えるほど寒かったということだけを覚えていて、観光名所であるはずの三角屋根の教会すらまったく記憶になかった。
それでも、お土産として買ってきた銀の指輪も、暖かい雪模様のセーターと帽子のセットも16年間3つの国をきちんとワタシと一緒に旅してまわり、お里帰りを果たすことになったのだ。

今回の旅行はヨウコちゃんが旧友であるユウコちゃんと企画していたものに合流させていただいたもの。なので、ツアー手配もホテル手配もすべてお任せ。ああ、なんて素晴らしい!
オーロラを観られるかどうかは、しかし、あくまで運しだい。天気はずーっと雨と曇りでこれじゃあいくら新月でオーロラの活動が激しくなる週末を選んだとしても厚い雲に阻まれてしまうのではないか…。期待値は結構低いまま到着したワタシ達だった。しかし、このNorthern Lights Chaseというツアーはその名に違わず、あくまで追いかけていくツアー。雲の切れ間を探し、ノルウェーを横断すること2時間。もうすぐフィンランドという森の中でぽっかりと雲の開いた空間を見つけてくれたガイドさん。そこでワタシ達は草原に立ち、ひたすら空を見上げた。

そして。ぼーんやりと霧のような雲のようなものを指してガイドさんが言った。「でた、でた!オーロラだよ」
行くまでの飛行機でヨウコちゃんが「なんでもね、オーロラって緑色に見えるんじゃなくって、白い霞のようなものがぼやーってするらしいよ」と言ってくれていたのが助けになった。そう、オーロラは(少なくともワタシの目には)緑色になんて見えなかった。白い薄いシフォンのようなものが漂っているだけ。
あまりにも雲が低い位置に立ち込めているので、自分が雲のはじっこをみているのか、オーロラをみているのかはよくわからなかった。でも、デジタルカメラの中には、明らかに周囲の雲とは違う緑色の光がくっきり。なんて不思議…。
だんだんと目が慣れてくると、自分の目にもオーロラと雲が違って見えるようになってきた。それは同時にオーロラが活発になってきたということでもあったようだ。それまでのボワンと塊が漂うのとは違い、カーテンのような形で揺らめく姿が垣間見えるようになった。
「そろそろ、トロムソにもどりましょう」そうガイドさんが言った時にはすでに夜11時過ぎだったろうか。他に数台あった同じようなツアーの車もいつの間にか姿を消していた。足元の凍り付いた斜面に気を付けつつミニバスに戻ったワタシ達。その瞬間、ドライバーさんが叫んだ「おいおい、みんな、早く戻れ、外に出るんだ!」あまりの大声に、何か非常事態でもあったのかと思いつつ、外に足を踏み出すと...。そこには視界いっぱいにたゆたう濃くはっきりとしたオーロラがワタシ達を見下ろしていた。まるで、最後まで残っていたワタシ達にご褒美をくれるかのように、それは壮大な天空ショーだった。すごい。本当に震えがくるというのはこういうことを言うのだなと思った。
太陽の黒点から送り出されたプリズムが地球に届き極地でたゆたう…そんな雄大なスペクタクルを、こうして見上げている自分のなんと小さいことか。
自分の思い出の中でも、トップ10に残る風景を目に焼き付けることができた、素晴らしい週末だった。

LINEと人質 

January 16 [Mon], 2017, 6:20
ブログの更新頻度が減っている、という自覚はある。そしてFacebookが長い文章を載せられるようになって以来、そして日本での普及が広がるに従い、それはどんどんど加速度をつけてきた。
ブログの独白形式に対して、Facebookは集会所のような感覚があり反応が見える。また、ブログはきちんとキーボードで書きたい私にとって、自宅のパソコンに向かう時間すら無いような生活が続いていたということもある。しかし、一番の理由は自分の中に書きたいものを見つけられなくなってきていたからだと思う。
今日なにをした、何を食べた、どこに行った…という「報告」はFacebookに最適だ。けれど、やっぱり何かについてきちんと考えて、整理をして、そして書き記すというのには、時間を取ってキーボードに向かうことがワタシには必要なのだ。

今回、LINEのアカウントが乗っ取られ、結果として周囲に迷惑をかけ、そしてソーシャルネットワークシステムというものについて考えるところが多々あったので、心の整理も兼ねつつ、久しぶりに書いてみたいと思う。

ワタシの交流手段は基本的にメール(GmailやYahooメールあるいは会社のメールアドレスといったもの)、そして携帯電話のテキスト交換(イギリスやアメリカでいうテキスト、日本でいうショートメッセージ、あるいはiPhoneユーザのiMessage)、そして次に携帯の通話だ。メールが中心なのは日中ほとんどを会議に取られている生活なので、こそこそっとパソコンから返事ができること、そしてキーボードで素早く長文が返せることが一番の理由だ。メールは相手の受け取りがすぐではないので、迅速に連絡を取りたければテキストを送り、それでも反応がなければ電話をかける。
そんな中、数年前に日本に帰った時に驚いたのが「やり取りはLINE」という人たちの数の多さだった。日本とイギリスの携帯方式の違いゆえにテキスト送信はできない。なので携帯メールのアドレスに連絡していたが反応がなく訊ねてみると「携帯メールは迷惑メールがあまりにも多すぎてもう開いていない」であったり、「学校の連絡もLINEで来るから、LINEしかみていない」といわれてしまった。そこまで大多数がLINEユーザに、しかもLINEしか見ないなどといわれると、もう「その人と話がしたい」という気持ちを人質に取られているようなものである。
こういったアプリケーションを使ったメッセージシステムというのは、電話会社や携帯キャリアといった事業認可がされ国などに監督されているものとは違って、簡単に参入できる気がするし、その分セキュリティ対策などもどこまで真剣に取り組んでいるのかわからない。しかし、どうも日本では、LINEはいまや旧来の固定電話や携帯通話、携帯のメールやテキスト交換よりも大多数に使われ、強力なインフラになっているようだ。そして、それは、社会の合意として紙や金属が「貨幣」として流通するのと同じように、大多数の「人質」とともにますます必要不可欠になっていく。
国際電話代や、SMSの形式や、AppleかAndroidかといった障壁を越えて日本の友人たちとつながっているためには、LINEこそが唯我独尊のツールのようだった。そして、それは確かに便利なコミュニケーション手段を与えてくれた。先週までは。
怖さがあったから、パスワードは他のSNSと共有することはなかったにもかかわらず、ワタシのLINEアカウントは乗っ取られた。運営会社に出した事故レポートの回答は「他のSNSから流出した情報が使われたのだ」という前提で「なので私たちには責任がない」といっていた。…なぜそう言い切れるのだろう?
確かにワタシ自身がもっと頻度高くパスワードを変えておけばよかったのだと思う。それは痛感する。しかしそもそも情報流出させたことについて、責任逃れしかしない運営会社のインフラを再び使うことに対しては、どうしても抵抗が生まれてしまう。

ネットワークか、抵抗感か。
日本の友人たちを人質に取られたワタシの気持ちが固まるまで、当面緑のアイコンにはさよならをいおう。

生きること、死ぬこと 

July 10 [Sun], 2016, 15:21
京極夏彦の「死ねばいいのに」をシシリー旅行中読み返していた。
冒頭の上司の「中間管理職」としてもがく様、母親の40代の「おばさん」であることを受け入れられずもがく様、その2つが実に痛く響く小説だ。

かつてチヤホヤされ大切にされことがあり、ゆえにオンナを使って生きてしまった母親の、「女」性を使い果たしたことに気づかず幻想に生きている様子には考えさせられてしまう。自分も、どっかで現役だと思いたがっていて、「女」から「母」に移行した友達とは違う未練たらしさを持っているという自覚があるからだ。いっそ作中の母親のように完全に思違いできたら幸せだろうに。
ああ、でも作品の中では「憑き物落とし」の役となる若者にその幻想はバッサリと切り捨てられる。もしそれがワタシだったら?

たまたまYahooニュースにあった「「年寄りが先に逝く」という常識を復権せよ〈医学の勝利が国家を亡ぼす 最終回〉」という題のデイリー新潮の記事を見て考えた。90歳の老人が死にたくない、老後が心配だと思うことへの違和感を口にした麻生太郎の発言から始まる記事だ。その記事の中で印象的だったのが養老孟司のこのコメントだ。
「ホスピスの人が言うには、90歳をすぎた老人が、毎日、死にたくないと嘆いているそうです。では、90歳まで何をしてきたのか。きちんと勤め、決まった仕事をして、決まった給料をもらい、その間は相当我慢していた。でも、そういう状態は“生きている”のではないから、年をとってから生きようとする。」

もし死が今自分に降りかかったらワタシはどうだろう?ワタシは高校時代から「反省はしても後悔はしない」を基準に人生の選択をしてきた。シンプルにいえば、事故にあって死にゆく中で「ああ、あれしとけばよかった」と思いながら死にたくない、という漠然とした基準だったのだが、10-15年ほど前に「死というものは遠くにあるわけではないんだな」と実感して以来、大きなものでいえば海外への転居、小さなもので言えば周囲にありがとうと伝えておく等、し忘れたことのない人生でいこうと思うようになった。

逆にいうと、最近は執着が薄れて来たような気持ちでもある。昨今の不安定な国際情勢に中でいつ何時事件に巻き込まれてもおかしくないと思うが、他の人のようにできるだけ回避したいと思うよりも、ならば寿命だったのだろうと思う。

そう思うのは早いのでは?と思う自分がいつつ、それもまた自分と思う。
生きていくことは、いつかどこかでやってくる死に向かって歩いているということであって、角を曲がってそれに出くわす可能性が常にある以上、それを念頭に起きつつ歩いて行きたいなあと思う。

初めてのベルリン 

May 21 [Sat], 2016, 17:56
まさに無知とは恐ろしいもので。

ワタシはずっとベルリンというのは、東西ドイツの国境上に位置するがゆえに二つに分断された首都なんだと思い込んでいた。ベルリンの壁を越えるシーンでも、あの東西の壁はずーっとドイツの国を縦断しているかのように思い込んで捉えていた。

そして、初めてのベルリン訪問。飛行機の地図をみてみたらえっらくポーランド側にあることに(今更ながら)気が付いた。こんなところに国境があったわけないよなあ。

もちろん、ワタシが間違っていたのである。ベルリンには一部分そこだけがぽろんと西側統治というエリアがあったのだ。いやはや無知っておそろしい。それをわかっていないまま、ワタシは普通に「Bridge of Spies」とか観ていたんだもの。いやはや。

さらに恥の上塗り。到着してホテルに落ち着き、ベルリン大聖堂などのエリアを見て回っていたワタシ達はいったいどこから東側が始まるんだろうねと話をしていた。自分たちがいるエリアこそが東ベルリンだということにも気づかずに!そのあと、東西時代の地図をみてそのことに気づいたときには思わず苦笑してしまった。

ベルリンそのものには中学からのタカラヅカ&四季観劇仲間であり、オペラ歌手として活躍するうのきの誘いで行ったのだけれど、予想をはるかに裏切る見どころ満載、そしてオペラの楽しみもさらに学ぶことになった楽しい週末だった。

なますて・インド:その3-そして、アグラ 

January 18 [Mon], 2016, 19:40
一週間の会議を乗り切って、金曜日。Vikasのいとこがアレンジしてくれた手配旅行でいよいよタージマハルのあるアグラへ向かう。Vikasは大学院時代の同級生。たまたまFacebookにインド出張のことを書いたら、いとこを紹介してくれたのだ。昨今の報道から、日本人とスコットランド人女性2人でインド国内を旅行することにちょっと抵抗があったのだが、彼女がいろんなところに連絡を入れてくれて、事前手配をばっちりしておいてくれたのだ。

渋滞のデリーを抜けて、高速道路に乗ると、そこからはスムーズクルーズ。ひたすら200Kmをひた走る。夕闇がせまり、やがて真っ暗になり、そして高速道路が終わると急に掘っ立て小屋の続く集落が始まり…急にビルディングが建つかと思えばまた集落。やがてアグラの中心部にたどりついた。

翌朝、日の出とタージマハルを期待して朝5時半に起きたものの、深すぎる霧のため窓の外はカルピスのよう。初めに向かったのはタージマハルの対岸。ガイドは絶対に何も見えないよと警告したのだが、あくまでワガママなワタシはそれでも挑戦したいと言い張った。真っ白な中、アグラの「裏側」へとハザードをつけのろのろと車は進む。しかし、川から立ち上る霧でまったく何があるか推察することすらできない。仕方ないので二度寝することにして、再度8時過ぎにガイドと運転手と落ち合う。それでもまだ霧が晴れぬ中、まずむかったのはアグラフォート。デリーのレッドフォート同様、要塞兼宮殿だったところで、現在は半分がインド軍によって使用されているという。その開放されている部分を見学して回ることができる。陽が差してくるにつれ、少しずつ姿を現すその姿はレッドフォートとは比較にならないほど美しい。
インドの歴史にちかしいジェニーはガイドの話から関連してカシミール地方やパンジャブ地方など違うエリアについての質問へも広がっていく。それをある意味楽しむかのようにまだ年若いガイドはサクサクと回答していく。

こうして砦を後にする頃には燦々と降り注ぐ光がすっかり霧を散らしていた。さあ、いよいよタージマハルへ。時間はだいたい11時か。きっと他の観光客も似たようなルートをたどっているのだろうし、混んでいるかしらと心配しつつ入口へ。行列はそれほどではなく、スムーズに入場。外壁の奥にはちろりとすでにタージマハルの突端がみえている。
そして、門を抜けると、強い日差しに白く照り返すタージマハルが建っていた。
正直言えば、「ふーん」。なんだろう、あまりに期待が強すぎてそう思ってしまったのかもしれない。ベルギーの小便小僧やコペンハーゲンの人魚姫ほどではないけれど、なんだか細身すぎて、もっと巨大なものを妄想してしまっていたワタシにはなんとなくこぢんまりと感じてしまった。いや、誰かのお墓だと考えたらもちろんものすごい大きさではあるのだけれど。四方にあるミナレットを視線から外してみてみると、なんとも頭でっかちのような。デリーでみたフマユーン廟のバランスがまだ目に焼き付いていたせいか、なんだかケーキの上の砂糖飾りのように感じてしまった。

この後、ファティプールシクリにも立ち寄ってデリーに戻ったのだが、インドの名所を回って気づいたことは、長い歴史の国という認識と、目にする遺跡の新しさとのギャップだった。それはたまたまワタシが回った北インドの遺跡たちがそうなのだとは思うのだが、多くが1600年代のもので、勝手にもっと古いものを目にするのだろうと勘違いしていたのが悪いのだけれど、案外新しいものなんだなあという感想を抱いてしまった。

今回のインドで思ったこと。それは、南にいってみたいということだ。そしてできることならばスリランカにまで足を延ばしてみたいあなあ。それにはもちろん仕事抜きで来るという条件が必要なのだけれど。

なますて・インド:その2−ゴホッゴホッ 

January 17 [Sun], 2016, 18:54
街に出てすぐ。とにかく胸が痛いことに気づかされる。いや、心が痛むっていうんじゃなくて、本当に物理的に胸が痛い。それは黄色にかすむ空気のせい。排気ガスのせいだとかそんな単純なものじゃない。そこらじゅうで「やりかけ」状態な工事現場の土の山。そこにショートカットとばかりに走りこんでいく車。車検のコンセプトのなさそうなトラックたち。そこに牛やらが拍車をかけて…。
ああ、上海出張の時にはあんなに準備万端でマスクを大量に持っていったというのに、どうして気づかなかったんだろう。仕方ないので、ハンドタオルで口を押えながらタクシーの後部座席におさまる。
まず到着したのはレッドフォート。赤い石で作られた要塞、と宮殿を兼ね備えたもの。そのお濠越しに臨む姿に期待しつつ正面玄関までたどり着くと、そこには人・人・人・・・・・。ものすごい数の家族連れたちが行列をなしていた。うわお。
そこで学んだのは、インドでは「外国人プライス」があるということ。そして、そのチケットを持っていると、長い行列も関係なく入場させてくれるということ。
正直、レッドフォートの中にある建物に特に感激はなかった。どちらかというと手入れがされておらず、もったいないなあという感じ。けれども、その中にある博物館のなかの展示物は、イスタンブールのトプカピ宮殿の展示物を彷彿とさせるもので、インドとオスマントルコの関係を実感できるものだった。
そこからインド門の脇を抜けてフマンユーン廟へ。共和国記念日の直前ということでパレードのリハーサルが行われており、このご時世ということもあって、かなりの厳戒態勢。そのため道路も大渋滞。たどり着いた時には閉館20分前だった。
あわてて駆け込んだワタシ達の目に飛び込んできたもの。美しく赤と白の石で彩られたドームだった。

なますて・インド:その1‐初めてのデリー 

January 17 [Sun], 2016, 2:46
プロジェクトがインドに展開するのが割と唐突に前倒しにされることになったのは去年のこと。
会議の場所もよくわかっていないままビザを申請。てっきりムンバイに行くんだと思って危うくチケット取ろうとしたところで、「え、会議はデリーだよ」とジェニーが救ってくれた。おお確認して良かった!と言いながらデリー行き航空券を予約していたら、今度はその会話を耳にした隣にいたインド人が興奮しながら「んねっ、ねっ、インド、行くの〜?」と聞いてきた。「そうだよ。どうやらデリーに行くみたい」と答えると「じゃあタージマハルは絶対行ったほうがいいよ。すぐ近くだから」とアドバイスしてくれた。ふうん、タージマハルってデリーにあるのか〜とググってみたら、近い近い。たったの200kmほど…。さすがインド基準。
「まあ広大なインドにとってはこれは近所の範疇なんだろうね」とジェニーは言う。数年前に南インドをツアーで回った彼女は、おじいさんの代でインド統治に携わったのでお父さんや親戚の叔母さんがインド生まれという家系。おじいさんはウルドゥー語の研究でも知られているほどなのでかなりのインド好きなのだ。
それに引き換え、チームのインド人メンバーの出身地がインドのどの辺に分布しているのかすら分かってない私。す、スミマセン…。
とはいえ、それは11月のこと。インド出張はクリスマス休暇開けすぐだったので、休み前の慌ただしい中、とりあえず出張に必要なビザと航空券だけ確定させて残りの心配は年明けに後回し。気づいたら出発の1週間前。そしてワタシは体調が最悪なコンディション。ぼーっとした脳みそのまま適当にパッキングして、デリーに到着した。

さ、さむい。出発前にみた天気予報では23度くらいって書いてあったのに、いやいや13度ってロンドンと変わらないじゃん。まあ確かにデリーって相当北側の内陸部にあるわけで、考えてみたらまあわからなくもないのだが、しかし予報と違い過ぎる!ホテルに着いたところで洋服を調整し、観光に出かけることにした。

若く見えるのはいいことか? 

December 08 [Tue], 2015, 16:13
パリに絵画を買いに行ってきた。

というと、かっこよく聞こえるかもしれないが、ひとのFacebookにあった画家さんの絵がどうにも気に入ったのでミサちゃんに紹介していただいたという経緯。あんまりかっこよくはない。

お会いして「でも、どうして知り合ったの?年齢に結構開きがあるわよね」といわれた。ワタシ達はみんな同じ年だが、ワタシは若く見えたようだ。
そうか、日本人にもなのか…と思ってしまった。最近会社に入ってきた26歳のイタリア人男子も、ブルーノと同じ年くらいだと思ってたといったらしい。33歳。でもヨーロッパ人に30代前半だと思われるのには結構なれた。嬉しいかというと、まあ嬉しいけれど、でも仕事の場ではやっぱりあまり便利ではない。なにかというと大卒したての若者や、新しく入ってきたコンサルタントに失礼なくらい気軽に声を掛けられ、質問ばかりされるからだ。
会議でも仕事の役職は説明するが、別段自分の職位をいうわけではない。そうすると、やっぱり、ああこの人は若いと思っているんだろうなあ、でもきっとワタシのほうが年上だよなあと思ってしまうようなことがよくある。

アジア人は若く見える。だからといって白髪を染めるのをやめてしまうと(試してみたのだ)、ワタシの白髪は生え際にでるので「メッシュいれてるの」といわれてビックリ。さらに放置して頭頂部にも白髪がでてきたら、今度は「顔だちやファッションと白髪が合わないから染めたほうがいいよ」といわれてしまった。
男子は若いのに白髪をかっこよくこなしている人が日本人でも外国人でもいるのに、どうして女性はそういうわけにいかないのだろう。むむむ。

若く見えて、でも成熟している…感を出すには、きっとちゃんとした格好で会社に行くべきなのだろうとは思う。でも、自転車通勤の身ではやっぱりついつい楽な恰好に流れてしまう。そういうところも反省しなくてはならないんだろうなあ…。

自分は変えられる。自分しか変えられない。 

October 09 [Fri], 2015, 5:37
ここのところ煮詰まっている感じが強い。なにかが起こるとすぐに怒りのスイッチがはいってしまって、会社でもカリカリイライラしてばかりだ。人に対する好き嫌いの振り幅もどんどん広がっている。
そんなのがいいいわけない。もちろん、周囲からの目線で気づくこともある。でも、たいていは、怒りを走らせている自分のことを頭上からみているもう一人の自分がいる。

現状打破のために、何ができるだろう?
考えて、コーヒーを飲むことにした。

かつて一緒に仕事をしてワタシの性格をよくわかっているひとに頼んで、メンターになってもらうことにしたのだ。
温和で内側にひしっと情熱の炎を燃やすタイプのポルトガル人には、英語力の壁を言い訳にしてはいけない。そこには自信をもって、むしろ相手がなにを聞こうとしているのかから考えて、何が相手を動かしているのか、そういわせているのかを読み取るようにせよとアドバイスされた。
同じくらいカッとなるタイプだったはずのイギリス人には、「俺もおんなじような経路をたどってさ。怒るのやめようと思ったんだよね」と切り出された。自分は変えられるけど、逆に言えば他人を変えることなんてできない。上層部に訴えたところで自分で何とかしろといわれるのが関の山。それからいったら、自分を変えようとするほうがよほど早くて確実だ。
業務の知識もないのに、社内の偉い人たちにへつらうことで生き抜いてきた輩が、自分を出し抜こうとしているのだとしても、その相手がずるばかりしてくるとしても、そんな価値観で生きている相手を変えることはできない。自分のほうが変わるしかないのだ。

今までだって、そう思ってきたはず。でも、なんだか、改めて心を開いている誰かに言われるとしみじみと思い至った。まずは自分の手のひらに透明な刺青を入れた気持ちで、折につけ心がけるようにしよう。
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