生きること、死ぬこと 

July 10 [Sun], 2016, 15:21
重いタイトルになってしまった。

京極夏彦の「死ねばいいのに」をシシリー旅行中読み返していた。
冒頭の上司の「中間管理職」としてもがく様、母親の40代の「おばさん」であることを受け入れられずもがく様、その2つが実に痛く響く小説だ。

かつてチヤホヤされ大切にされことがあり、ゆえにオンナを使って生きてしまった母親の、「女」性を使い果たしたことに気づかず幻想に生きている様子には考えさせられてしまう。自分も、どっかで現役だと思いたがっていて、「女」から「母」に移行した友達とは違う未練たらしさを持っているという自覚があるからだ。いっそ作中の母親のように完全に思違いできたら幸せだろうに。
ああ、でも作品の中では「憑き物落とし」の役となる若者にその幻想はバッサリと切り捨てられる。もしそれがワタシだったら?

たまたまYahooニュースにあった「「年寄りが先に逝く」という常識を復権せよ〈医学の勝利が国家を亡ぼす 最終回〉」という題のデイリー新潮の記事を見て考えた。90歳の老人が死にたくない、老後が心配だと思うことへの違和感を口にした麻生太郎の発言から始まる記事だ。その記事の中で印象的だったのが養老孟司のこのコメントだ。
「ホスピスの人が言うには、90歳をすぎた老人が、毎日、死にたくないと嘆いているそうです。では、90歳まで何をしてきたのか。きちんと勤め、決まった仕事をして、決まった給料をもらい、その間は相当我慢していた。でも、そういう状態は“生きている”のではないから、年をとってから生きようとする。」

もし死が今自分に降りかかったらワタシはどうだろう?ワタシは高校時代から「反省はしても後悔はしない」を基準に人生の選択をしてきた。シンプルにいえば、事故にあって死にゆく中で「ああ、あれしとけばよかった」と思いながら死にたくない、という漠然とした基準だったのだが、10-15年ほど前に「死というものは遠くにあるわけではないんだな」と実感して以来、大きなものでいえば海外への転居、小さなもので言えば周囲にありがとうと伝えておく等、し忘れたことのない人生でいこうと思うようになった。

逆にいうと、最近は執着が薄れて来たような気持ちでもある。昨今の不安定な国際情勢に中でいつ何時事件に巻き込まれてもおかしくないと思うが、他の人のようにできるだけ回避したいと思うよりも、ならば寿命だったのだろうと思う。

そう思うのは早いのでは?と思う自分がいつつ、それもまた自分と思う。
生きていくことは、いつかどこかでやってくる死に向かって歩いているということであって、角を曲がってそれに出くわす可能性が常にある以上、それを念頭に起きつつ歩いて行きたいなあと思う。

初めてのベルリン 

May 21 [Sat], 2016, 17:56
まさに無知とは恐ろしいもので。

ワタシはずっとベルリンというのは、東西ドイツの国境上に位置するがゆえに二つに分断された首都なんだと思い込んでいた。ベルリンの壁を越えるシーンでも、あの東西の壁はずーっとドイツの国を縦断しているかのように思い込んで捉えていた。

そして、初めてのベルリン訪問。飛行機の地図をみてみたらえっらくポーランド側にあることに(今更ながら)気が付いた。こんなところに国境があったわけないよなあ。

もちろん、ワタシが間違っていたのである。ベルリンには一部分そこだけがぽろんと西側統治というエリアがあったのだ。いやはや無知っておそろしい。それをわかっていないまま、ワタシは普通に「Bridge of Spies」とか観ていたんだもの。いやはや。

さらに恥の上塗り。到着してホテルに落ち着き、ベルリン大聖堂などのエリアを見て回っていたワタシ達はいったいどこから東側が始まるんだろうねと話をしていた。自分たちがいるエリアこそが東ベルリンだということにも気づかずに!そのあと、東西時代の地図をみてそのことに気づいたときには思わず苦笑してしまった。

ベルリンそのものには中学からのタカラヅカ&四季観劇仲間であり、オペラ歌手として活躍するうのきの誘いで行ったのだけれど、予想をはるかに裏切る見どころ満載、そしてオペラの楽しみもさらに学ぶことになった楽しい週末だった。

なますて・インド:その3-そして、アグラ 

January 18 [Mon], 2016, 19:40
一週間の会議を乗り切って、金曜日。Vikasのいとこがアレンジしてくれた手配旅行でいよいよタージマハルのあるアグラへ向かう。Vikasは大学院時代の同級生。たまたまFacebookにインド出張のことを書いたら、いとこを紹介してくれたのだ。昨今の報道から、日本人とスコットランド人女性2人でインド国内を旅行することにちょっと抵抗があったのだが、彼女がいろんなところに連絡を入れてくれて、事前手配をばっちりしておいてくれたのだ。

渋滞のデリーを抜けて、高速道路に乗ると、そこからはスムーズクルーズ。ひたすら200Kmをひた走る。夕闇がせまり、やがて真っ暗になり、そして高速道路が終わると急に掘っ立て小屋の続く集落が始まり…急にビルディングが建つかと思えばまた集落。やがてアグラの中心部にたどりついた。

翌朝、日の出とタージマハルを期待して朝5時半に起きたものの、深すぎる霧のため窓の外はカルピスのよう。初めに向かったのはタージマハルの対岸。ガイドは絶対に何も見えないよと警告したのだが、あくまでワガママなワタシはそれでも挑戦したいと言い張った。真っ白な中、アグラの「裏側」へとハザードをつけのろのろと車は進む。しかし、川から立ち上る霧でまったく何があるか推察することすらできない。仕方ないので二度寝することにして、再度8時過ぎにガイドと運転手と落ち合う。それでもまだ霧が晴れぬ中、まずむかったのはアグラフォート。デリーのレッドフォート同様、要塞兼宮殿だったところで、現在は半分がインド軍によって使用されているという。その開放されている部分を見学して回ることができる。陽が差してくるにつれ、少しずつ姿を現すその姿はレッドフォートとは比較にならないほど美しい。
インドの歴史にちかしいジェニーはガイドの話から関連してカシミール地方やパンジャブ地方など違うエリアについての質問へも広がっていく。それをある意味楽しむかのようにまだ年若いガイドはサクサクと回答していく。

こうして砦を後にする頃には燦々と降り注ぐ光がすっかり霧を散らしていた。さあ、いよいよタージマハルへ。時間はだいたい11時か。きっと他の観光客も似たようなルートをたどっているのだろうし、混んでいるかしらと心配しつつ入口へ。行列はそれほどではなく、スムーズに入場。外壁の奥にはちろりとすでにタージマハルの突端がみえている。
そして、門を抜けると、強い日差しに白く照り返すタージマハルが建っていた。
正直言えば、「ふーん」。なんだろう、あまりに期待が強すぎてそう思ってしまったのかもしれない。ベルギーの小便小僧やコペンハーゲンの人魚姫ほどではないけれど、なんだか細身すぎて、もっと巨大なものを妄想してしまっていたワタシにはなんとなくこぢんまりと感じてしまった。いや、誰かのお墓だと考えたらもちろんものすごい大きさではあるのだけれど。四方にあるミナレットを視線から外してみてみると、なんとも頭でっかちのような。デリーでみたフマユーン廟のバランスがまだ目に焼き付いていたせいか、なんだかケーキの上の砂糖飾りのように感じてしまった。

この後、ファティプールシクリにも立ち寄ってデリーに戻ったのだが、インドの名所を回って気づいたことは、長い歴史の国という認識と、目にする遺跡の新しさとのギャップだった。それはたまたまワタシが回った北インドの遺跡たちがそうなのだとは思うのだが、多くが1600年代のもので、勝手にもっと古いものを目にするのだろうと勘違いしていたのが悪いのだけれど、案外新しいものなんだなあという感想を抱いてしまった。

今回のインドで思ったこと。それは、南にいってみたいということだ。そしてできることならばスリランカにまで足を延ばしてみたいあなあ。それにはもちろん仕事抜きで来るという条件が必要なのだけれど。

なますて・インド:その2−ゴホッゴホッ 

January 17 [Sun], 2016, 18:54
街に出てすぐ。とにかく胸が痛いことに気づかされる。いや、心が痛むっていうんじゃなくて、本当に物理的に胸が痛い。それは黄色にかすむ空気のせい。排気ガスのせいだとかそんな単純なものじゃない。そこらじゅうで「やりかけ」状態な工事現場の土の山。そこにショートカットとばかりに走りこんでいく車。車検のコンセプトのなさそうなトラックたち。そこに牛やらが拍車をかけて…。
ああ、上海出張の時にはあんなに準備万端でマスクを大量に持っていったというのに、どうして気づかなかったんだろう。仕方ないので、ハンドタオルで口を押えながらタクシーの後部座席におさまる。
まず到着したのはレッドフォート。赤い石で作られた要塞、と宮殿を兼ね備えたもの。そのお濠越しに臨む姿に期待しつつ正面玄関までたどり着くと、そこには人・人・人・・・・・。ものすごい数の家族連れたちが行列をなしていた。うわお。
そこで学んだのは、インドでは「外国人プライス」があるということ。そして、そのチケットを持っていると、長い行列も関係なく入場させてくれるということ。
正直、レッドフォートの中にある建物に特に観劇はなかった。どちらかというと手入れがされておらず、もったいないなあという感じ。けれども、その中にある博物館のなかの展示物は、イスタンブールのトプカピ宮殿の展示物を彷彿とさせるもので、インドとオスマントルコの関係を実感できるものだった。
そこからインド門の脇を抜けてフマンユーン廟へ。共和国記念日の直前ということでパレードのリハーサルが行われており、このご時世ということもあって、かなりの厳戒態勢。そのため道路も大渋滞。たどり着いた時には閉館20分前だった。
あわてて駆け込んだワタシ達の目に飛び込んできたもの。美しく赤と白の石で彩られたドームだった。

なますて・インド:その1‐初めてのデリー 

January 17 [Sun], 2016, 2:46
プロジェクトがインドに展開するのが割と唐突に前倒しにされることになったのは去年のこと。
会議の場所もよくわかっていないままビザを申請。てっきりムンバイに行くんだと思って危うくチケット取ろうとしたところで、「え、会議はデリーだよ」とジェニーが救ってくれた。おお確認して良かった!と言いながらデリー行き航空券を予約していたら、今度はその会話を耳にした隣にいたインド人が興奮しながら「んねっ、ねっ、インド、行くの〜?」と聞いてきた。「そうだよ。どうやらデリーに行くみたい」と答えると「じゃあタージマハルは絶対行ったほうがいいよ。すぐ近くだから」とアドバイスしてくれた。ふうん、タージマハルってデリーにあるのか〜とググってみたら、近い近い。たったの200kmほど…。さすがインド基準。
「まあ広大なインドにとってはこれは近所の範疇なんだろうね」とジェニーは言う。数年前に南インドをツアーで回った彼女は、おじいさんの代でインド統治に携わったのでお父さんや親戚の叔母さんがインド生まれという家系。おじいさんはウルドゥー語の研究でも知られているほどなのでかなりのインド好きなのだ。
それに引き換え、チームのインド人メンバーの出身地がインドのどの辺に分布しているのかすら分かってない私。す、スミマセン…。
とはいえ、それは11月のこと。インド出張はクリスマス休暇開けすぐだったので、休み前の慌ただしい中、とりあえず出張に必要なビザと航空券だけ確定させて残りの心配は年明けに後回し。気づいたら出発の1週間前。そしてワタシは体調が最悪なコンディション。ぼーっとした脳みそのまま適当にパッキングして、デリーに到着した。

さ、さむい。出発前にみた天気予報では23度くらいって書いてあったのに、いやいや13度ってロンドンと変わらないじゃん。まあ確かにデリーって相当北側の内陸部にあるわけで、考えてみたらまあわからなくもないのだが、しかし予報と違い過ぎる!ホテルに着いたところで洋服を調整し、観光に出かけることにした。

若く見えるのはいいことか? 

December 08 [Tue], 2015, 16:13
パリに絵画を買いに行ってきた。

というと、かっこよく聞こえるかもしれないが、ひとのFacebookにあった画家さんの絵がどうにも気に入ったのでミサちゃんに紹介していただいたという経緯。あんまりかっこよくはない。

お会いして「でも、どうして知り合ったの?年齢に結構開きがあるわよね」といわれた。ワタシ達はみんな同じ年だが、ワタシは若く見えたようだ。
そうか、日本人にもなのか…と思ってしまった。最近会社に入ってきた26歳のイタリア人男子も、ブルーノと同じ年くらいだと思ってたといったらしい。33歳。でもヨーロッパ人に30代前半だと思われるのには結構なれた。嬉しいかというと、まあ嬉しいけれど、でも仕事の場ではやっぱりあまり便利ではない。なにかというと大卒したての若者や、新しく入ってきたコンサルタントに失礼なくらい気軽に声を掛けられ、質問ばかりされるからだ。
会議でも仕事の役職は説明するが、別段自分の職位をいうわけではない。そうすると、やっぱり、ああこの人は若いと思っているんだろうなあ、でもきっとワタシのほうが年上だよなあと思ってしまうようなことがよくある。

アジア人は若く見える。だからといって白髪を染めるのをやめてしまうと(試してみたのだ)、ワタシの白髪は生え際にでるので「メッシュいれてるの」といわれてビックリ。さらに放置して頭頂部にも白髪がでてきたら、今度は「顔だちやファッションと白髪が合わないから染めたほうがいいよ」といわれてしまった。
男子は若いのに白髪をかっこよくこなしている人が日本人でも外国人でもいるのに、どうして女性はそういうわけにいかないのだろう。むむむ。

若く見えて、でも成熟している…感を出すには、きっとちゃんとした格好で会社に行くべきなのだろうとは思う。でも、自転車通勤の身ではやっぱりついつい楽な恰好に流れてしまう。そういうところも反省しなくてはならないんだろうなあ…。

自分は変えられる。自分しか変えられない。 

October 09 [Fri], 2015, 5:37
ここのところ煮詰まっている感じが強い。なにかが起こるとすぐに怒りのスイッチがはいってしまって、会社でもカリカリイライラしてばかりだ。人に対する好き嫌いの振り幅もどんどん広がっている。
そんなのがいいいわけない。もちろん、周囲からの目線で気づくこともある。でも、たいていは、怒りを走らせている自分のことを頭上からみているもう一人の自分がいる。

現状打破のために、何ができるだろう?
考えて、コーヒーを飲むことにした。

かつて一緒に仕事をしてワタシの性格をよくわかっているひとに頼んで、メンターになってもらうことにしたのだ。
温和で内側にひしっと情熱の炎を燃やすタイプのポルトガル人には、英語力の壁を言い訳にしてはいけない。そこには自信をもって、むしろ相手がなにを聞こうとしているのかから考えて、何が相手を動かしているのか、そういわせているのかを読み取るようにせよとアドバイスされた。
同じくらいカッとなるタイプだったはずのイギリス人には、「俺もおんなじような経路をたどってさ。怒るのやめようと思ったんだよね」と切り出された。自分は変えられるけど、逆に言えば他人を変えることなんてできない。上層部に訴えたところで自分で何とかしろといわれるのが関の山。それからいったら、自分を変えようとするほうがよほど早くて確実だ。
業務の知識もないのに、社内の偉い人たちにへつらうことで生き抜いてきた輩が、自分を出し抜こうとしているのだとしても、その相手がずるばかりしてくるとしても、そんな価値観で生きている相手を変えることはできない。自分のほうが変わるしかないのだ。

今までだって、そう思ってきたはず。でも、なんだか、改めて心を開いている誰かに言われるとしみじみと思い至った。まずは自分の手のひらに透明な刺青を入れた気持ちで、折につけ心がけるようにしよう。

人生いろいろ 

September 29 [Tue], 2015, 4:50
もしも誰かが私に「イギリスに来ていちばん嬉しいことはなんですか?」と訊くとする。
それが仕事の場だったら「男女の別なく仕事の機会を与えられること」と応えるだろう。

でも、もしもそれがプライベートの場だったとしたら?
「どうして結婚しないの、と訊かれないこと」だ。

どうして結婚しないのかと訊いてくるひとのココロの中には、きっと「結婚するのはいいことだ」という前提があるんだよね。でも、結婚に対して良いとも悪いとも考えてない人たち、あるいは、そんなもの個人それぞれと思っている人たちが多いこの国では、そんなこと訊いてこない。

対照的に、かつて日本にいるあいだに何百回訊かれたことだろう。親との会話?親戚の集まり?友達との会話?会社の飲み会?素敵なバーで飲んでたって下手したらウェイターがうかつに口走る。
「こんなに(料理上手、子供好き、話が楽しい、おもしろい、酒が飲める)なのに、どうして結婚しない(できない)の?」と。

「でも、それは褒め言葉だよ。だってはなから結婚できなさそうな人には聞かないもの」というかもしれない。
でも、その時点で、結婚していないことがまるで何かが欠けている前提なのが見え隠れする。すごく面白くて、料理好きで、子供あしらいもできて、でも結婚してないって、わざわざ指摘しないとならないことなんだろうか?

たとえば。ゲイの知り合いに「ねえ、どうして異性を好きになろうとしないの?」と訊きます?
その時点で、「〜するのが当たり前」なのに、どうして「〜しないんだろう」って思っているんだよね。で、同性を好きになるのって何か違ってる感じがするから、どうして異性を好きにならないのって訊くんだよね。
それはさすがに訊かない、というかもしれない。だってそれってもう好みの問題だから、しょうがないものと。あるいは、それって生まれつき同性が好きなんだもんね、仕方ないものねって思うのだろうか。

じゃあ、どうして「結婚しないでいる」のも同じようなもんだと捉えてくれないのかなあ。選んでるのかもしれないし、選んでないけどそうなっちゃってるのかもしれない。でも、結果としてそうなんだもの。

ゲイな人全員が胸を張ってゲイだとは言えずにいるように、「結婚しないわよ、それが何?」といえるひとと、いえない人がいると思う。でも、みんな、「〜してない」プレッシャーをちゃーんと感じている。そんなの言われなくたって、充分すぎるくらいに。

軽く苦笑いをつくって「どうしてなんだろうねー」って答えるの、そんなに楽しいことじゃないんだよね。ほんとのとこ。
だからさ、放っておいてくれないかな。

お客様は神様、か? 

May 26 [Tue], 2015, 15:17
先日出張でアメリカにいき、その間に週末があったので、久しぶりにミネソタに「帰郷」することにした。たぶん、おそらく8年ぶりくらいのことではないかと思う。

久しぶりに到着したミネアポリス・セントポール空港はすっかり様変わりしていて、なんだか別人の顔だったし、加えて自分のアメリカと日本とブリティッシュアクセントが交じった英語は、かなり奇妙に聞こえるらしく、その反応にもちょっと戸惑った。

アメリカでかつて暮らした場所を再訪し、そしてヨーロッパに戻ってきて思ったことは、ああ、サービス業に対する感覚が日本とはどちらもかけ離れているのだなあということ。サービスのクオリティがいいとか悪いとかということの前に、そもそもの「サービス業とは何か」というとらえ方が違うような気がする。

ピッツバーグのホテルで、前夜に頼んでおいたタクシーを手配忘れされ、あやうく会議に遅れそうになった。そのクレームに対し、見事なほど責任逃れの回答をするフロント責任者。
品物が届かないので、質問のメールを出すと「明日には届くことを願っています」と返事してくるイギリスのカーテン業者。

一番の違いとは「お客様は神様などではない」ということなのではないか。
日本では、何はともあれ、客に対して、反論をするなどもってのほかというところがある。一つ下の段からご進言といった様子だ。それに対し、西洋のとらえ方は「私もあなたも対等であり、あくまっで私は仕事としてあなたにサービスを提供しているのだから、なんらへりくだる必要なぞない」という胸を張った態度。
いや、クレームの場合でもそれがいいとは思わない。それは日本人だからとか西洋だからということではないと思う。ただ、それを念頭において相手の反応を聞くと、少なくとも無駄に腹を立てる確率が減る・・・という自己防衛なのかもしれない。

食い倒れイースター:その6‐スシじゃなくハム 

April 06 [Mon], 2015, 16:32
最終日はキラキラの快晴。たっぷりと寝過ごした朝、散歩を兼ねてネットで調べたカフェに遅い朝ごはんへ出かける。
ところが、この店、橋のたもとにあるために、グーグルマップでは宙に浮いたところに表示されてしまって永遠にいつからない。お腹も空いているので、イライラは募るばかり。一触即発の雰囲気の中で、ようやく住所番地からお店を見つけた。と、思ったら、シャッターが閉まってる…。こんなに努力してきたのにとがっかりした瞬間、そのシャッターが開けられて、中からでてきたオニイチャンが椅子とテーブルを習え始めたのだ。わーい、グッドタイミング。どのくらいでお店開きますか?と尋ねると「10分もしないで開けるよ。そこに座って待ってて」という優しい返事。

この店を選んだのは、トリップアドバイザーがほめていたということはあるのだけれど、食べ物がバスクフュージョンと書いてあったのが大きい。だって、正直、いいかげん、ちょっと違う味が食べたくなっていたのだもの。
言葉にたがわず、カウンターに並んでいたのはオムレツやハムサンドだけではなくクラブサンドイッチやバーガー。そして最後に巻き寿司もあった。うわー、ごはん!ごはん!思わず頼もうとしたら、なんとオニイチャンに止められた。「いや、そういうのはさ、もっと美味しいのが食べられると思うんだよ。キミの地元で。だから、せっかくならここで美味しいものを食べて行ってほしいんだな。このハムサンドはお勧めなんだよ」だって。
本当はもう死ぬほどイベリコハム食べた後だったんだけど、このセリフにグッと来て、やっぱりハムサンドを食べてしまった。そして、それは食べ飽きたはずの舌にもおいしかった。
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