直江兼続誕生

January 12 [Mon], 2009, 7:16
直江兼続は、平安時代末期に当時の権力者であった平家に対して反乱を起こした木曽義仲の重臣とされている樋口兼光の末裔と言われている人物である。
幼少期を記す資料が乏しいのであるが、仙桃院(長尾政景の正妻。上杉景勝の生母、上杉謙信の実姉)に見出され、景勝に従ったとされる説が有力であり、大河ドラマ「天地人」もこの説に従った内容になっている。
1560年(永禄3年)に新潟県の南魚沼市で樋口惣右衛門(兼豊)の長男として誕生したとい言われている。
直江兼続の生まれた時代は、戦国時代。下克上(立場が下の者が上位の者を政治的、軍事的に打倒し、それまでの秩序を完全に覆す行為)の吹き荒れる時代であり、強きものが、弱きものを飲み込むと言う殺伐とした時代であった。後に、上杉謙信と名乗る長尾景虎もそれまでの秩序である、室町幕府の認めた越後国主(守護)である上杉定美が後継者を明言せずに亡くなったため、室町13代将軍足利義輝に統治を認められたという経緯がある。将軍、義輝より輝という名を貰い長尾輝虎と名乗るようになる。大河ドラマ「天地人」でも、この名が使われているのをご存知だと思う。
いずれにせよ、幼少時代から利発であったとされる直江兼続が、殺伐とする世の中を憂い、秩序、義を重んじる人物として成長していったのも理解できるであろう。
この年は、後の歴史に大きく影響力を持つことになる尾張の織田信長が、桶狭間において今川義元を破ると言う大番狂わせが起こった年でもあり、非常に重要な年であったのは言うまでも無い。

続きは次号で
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