10月4日
おばーちゃんの命日になりました。
父方のおばーちゃんで、遠くに住んでいることもあってそんなに頻繁に行き来があったわけじゃないけれど、私、初孫ということで、かわいがってくれました。
3日にもう危ないからということで初めて車で6時間の距離を従妹を乗せていったわけです。
正直、泣けないんじゃないかと思いました。
「亡くなった」という知らせの前に出発したのだって、ずっとおばーちゃんのそばにいた従妹が、行きたくても足がないからということで、その従妹には立ち合わせてあげたいっていう気持ちのほうが強かったし。
でも、最後の瞬間はおのずと私も涙が溢れました。不思議なもんです。
おばーちゃんはとても苦労した人。
小さい時に養子に出されたり、結婚して離婚して再婚して、その再婚相手にも先立たれたり。
3人の子供のうち2人は行方不明になったり(ひとりはうちのおとんで今は無事連絡とれました)
胃がんになって摘出手術うけたり。心配かけっぱなしだな。
晩年はヘルパーさんや娘(私のおばさんにあたる)にわがまま放題だったらしいけれど
今まで我慢してきた人だから、今、きっとわがまま言ってるんだよと叔母は言ってました。
話せるうちに…と8月の末に会いに行った時は、普段は発作をおこして話しもできないと聞いていたのに、私の名前も呼んでくれたし、起き上がってもくれた。それからこんなに早くとは本当に意外だったけれど、最後は苦しまずに静かに呼吸が無くなって安らかでした。
お通夜の日、死に化粧は叔母と従妹と私でして、おばーちゃんに注した紅と同じもので、従妹と私は化粧して出席しました。化粧をしたおばーちゃんは、とてもかわいく死に装束が花嫁姿に見えるくらい。
おばーちゃん、病気との戦いお疲れさまでした。