やっぱりなぁ、もらうんですよ、私。 

2011年01月30日(日) 0時49分
今朝病院で診察を受けたところ、インフルエンザでした。
4日間、微熱を伴う風邪症状でしたが、まさか。

「微熱のインフルエンザもあると聞いたのですが」に、
「あ、検査ご希望ですか?」

聞かなければ風邪で終わっていたでしょう。

予防接種を受けた去年はかからなかったので、今年も受けて油断していました。
本当は「死までには至らない様に抑える」ためのもので、
インフルエンザにかからない、といものではないのだそうですね。

インフルエンザの割には症状が軽かった。
その代わりに、発見が随分遅れて、その間に
うつした方がいるかも知れない事態に不安でいっぱいです。

もはや普通の風邪薬で治すしかないのですが、今のところ小康状態。
うーん、経済面で言うと、じゃぁ予防接種受けなくていいじゃない。笑

皆様も是非お気をつけくださいませ(_ _)

1月17日 

2011年01月17日(月) 22時26分
阪神大震災から16年経ったのですね。

でもまだ、私は兵庫県の方に自分から震災の話はできません。

震災直後辺りから、「パソコン通信」なるものが普及し始め、
ひょんなことから神戸の方と知り合ってお話するようになりました。
明るい方のようだったので、ある日、「震災、大変だったのではないでしょうか」
と、思い切って尋ねたところ、それきり返信が来なくなったことがあります。

その事が未だに重く、心に残っています。

私が住んでいた奈良県生駒市は震度4、
それでも大きく、長い揺れだったとか、
大阪の道中に割れた窓ガラスが飛び散ってるとかより、
テレビで見た神戸の光景に、しばらく身動きが取れませんでした。
友人、同僚、上司、会社、何をどう思っていいかわからなかった。


そのころは携帯も、パソコンも、メールもない。
安否を確認する間違いのポケベルの着信が何度もありました。

ようやく連絡が取れた神戸の友人達は無事でしたが、口をそろえて
「報道の状況どころではないから、一度見に来るといい」と言います。
毎日炊き出しに行っていた父は、「絶対、行くな」と言います。

それだけで、とにかく凄まじいことが起こってしまったことがわかりました。

家も車も全壊になった上司や同僚が何人も居て、
友人に服を借りて営業に来る方、会社で毎日泣いている方、
努めて明るく接してくれる方、毎日炊き出しに行く先輩方、
被災したお客様でも、「ここに居ても悲観的になるだけだから、
気晴らしに申し込んだ旅行は予定通り行くよ」と仰ってくれる方、
お話ができる方からは状況は伺えましたが、連絡がつかない方は
一体ご無事なのか、電話を掛け続ける毎日でした。

当時、とにかくお水がなくて、会社で取り寄せては交代で持って行ったり、
私も分けていただいて、友人に送ったりしていました。
しばらく「お水を大切に」という意識のもと、トイレで無駄に水を
流したりすることが、暗黙の了解でなかったと記憶しています。

時が経ち、記憶や意識が薄れていくことは怖い。

ただ、毎年1月17日に放映される番組やドラマを見られるようになったのは去年。
悔やまれる出来事があって、私でも、こんなです。
唯一話せる現職場の兵庫出身の先輩も、やっと去年、
勇気を出してドラマを見ることができたそうです。

災害を予測することは難しいし、備えていても役に立つのか、想像がつかない。

でもあの時のことは覚えていなければならないし、伝えていかないといけない。

私が伝えられることなんて、本当に一部分だけだけど、
でもどうぞ皆さん、明るく体験談を話してくださる人が周りに居たとして、
それは乗り越えた明るさなのだと、思いながら耳を傾けて欲しい。

誤解のないように伝わりますように。
長々と失礼いたしました。

ワインの話 

2010年11月17日(水) 14時57分
まもなくボジョレー・ヌーボー解禁ですね。
今まで特に興味はなかったのですが、
去年会社から注文したボジョレーがあまりにも美味しかったので、
今年も同じワイナリーのヴィラージュをお願いしました。

楽しみです。

ワインと言えば。

11年勤めた旅行会社を辞める時、
ワインエキスパートを持っている上司が、
「これは10年もつワインです。成功したと思った時に開けてください。
成功していないと思ったら10年後に開けてください。」
と、赤ワインを贈ってくださいました。

その時は来ず5年経ちました。笑
ワイン自体が大切すぎて、簡単に“成功の時”を決められず。

成功ってなに!

もう 成功=うれしいこと でいいかしら。
とにかく開栓パーティーが10年後とはなりませんように。笑

(保存状態がとても悪かったのは内緒)

両親について 

2010年11月02日(火) 3時14分
父親は32歳で起業、私が小学校4年生の時だった。
ある日会社を辞めて午前中に帰って来た父と、
登校中の私が道ですれ違った日のことを忘れられない。
きっと父も気まずかったことだろう。

幼い私は父に何が起こったかなんて、予想もつかなかったけど、
何か胸騒ぎがしたことは覚えている。

父はいつも私達姉弟が寝てから帰ってきていたので、
日曜日に会えるのが楽しみで仕方なかった。
ラジオにはまりにはまっていた私だったので、平日の遅くに帰って来る父が
部屋を覗きに来てくれていることは知っていた。
それを確認してから眠りにつくのが日課だった。

思えば母も絵を描く仕事を家でしていたが、
それとは別のことも毎晩のようにしていた。
社会人になってから振り返ると、父の仕事を手伝っていたのだと思う。

いつの日だったか、母が話してくれた。
父が「今月の分」と3万円を持って帰って来たこともあった。
母は途方に暮れたという。
そんな母を、私はずっと近くで見ていたのだ。

世の中すぐ離婚だなんだとか言ってるけど、
今も父と母は愛し合っている。

次第に父の会社も、紆余曲折あったが、それは努力の甲斐あって無事成功した。
だからこそ、私も私立に行かせてもらえたのだろう。
学校内でも友達との価値観の違いはたくさん感じた。

両親のように美術の道を進みたかったが、頑なに反対された。
同じ苦労を娘にさせたくなかったのだろう、それだけで思いは計り知れるが。
でも、困難を乗り越える根性は両親譲り、強く育ったと思う。多分。笑

いろんな人に会うこと、やりたいことをやること、
理解してくれた両親に感謝。

弱音を吐かない、とよく言われるのは
そんな両親を見て来たからなんだと思う。
本当に感謝。

やりたいことはすぐそこにある。
ただ向かって行こう。

いつもありがとう。

久々に弟と酒を酌み交わす 

2010年10月20日(水) 1時54分
出張で来沖した弟からの連絡。
仕事にも関わらず、時間を作ってくれたので、皆に知って欲しい名護の友人のお店「SOIL」へ。
そういえば二人で話し込んだ記憶って、10年以上も前、私が実家に居た頃以来かも。
弟にとっての私はほとんど家に居なかった印象だったのだそう。
アメリカに留学したり、一人暮らしで家を出たり、東京に転勤したり、沖縄に移住したり(笑)
「全部1回ずつしか行けてないし!」って言う弟君、
1回ずつでも姉を訪ねてくれるなんて、それは嬉しいことです。

私がバンドしてたら感化されてバンドを組み、旅行会社に入ったらまた感化されて
旅行会社に入り、それなのにいつも上下逆に見られてたけどね(笑)ま、私がこんなフラフラなんで。

今年の2月に待望の姪っ子が誕生、私達の祖母が双子なので、隔世遺伝で双子。
なかなか恵まれず、こちらからは率直に聞けず、今だから、と話してくれたことがたくさん。
夫婦の話は姉弟でもそりゃすぐにできないのものもあるんですね。

将来は子供ができなくても2人でやっていこうと話し合っていたこととか、
そこに愛くるしいチワワのまくちゃんが仲間入りしたのだとか、
たまたまの検診で妊娠が発覚したにもかかわらず、一卵性の双子のリスクの高さに
期待と不安の狭間、泣きじゃくったとか。

双子は神秘だなぁ、と思ったのは。
どちらかが体調悪くした時、2人一緒に入院させると驚異的な回復力を見せるのだそうです。
事実、出生時に1人は内臓に疾患を抱えて生まれてきて、即手術。
しばらく2人バラバラの時間があったけど、1ヵ月ずれて退院して一緒に暮らし始めてからの
回復力は目を見張るものがあったそうです。
当初は「大丈夫です」としか言わなかった医師達も、後日談で「実はだめだと思っていました。
ですが彼女の生命力が本当に奇跡を起こしたのだと思います」と仰ったそうです。

神社にお札をもらいに行った両親も、後で神社の方に「このお札が効いたのではなく、
お札を取りに行かせたその子の生命力がすごいのです」と言われたそうです。

もう片方が負傷して、全治2ヶ月の診断のところ、病院からの申し出で
2人一緒に入院させると、3日で回復したとか。
嘘みたいな話ですが、すでに2人は意思疎通し合っていると。
ある時2人が赤ちゃん語を発しながら抱き合っているのを見て、義妹は涙したとか。

他には、今まで私が抱いていた、男性の父性への疑問について(ろくな恋愛してなかったもんで)、
2人の歩んできたこれまでの苦悩、喜び、不安、期待を聞いていると、
心の扉が次第に開いてきた、と実感しています。

最後に、「姪っ子やからってそんな自分のことのようにかわいい、って思うんかな?」
と弟に言われましたが、本当です。今まで半生を共にしてきた家族の子供ですから。

めちゃかわいい。

2人が健康にすくすく育ちますように。
そして大変な中、弟を支えてくれてる義妹にありlがとう♪

またこれを書く切っ掛けになったTwitter友達、ありがとう!

帰省1日目〜東京・ラーメン編〜 

2010年04月08日(木) 23時49分
あれ?東京を帰省と言っていいんでしたっけ。ま、いーや

懐かしの渋谷でございます。
羽田から直行しましたのは兼ねてから気にしておりました
つけ麺で有名な「やすべえ」です。

在住の頃から「1回食べてみて」といろんな人に進められており。

実現。

12時前に到着したけど、あと2分遅かったら長蛇の列でした。

確かにおいしい。
が、

甘い。

たまねぎ甘い?大勝軒の高田馬場店を思い出したよ。

質疑応答について 

2010年04月05日(月) 23時23分
「ドコモのXperia と iPhoneの違いはぶっちゃけどういうとこなんですか?」

と、ドコモの店員に聞いたところ、

「大きく違うのは会社が違うってところです」


そんなん知ってるよーん

興南高校優勝―! 

2010年04月03日(土) 23時22分
わー!やったねー!
那覇で仕事だったけどー!
野球中は超ヒマで試合見れちゃったよーん。

道もすっごいガラガラだったそうです。
サッカーのワールドカップの都内みたい。

この日は。
2件目のバーで再放送を最後まで見てしまいましたー!

両親再来沖の巻〜2日目〜 

2010年03月29日(月) 23時13分
最北端へ行きたいと、辺戸岬へ。
なかなかここでは快晴に恵まれませんが。。

今日はなんとかうっすらと与論島が見えました。が、その写真ではございません。
奥間の道の駅「ゆいゆい」は、なかなか立派で、両親大喜びです。

帰りながら名護の「大家(うふやー)」でランチを。

名護パイナップルパークの系列だと初めて知りました。
アグーの肉そばセットに、名物大家ぼうる300円。美味。


そうそう、私、双子のおばちゃんになったんだけど、
ベビーグッズを買ってお見送り。

帰ったら大阪雪だって。雪って。。

両親再来沖の巻〜1日目〜 

2010年03月28日(日) 23時57分

久しぶりに晴れの日。
そして本島3泊目の日です(住んでんのに)。

昨日の飲みすぎ、えーっと6時にホテルに帰ったと思います。
そのおかげでお迎えに遅刻しました。

ブログでラーメンのこと書いてるもんだから、
お昼は母のリクエストで「ラーメン」でして、「三竹寿」へ。
浦添美術館でピカソ展を見た後、天気が良いので「海中道路」へ行って見ました。

ちょっと行かぬ間に、
こんなのや

海の駅までできていまして。
なんて整備。

もう少し渡って浜比嘉リゾートホテルまで。

ロビーラウンジから見える絶景は聞いていた通り感動する!
この辺りはそう、勝連地区。この先に基地かー?そんなー。

ま、見ただけで本日の宿「喜瀬別邸」へ直行。

まー、このホテル、ホスピタリティー満載ですわ。住みたい。

有名(らしい)な落合 務シェフプロデュースのイタリアンレストラン「ちゅらぬーじ」。
残念なことに、メニューを控えていなくて写真のみ!





誕生日で乾杯していたら、最後にここでもサプライズをいただきました!

記念すべきLAST 30‘S。
P R
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