人の心に何かを伝えたいとき、一番大切な人に語りかけるように話すこと・・・

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最後に! / 2007年10月29日(月)

「只何となく生きていることが正しいことなのではない!」時にそんなことを口にしていたジャック!
「成田!俺は自殺するかも知れない!」そんなことまで口にする彼に、僕は真面目に取り合わなかった。そればかりか、「ジャック!死ぬ!死ぬ!と言う人間で死んだ人を僕は見たことがない!」と言った軽口まで叩いていた。
それこそ、あんなことになろうとは想像もしなかったし、その時点ではむしろ、日本の昔の武将が自分の失態に自ら責任を取って、あるいはまた、自分が仕えた人をかばうため、人知れず腹を切ってこの世を去っていったことなどを、潔い男の美学として話していたほどだ!

あの日から、早いもので7年近い月日が経ってしまったが、正直言っていくら考えても推測以上の動機は見つからない!
しかしながら、日を追うごとに、彼が自ら命を絶って訴えたかったものがあったのではないだろうか?という、僕の個人的な感情を抑えることが未だに出来ない。
これまでに、ほんの少ししか書けなかったが、ジャックが残したメッセージを真摯に受け止め、少しでもそれに応えるべく生き方をしていく以外に、彼の魂を安らぎさせることは出来ないのではないかと思っている。
“人として生まれて一番大切なものは、心身共に健康であること!そして、もし神が褒美にいまひとつくれると言ったら、迷わず自由をもらえ!この二つの順序を間違わずに手にいれた者のみが、フレンドリーと愛を手にする事が出来るのだと思う!”・・・・・・。
晩年このことをいろんな言葉で語ってくれたジャック!
肉体は消えてしまったけれど、むしろ傍にいた頃よりも強く、彼の言わんとした事が解るような気がしていることに、今は感謝している。

中途半端なおかしな僕のつぶやきに最後まで付き合ってくれた皆には感謝と共にお詫びもしたい。

ありがとうございました。

             2007・10・29






 
   
Posted at 21:04/ この記事のURL
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ふたつの人格 / 2007年10月22日(月)

ジャック・マイヨールでありながら、イメージとして作り上げられてしまったジャック・マイヨールを演じ続けなければならなかった苦しみ・・・。
これは、傍で見ていた僕の素直な感想だが、ジャックはメディアをはじめとする周囲が作り出したジャック・マイヨール像に当惑し、苦しんでいたのではないかと思う。
その事を言い表すのに、かつて僕が興味を持っていた三島由紀夫の言葉を思い出す。
“人は私の遊びを私の本音と受け止め、私の本音を私の遊びと受け取る!”この言葉を思い出すたびにジャックの晩年の悩みとオーバーラップしてしまう。
三島は、心に開いた隙間を、小説やエッセイなど、活字によって紛らわしていたのでは?.
夜12時を過ぎると、どんなに大切な友人が自宅に遊びに来ていても、「後は妻がお相手をしますから!」と言って席を立ち、書斎に引っ込み、明け方小鳥のさえずる頃まではかならずといっていいほどペンを走らせたと言う。活字に残すと言うことは、誰かに読んでもらいたいという願望もあったのだろうが、それよりも自分の心の隙間を埋めるべく、彼にとっては所詮遊びに過ぎず、延々と何時間も何日も、物によっては何ヶ月も何年もかけて書き残したものが、自分自身や周りの人々にそれ程伝わらないと言うことに、嘆き悲しんでいたのだろうか・・・?比べて・・・友人の歌手と言うか。歌い手がわずか数分でファンを失神させてしまうことに、衝撃を受けたらしい。
もしかすると僕の解釈が間違っているのかも知れないが、若い頃僕は三島由紀夫の自殺の引き金になった動機のかなりの部分をそこに感じていた。
そして今・・・。多くの人にジャックの旅立ちの原因を問われて・・・・・、どうしても、
三島由紀夫の本人でなければ計り知れない心の葛藤とジャックのそれと、重なってしまうのである。
この世に別れを告げるのには、病気でない限り、いくつもの要因が重なっていないと未練の方が強くて出来ないと思う。
旅立つ直前までジャックが口にしていた数々のことを思い出してみて、僕がたどり着いたひとつの結論である。
人は誰しも夢や希望、健康などに挫折する事があるが、そんな時誰よりも先にそこから脱却すべく助言をしてくれたジャックがああいった形で旅立っていったことはショックではあったが、冷静に考えてみれば、いかにも彼らしい!と、思えなくもない。


 
   
Posted at 22:33/ この記事のURL
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くどいかも? / 2007年10月18日(木)

繰り返そう!イルカ達から受けるイメージは、穏やかさ、優しさ、知的、謙虚・・もっというならば、引き返すことの勇気、人の話を聞くことの勇気、相手の立場を気使う勇気・、人間が使いまわしている口先のまやかしの勇気ではなく、単純シンプルな、小学校低学年の子供達の多くが持っている勇気が大切だと思うのである。
今や大人の多くの人間の追い求める穏やかさ、優しさ、知的、謙虚、勇気には裏があるように思えて仕方がない!
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
建前と本音の使い分けで、世間体や、良いイメージを保とうとする傾向が強すぎるのではないだろうか?
殆どの人は自分が可愛いと思っていると思うし、自分が本当にやりたいこと、望むことがのびのびと自由に出来ない今の社会に不満を持っているのだと思う。
ありとあらゆる規制やルール、モラルに縛られ、それらを頭の隅ではなく、そのことで一杯になった頭の中の隙間にあるニュートラルな部分で自分の夢や希望を探し、追い求めなければいけない現実!
法律やルールを熟知している者の方が強い今の時代、何もかもアバウトでのんびりとやっても何処からもクレームが来なかった昔を懐かしむのは、僕が歳を取ったからなのだろうか?仮にそうだとしても、今の時代より遥かにのびのびと自由に生活が出来たような気がするし、ジャックが力説していた“平和と、美しい環境を手にしたいと思うなら、すでに手に入れた便利なテクノロジーを我々は、半分は手放す勇気が必要だ!”という考えにもうなずける。
人は、・・・というより、僕は人に“ああしろ!こうしろ!"と言われると、極端にやる気がうせてしまう。むしろ、おだてられると自ら自己反省をしたくなるし、いろいろ想像しながらすすんで行動してみたくなる。
この辺の自己コントロールをどのようにつけていくか?
ジャックがつぶやいていた何気ない言葉の一字一句ものがさず思い出そうともがいている。
そのことが、もしかすると複雑に絡み合った人間社会の糸を解きほぐす、一つのきっかけになるのではないかと信じているから・・・・・。


 
   
Posted at 09:33/ この記事のURL
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イルカから学ぶということ / 2007年10月16日(火)

具体的に学ぶ・・・・・。
電力が足りないから原子力発電を作らなければいけない・・・?果たしてそうだろうか?
核抑止力のために核を持つ・・・・!何と愚かなことだろうか?
身近なところではこんなおかしな事もある。
ある漁業組合の決定事項の中に、“海女はウエットスーツを着用して潜ったら違反行為”・・
寒くないので何時間でも潜れるから?・・・結果、アワビやサザエの資源枯渇に繋がるからだという。現実はそうかもしれない!自主規制が出来ず、寒くてこれ以上もぐれない生理的限界という枠で規制する。結果どうなっているか?老後に若い時の無理がたたって、神経痛に悩む人が多いという。
知的能力の高いはずの人間が、将来訪れるしわ寄せを甘く見て苦しむさまを近くで見ていると、これはもう滑稽としか言いようがない。
滑稽では済まされないエネルギー問題・・・果ては核問題だと思う。
核の平和利用・・・、表向きは立派だが、果たして我々人類はどれだけ言ったことに責任が取れるというのだろうか?専門知識のない僕などは、メディアから伝わってくる情報や、
専門家と称する人達の言ってること、書いていることで翻弄されている。
専門家と称する人たちの意見が、まったく逆の場合があるから問題なのだ!
原子炉は安全だ・・・!しかし現実問題として、スリーマイル島やチェルノブイリ原発事故は起こっているわけだし、そこで被害にあった人たちを除いた多くの人たちは、放射能のもたらす怖さに対しては、対岸の火事よろしく、いつの間にかその記憶も時間と共に風化している。
テロ問題がこれほど叫ばれている中、世界中で雨後のたけのこのように作られている原発がその標的にされたら・・・?関東大震災以上の自信が原発の近くで起こったら・・・?
その驚愕の参上はぜひ、集英社から出版されている“広瀬隆。東京に原発を!”を一読して欲しい。
賢い人の理屈はもういいのだ!嘘をつかない、慎ましやかな生活の方が、ある日一瞬にして何もかも奪われてしまう恐怖に怯えながら暮らす人生よりも遥かに大切なのだと言うことを、我々一人ひとりが認識しなければいけないと言うことを、イルカ達の生き方から学び取らなければいけないのではないかと思う。

 
   
Posted at 11:21/ この記事のURL
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ホモ・ディルフィナス行動パターン 2 / 2007年10月13日(土)
こうして改まって書き綴ってみると何かしっくり来ないのは何故だろう?
本来この造語は、ジャックが作ったものだと認識しているが、確かめたわけではない。
亡くなってしまってからの歳月も入れると、40年近く前に出会ってからそれ程経っていない頃から、ジャックが口にしていたので、多分そうなんだろうと思う。
ホモサピエンス(人類・人間)とディルフィナス(イルカ)・・・これについて僕は
イルカのような精神を持つ人間・・・と・・解釈している。
イルカのような精神・・・とはいったいどういうもんなのだろう?と、考えてしまうが、
簡単に言えば、人間が考えるような選択肢で事を運ばない!と言うことだろうか?
イルカ達が考える選択肢は、我々がこれまで見たり聞いたりしてきたイルカに対するイメージそのものを受け止めればいいと思う。
ちなみに、僕が捉えているイルカのイメージとはいうと・・・・・。穏やか、優しさ、知的、謙虚・・・・。そういったイメージが浮かぶ。これはきっと、有史依然イルカ達が、
自分達あるいは他者に向かって攻撃的なことをしたという話は聞いたことがないし、
僕の知識不足かもしれないが、人間に近い脳の大きさがあるらしいし、このことは将来、我々人間とイルカ達とが何らかの方法・・・もしかすると言語に変わる方法でコミュニケーションが出来るのではないだろうかという期待すら持てる。
ジャックなどは“進化の過程でイルカやクジラたちは、我々人類の先祖だったのではないか?”とまで言っていたくらいだし、僕もその方が嬉しいと思っているくらいだ。
人類がこの世に現れた遥か以前の、今から6000万年前に、イルカ達は地球上に存在したと言われているが、この際数字は指して重要なことではない。
要するに人間より遥か以前に地球に存在したにも拘らず、未だに彼らは彼らなりの価値観で生き方を選択し命をつないでいる事は事実だし、そんなに長い間この地球で生きていながら環境を著しく壊したというわけでもない・・・!比べて我々人間はというと・・・・?“イルカ達の生き様を通して我々人間が何かに気がつくべきだ”と、ジャックは繰り返し言っていた。
何に気ずくべきか・・・・・。やはりこれは、我々がイルカから受けるイメージそのもの、
“穏やかさ、優しさ、知的、謙虚、・・他にもたくさんあるが、人類はもっとこれらのことを我々人類の兄弟であるイルカ達から具体的に学ばなければいけないのだ!”と繰り返し言ってたジャックの言葉が耳に残っている。


 
   
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ホモ・ディルフィナス(イルカ人間)の行動パターン 1 / 2007年10月11日(木)

過去に、どこかで言ったことや書いたことがあるかも知れないが、重複する事を考え悩んでいても先に進めないので、とりあえず頭によぎったものをそのまま書いてみようと思う。
基本は・・ひらめきとか、テレパシーを大切にするという事かもしれない。
見えないもの、形として表現できないものでも、重要かつ大切なものがたくさんある!
自分と自分以外のものとの信頼関係のようなもの・・・例えば、誰もいない砂浜で大きなゴミを見つけたとしよう・・・そのまま通り過ぎるか、拾うか、はたまた、その一部を持ち帰ってゴミ箱に捨てるか?・・・人によってさまざまな行動を取ると思う。
ホモ・ディルフィナスの場合は、後者だと思う。
よくいろいろな場所で、額に汗して一生懸命ゴミを拾ったり、清掃をしたりしている人を見かけるが、そういう人は尊敬している・・・!自分には出来ない!
以前、子供の卒業式に出た時、体育館に父兄が折りたたみの椅子に座っていて、式が終わったので自分が座っていた椅子を持って退席ようとしたのだが、僕は持病の、目に汗をかくのを周りに気ずかれないよう、もたもたしてた。皆より少し出遅れて椅子をたたもうとしたら、目の前の床に誰かが落としていったチリ紙が落ちていた。何にもない広いピカピカの床の上に落ちているそれは、ものすごぐ目立った。
一瞬、拾おうかどうか迷ったが、意を決して拾ったのだが、不思議な抵抗感が僕を包んだ。
恥ずかしさや、でしゃばったような言いようのない抵抗感・・・。
誰もいない砂浜などで、誰かが捨てたゴミを一つ二つ拾って、人知れずゴミ箱まで運んでくることは、何の抵抗もない。むしろ、自分だけの爽やかな秘密を、記憶として残せる爽快感がある。
大勢の人が見てる前で、正しい行動を取ることの気恥ずかしさや、抵抗感を感じるのは僕だけではないと思う。
むしろ、日本人の多くの人たちは、僕のようなタイプではないかと思う。
もっと言えば、正しいことを公衆の面前で堂々とやれる勇気も大切だとは思うが、だからと言って、「自分にも出来るのだから、お前もやれ!」と言われるのは、なじめない。
ホモディルフィナスの精神は、人知れずさりげなく、ささやかなことを積み重ねることなのだと・・・。ジャックとのテレパシー交信を通して、確信したのだが・・・・・?
 
   
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マン・ドルフィンのオブジェ / 2007年09月28日(金)

そのオブジェが今、その役割を果たすべくその日を待ち焦がれながら、ダイビングショップの一角で、静かにその時を待っている。文句も言わずに、ただジーっと・・・・・。
イルカと人間がサークル上に、お互いの足と尻尾を掴んでいるその形は、生前ジャックがこだわりにこだわって完成させたものだ!
くどいようだが、そのオブジェを見ていると・・・・。陰陽をバックグランドにデザインされた形は、現場で耳にタコが出来るほど聞かされていた僕にとっては、懐かしさを通り越して、ジャックの伝えたいメッセージそのものが伝わってくるようだ!
そのメッセージをいろんな人たちに伝えたくて、事あるごとに、かなり個人的なレベルで話してはいるのだが、中々伝わっていないと思うし広まらない。
僕にもう少し文才か、能力があれば・・・・・・!・・・うらめしい。
簡単に言ってしまえば・・・それこそこれまでかなり簡単に言ってきたのだが、今流行の・・・・右から左へー・・・の感はいなめない。
“あちこち切り取って、断片的に話をするからつたわらないのかなー?”なんて責任も感じている。
こうして書いている今も、常に脅迫概念に似たプレッシャーを感じながらなので、目を通してる人たちに何処まで伝わっているのか心配だ。
これまで何度も触れてきたが、ジャックのメッセージは、基本的に精神論の意味合いが強いだけに、僕にとってはかなり難しい!
聞かされてきた僕は、そのことに対して殆ど異論はないのだが、時に矛盾することもままあるので、その辺の説明に苦労する。
子供のような純粋な気持ちと言うか、あまり深く考えずにさらりと耳を傾ければ、それ程抵抗はない、と、僕は思うのだが。
ホモ・ディルフィナス(イルカ人間)の考え方、について、一つ一つ例を挙げて書いてみたいと思う。
そして、併せて、このオブジェが館山の海中に設置されて、多くの人たちがスキンダイビングをして、そこに貼り付けられたジャックのメッセージを、ゆとりを持って読めるくらいのイルカ人間になれることを夢見て・・・・!

 
   
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説明不足かとは・・のつづき / 2007年09月20日(木)

説明不足で、何か誤解されそうなことを書いてしまったが、もう少し補足したい。
ジャックが常日頃口にしてたことは、“人間がこの地球上からいなくなりさえすれば、この星が持っている本来の美しさを取り戻すことが出来るんだ!”と・・・・。
しかし、この言葉は“可愛さ余ってにくさ百倍”に、似た意味がある。
ジャックは本来、人間が大好きな人だった・・・!ただ・・・策を講じて動く人たちを、好まなかったように思う。何故かと言うと、正直な気持ちや、純粋な気持ちじゃないのにそれらを使ってビジネスをしたり、取り入ったりする事は・・・・ストレートではない!・・・
と。
心のうちからストレートに感じたり、行動したりする人は、イルカやクジラより好きだったように思う。
僕に言わせれば、それこそ、いい歳をして「子供っぽいことが大好きな人だった。」
いい歳をして、子供が好むことをいつまでも忘れることの出来なかった人!・・・・
世間体や、良識ある大人達??のことを常に意識して行動していた僕??としては・表面上はともかく、気持ちの奥底では羨ましかったし、尊敬もしていた。
本音で言ってくるジャックと、建前で話す僕とでは、いつも平行線を辿る口論だった。
建前のあまりに多すぎる人間社会では、何となく僕の方がジャックを言い負かしていたように思う。・・・・しかし・・・・。
今こうしてジャックのことを思い出しながら書き綴っていると、やはり喧嘩していた時と同じく不思議なというか、いたたまれない感情に包まれてしまう。
“ジャックの言ってたことの方が正しかったのではないだろうか?どうしてもっと親身になって彼の言ってることに耳を貸さなかったのだろうか?という自責の念に駆られてしまう。
イルカ達のように、テレパシー交信・・・言葉では意思の疎通の限界を知ってはいたはずの僕達のコミュニケーションそのものの限界もまた感じていたのかもしれない。

ジャックが考案した、イルカと人間がサークル状に繋がっているトレードマークがある。
“我々が棲んでいる地球も、宇宙も、基本は陰陽でバランスを取っている!人間が決め付けている良いことも、悪い事も、果たして本当なのか・・・・・・?”
常に疑問を持ち続け、“我々は、進化の過程で我々の兄弟であったイルカ達から(彼はそう信じていた)もっと学ばなければいけない・・・!”その願いをこめて、何度も何度も紙にデザインを書いては破り、書き直していた20年近い前のあの頃が、つい先日のことのように思い出される。
 
   
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説明不足かとは思うが / 2007年09月04日(火)
一日24時間の自分の生活の中で、20%のエネルギー削減の目標を立てた具体的な生活を実践してみる!
これにはいくつかの仕掛けと言うか、仕組みが必要であると思う。
僕自身は平均的な(以下かも知れない)日本人の意識を持っていると思うが、素直な気持ちをさらけ出せば、・・・何かを成し遂げた時には誰かに褒めてもらうか、少しは生活の足しになるご褒美をどこかで期待している!
子供の頃の運動会、作文を書いてた頃のこと、僕にとっては今思い出してみると笑ってしまうような小さな励ましとか、見栄とか・・・・。そういうものに夢中になれた。
両親の期待にこたえようとして死に物狂いで走った子供の頃の自分!
先生一人、生徒一人の極小文芸部の中学生時代、出来の悪い生徒を激励すべく一生懸命だった先生に、答えようとしていた自分があの頃は確かにいた。
それらのことが今とても懐かしく思い出される。
幾つになっても、自分のためにする事よりも、自分が尊敬している人とか、憧れてる人とか、好きな人を喜ばしたい、褒めてもらいたいと言う気持ちからする行動はすがすがしくて気持ちがいい。本来人間の潜在意識の中には、自分の欲望を満たそうと言う本能と、誰かのために何かをしようという気持ちはかなり拮抗しているのではないかと思う。
冒頭に掲げた“一日の生活の中で、これをしたら何%、あれをしたら何%節約できると言った明確な目標があれば、誰でも子供の頃のあのゲーム感覚をもう一度体験してみたいと思うのは、僕だけではないと思う。
それこそ国を挙げて、これをしたら何%節約!といった表を、考え付くあらん限りの項目に渡って作って欲しいと思う。
例えば・・・テレビのスイッチを切るだけではなく、コンセントからはずしたら時間当たり0,05%とか・・・エアコンの温度を1度上げれば時間当たり0,15%・・エアコンを使わなければ1,5%とか・・・車のアイドリングトータルで一時間切り詰めたら0,3%・・・一日に出すゴミの量を三分の一にしたら0,4%・・・などなど・・。(この数字はあくまで例えばである)
難しい問題もたくさん含んでいると思うが、専門家が周りの事柄と対比する形で数字に表してくれれば、節約する事がゲーム感覚で実行できるのではないだろうか・・・・・?
要は、自己責任の認識を、普段の生活の中から少しずつ高めていく効果があるのと、教育の原点は“他人に迷惑をかけないと言う基本の上に成り立つもの”だとすれば、算数や国語と同じ価値観を持って評価するシステムを作ればいいと思うのである。
そしてもっと大切なことは、その事が、スポーツで勝つことと同じ価値を持てるようにすると言うことである。
10種競技ではないけれど、総合得点が全国レベルで通用するような仕組みは出来ないものだろうか?町のチャンピオンだったり、県だったり、国だったり・・・。賞金が出れば尚夢中になれると思うのだが・・・?


 
   
Posted at 16:26/ この記事のURL
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限りなく全員の人々が興味を持ってくれることを願って / 2007年08月31日(金)

環境は一人ひとりの心の問題だと思う。自由競争の名の下に蔓延する不平等を、どのように是正するかと言うことが大切なような気がする・・・。だとすれば・・・・・。
教育が大切!などと、呑気なことは言ってられないのではないかと思う。
もちろん教育は大切だと思うし、子供達がどんな価値観や審美眼をもって大人になっていくかと言うことは、国の未来・・・果ては地球の平和や環境に直接関わってくることだと思う。しかし、もっと重要なことは、その教育を誰がするかということだ!
私を含めた人間は、自分のことはあまりよく見えない生き物らしい。人の批判は得意だが、自分のことには甘い!
自分が生きていくための労働や仕事が、直接的、間接的に環境や、平和を壊すことにどう関わっているのか・・・その事を真剣に検証しようとする人は少ないように思う。
そのいい例が、今でさえ地球温暖化が深刻なのに、企業も政治も、会社存続の絶対目標や国益優先とばかりに、いかにして中国に車を売り込むか・・・!そればかりではない!
車だけではなく、人間が生きていくために必要と思われるありとあらゆる物がの多くが環境破壊に繋がっていると言うことを、我々は知っているのにやめられない現実!
やがてこの連鎖はインドやアフリカ・・・世界の途上国に広がっていくだろう。
物質文化を選択してきた人類が、どうやって子供達に教育をするのか・・・・・・・?
ジャックの晩年の悩みは、突き詰めてみれば、人間社会における不平等さに対する挑戦の難しさであった!・・と考えられなくもない。
何を民主主義という名の下に選択していくというのだろう・・?ということにも・・・。
ジャックが残していったメッセージがある。その中でも次に掲げる二つは折に触れて僕が紹介してきたものだ。
“コンピューターが人類の創造性を壊すことになるだろう!”
“我々人類はいまから50年100年をかけてでも、すでに手に入れた便利なテクノロジーの半分をリリースする勇気を持たなければ、平和も美しい環境も手に入れることは出来ないだろう!”
“足るを知る”と言うことを我々大人が身をもって子供達に示さない限り、正しい教育を子供達にしてあげることは出来ないだろうと思う。
僕なりに考え抜いた結果と言うか、受け止め方の域は出ないと思うが、次の提案が具体化すれば、ジャックも少しは納得してくれるのではないかと思うので言ってみたいと思う。

 
   
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