レスター・ブラウンは「経済が持続的に発展するためには、生態学の基礎的法則を満たさなくてはならない」と述べている。
今年に入り、ニュースの中で環境問題が具体的に取り上げられる事例が多くなった。国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は地球温暖化に関する近い未来の予測を示した。身近な変化ではスーパーマーケットで「マイバッグ」を用いる姿がみられるようになったことであろう。しかし、今現在の社会では、とうてい持続可能な経済を営むこと(環境を維持できている)はできない。
今日の世界経済は、生態学の法則でなく市場原理によってかたちづくられてきた。市場は財貨とサービスの全コストを反映しないまま発展してきた。結果、地球の生態系と調和しないゆがんだ経済(それ自身を支える自然維持システムを破壊していく経済)が築かれてしまった。
レスター・ブラウンは経済再構築について述べている。戦略として、炭素の排出量と吸収・固定とのバランスを回復させ、人口と地下水位の安定化し、森林と土壌と動植物種の多様性を保全することを挙げている。しかし現在、全ての分野で満足のいく発展をとげている国はない(一部を達成できている国はみられる)。この社会に対し、現在の石油・石炭に替わるエネルギーの提案、政府の補助金政策に対する批判、食料問題に対する提案などを記している。
ここで、レスター・ブラウンの抽象的な数々の提案に対し、私は経済学を学んだ者として具体的な解決策・意義と経済学の利用に関して述べたい。
私は、経済学の需要・供給の論理を上手く環境問題に取り入れることを提案したい。例として自動車の問題をとりあげる。普段、自転車を用いて「ドア・ツー・ドア」を実践している私には、数々の不満がある。お年寄り子どもには困難な高架橋、狭い歩道、有料の(しかも狭く、高料金な)自転車置き場などである。すべて自動車中心の社会である。交通事故は車社会がもたらしているにもかかわらず、その社会的費用を自動車の利用者は全く負担していないといっていい。これらに対し、例えば完全に安全な道路をつくるコストを算出し、それに物価上昇率などのウェイトをかけ、自動車の利用者に税金としてかけるなどの方法が考えられる。この方法により自動車のコストが上がり自動車の利用者が減り、道路も減っていくという効果が得られる。というように、上手く費用を算出し(費用化し)、市場原理を利用し、構造的に変えていく現実的な方法はいくらでもある。
結局は地球人の努力が大切であるが、経済学は上で述べたような、役割を果たす義務があろう。
最後に、以下に私の論文の一部分を載せているのでみていただきたい。便宜上、本編でいれてある数式・論理展開は省略している。テーマは『環境経済学』である。経済学の環境問題への適用について考えていただければ幸いである。
<はじめに>
経済学は、お金に関する学問であるが、その目的は望ましい社会を実現するための市場の役割や、政府の役割を明らかにするための学問である。
ここでは、環境問題の解決方法について考える。二酸化炭素の排出削減、ごみのリサイクルなどはあたりまえの取り組みであるが、ここではもっとマクロ的に、上でも述べての通り、政策について考える。環境問題は解決できるのか、具体的には環境利用権や排出量取引制度の概念を取り上げて考える。
われわれは、環境保全を訴えているが、環境保全というのは私たちの生活の豊かさの構成要素の一つでしかない。汚染によって生命の危機が生じるような場合を除き、所得・消費の利益を確保するために、ある程度の汚染物質の排出を許容する必要があろう。ここには、「消費の豊かさ」と「環境の豊かさ」のどちらをどの程度抑制するかという問題が生じる。
どちらかがたてばどちらかは抑制せざるを得ない。人々の効用によるが、二つのうちどちらをどの程度たてるかということが環境問題であり、これらのより良い均衡をもたらすことが経済学の目標である。
<環境利用権設定の重要性>
環境経済学において有名なアメリカのローナルド・コースは、環境の利用権さえ設定すれば、環境税や、補助金などの政府による介入がなくても、環境問題は解決される可能性があることを示した。もしそれが真理であれば、環境問題における政府の役割はひじょうに簡単になる。取引費用が存在しない場合、当事者間の交渉により効率的な資源配分が達成される。したがって、取引費用がない場合は資源配分の効率性を維持するためには政府の介入は不要である。これがコースの主張である。
<コースの定理>
企業間に外部効果(ある企業が他企業に与える影響)が存在しても、もし取引費用がなければ、資源配分は損害賠償に関する法的制度によって変化することはなく、また常に効率的なものが実現する。
<コースの定理の問題点>
コースの定理の問題点は取引費用の存在にある。実際の社会では、環境利用権が設定されたとしても交渉によって社会的利益が最大化されるとはいえない。コースの定理は取引費用が存在しないことを必要としている。環境汚染の被害者と加害者が交渉を行うには、それなりの時間を費やす必要がある。勤めを休んだり、余暇時間を削ったりして交渉に挑むことになる。経済学ではこの際の逸失利益を機会費用というが、この費用は必ず必要とされる。また、弁護士に依頼するなどによる費用も必要となろう。もう一つの問題点として、交渉相手と特定する難しさがある。例えば公害問題で、どこの工場が原因となっている排煙をどの程度出しているかを特定するのは容易ではない。
<排出量取引制度>
取引費用の問題を改善した環境政策として排出量取引という制度がある。
よく知られている通り、排出量取引とは、汚染等を排出してよいという権利を市場で取引することである。個々の当事者が互いに交渉をするのではなく、政府が発行した排出する権利を市場で取引することで、取引費用を軽減しながら汚染物質の排出量を削減しようという試みである。京都議定書においても、排出量取引制度は明文化されている。この制度は、最初に政府が規制の対象となる経済において許容できる温室効果ガスの総排出量を決定する。政府は温室効果ガスを1単位排出する権利を排出枠と呼び、決定した総排出量の分だけ排出枠を設ける。つづいて政府はその排出枠を企業に与える。これは各企業の過去の排出量にもとづくことが多い。あとは企業の排出の過不足に応じてその排出枠を売買する、というのがこの制度である。
<排出量取引制度の意義>
汚染を排出する権利を売買するとはあまりよい響きではない。しかしこの制度はいくらか合理的である。排出削減が容易な企業は排出削減により利益を求め、削減困難な企業は排出枠を買い足すことで規制に従う。結果、目標の排出削減を達成しながら、経済全体の取引費用を最小にできる。
これを簡単に経済学的に解説してみる。まず、企業の排出需要は排出枠の価格が上がるにつれて下がるという関係がある。需要曲線がつくられるとすれば、これは各国の経済状況などに大きく影響される。例えば、先進国では省エネの技術が発展しているために、大幅な削減は期待しにくいといったようなことである。とにかく、このようにして社会の総排出需要曲線(排出枠の価格を固定したときの各企業の需要の総和がわかるもの、各企業の需要曲線の総和)が考えられる。あとはその需要量と総排出量の目標値がぴたりとあう価格で排出枠が取引される。もし排出量がこれより大きければ、排出枠は不足し、排出枠の価格が上昇することにより、排出量低下により均衡がとれる。逆の場合でも均衡が実現する。排出量取引は政府が市場の立ち上げに一定の役割をはたすことが期待される。ある期間を過ぎると取引費用は低下し、この制度がうまく機能していくことが経験されている。排出量取引は、多数の汚染者がいるような環境問題において、取引費用に注意をすれば有効な政策手段となりうる。
<排出量取引制度の課題>
排出量取引の課題を挙げておこう。第一に排出枠の権利行使者の排出量をしっかり監視する必要がある。そして第二に排出量取引の遵守である。しっかりルールを守らなければ意味がない。以上の点にしっかり留意し、制度をととのえることが大前提になる。
<最後に>
これは私見ですが、排出量取引の効果は貨幣の効果によく似ています。
貨幣の効果の一つに取引費用の大幅な削減効果があることはよく知られています。
貨幣の誕生により取引相手の発見の費用削減など多くの効果がもたらされました。
国債でも、株券でも権利証書を取引することによって、何らかの効率アップ、効用アップをはかることは、よくある手です。よいアイデアをうむ一つのヒントであるような気がしてなりません。