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映画「SEX AND THE CITY」 / 2008年08月31日(日)
今年の夏、京都では雨がほとんど降らず暑くて暑くて、それに長い間、そう祇園祭の前からお盆の後まで続いて、私にもとてもこたえました。

それでもなんだかんだと結構用があり、日だけはとても早く過ぎていきます。

久々に会った友人から「ブログがここ2週間変わってませんね」といわれ、「ヒェッ!」と驚いてブログを見たらほんと、もうそんなに経っちゃったんですね。先日来ボヤイているように、歳をとると、時間の経つのが早くなるようです。

今日は、元気な女性たちの映画を紹介します。

毎年20代の女性が大勢ニューヨークという魅力的な街に吸い寄せられるようにやってきます。LoveとLabels(肩書き)=愛と自分のキャリアを求めて。

この映画は、20年前同じように希望に燃えてNYへやってきた40代の個性的で前向きな女性が繰り広げる愛とSEXと友情の物語です。

ちょうど10年前、仕事にもLOVEにも積極的な女性たちの失敗や成功、女性の本音を赤裸々に描いて全米で大評判をとったTVドラマシリーズがありました。1998年から2004年まで、ケーブルテレビで放映されたこの物語は、実に10から20話のシーズン(日本風に言うとシリーズ)が6シーズンも続いたという人気番組だったそうです。日本でもケーブルテレビで放映され、DVDが発売されて、人気投票も行われたというから見た人も多いのでしょう。

TVドラマの中の若かった彼女たちも、40歳を過ぎ自分なりのキャリアを積み、それぞれに自分の世界をもっているという設定で映画は始まります。40代女性の恋愛や悩みや喜びを描いていますが、女性同士のシスターフッドがよかったですねえ。それに出てくる男がまたなかなかいいです。

主役のキャリーが、新聞に「SEX AND THE CITY」という風変わりなタイトルで、恋愛とSEXについて書いた連載コラムが人気を得、今では有名なライターになっているというところから始まります。他の3人もそれぞれ自分の道を進んでそれなりに成功していますが、4人それぞれに愛や子育てや結婚の問題と直面して、傷ついたり悩んだりしながら、また行くべき道を探し当てていきます。

キャリーを演じているサラ・ジェシカ・パーカーは、この映画の製作もしている文字通りのキャリアウーマンです。

この映画、女性たちのキャラクターもさりながら、フアッションでも女性たちをひきつけたのではないでしょうか? 私にはブランド名を聞いてもさっぱり判りませんが、世界的なブランドのフアッションがこれでもかと出てきます。ヴォーグ社の協力も得て、この映画のために全部で300着以上も用意されたというから相当なものです。だからでしょうか、客席は若い女性で満員でした。

おとぎ話と言えばそれまでですが、ニューヨークの「陽のあたる場所」をふんだんに見せてくれます。

それにしても、セレブな彼女たちではあるのですが、独身の女性でこの暮らしぶりは、やはり世界で一番富める国なんあだなあとヘンなところで感心したり。

まっ白な毛皮のコートを着て外へ出たとたん、動物愛護運動の人に真っ赤な絵の具をかけられたサマンサ、一瞬驚きますが、彼女は「ああ、これがニューヨークだわ!」と平然としています。うーん、やっぱりニューヨークだ!

私はこんな映画も楽しめて嫌いではありませんが、アメリカが引き起こした例のサプライムローン問題で世界中が大変な目に合っているというのに、なんだか釈然としない感じがしてしまいます。

話は変わりますが、一昨日、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの双子の赤ちゃんの「写真掲載権」が雑誌社二社に15億円で売られたという話が出ていましたが、すさまじいことですねえ。赤ちゃんも商品になるのねえ。

雑誌社はこれだけ払ってもペイするそうですから、資本主義の需要と供給のくっきりしたかたち、競争社会の凄さにちょっと背筋が寒い感じがしました。ブラピはさすがにこの金額はそっくり、世界の恵まれない子供たちに寄付すると言っているそうですが。
     
Posted at 16:25/映画の話/この記事のURL /コメント(0)
『ケアを支えるしくみ』 / 2008年08月16日(土)
先週に引き続いてケアに関してになりますが、今日は、『ケアを支えるしくみ』(「ケア その思想と実践 5」編集委員上野千鶴子、大熊由紀子、神野直彦ほか 岩波書店2008年)をご紹介します。
 
介護保険制度ができてから、高齢者福祉の在り方が、すっかり変りました。確かにそれまでの措置制度から保険を利用する権利へと一変し、ケアに対して一般の関心も高まりました。

けれども介護保険は、見直しや改正のたびに良くなるのではなくて、2006年改正(?)からは、特に現場から悲鳴が聞こえ、利用者には使いにくいものになってきているようです。
 
 この「ケア その思想と実践」シリーズは全6巻で、日本社会の課題が凝縮してあらわれているといわれるケアの現場を検証し、本当にいいケアをしていくにはどうすればいいか、安心して暮らせる社会に向けてそのしくみをどう構築すればいいのかを論じています。

サービスの利用者、ワーカー、事業者、制度や政策の側面からそれぞれの立場で実証データを踏まえて論じているシリーズです。

 さて、5巻の頭に神野直彦さんの「ケアを支えるしくみービジョンと設計」が掲載されていますが、ケアに対する考え方を示しています。この方は財政の専門家ですから当然経済の観点から論じられます。

日本の社会保障が相互に関連づけられず体系化されていない矛盾が露呈したといいます。それは確かにそうです。どの社会保障もばらばらに決まって、あとからどんどん変更を加えるものだから、あちこち矛盾が生じます。

後期高齢者医療制度にいたっては、改正のすぐあとで名前まで言いかえるハメになる始末です。運営主体が「広域連合」という不思議なところで、これは苦肉の策らしいですが、市町村が加入するという急ごしらえの機構をつくって、無責任体制にならねばよいがと思います。大丈夫なんでしょうか?

神野氏は、社会保険としての介護保険ならば、ケアをするための賃金が取得できなかったことへの補償であり、それは現金給付でなければならないといわれます。この方、家族の中で無償の家事・介護労働を担ってきた人への視点がないのは残念です。

他には、大熊由紀子さんの「介護保険の通信簿」、大友信勝さんが鷹の巣町のことを書いた「自治体福祉の光と影」など11編、どれも読みごたえがあり、今後を考えるのに参考になります。

神野直彦著の本『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書)を、たまたま最近読んだので、一緒に紹介しておきます。自治体の財政赤字、国の借金の話など、今かかえている問題をジュニアむけにわかりやすく解説しています。ドーンセンターのことをきっかけに、私も「財政」に関心を持つようになりました。

この本にあるようなジュニア向きの知識さえ知らないで、税金だけ払っているなんて、とてもヘンなことですね。その使われ方をしっかり視ていなければ。

普段から市民がもっと税や、社会保険料の行方に関心を持って見守る必要があると、実感しました。マスコミも本当に大切なところは何も伝えていないということもよく判りました。

先週このブログに書いた、私たちの会の「2009年度介護保険法の改定に向けての意見書」は、8月8日の介護認定調査検討委員会に参考資料として出され、意見の一部が盛り込まれたようです。
間に合ってよかった。

     
Posted at 23:27/本の話/この記事のURL /コメント(0)
『介護―現場からの検証』 / 2008年08月07日(木)
先日、私たちの会(高齢社会をよくする女性の会・京都)で、「2009年介護保険法の改定に向けての意見書」を出しました。厚生労働大臣と厚労省の関係各課長様に提出したところ、先日、確かに受け取って参考にさせていただきますとお電話がありました。

中央官庁から、このようなお電話をもらったのは珍しいことです。本気で考えて頂けることを祈るばかりですが。

結城康博さんが書かれた『介護―現場からの検証』(岩波新書)が5月に出ました。オビには「介護崩壊はここまで進んでいる!」「「長生きはするな」ということなのか」と挑発的に書かれていますが、読んでみると、今あちこちの介護現場で起こっている実際の出来事が、ご自分の体験や丁寧な取材を通して書かれています。

この本が出てからも介護保険を取り巻く事態は刻々と変わっています。 
まったく朝令暮改としか言いようのない改正がどんなに現場を悩ませることか、私たちの周りでもよく見聞きします。

特に2006年の改正介護保険制度の実施以後、サービスの削減、制度の判り難さ、複雑な料金体系で、もう使う側には理解できなくなっていると自治体の担当者が指摘されています。

余命3カ月と診断された方が、家であとは療養すると決め、介護保険サービスを受けようとしたら、要支援2と判定されたため、「介護予防」の視点で支援されることになったとか。余命3カ月なのに何を「予防」するの?! 結局この方は退院までに亡くなって、「予防」はされなくてすんだというわけですって!

この予防給付というのは年齢に関係なく、認定が要支援2と判定されると、たとえ100歳でも介護予防の視点でサービスが提供されるという、なんだか不可解なことですねえ。

現場のことなど少しも知らない人が、政治的な思惑(財政!や各方面の力関係など)に翻弄されながら、机上で改正(?)案を作っているような気がします。現場の混乱のもとではないでしょうか?

実際、06年改正の介護予防システム導入の経緯など厚労省の意向が強くなり、保険者である自治体の権限が後退しているそうです。

現場の人手不足に拍車をかけるような書類作成の膨大な手間、残業代も支払われずに職員の頑張りでこなしているなどと聞くと、たださえ離職率が高い職場なのに、人材不足から制度が崩壊しかねないと心配になります。

大学の先生をしながらケアマネージャーも続けているという著者ならではの現実を見据えた視点で、介護保険利用者、介護労働者、施設、NPOなどの小規模な事業体、そして自治体の立場など、インタビューも行い実態を紹介しています。

あの気になるコムスン()の話や、有料老人ホームにも触れています。

もちろん一つ一つの問題には異論反論がある方もいられるでしょうし、私もおやと言うところもありましたが、データとともに、私たち素人にもわかりやすく今起こっている問題点を明らかにしているので、介護保険が気になる方のために、今を知るにはいいと思います。

ケアに関しての本はたくさん出ていますが、岩波書店が現在刊行中の『ケア その思想と実践』全6巻も注目です。第1巻『ケアという思想』第2巻『ケアすること』第5巻『ケアを支えるしくみ』までが既刊です。

また全巻出そろったらご紹介しましょう。

     
Posted at 15:11/本の話/この記事のURL /コメント(3)
『悩む力』と『ポスト消費社会のゆくえ』 / 2008年07月29日(火)
今日は、話題の新書を2冊、『悩む力』(姜尚中著 集英社新書)と『ポスト消費社会のゆくえ』(辻井喬・上野千鶴子著 文春新書)を、乱暴にも一緒にご紹介してしまいます。

今、情報ネットワークのすさまじい変化、市場経済のグローバル化に伴う荒波が日本社会を襲っています。格差は広がり続け、政府は、相変わらず小手先の政策に終始して、未来にビジョンを描けないでいます。そんな中、多くの人が強いストレスを感じているといいます。生きる希望さえ無くす人が増えて、自殺者も増加していると聞きます。

今日も34歳の女性が通行人を6人も切りつけてけがをさせたとか。通り魔事件が連鎖しているようで気になります。近頃心が明るくなる話題が少なくていけませんね。

姜尚中さんの『悩む力』では、こんな世の中が100年前の夏目漱石とマックス・ウエーバーの時代に彼らが直面した壁と似ていると言います。漱石の小説の中に出てくる、主人公たちの悩みをとおして、「「私」とは何者か」「自我」「孤独」「働く」「金」など悩みの正体を解き明かしていきます。

ウエーバーは社会学者です。西洋近代文明の根本原理を「合理化」に置き、それが人間の価値観や知のあり方を分化させ、文明が進むほどに人々が孤立していくのだと言いました。

このドイツの社会学者と日本の文学者という全く違った2人が書いたものを例に挙げながら、判りやすく「悩むこと」の大切さと最後まで悩み尽くして突きぬけ、真の強さをつかみ取ることを教えてくれます。
「「知ってるつもり」じゃないか」「なぜ死んではいけないのか」など説得力がありますねえ。

携帯やゲーム機に夢中の若い人たちが、悩み考えることが減ったように思えてなりませんが、この新書本など190ページと手ごろな厚さで読みやすい。気軽に読まれるといいのですが。

自己チューと自我の話や、自分の城(精神の)を築こうとするものは破滅するという話、他者との相互承認しか一方的な自我はありえないなど、当たり前のことが、忘れられているのではないかと思います。どれも胸に落ちると思いますが。

もう1冊は、先週も話題にした上野千鶴子さんの新著『ポスト消費社会のゆくえ』(辻井喬・上野千鶴子著 文春新書)です。これは辻井喬さんと上野さんの対談です。辻井喬さんは、今文筆家として活躍されていますが、この方、本名はかの有名な元セゾングループ総帥の堤清二さんです。

実業界から文筆家、それも文学賞をさまざまお取りになったプロ(詩集も小説も)だけに、なかなかユニークな方ですが、セゾングループの崩壊の話も率直に話されています。

何しろ聞き手が舌鋒鋭い上野さんですから、曖昧なお答えだとしっかり突っ込まれ、彼自身の中でも曖昧だった部分までさらけだすことになったという感じです。

だからこそ、面白い読み物になりました。上野さんはセゾングループ史の『セゾンの発想』(全6巻)の執筆者の一人で、会社内部のことも詳しいのです。

正直なところ、堤清二さんの本など私は読んだことがなかったので、何もかも物珍しい話でした。例えば、
この財界の大物が、「共産党員だったことがあって、路線の違いで除名された」だとか、「三島由紀夫とごく親しかった」だとかです。私が知らないだけできっと有名なことなんでしょうが。

セゾンと言えば美術館だとか、劇場だとかも建てて文化への思い入れは深かったのですが、それも清二さんの嗜好だったんですね。

あの巨大なグループ企業も崩壊の時は、やっぱりバブリーなデペロッパー事業がきっかけだったのですね。銀行の非情さもよくわかりました。銀行は勝手で、中小でも巨大企業でも資金が必要な時に結局は決して助けません。彼は私財100億以上投じて引いたそうですが、「私財」がそんなにあるのも華麗なる一族なればこそでしょう。

すっかり下世話の話になりましたが、本題のポスト産業社会の入り口は、はっきり言って見えてきません。「産業構造の転換、脱化学燃料、都市開発パターンの転換などあらゆる分野にわたって脱構築をしていけば可能性が見えてくる」と彼は言ってますが、政府や、官僚が頭を転換せずに、いまだに何年も前の開発計画に固執しているようでは、道は遠いですね。
     
Posted at 16:45/本の話/この記事のURL /コメント(0)
「著者が語る『おひとりさまの老後』」 / 2008年07月23日(水)
20日の日曜日、高齢社会をよくする女性の会・京都の主催で、7月フォーラムを開催しました。この日は上野千鶴子さんをお迎えして、『おひとりさまの老後』のことや、向老学のお話をうかがいました。暑い中(京都は37度という暑さ!)ホールは満員となり、聴衆は歯切れのよい上野節に聞き惚れました。

長いお話を全部紹介したいのですが、そうもいきませんので、簡単ですがちょっとご紹介しましょう。

近頃はやっている日野原重明さんのようなサクセスフル・エイジングは、老いてまでも成功、不成功と決めつけることになる、と早速批判。若いことに価値がおかれるアメリカ的な考えにすぎないのだと言います。

ぴんぴんころりと死ぬのを多くの人は望みますが、実際の死ぬ前の平均寝たきり期間は8.5か月(本の中では8.3か月になっていますが、また伸びました)だとか。

今までにあった「老人学」に対して、主体的な経験として捉える老いの研究を「向老学」といいます。上野さんは「向老学のすすめ」を説かれたのでした。そう、高齢者を客体として研究分析するのではなく、老いた人の経験を自ら語ってもらって初めてわかることが多いのです。

これは人間学に対する女性学、医学に対する患者学、教育学に対する不登校学のように,当事者が語ることで
初めて本当のことが判るのだということです。

高齢者の権利擁護運動は、障害者運動から見ればほとんどないと言ってよく、利用者本位、消費者本位の「当事者主権」と言えるものはなかったのです。高齢者の声とされていたのが、実は家族の要望であり、それは高齢者本人の利害と一致していないところも多いといいます。

介護される側の心得や、介護される人のお話も大変参考になりました。「老いを自分が受け入れる、依存的で無力な自分を受け入れ、他者からの援助を受け入れることができるように」「かわいいおばあちゃんでなくても、介護保険制度は介護してくれるようになりました。」など面白く参考になる話がいっぱい。会場も大いに沸きました。

「「相互依存が恥ではなく誇りであるような社会でありたい」と、私は『家父長制と資本制』(1991年)の中に書いていました。生きていて本当に良かったと言える社会であってほしい」と、締めくくられました。
このお話はとっても好評で、サイン会にも長い行列ができ、主催者側として、大変嬉しく大いにやりがいのある講演会でした。上野さん本当に有難うございました。

今日は、だいぶ以前にブログで紹介した「おひとりさまの老後」の後日談です。実はあのときお願いしたのでした。




     
Posted at 01:05/本の話/この記事のURL /コメント(0)
国宝法隆寺金堂展 / 2008年07月11日(金)
昨日、久々に親しい友2人と、奈良国立博物館で開かれている法隆寺展を観に行きました。会期末までいくらもないので、大勢の人を覚悟していましたが、ウィークデイが幸いして、混雑の中とはいえ国宝の仏様たちをゆっくり拝観することができました。

この展覧会は、金堂の須弥壇の修理を機に開催されたといいます。だから今回初めてこういう形で金堂の中の仏像たちが公開されました。

阿弥陀如来像(鎌倉)、釈迦三尊像(飛鳥)やその天蓋まで普段は見ることのできなないお姿を拝観させていただくことができたのです。

現存する日本最古といわれる四天王像は、お顔が少しはく;落して不思議な表情を見せていましたが、後ろ姿まで拝見できて、その美しいのには驚嘆しました。もちろん金堂の中ではこんなに近くでしかも後ろ姿まで見ることはできません。またとない機会でした。

ご存知のように1949年不幸にして金堂が炎上しました。壁画の修復をしていた画家の電気座布団が原因の出火だとされていますが、なぞは多いままでした。不幸中の幸いだったのですが、仏様たちは壁画修理のため他の場所に移されていて、難を逃れたのでした。でも貴重な壁画は炎上しました。この火事の時は、日本中が大変な騒ぎでした。私も覚えているくらいですから。

壁画は、1967〜68年にかけて、前田青邨、平山郁夫など当時の名だたる日本画家が、協力して消失前の写真などをもとに再現したことで、大層話題になりました。今回はその時復元された壁画も展示されています。

大きくて立派な壁画に描かれた仏様たちが身近に迫ってくるような感じです。私は敦煌の莫高窟へ、ずいぶん前に行ったことがあり、あの感動は今でも忘れられませんが、今回の壁画の仏様たちは、そこで見た仏様とよく似ていて驚きました。日本的な美意識で作られる前のインドや西域の仏像に近いお姿なのだろうと思います。

私は仏教の熱心な信者というわけではないのですが、この多様な仏様の世界が夢を膨らませてくれるし、結構好きなんです。それに一神教のように排他的でないのも気に入ってます。
そんな言い方はおかしいと思われるかもしれませんし、叱られそうですが。

でも、『仏教が好き!』(朝日新聞社2003年)という本が出た時には、私はとても意を強くしましたよ。河合隼雄さん(心理学者)と中沢新一さん(哲学者、文化人類学者)という人気の二人の学者が対談をされているのです。これはもう出されてすぐにベストセラーになりましたから、覚えていられる方も多いのでは。早くもこの本が出てから5年もたってしまいましたけれど、奥の深い仏教の多様な面を知る上でも面白くてお勧めです。

『仏教とジェンダー』(女性と仏教 東海・関東ネットワーク1999年)など仏教と女性差別について論じた本は沢山ありますが、釈尊はそんな差別はされていないとのこと、後に仏教は、いろんな教団や教義のなかで、女性観を歪めていったようです。

ともあれ、今では、国宝となってなかなかお目にかかれない仏様たちも、もともと信仰の対象でした。仏像にお目にかかると魅せられ、心が安らぐのは、やはり仏教徒だからなのでしょうか。
     
Posted at 20:16/近頃思うこと/この記事のURL /コメント(0)
JUNO ジュノ / 2008年06月30日(月)
そう期待もせずに観に行ったのだけれど、これはなかなかいい映画でした。16歳の高校生ジュノが妊娠して驚くところから話が始まります。

始まりはあの椅子だったと彼女はいいます。好奇心に駆られて、同級生の男の子とたった1度椅子の上でしたことが、彼女にとても大変な事実を突き付けることに。

こんなとき、周りの大人たちはどんな反応をするのでしょう?彼女もはじめは親たちに知らせず、自殺も考えたりはしますが、現実的にしっかりと自分に起こったことを見据え、対処していきます。とてもさばさばと、自分がしたかったことのつけは自分で引き受けるといった気概がみえて好感が持てます。

彼女は、妊娠しても産めない女性の中絶を助けてくれるというNOW(全米女性機構)に相談に行きます。ああまだNOWは健在なんだと、なんだか感動しました。NOWはベティ・フリーダンが創始したあの団体のことだと思いますが、違っていたらごめんなさいです。フリーダンは亡くなるずいぶん前に路線の違いでやめたと聞きましたが。

さてさて、結局彼女は中絶はしないで、命を大切にすることにします。ここからがアメリカならではのお話です。雑誌に赤ちゃんの養子を望んでいる人が広告を出しているんです。妊婦の間から契約をしてその子が生まれた後すぐに貰い受けるのです。もちろんお金を払うこともあるようです。

雑誌の広告で感じのよい写真が載っていた夫婦を見て、養子に出すのはこの夫婦だと彼女は決めます。
彼女はそう決めてから両親に話します。親友の助けを借りて、言いにくい事実を両親に打ち明け、養子に出すことも決めていると言います。

もちろん両親はショックを受けますが、この両親がとってもいいのです。あわてず騒がず、娘が望むことに反対をしません。何が娘にとっていいのかを見極め、しっかりと支援します。母親は、彼女の本当の母ではなく、父親の2度目の妻です。これもアメリカじゃ普通のことなんでしょう。

いわゆる継母ですが、実に聡明にこの16歳の妊婦に必要な温かさを注ぎ、必要な言葉やけじめを教えます。父親に付き添ってもらって会いに行った養子希望の夫妻は、裕福で感じもよく特に妻は子供を熱望しています。

こういうシチュエーションで、決して家族関係がベタベタせず、本人ジュノも甘ったれることなく、またお相手の男の子も悪びれることなく、いい感じです。彼女のおなかが大きくなると、高校では超有名人に。彼女も自分の姿に驚きや戸惑いを隠せません。

ジュノを演じたエレン・ペイジは、ほとんど演技をしているようには見えないほど自然にジュノを演じています。めちゃうまい若い女優さんです。

これ以上書くとまだ見てない方に叱られそうですのでやめますが、この脚本はすごくいいです。この映画に出てくる人物には説得力があります。脚本を書いたのは初めてというまだ30歳くらいの若い女性です。なんとこの作品でアカデミー賞最優秀脚本賞を受賞してしまったのですが。

このお話が日本の高校で起こったら大騒ぎでしょうに、この映画では高校の先生は出てもこないのです。大きなおなかを抱えて、産み月まで堂々と学校に通っているのも日米じゃ感覚も違うのですね。

映画ではあっても、アメリカ社会の個人主義を垣間見せてくれます。養子縁組の仕方をとっても、子どもと家族の関係も、日本とはずいぶん違うと思いました。あちらの方が個性豊かに生きるのにはずいぶん生きやすそうに思えますけれど。まあ一長一短なんでしょうね。


と、まあここまであくまで映画の話でお気楽に書いていたのですが、なんと先ほど買った週刊誌のア〇ラに、この映画「ジュノ」が大ヒットしたため、高校生の間で妊娠がはやって、「妊娠協定」をした17人の子が妊娠したとか。

何とバカな!この事件をきっかけにまた保守派とリベラル派が喧々諤々の議論になっているようで。
アメリカも日本以上に保守というより禁欲主義者がいて、いまも性教育に反対する勢力になっているようですから、こんな事件があるとまた元気づくでしょう。

それにしても、映画の中のジュノは、自分を粗末にはしていません。集団妊娠した子たちは、マスコミの話だけ聞いて、ちゃんと映画は見てないのではないかと思いました。

妊娠には危険も付いて回るのですから、流行りで妊娠するなどもってのほかですね。

それにしても妊娠や自殺や殺人を模倣するなど、今は見境がありません。メディアに弱すぎる人たちの困った現象ですねえ。
     
Posted at 17:52/映画の話/この記事のURL /コメント(3)
『魔女と呼ばれて』 / 2008年06月19日(木)
先週『西の魔女が死んだ』をご紹介しましたら、あの本を買って読んだとお二人からお電話を頂き、なんだか嬉しくなりました。あの本に限らず、同じ本を読まれた方のご感想がお聞きしたいです。[コメント]のところをクリックして頂いたらコメントが書けます。ハンドルネームで結構なんです。どうぞよろしく。

西の魔女に触発されてというとおかしいですが、前から気になっていた本、フェイ・ウェルドンの『魔女と呼ばれて』(森沢麻里訳 集英社 1990年発行)を漸く読みました。ようよう今頃になってと言いますのは、日本で翻訳出版されたのが1990年、この本が書かれたのは1983年ですから、漸くというより、やっと辿り着いたというのが本当のところです。

この本の原題は『The Life and Love of a She-Devil』です。「女悪魔の生と愛」とでも言えばいいのでしょうか。その方がぴったりします。普通の女から、自分自身の内面を「魔女」に変えて、夫とその愛人に復讐していく物語なんです。

こういうと、すごくありきたりの筋書きに聞こえますが、人間の愛や欲望、立派な外面の裏に隠された人間の別の顔や、社会のひずんだ現実をびしばしとシビアに描いています。

主人公が考え出した復讐のための綿密な手口が意表をつき、それはもうめちゃ面白いです。本当は誰も彼女のことを魔女とは呼びません。だって誰も彼女が「魔女」だとは気づきませんから。

男に有利な構造になっている社会と、それにのっかって得をしている男女、それに乗っかれずにはみ出している人々、主人公の女性は、そんな構造を変えられないなら、自分を変えてしまうことを選びます。

彼女は普通の主婦がしてきたことから仕事を始め、簿記を習い、そして主婦たちに仕事を斡旋する事業を立ち上げ、女たちの応援をしながら、一方で復讐の準備を着々と進めていきます。

フェミニスト作家ながら、男をまったく受け入れない過激なフェミニストのコミューンに加わるところでは、その不自然な自然主義(?)にも辛辣な眼を注いでいます。

おみごと!と言いたくなる数々の仕掛けは、小説ならばこそ。これはとても映画的だなと思っていたら、もちろん「シー・デビル」というタイトルで映画化されていました。

ウェルドンは、本国イギリスではほとんどの小説がベストセラー入りの人気作家で、ブッカー賞の選考委員も務めた女性です。ラジオやテレビドラマでの脚本家としても著名です。

こういうエンターティメントとして面白く読めて文学的にも上質の小説はほんとに読んでいて愉しく、すっかり時間を忘れてまた夜を徹してしまいました。

今読んでも全く古くありませんが、こんな前に出た本を紹介してすみません。図書館にはあると思います。

     
Posted at 23:13/本の話/この記事のURL /コメント(1)
『ジェイン・オースティンの読書会』と『西の魔女が死んだ』 / 2008年06月11日(水)
近頃、日が経つのが早くて、ほんとにいやになります。毎回愚痴っているようですが、これって実感なんです。
「よくあんなに何もしないで日が過ごせるなあ」と、私の子供のころ、うちのおばあちゃんを見ていて思ったのですが、おばあちゃんの意識の中ではとても1日が短かったのではないかと、今頃気づいている次第です。(オソイ!)
 
とはいえ何を隠そう今、韓国からぺ・ヨンジュンさんが来日中で、毎日いろんな放送があるし、ネットは飛び交うしで、それを見るのに忙しくて用が片付かないということもありなのですが。

さて、ジェイン・オースティンはご存じのように、長い年月、今も読み継がれている女性作家です。彼女の書いた小説を読む読書会に集まった6人が、小説を読むことで自分も変化していく、そんな過程を描いた小説『The Jane Austen Book Club』(カレン・ジョイ・ファウラー著)が評判になり、映画化された作品です。
今アメリカでは読書会が流行だとか。

映画「ジェイン・オースティンの読書会」は、読書の好きな人たちのそれぞれの感想、作品に対する感じ方、それと自分の人生や考えに投影する影響力など、読書が人生を豊かに彩ってくれることを感じさせます。

オースティンの小説は、自分を見つめなおすこと、他の人の心に添って考えることのなくなった現代人に警鐘を鳴らしているかのようです。「オースティンは人生の万能解毒剤」だというセリフがありますが、人とのトラブルを解消していく役目すら果たすようです。

日本でもよく読書会に取り上げられているようです。私はまだ6冊の長編全部を読み終えてはいませんが、翻訳本をいずれ全部読みたいなと改めて思いました。

監督も女性で、これが初めてだというロビン・スウィコードですが、登場人物も映像も自然で無理がありません。なかなかの手腕ではないでしょうか。このような好感が持てる映画に仕上がったのは、主な登場人物6人のそれぞれのキャスティングがとてもはまっていたからかもしれません。
とりわけ私は、読書会を仕掛けるキャシー・ベーカーが気に入っています。

6人の中の唯一の男性で、SF好きのグレッグ役を演じたヒュー・ダンシーも今回はなかなかいい感じを出していました。人気者の彼ですが、他の作品では私はあまり好きになれなかったのですが。
映画の楽しみは、やっぱりいろいろな発見にあると思います。

今日はもう一つ映画化されたことでまた話題になっている小説『西の魔女が死んだ』(梨木香歩 新潮文庫)を紹介しておきます。早く言えば中学生の少女と大好きなおばあちゃんの交流の物語ですが、このおばあちゃんのことを、ママは「西の魔女」と言っています。少女はおばあちゃんから魔女修行の手ほどきを受けることになります。

おばあちゃんはイギリス人、日本人のおじいちゃんと出会って日本で結婚します。自然の中で暮らし、生き物や植物をこよなく愛する生活です。学校で周りの人とうまく付き合えなくなった孫娘を預かります。

とっても優しい「魔女」ですが、その魔女修行とは、何でも自分で決めること、何でも自分ですること、そしてコミュニケーションの大切なことを毎日の生活の中で教えてくれます。
最後には素敵な「魔女」からのメッセージが。

私達が忘れがちな、本当に価値のあることとは何だろう?幸せに生きるこということは何だろうと考えさせてくれます。何か突っ込みを入れたくなる人もあるでしょうが(実は私もそうでしたが)、中高生だけでなく、大人たちにも読んでもらうと、いろいろな違った感慨がわくのではないでしょうか。

こんな「魔女」のような大人が周りにいなくなった今の子供たちの不幸にも思いをはせてしまいました。

     
Posted at 00:21/映画と本/この記事のURL /コメント(0)
『女優の誕生と終焉』 / 2008年05月30日(金)
少しの間留守をしていて、ブログがまたまた遅れてしまいました。

沢山出る本の中で、読み始めたらとまらないという本が、ここしばらく見つからなかったのですが、『女優の誕生と終焉―パフォーマンスとジェンダー』(池内靖子 平凡社)は、研究書ながらとても面白く読ませてもらいました。

私はただ観劇が好きなだけの素人ですが、パフォーマンスとジェンダーと聞けば飛びついてしまいます。
著者は立命館大学産業社会学部で教鞭をとって居られる演劇論、ジェンダー論の専門家です。

「帝国のプロジェクトとしての近代演劇」の項は、なるほどと腑に落ちることが多かったです。
日本の近代と「女優」第1号松井須磨子の誕生は、日本政府の肝いりでもあったのですね。女形に変わる女優の誕生は、近代化の象徴でもあったようです。

『人形の家』のノラを須磨子が演じた同じ月『青鞜』が創刊され、それまでなかった新職業の女優も「新しい女たち」を形づくったといいます。

須磨子は1919年(大正8年)には亡くなっていたのに、彼女の演じた『復活』で大流行したというカチューシャの唄は、その後も生きながらえ、私も子供のころよく聞いたものです。今の私たちには想像できない非難や困難にもかかわらず、彼女のすごい人気は「女優」を確固たるものにしたのですね。

須磨子関連グッズも沢山売り出されて、なんと「カチューシャ・バンド」という生理用品まで出ていたそうです。驚きです。

また、川上音二郎と貞奴の海外国内での活躍を通して、帝国主義的ナショナリズムとオリエンタリズムについて考察がされています。もちろんジェンダーの視点もしっかりと。「マダム・貞奴」は、今では知らない人も多いのでは。

『マダム・バタフライ』から『ミス・サイゴン』まで、飽くことなく上演されるこの人気アイテムの分析も納得できました。19世紀から20世紀初頭の帝国主義、植民地主義最盛期の西洋で、エキゾチックで従順、貞淑な東洋の女性像が、マダム・バタフライに描きこまれたといいます。

この悲劇的なオペラは、三浦環によって世界各地で上演され、大人気でしたが、今も上演され続けていますよね。私も腹立てながら、何度も観ましたが。でもオペラでは作られた時代によって、ジェンダーの視点で見ると随分ひどいのがあります。翻案の『ミス・サイゴン』もブロードウエイならともかく、日本で上演されたときも満員だったそうです。

「「女性観客」の構築―批評行為というパフォーマンスの政治学」の項にも書かれていますが、オバタリアン観客の一人である私も、批評家が勝手に「観客論」を書いているけど違うなあと日頃感じていたことだけに、著者の指摘は快哉でした。女性の演劇評論家も増えることが望ましいですね。

「近代演劇の否定―アングラ演劇におけるパフォーマンスとジェンダー」では、近代演劇を否定して出てきた60年代70年代のアングラ演劇をジェンダー視点で読み解いています。特に寺山修司の試みた「家と母」の解体を探っているのが興味深いです。

「『ポストアングラ』の身体表現と批評言説」という項で、80年代以後の新しい身体表現を取り上げています。ここで、私も衝撃を受け感動した身体障害者だけの劇団「劇団態変」が紹介されているのが嬉しいです。

少々分厚な本ですが演劇に興味がおありの方はぜひご一読ください。また違った目が開けます。

     
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