悔し泣き 

2007年12月13日(木) 23時09分
腰が抜け、そのまま泣き崩れた。

「なんで?なんであんないい人が・・ どうして?」と・・

いつもいつも自分や周りの人を助けてくれて。。18年間いつもいつも・・

とてもとても大事で感謝しても感謝しきれないくらい大事な人。

自分が大量出血で救急車で運ばれた時にも一緒に同乗してくれた。

10時間の手術中も病院の廊下で待っていてくれた。。

今日、身内からの電話があり余命3ヶ月と聞かされた・・


奇跡という希望があるなら希望を捨てずに奇跡にかけるだけ

肺がん 

2007年12月24日(月) 23時52分
今月中旬に義兄が吐血をし都内の病院に運ばれた。

昨年も吐血で瀕死の状態で病院に運ばれた。

この時は長年患っていた胃に7箇所もの穴があいてしまい

ショック状態を起したまま運ばれたが奇跡的に一命をとり止めた。

そして今回、精密検査で肺がんを告知された。

とりあえずは体力をつけて手術に挑めるようここ1週間治療を

してきた。今週、あらたに肝臓に転移が発見された。

義兄は家族にとってはもちろん、自分にとって大事すぎるくらい大事な人。

先々週に余命宣告を聞いた時はショックでショックで何度も泣いた。

あれから今日まで義兄の事が心配で心配でならない。

昨日から抗がん剤投与をはじめた。この1クールで薬が効いてほしいと

今は願うだけ。そしてなんとか切除できる手術を受けれるよう願うだけ。

奇跡を信じて願いたい。

望みをつなぐ。。 

2007年12月30日(日) 15時38分
今朝、兄の家族から連絡あり。

どうやら抗がん剤の効果がなく転移した肝臓のがんの進行が早い。

切る事もできない状態で抗がん剤治療に望みをかけた・・

放射線治療が出来ない為、唯一の望みは抗がん剤だけ。

今朝話を聞いて愕然とする。。

あかん!自分が絶望的なってどうするんだと。。


もう一度治療方法を検討し計画を立て直す方向でやるとの事。

兄を絶対死なせてはいけない。

死なせない方法を朝から何度も何度も考える。

奇跡を信じて願う事でしかできない自分がもどかしい。。

東京へ。 

2008年01月02日(水) 12時16分
今朝は朝5時に起きて女房と一緒に新大阪の駅へ向かった。
恐ろしいほど寒かった(笑)
女房の実家、母や義兄姉妹がいる渋谷に8時前の新幹線で
女房だけを行かせる為見送った。

昨日は久しぶりに義兄と電話でしゃべった。


義兄:「いつもごめんね。」
自分:「体大丈夫ですか?抗がん剤はやっぱりつらいですか?」
義兄:「副作用強いね・・ あともうすぐしたら髪の毛も抜けるからね・・」
自分:「あらら・・ そうですかぁ〜」
義兄:「抗がん剤が効かなかったんだよね・・」
自分:「そうですかぁ・・」
義兄:「また治療方法を変えるみたいだし・・」
自分:「そうですね!いい方向になればいいですね!」
義兄:「もうこうなったら戦うしかないでしょ!」
自分:「そうですね!今月東京行けたら病院遊びに行きますよ!」


義兄が病気に対して戦う姿勢を示した時は嬉しかった。
余命も3ヶ月切ってしまっているが
その戦う精神と有効な治療方法と望みにつなげて完全復活してほしい。

という事で昨日は義兄の好きなソウル音楽などをユーチューブから
MDに落とし今日女房に持たせた。

再び病院へ。 

2008年01月04日(金) 0時18分

年末と正月3日間、義兄は一時退院で実家でわずかな日数を過ごした。
今日、夕刻には早稲田大学にほど近い病院へ戻る。

病院に戻る時ってどんな気持ちなんだろう・・って・・
せつない感じと裏腹に起死回生への戦場に立ち向かう義兄に
大阪からエールを送る。

風呂に入りながら人生や人の終末について考える。
人間、考え方によって自分で自分を支える事もできる事を
頭の中では理解しているが実際そうなると冷静にその考え方を
できるかどうかがわからない。
でも覚悟を決めたのならできるのであろうとも思う。

人間、人生の計りはすべて平等で
人生の長さがどうであれこの世で生まれた生き物は死を必ず
迎える嵯峨を背負う。
その嵯峨と葛藤しながら人生を全うするんでしょう。。

現実的な考えでいくと死は恐怖であり
早くて亡くなられた方や‘何故?’という納得のできない終末を
迎える人もいる。
そんな現実の世界では1年や10年は大きな長さであり
時間は貴重なものだと理解する。
だから短く人生を終えた事に対して不幸と思ってしまうのも
この現実世界を直視した考え方だからなのだろうと。。

人類の歴史、地球の歴史、
それこそ宇宙の歴史から考えると10年や20年の差は
差でない事なのでしょう。
生まれる事も死を迎える事も宿命で
宇宙が誕生した時点がすべての宿命。

そんな考え方に
スピチュアルな思想を理解すると死を迎える恐怖や
不幸という考え方の次元ではなくなる。。

そう考えた時、始めて子孫に伝える事
子孫に託す事、そしてこの人類や地球に願う事の
答えがすぐに出てくる。

そう考えると動物が何故に命をかけて
子孫を残すのかも理解できる。。

きっと人類が誕生してこの時代になるまで
何が大切なのかという答えが霞みだし
その答えすら見出せない世の中になってしまったのかも知れないですね。

1日1日大切に生きなければですね

運命の抗がん剤 

2008年01月10日(木) 0時17分
いよいよ義兄の2クール目の抗がん剤投与が始まった。
過酷な治療。。

前回の抗がん剤が効かなかったので
新たな抗がん剤の投与が始まった。
大阪から手を合わせ祈る。「この抗がん剤が効きますように」と・・

今回の抗がん剤ももし効かなければ
あと投与できるのはラスト1回だけとなる。
いわば今回の抗がん剤治療は崖っぷちの1歩手前の勝負となる。

この祈りが奇跡に届きますように。

一時退院 

2008年01月11日(金) 10時04分
今日、お昼に義兄の一時退院の為早稲田の病院へ家族が迎えにいく。

2クール目の抗がん剤治療も終え結果なども聞かされる。

家族親戚は一時退院よりもそのまま入院を望んでいたが
一時退院を先生の方から許されているのだから一時退院させるよう
昨日大阪から電話して説得した。

やはり家族と一緒に居る方が絶対にいい!
何かあったら怖いと言うが先生がそう言っているし
病院までそんな遠くないし。

何よりも家族と過ごして
生きたい気持ち、楽しく過ごせる事が
奇跡のアドレナリンを生み出す可能性だってあると思う。

治療結果はどうであれ一時帰宅は楽しみである^^

一時退院 2 

2008年01月11日(金) 17時25分
今日昼過ぎ義兄と電話で話す

元気そうで何より!本当に病気なの?って思ってしまう。。

まだ治療結果は出てなかったようだけど

今日実家へ。ひとときの休息^^


さてさて、明日は別件で

昨年ある件でお世話になった弁護士さんに別件で相談に行く。

ここでは話せませんが今回の件も早く解決したい

生死の戦い。 

2008年01月17日(木) 0時03分
今週月曜日、一時退院していた義兄が入院した。

2度目の抗がん剤治療の結果は進展がなかった。
しかし、がんの進行をやや食い止めている感じのよう。。

今週から3度目、いわばラストチャンスかも知れない
抗がん剤治療が始まる。

お医者さんは家族に対し緩和治療選択もあると言ってくれた。
このまま無理な治療せず苦しみを与えない治療方法。
しかし余命をくい止める事はできない。

そしてもひとつは最終的な抗がん剤治療。
家族の意向もあり3度目の抗がん剤治療を本人とともに
承諾した。
しかし、今回の抗がん剤治療かなり苦しいものとなる。
しかし、この治療でのわずかながら前例もあるという。
この前例がある限り希望も持てるしかけてみたい。

先生は言う。
「義兄が次病院を出れるのは生きて出るか死んで
出るかのどちらかになります。」と・・・

全身の血の気が引き自分が動揺してしまう。。
たとえ治療から生還しても失明の覚悟はしてほしいとの事。

その覚悟さえ義兄はできている。
とにかく戦うのみという意気込みである。
そんな姿に医者も驚くほどの精神だとおっしゃる。

先週の3日間の一時退院でも
優雅にレンタルしたDVDで映画を見たり
退院したらやりたい事、行きたい事、いろいろ話す。
とても死と背中合わせの人が過ごす態度ではなかった。。

だからこの医者の言葉はどうしても信じられない・・
義兄、元気なのに・・

そんな義兄とも一昨日電話で少しだけど話した。

毎日大阪から手を合わせて祈っております。
奇跡が起きますようにと。。

余命1日 

2008年01月20日(日) 22時05分
昨日土曜日、恵比寿のウエスティンホテルで初仕事をした。

そして翌日の今日、義兄の入院している新宿区の病院へ面会に行った。

そびえたつ白い巨塔。ここの12Fに義兄が入院している。


実は先週のラストチャンスであった抗がん剤、
投与から20分で中止になった。
その原因は副作用。。

投与して20分後、呼吸困難から呼吸が一時停止したらしい。
その後の応急承知でなんとか一命をとり止めた。
この時に大部屋から2人部屋に移されたらしい。


そして義兄と1年ぶりの再会!

「○○さ〜〜ん!」と言って病室に入ったら
義兄が「はい?」と返事。
そして顔みるなりビックリしたようで嬉しい再会だった!
とてもとても末期がん患者とは思えない顔色で元気そう。

本当に義兄とは仲がいい!
義兄には5人の兄妹がいるけど
それ以上に自分とはなんでも話し合える仲。
大変に世話にもなった。
身内だけど心の友と言える間柄なのです。

新宿の紀伊国屋で買った本をお見舞いにプレゼント!

自分は言う
「せっかくですからその本持って笑顔で写真とりましょう!」と(笑)
なんじゃそりゃ?!って。    パシャッ!↓



自分好みの本になってしまったけど
宇宙の本2冊とヒトラーや歴史人物の本。

そして義兄は言う
「明日から抗がん剤治療で前回は中止したから新薬に変えて
ラストチャンスなんだよね。 肺に出来ているパチンコ玉の腫瘍が
1週間でボール球ぐらいになってしまったんだよ。
おまけに肝臓は80%ガン化して生きてるのが不思議なんだよね。
先生も首をかしげてるんだよね。。」

お互いひょっとして他人の画像と間違えてるのでは?と
冗談交えながら談笑。

その後、1Fのロビーでコーヒー飲みながらしゃべろうか!?
と言う事で12Fの病室を離れる前に外の新宿の眺めをパシャッ!



なかなかいい眺めです。夜はかなり綺麗なはず。。


そしてロビーで義兄と1時間ぐらい話をする。
話の内容は何故か宇宙の話(笑)
ビッグバンは何故起こったのか?の話に盛り上がる。
そして「死」について話した。
お互いの想う死に対しての事。
自分は義兄に正直にいろいろ持論を話した。
人間生まれるのも平等、死ぬのも平等。だから一人不幸だという
事は現実的にはそうだがよく考えれば平等なんだと。
時間の長さが違うだけで宇宙時間で考えれば全く平等。

そんな理論を交えながら
何故、地球ができたのか?何故、人間が誕生したのか?
人間が誕生して死を迎えるのは生まれた瞬間に不幸を背負うのか?
では何故生まれてくるのだろうか?

と、いろいろ話をした。

そして話は前回20分で中止した抗がん剤の話。
抗がん剤の副作用がきついのは一般の人でも話を聞いた
事があると思う。それは髪が抜けるとか吐き気がするとかだろうと
思う。 でも本当の抗がん剤の副作用は恐ろしいと言う。
それは死と背中合わせだからだと言う。

現に前回の中止した抗がん剤の時は
流石に死んだと思ったらしい。

義兄に言う
「バファリンなどの副作用は眠気がありますと書いてありますけど
抗がん剤の副作用は永遠の眠りに着く事があります・・ ですよね!?」
と言ったら義兄は大ウケしてた。

そんなブラックジョークを何度も交えながら談笑をしていた。

いよいよ明日月曜日
運命のラストチャンスの抗がん剤投与が始まる。
これでダメだったら緩和治療か終末療養施設に転院する事になる。
つまり治療を止め苦痛のない余生を過ごすという事になる。

義兄は言う
「施設は行きたくないなぁ・・ 格好よく死にたいんだよね。」 と・・

自分は言う
「何を言ってるんですか!?明日はミラクルですよ!
でなくても緩和治療でも施設でも30年生きてくださいよ!」と・・

義兄は社会に対してどうしても恩返しが
したいらしく自分の体や臓器をドナー登録、研究に役立てて
ほしいという事で提供にサインしている。
それは次の世代に末期でも救える医療を願いたいという気持ちで・・

話もまだまだしたかったけど面会も終え
義兄のリクエストで聞きたい音楽のリストの紙を手渡される。
そう、以前にもユーチューブなどから録音して病院で聞いている。

そして義兄はロビーまで見送ってくれた。
「今日ありがとうね!また来てね!ありがとね!」と・・

自分は言う
「毎週東京に来てるからいつでも行きますよ!
明日はミラクルですよ!ミラクルを期待してますからね!」と・・

お互い手を振って別れた。

帰りの新幹線で家族から面会ありがとうという連絡が・・
そして余命を新たに聞かされ長くて1ヶ月、早くて明日と・・

あんなに元気なのに・・ 毎日モルヒネを服用しているとは言うものの
自覚症状があまりないと。 なのに・・?

帰りの新幹線の中で涙をこらえながらミラクルを願った。
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