2月のメールニュース 

2012年02月10日(金) 1時53分
2月のメールニュースの全文です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
野外劇団楽市楽座2月!

世界中がすごい寒さのようです。
温暖化なんて真っ赤なウソだったかも。
皆さんはいかがお過ごしですか?

私たちは相変わらずまだ沖縄を旅しております。
沖縄も、今夜は息が白くなります。
といっても、ずっとハイビスカスが咲いてますし、
桜も咲き始めました沖縄です。
カエルも鳴いてるし。

2度目の那覇、昨年も行った古座、はじめての普天間。
寒い中ですが、なんとなく、少しずつ賑わってきている感触。
その間に、反原発紙芝居も何度か上演。
また、デパートのステージにも挑戦。
お正月特別企画「新春初夢福袋」は、普天間でラスト。
観客全員立ち上がっていただき、クネクネダンスでした。
沖縄のお客さんは、ノルとすごい。
手拍子は倍速。ツッコミあり、指笛あり。

1月には1週間の休みを2回作り、4月からの新作も準備。
タイトルは「宝の島」。
スティーブンソンの「宝島」は大好きな小説ですが、
こちらはもっともっと海賊の話。
ただし、カマキリとゴキブリとアリの海賊。
チラシはすでに発注済み。
台本は・・・ただ今山頂目指しアタック中!
野蛮でおじゃらけたドリームタイム。

上演場所もかなり確定してきました。
今年は、秋田や北海道を復活。
奄美大島にも行くことに。
仙台・福島・千葉・東京は、今年も見送りました。
すみません・・・。

屋根なし野外で池という過酷なセットであるため、
腐食に加え、キノコやアリにも食われ、水漏れしたり。
なんとか作りなおしを進めています。
ここ宜野座からは池と盆を一回り小さくします。
スモール・イズ・ビューティフル!

2月の予定です。

2月11日(土)〜13日(月)
宜野座・平松毛
(宜野座分化センターの横の道を入ってすぐ)
土日:14時開演「ツバメ恋唄」
月曜:19時開演「鏡池物語」

2月17日(金)〜19日(日)
糸満・道の駅いとまんイベント広場
金曜:14時開演「鏡池物語」
土日:14時開演「ツバメ恋唄」

2月24日(金)〜26日(日)
名護・名護市営市場中庭広場
金曜:14時開演「鏡池物語」
土日:14時開演「ツバメ恋唄」

最後に

原発はいらない!
基地はいらない!
TPPはいらない!
こんな人殺し政府は、もういらない!

野外劇団楽市楽座 長山現 佐野キリコ 萌
メール seisaku@yagai-rakuichi.com
劇団サイト www.yagai-rakuichi.com
長山現の散歩道 http://yaplog.jp/nagayamagen/
佐野キリコの夢参道 http://yaplog.jp/sanokiri/
萌の旅生活 http://yaplog.jp/jp0/
現とキリコは、ツイッターやフェイスブックにもつぶやき中。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後の段落は、いつも反原発紙芝居のラストの叫びと、ほぼ同じ。

チラシ 

2012年02月07日(火) 3時05分
チラシデザインができた。キリコご苦労様〜!台本は・・・。ちょっと書きはじめたところ。そういや、チラシより早く書き上がったことないかも。
新作「宝の島」は、野蛮な芝居にしたいのだ。
今夜はやけにぬくい。虫の声、カエルの声がお盛ん。でもまだカエル見てない。
やっつけたいもの、イロイロあるが、芝居は楽しめるものにしたい。
原発、除洗、基地、TPP、増税、全てが利権だ。EUやユーロってのもそんな気がする。

普天間を終えて 

2012年02月03日(金) 12時04分
普天間での公演は、3日とも上演でき、しかもそれぞれ客席の半分くらいは埋まるという賑わい。これは、この時期の沖縄としてはまずまず。リピーターの方も多かったし、ラジオを聴いて来てくれた方もいた。連日来てくれる方もチラホラと。会場の神宮寺さんご一家も連日観て頂き、とくに子供達は毎晩楽しみにしてくれたみたいだ。3日とも違う芝居だったし。ここでお正月芝居の「新春初夢福袋」は終了。

さすが普天間で、月曜の昼間は飛行機の音がハンパではなかった。それにしても、基地、基地、基地。沖縄は基地だらけだ。96年に返還が約束されているが、その後、2割も返還されていない。普天間を返すというが、辺野古にさらに高機能な基地を作ろうとしていて、これは高江も同じで、面積だけの返還で内容は新基地建設なのだ。ここ数日は防衛局の選挙介入が話題になっている。そりゃ、親族名簿を作り、集めて選挙に行きましょうというだけで圧力をかけたことは明白。どうも、アメリカ以上に日本(沖縄ではヤマトともいう)こそが沖縄に基地を必要としているように思えてならない。基地は原発と全く同じ利権構造なのだから、それも当然か。

普天間では、バラシ時についに舞台改造へ。池や盆をすべて30cm小さくするのだ。こうすることによって、舞台を一回り小さくし、芝居も凝縮しようという算段。ちょっとだけ荷物も軽くなる。水も減る。腐った部分も交換。一日かかって切るべきものを切ったが、作るべきものを作るのは時間切れに。次ぎの宜野座(ぎのざ)の仕込に作らねば。普天間では、また強風で楽屋の床が崩れたので、これもそろそろ考えなくては。

で、今はうるま市石川の山の家。新作「宝の島」台本のための2度目のオフ。ただ今は、マップを文章化しているところ。カマキリ(キリコ)とゴキブリ(私)とアリ(萌)の、海賊の話。

4月以降の旅の制作も着々と進んでいる。新しい場所も決まってきた。北海道も増えたし、秋には、沖縄へ向かう途中に奄美大島にも行くことになった。新しいチラシや衣裳も作成中。はや2月! ケツに火がつく!

新作「宝の島」は海賊の話!  

2012年01月24日(火) 15時18分
昨年(いや、もう一昨年か)はまったく入らなかったコザ。今年もあまり期待していなかったのだが、わりと来て頂いて、しかも毎日のように来て頂く方もいて、なんだかホッコリ。また1年後に行きますよ、コザ。ただし、バラしてみると池のゴムシートに大きな穴。コザは半ば室内みたいな場所だったので、念のために新しいブルーシートを購入し、下に敷いていたため、水漏れこそしなかったがかなりヤバクなっている。あちこち穴塞ぎをしたが、普天間からは新しいシートにするため発注。同時に、普天間のバラシで、舞台の池と盆を全て一回り小さく作り直したいと思っている。状況次第だが。

今は今年の新作を書くために一週間のオフを作って台本作業。いつもながら、まだセリフを書く作業には入っておらず、まずノート作りからはじめ、ラベルを作成、今はそのラベルをグループにまとめていく段階。KJ法の台本への応用。なんとかラベルのグループ化を終えて、今度はそれを開きつつ地図のようにしていきたい。水曜日にはチラシのための写真撮影。新作「宝の島」は、海賊の話。今年の旅で、私たちは海賊になるのだ。

来週は普天間。普天満山神宮寺さんにお邪魔する。土・日・月の3日間。それぞれ6時、6時、7時。その次の週は再び公演なし。台本と4月以降の制作。

4月以降の旅の準備も、キリコが着々と進めており、だいぶ場所が決まってきた。今年は北海道と秋田を復活した。東京・千葉・福島・仙台はやはり難しいと判断。もちろん原発事故のためだ。まったく収束などしていないし、除染作業も効果はないだろうというのが私たちの考えだ。今でも、その地域の人たちには、本当は避難してもらいたいと願っている。

東京電力でさえ、福島から出ている放射能が増えていることを発表した。インドは日本からの食糧を全て輸入禁止にした。元ブルガリア原子力安全庁長官はこう言っている。「現在の日本は核戦争後の世界だ。セシウムで広島原爆170発分が福島から放出された。」今年になって、4号機で二度の爆発があったことが、アメリカで報道された。日本ではそんな報道はまったくない。ここ数日、関東の線量は上がっている。4号機はもともと動いていないが、たくさんの燃料棒があるのだ。福島の事故は、チェルノブイリをはるかに上回っている。そして、世界中が日本政府の対応や日本のマスコミ報道に疑問を呈している。世界最大の原発大国フランスでさえ、原発依存度を半分に下げると言っているオランド氏が大統領選をリードしている。一方、この日本という国は、狂気の淵をさ迷っている。

テレビや五大新聞の報道には、もはや何の意味もなくなってしまった。政府と官僚、大企業とマスコミが抱き合いながら国民を騙している。これが世界中でも進行中だが、今の日本は特にひどい。今は生き延びようとすること自体が戦いだ。

ナハからコザへ! 

2012年01月11日(水) 1時44分
二日目から東京より来てくれたO氏の手伝いもあり、那覇のバラシはサクサクと。前回はうるまに来てくれたO氏、ありがとう〜!出会いは小学校。考えてみると、別々の高校だったのだが、ホントに親しくなったのはそれからかも。現代アートをやっていて、以前の劇団(変貌クラブ)の舞台美術アイデアを出してくれたりしてた。うちのワゴン車のペイントは、彼の指導により萌が描き、キリコが手を加えたもの。

それにしても、那覇城岳公園は、久しぶりに賑わった〜。
ここに招いてくれたUさんは、那覇にぎわい広場のとき、買い物中の私たちの車を見つけて興味を持ってくれた人。芝居を見て、「ぜひ我が家の近所でも」と。だから、近所の方々がずいぶん一緒になって応援してくれた。
初日は小雨が降ったり止んだりだったし、楽日もずっと小雨が降り続いていたにも関わらず、4日間全て上演でき、しかもお客さんが途絶えることがなかった。ホントに幸福な一週間だった。
公園だけでなく、近所の保育所でも半分上演。園児たちのキラキラマナコの前での三十分も、幸福なひとときだった。しかも、ギャラあり。ちょっとだけ、念願の児童劇の仲間入り。
しかもしかも!昨年のコザ、ミュージックタウンで私たちを見てくれた沖ラジの人が、イオンでのステージもセッティングしてくれ、そこもギャラあり。スーパーの中というはじめての体験。別の時間に出ていたアイドルグループなんかの集客に比べれば私たちは地味にも思えたし、マイクを使ったので動きも制限されたりしたが、喜んでくれた人も確実にいてうれしかった。メイクしたままラーメン食べたが、子供たちが手をふってくれたり。この日は晴れて暑く、ステージでは汗。

ということで、このところ、寒さ、雨、風にやられていたのだが、新年早々、ちょっと一息。

楽日の昼間には、新春初夢福袋の稽古。少しセリフを復活させ、唄も差し替えたり。この芝居はお正月限定なので、コザと宜野湾の、あと2回の上演だ。朝からずっと雨で、たぶん中止かなあと思いつつメイクしていたのだが、お客さんが思った以上に集まってくれ、傘をさしながら見て頂いた。「雨の中、スゴイですねえ」などと言われるが、この雨の中を1時間以上座って見て頂く皆さんの方がずっとスゴイのだ。

その間に、私は誕生日を迎えた。家族に黄色い積み木みたいなジッポーを買ってもらった。年々黄色が好きになる。そういえば、バラシのときにタンポポが咲いているのを見つけたなあ。地べたに張り付くようにして咲いてた。

次はコザのミュージックタウン音市場。その次は、台本のためのオフ。3月一杯の沖縄はかなり決まってきて、4月以降の旅の日程作りにすでに入っている。衣装の打ち合わせなども進んでいるし、いちばんの問題はホンか。。。

主に本部(もとぶ)の報告 

2012年01月06日(金) 0時42分
ついさきほど、53才になったとこ。また一年生き延びた自分をエライと言っておこ。
50を過ぎて好きなことをやっているけど、先などなにも見えない。
4月からのスケジュールをキリコが作り始めた。新作台本も書かねば。チラシも作らねば。
タイトルは「宝の島」。これはたぶん変わらないはず。

今は那覇。城岳(じょうがく)公園は、住宅街にひっそりとある美しい芝生の場所。ここは、50年以上前には新世界遊園地という遊園地があったところ。沖縄喜劇の女王、仲田幸子さんがずっと劇場に住んでたらしい。この人はたいがい劇場や映画館のホリの後ろとかで暮らしてたんだって。オレたちのテント暮らしもはたからはスゴイだろうが、そういう生活もスゴイな。明日はここの初日だ。ここでは受け入れの方が持っているマンションに仮住まい。快適。

先日は、この沖縄ラスト、この旅ラストの場所(まあ、ラストと言ってもすぐ次の旅になるわけだが)になる南城市に新年会で行ってきた。そこは地元のオヤジたちが自分たちで小屋をいくつも作ったりステージを作ったり、山羊を飼っていたりする山の上の広場。毎晩のようにオヤジたちが集まって酒を飲む。ここに若いミュージシャンもいたりして、そのツテで私たちもどうやら上演できることになった。
DVDを見てもオヤジたちにはあまり反応してもらえなかったのだが、お座敷で鏡池の冒頭部分をやって見せたところ、乗り気になってくれたようだ。
鍋、馬刺、ソコイカ?、沖縄のブランドハムなど、次々に持ち寄られたご馳走を食べ、泡盛の古酒を飲み、語る。途中、基地問題を扱うむっちゃディープなお笑いコントDVDを見せてもらい、ゲラゲラ笑う沖縄人たちにアゼンとする。基地問題は沖縄人にはデリケートとも聞いていたから。
その後、オヤジたちがいなくなってからは、若いミュージシャン達と、基地のこと、ヤマトのこと、沖縄のことを激論。なんて熱い奴らだろう。こんなに熱い連中にはホントに久しぶりに会ったかも。しかも、気がいい。心が熱い。

で、前回、本部(もとぶ)の報告。

本部は浄善寺さんの年末カウントダウンというイベントをはさんでの公演。仕込みはまたポカポカだったものの初日はまた冷たい雨で中止。二日目は小雨降る中、若いご夫婦が「見ます!」とのことで、観客二人で熱演。二人は宴にも残ってくれた。ほんの1週間ほど前に、放射能から逃げて、仙台からこちらに移住してきたとのこと。沖縄ではこういう人にバンバン出会うのだ。そして、なんと女性は芝居をしている人で、どくんごの受け入れもしてたという。世間は狭いっ。いや、出会いが広がってると考えようっ。この二人は那覇からわざわざ来てくれ、女性は沖縄プロレスの仕事も見つけている。聞けば聞くほど面白そうな沖縄プロレス。那覇で見てみたいなあ。

今年はまったく打ち上げをしていなかったのだが、高江での飲み会があまりに楽しく有意義で、少ない人数でもいいからじっくりお話(沖縄ではユンタクという)とかしようと、鍋モン作って宴をやることにしたのだ。生活サイクルも少し変えて、今までは朝メシ10時くらい、昼飯1時くらい、晩飯5時だったのだが、そうすると私は飯作って買い物するだけで一日が終わってしまうので、10時、3時、終演後に。初日の鍋は、全部自分たちで食したが。

三日目のカウントダウンはなんとか雨が止み、屋台も出たし、人も来た。例年と比べるとかなり人出は少なかったということだが、「新春初夢福袋」の初日でもあり、ちょっと緊張。なんとか好評だったようだ。この日はお寺のイベントや屋台もあったので、宴はなし。去年からの知り合いの水田さん夫婦もケーキの店を出していた。あと、きとね市や本部手作り市で出会っていたご夫婦も出店。こっちのブラジルサンドもうまかった。

餅つきもあり、我が家みな参加。餅も合計3コは食べた。最後に鐘つきもした。おみくじも引いた(吉!)。年越しソバこそなかったが、大晦日をたっぷり味わった。200人くらいの人出だったかな。ここはできて5年のお寺だとのこと。
はじめての「新春初夢福袋」も、概ね好評。ほぼ満席となる。萌のジジイ役も健闘している。1月中、楽日にこれをやっていく予定だ。クネクネダンスで立ち上がってくれたのは数人。やや周囲の喧騒に負けたきらいあり。

そして、元旦。初詣に来る人はまったくいない。開演5時でパラパラと。それでも、さすがに芝居を見るためだけに来てくれた人たちは熱い。全員が立ち上がってクネクネ。宴にも大人4人、子供2人が残ってくれて、楽屋はいっぱい。ただし、皆さん車で酒飲んでるのは私だけ。京都出身と富山出身のご夫婦、本部で居酒屋をやっておられるご家族。闘牛の話もきいた。闘牛の牛は、負けグセがついて闘志を失ったら処分されるとか、角でひっかけて相手の牛が宙を舞うことがあるとか。闘牛も見てみたいなあ。

さて、明日からの那覇はどうだろうか。毎晩7時から。金・土・日・月まで。鏡池、ツバメ、ツバメ、新春です。

最後に、先日、こんなツイートを見つけた。判断は皆さんにおまかせします。情報のソースはわかりませんでしたが、海外での報道。オソロシー!

「東北関東の人口の6割が今後放射線症で5年の間に亡くなる。生き残った国民のうち、4割は放射線症の病気にかかる。現在いる未成年者の8割は40歳まで生きることが不可能。今後、健康体で生まれるのはわずか15パーセントのみ」

原発いらない! 安保いらない! TPPいらない! 増税なんてもってのほか! ガレキなんていらない!全部利権!

とりあえず金武(きん)の報告  

2012年01月03日(火) 2時23分
明けましておめでとうございます。大晦日も元旦も芝居してます。ただ今、本部(もとぶ)公演が終わり、今日は劇場バラシをサクサクと。このところ、仕込みやバラシに限ってポカポカといい天気。そして本番は雨多し・・・。

とりあえず、金武(きん)の報告から。
金武のアクティブパークという公園は、キャンプハンセンというネイビーの基地のゲートのすぐそばにあり、その周囲は米軍相手の飲み屋街。以前はもっと栄えていたらしいが、今はドルが下がって米兵たちもあまりお金を使わなくなったとか。それでも、夜中をすぎてもまだやいのやいのとウルサイ。「ファッキン!」という声がこだまする。

ここは去年も来たところで、何人かの酔っぱらいたちとはすでに顔なじみ。この人たちはよく朝から飲んだくれている。どうやって暮らしているのか不明。あまり金はない。愛すべき人たちだが、話がすぐループになるし、ちょっとしつこい。あと、萌が去年知り合った子供たちもいる。
ここも仕込みはピーカンで、Tシャツで汗かくほどだったのが、初日は朝から雨。沖縄の天気予報はまったくアテにならず、冬は雨がパラパラっと降ったりサアっと晴れたり。今年はとくに雨が多いようで、葉もの野菜が高くなってる。

そんなこんなで、お客さんはパラパラ。米兵と子供たちばかりという日もあったし、楽日は結局中止にした。とにかく、雨の後で風もあったりするとやっぱり夜は寒い。今年は有料の町内放送も申し込んでみたのだが、効果はなかった。やっぱり環境があんまりよくない場所なのか。
子供たちは夜遅く11時くらいまで遊んでいるときもある。飲み屋街の子供たちだと思う。そんな子供たちと、酔っぱらいと、米兵の場所なのだ。米兵はしばらく見たりするが、結局言葉がわからないから出ていってしまう。1ドル置いていってくれたりするが、100円にもならない。お札だけど。
たまにうまく行くときは手拍子や掛け声も飛び、コアラ焼き売っているオッチャン(これも酔っぱらい)がノボリを手に踊りに来たりもした。しかし、去年も厳しかったが、今年もきびしかった〜。

夜中に楽屋テントにいると、外ではずっと英語の叫び声が飛び交う。一度はちょっとしたケンカもあったみたいだ。たいがい声はでかいが気のいい連中だし、ほとんど10代だと思うほど若い。昼間はパンパンいう演習の音が聞こえ、夕方にはラッパが響く。なんだか、ここは国境みたいなところだなと思った。
沖縄は世界中の米軍基地の中でも、もっとも劣等生を集めているところで、沖縄へ行くと聞くと絶望的な気分になるらしい。今はここから中東へ送られ、そして帰ってくる。イラクではウラン弾がかなり使われたため、その後ガンになる兵士も後をたたない。沖縄もまた放射能と無縁ではないのだ。

それにしても、野田ブタ野郎はヒドイ!普天間にしても、増税にしても、武器輸出にしても、八ッ場ダムにしても、公約違反ばかりじゃないか。これでは選挙の意味などまったくナイ。最低限の民主主義のルールも完全に無視。それを指摘することもないマスゴミどもにもウンザリだ。

それと、大阪にガレキを受け入れようとしている維新の会にも腹が立つ。大阪ではなかなか署名が集まらないと聞いた。大阪人たちの意識の低さにもガッカリする。

高江から金武町へ  

2011年12月21日(水) 1時59分
雑用色々あり、到着が夕方になった高江。暗くなるとハブが危険だと言われて、その日は住民の会の「トゥータンヤ(トタン家)」に泊めてもらうことに。トタンと言っても青いオシャレな家で、昼間はみんなの託児所にもなっているし、シャワーも台所もあり、支援者が何人も泊まれるようになっている。しかも、1人1泊500円という安さ。その日は、KさんとかSさんとがいて飲んで話し込み(私は金欠で酒を買わず、久々に飲まず)、翌日結局ここで1週間泊まらせてもらうことを決意。

翌日は舞台仕込みだったが、場所に水がないため池を作らず床を作って丸い盆を並べた舞台。これは簡単だったのだが、じつは楽団テントが残波岬の強風でビリビリ破け、その上骨も曲がり、金もないので手持ちの残材とブルーシートでトンカン。なんとか楽団小屋ができた。以前周囲を囲っていた紅白幕もかなり前に捨ててしまってヨシズになっているから、これで完璧な南国風小屋かも。

その日は高江の裁判の結審で、支援者の方々が集まって餃子パーティに。みんなで餃子1000個作って宴会。もちろん食って飲み、語り。翌日も酒を持って数人が集まり語り、その翌日はチヂミパーティとなり、その翌日は萌もお泊りに行ってひっそりとしていたが、その翌日はまた数人が集まり、最後の日はその日に締めたばかりという豚肉をサバいて豚汁で大宴会という、飲み、語る日々だった。

芝居にも皆さん来てくれて、徒歩範囲には数軒しかないという山の中であるにも関わらず、賑わったと言っていいんじゃなかろうか。到着した日からずっと雨で、初日土曜日も小雨降ったがラストはすごく久しぶりに光が差し込み、楽日日曜は暑いくらいだった。どちらも昼のツバメ。

その間、高江や沖縄の話をたくさん聴いたし、また、ここの人たちは面白いなぜか一芸のある人たちばかりで、恐ろしく意識が高く、今の日本のことや世界のことなど、音楽のこと、生き方のこと、教育のこと、まるで学生時代(芝居はもちろんだが、寮闘争とか西部講堂とか)に帰ったようにおしゃべりした。沖縄でいうと、ユンタクした。萌なんか、すっかり座り込みファンになった。お菓子はふんだんにあるし、色んな人がやってきておしゃべりに事欠かないし、子供たちもいる。

いやあ、楽しかったし、勉強になりました。高江を去って、あらためて「人権」というものについて考えてもいる。人権というのは誰もが持っているものなのかもしれないが、誰かが保障してくれたり、自然に持てるものではないんだね。主張しないとあっという間に踏みにじられてしまうものなのだ。

国際通りでの、高江サウンドデモの写真も見せてもらった。風船、仮装、ポンチョ、ジャンベなど、なんて楽しいデモなんだろう。高江には「スワロッカーズ」というバンドもある。座り込みしよっかーというトボけたバンドだ。毎日のように届けられる、高江でとれた自然農法の野菜もある。年齢を超えて、職業を超えて、いろんな人たちが子供も連れて夜遅くまでワイワイ話し込む。バカ話にゲラゲラ笑いながら。そして、高江のヘリパッド工事をしっかりと防ぎ続けている。全国の皆さん、ぜひこの運動があるうちに、沖縄の高江に行きましょう。予断は許さないけど、日本国家に、米軍に、諦めさせることができるんじゃないだろうか。

米軍ヘリがバリバリ飛んで、軍用車が何台も通る以外は至って静かで自然豊かな高江を後にして、今は金武町、キャンプハンセンのゲートそばの歓楽街の真っただ中の公園。周囲の店からロックが聞こえる。若い米兵たちが会話の中で何度も何度も「ファッキン!」とバカでかい声で叫ぶ。でも、ファッキンは「愛してるぜ」じゃないだろうね。

萌は去年からの友達たちとそんな中で遊ぶ。今夜は近所のお店から、焼き鳥6本、ケーキ2個を頂いてきた。今日はキリコは銀行とローン返済の交渉のために大阪へ。実は今年の沖縄は寒さと雨にやられて、かなりキビシイ。けっこうな借金を背負っている私たちにとってはなおさらだ。

キビシイと言えば、この日本、この世界なんか今はもっとキビシイ。いつ戦争が起きてもおかしくない。今や景気がよければ金融で儲け、社会が不安なら軍需産業で儲けだから、あんまりみんなが文句言うなら戦争でも起こしてやろうかいなという連中がいる。そして、そういう連中の手先になってしまう人たち、泣きながら従う人たちがいる。御用学者に御用マスコミも。沖縄の新聞はまだ健全。日本という国のためには、日米安保が最悪だと改めて思う。

ホントは国家というものが、もういらないと思うが。日本政府も、日本銀行のお金も、日本国憲法も、全てなくなっても私たちは豊かに生きていけるだろう。でも、そこに至るルートも、その後のビジョンも、まだよくわからない。私たちに必要なのは、まず何よりも人情(愛)と、知恵(平和)だとは思うが。

でも、まだまだ私たちの気持ちは明るいのだ。たくさんの出会いに感謝! 高江の現さんに頂いた豚のミソ漬けで泡盛飲みつつ。絶品なり!

伊江島公演を終えて再び読谷 

2011年12月07日(水) 1時55分
伊江島公演は、客入りはボチボチだったのだが、私たちにはとても意義深いものとなった。

伊江島は戦争末期に激しい戦闘があったところだ。日本軍が軍事飛行場を作っており、それを米軍に奪われないために自ら破壊、それでも米軍は大挙してやってきた。島民は棒切れを持たされて戦いに狩り出された。また、鬼畜米兵の洗脳も受けていた島民は、捕らえられれば酷い仕打ちを受けて殺されると信じ、また自決をも強制された。

かろうじて助かった冬眠は、米軍に手厚い保護を受け、食料や医療まで提供されて喜んだ。しかし、島の家は一つ残らず焼かれ、生えている草さえなかった。今も生えているマメ科の草は、その後に緑を復活させるために種を撒かれたという。
親切に思えた米軍だが、その後、島は基地化され、島民の多くが土地を強制的に奪われる。その保証金さえ支払われず、生きる手段を失い、いくら行政に働きかけてもラチはあかず、阿波根昌鴻さんたちは沖縄本島を伊江島の事情を訴えながら、徒歩で放浪していく。この阿波根昌鴻さんこそ、生涯に渡り沖縄で反戦運動を続けた、日本のガンジーと呼ばれる人だ。伊江島に平和資料館「ヌチドウタカラ(命こそ宝)の家」を作り、岩波新書も2冊ある。

今年の私たちは福島原発事故についてずっと考える旅でもあったのだが、その思考の最初にあったのは、じつは沖縄の基地問題だった。基地も原発もその根は同じだと思ったのだが、この阿波根さんもまったく同じことを考えている。沖縄を旅しつつ基地について考え、この伊江島でさらに阿波根さんに学び、基地から原発を眺めることで、またちょっと色々と明確になってきた気がする。

つまり、マスコミをも抱き込んだ、国家的利権の暴力なのだ。「クリーンで安価なエネルギー」「核の平和利用」「絶対安全な原発」「過疎からの脱出」など、嘘で塗り固められた原発。それは、その土地に住む者たちを分断し、結果的に原発なしではやっていけないようにしてしまう。基地もまったく同じだ。「極東の安全(中国や朝鮮の脅威)」「日本の防衛」「日米友好」「基地産業の潤い」など。そして、問題は沖縄という限定された地域だけの問題として扱われ、そのほどんどは内地では報道されない。大量の税金を使い、一部の企業が儲かる利権構造。国家政策の顔をしているが、マスコミが、金融が、大企業が癒着しあい、都合のいいように政策や法律をコロコロ変えるのだ。彼らは金儲けをしているだけではない、かならず犠牲者が出る。その犠牲者は国内だけに留まらない。

そして、これはここ一国の話ではない。日本の大企業が日本のためにあるのではないように、日本政府も日本国民のためにあるのではない。彼らはいわば国際マフィアなのだ。だからこそ、TPPもやりたくてしょうがない。
今や自由も民主主義もお題目にすぎない。腐敗した教団みたいなものだ。

沖縄基地にしても、アメリカ国内でも必要ないという意見がある。軍の膨大な経費は、今、アメリカをボロボロにしている。「戦争をする国は、戦争によって必ず滅ぶ」と阿波根さんは言う。阿波根さんは、大戦時に私たちはあまりに命を粗末にしたと反省し、そこから「命こそ宝」という思想にたどりつく。

そういえば、伊江島の公演地は色んな命があった。TAMA体験ハウスというところだったのだが、沖縄で「民泊」というのをはじめた方の私有地。毎日全国からの修学旅行生たちが立ち寄る場所だった。そこにはヤギがいて、ポニーがいて、ハブがいて、ヤシガニがいた。アゲハ蝶の産卵も目撃した。パパイヤが木になり、ドラゴンフルーツが大きなサボテンになっていた。ハブが飛ぶそうだ。ヤシガニはイセエビより美味しいというが、食べているものによって身に毒のあるものがあり、それは茹でたものにハエがたかるかどうかで見極めるらしい。山の中で水を見つけたとき、飲んでいいかどうか見分けるのも、ボウフラがいるかどうかだとのこと。萌はポニーに乗せてもらった。楽屋テントに小さなヤモリがいた。小さな戦争資料展示もあり、サトウキビから砂糖を手作りで精製する工場もあった。いたるところに、ブーゲンビリヤやハイビスカスが咲いていた。伊江島は農業も盛んで、ほぼ中央に立つ城(グスク)山は、別名伊江島タッチューというのが、その頂上からは美しい畑が伊江島を覆っていた。その西の端には、まだ米軍基地が残っている。この山は、島よりも7000年古い地層が突き出しているもので、世界でも珍しく、山頂は岩だ。

毎日のように学生を連れて見に来てくれた方の話では、子供の頃には水道も電気もなかったいう。毎日水汲みをし、ランプのホヤも磨いたそうだ。2日目には、地元のオッサンたちが飲みに連れて行ってくれた。葉たばこを栽培している人、漁師の人、電照菊を作っている人など。お互いに喋っている言葉は、私にはさっぱりわからなかった。その店では、泡盛の水割りにブラックコーヒーを少し垂らしてくれた。

さて、今は再び読谷(よみたん)で、残波(ざんぱ)岬である。岬にある結構広い公園だ。ヤギとウサギがたくさんいて、私たちが到着したとき、雄ヤギ同士が戦っていた。一度後肢で高く立ち上がり、倒れ込みながら、角をガツンとぶつけ合うという激しいケンカだ。しばらくして、片方が血を流し、それでも続く。沖縄では闘牛が盛んだが、そのほかに闘鶏、そしてヤギをケンカさせるものもあるらしい。

木曜からの公演だが、土曜日には「きとね市」という市が立つ。いろんな屋台が130店ほど並ぶという。「アンチ・スーパーマーケット」という冠もついている手作り市だ。これは内地から移住してきた人たち(こちらではナイチャーという)が中心になっている。この日は、私たちも祭バージョンで、1時間ごとに上演するし、反原発紙芝居もやる。さすがに沖縄も冬で特に夜は寒く、風が強い。野外劇としては、だんだんとキツイ。

そして来週は高江だ。ここは米軍基地再編におけるヘリパッド(ヘリ発着所)工事阻止の座り込みを続けている真っただ中。このヘリパッドはオスプレイという垂直に離陸できる戦闘機が配備されることが明らかになり、その轟音と危険性は大きい。基地面積は縮小されるが、内容的にはより拡充される。地元の行政はすでに認めてしまっており、もとから住む沖縄人(ウチナンチュー)は声を上げることができない。声を上げればコミュニティから疎外されてしまうからだ。おそらく、今の福島でも同じ状況だろう。

私たちの上演は、座り込み支援ではなく、あくまで座り込みへの参加である。米軍基地を拡充していくことは、地元の人たちだけの不利益ではない。日本の不利益であり、世界の不利益だ。そこでは人殺しの訓練がされるのだ。かつて高江では南ベトナムの若い兵士も訓練を受けていた。高江は山の中の基地で、ジャングル戦を想定した訓練を行なっている。沖縄米軍基地は、世界の米軍基地の中でも最も最前線のための訓練基地なのだ。兵士たちにとっても、オキナワ行きはもっともキツイと言われる。オスプレイが配備されれば、この高江から伊江島へと飛んで行くことになるだろう。

その高江の次が金武町。昨年と同じアクティブパーク。今日、スーパーで買い物をしていたら、去年3回見ましたという人がいて、読谷に来れなかったら金武町で見たいと言っていたが、ここもまた、キャンプハンセンという基地のゲート前の歓楽街で、米兵相手の飲み屋街だ。円に対してドルの価値は低く、1ドル札が70円程度で、米兵の投げ銭もほとんどないが、時々当巻きに見ていく米兵もいる。ここはドルで焼き鳥が買えたりもする。先日、下見に行った時、その公園のヌシでもあり、連日客席で「ガンバレー!」と奇声を上げ続け、後半は酔っ払って寝ていた、フィリピンの血が入っているというOさんと出会った。珍しくシラフだった。もう一人、血縁を米兵に殺されたと告白してくれ、売店でオレには酒を売ってくれないから買ってきてくれないとちょくちょくテントに来てはタバコ一本とかせびられたTさんは、今年亡くなったという。まだ真偽のほどはわからないが。ある店のママさんからは、戦場に行った兵士の心の傷の深さを聞いた。どこか大阪の新世界とか、新宿ゴールデン街と似ているあの街がけっこう好きなのだ。

これは今思いついたのだが、この人間世界の暴力は、ヤギやウシやトリの雄たちの戦闘意欲の延長にあるのは確実なことだろう。競争する生命として、オスは存在するかもしれない。しかし、それが群れのボスに従い、利権に群がり、子供たちの犠牲者を顧みないような社会、そんなオスたちの群れはもうオスでも何でもない。それは恥ずべきジジイたちのネットワークなのかもしれない。そして、そこにつながりたいと思う、思想的独身者たち。

今帰仁、読谷、そして夏子  

2011年11月27日(日) 23時53分
最近、ブログをサボリがちなので、書くことがたくさんある。

まずは今帰仁(なきじん)でのことから。3日目が雨で中止になったが、楽日は大変な賑わいで立ち見が出た。たくさんの再会もあった。風来荘のご夫婦は楽しいオシドリ夫妻で、1年ぶりなのに何だか旧知の間柄みたいだ。会場でもあるゲストハウス風来荘さんに部屋を一つ提供して頂いたし、滞在者が自炊できる台所もあるし、シャワーもあるしで毎日ノンビリ。風呂に行くというのも、けっこう時間を使うものなのだ。
できた時間で何をやっていたかというと、ひたすら「じゃりんこチエ」を読んでいた。これも風来荘さんの蔵書だったのだが、じつはまだあまり読んでいなかったのだ。1巻に一度は笑い転げるところがあり、ケンカ好きでメチャクチャな父親テツがどんどん好きになってしまった。
今帰仁にいる間に、本部(もとぶ)の手作り市にも出かけ、そこで反原発紙芝居もやり、これも好評なり。ここではわが尊敬する百姓のハルサー片岡さんご夫婦とも再会。奥さんは福島の出身だとのこと。片岡さんは、バラシの晩にも訪ねてきてくれ、ゆっくり話ができた。いろんなことを教えてくれるのだ。

今日は、読谷(よみたん)JAファーマーズでの楽日が終わったところ。土曜と日曜は結構賑わった。とくに今日は、毎日のように家族で見に来てくれたミュージシャン、知花さんのはからいでFMよみたんに再度出演、そこからも来てくれた。読谷は再来週の残波(ざんぱ)岬での公演もあるので、そちらに少しでもまた来てくれたらと思う。初日と2日目は風と寒さがちょっときつかった。今帰仁ではまだ鳴いていたセミがついに鳴き声を聞かなくなった。それでも今夜は、私はTシャツで靴下なしだ。

この間に、次々と場所が決まった。
一つは来週の伊江島(いえじま)。伊江島は本部港からフェリーで30分のところにある。玉城さんという方が協力してくれて、公共の場所をいくつか見せてもらったのだが、宿泊と料金が問題となりアウト。そしたら、玉城さんが「うちでやればいい」ということで、「たま体験ハウス」の敷地内が決定。この方は、民泊と言って修学旅行の生徒たちなどを民家に泊めて体験学習させるということを伊江島ではじめた立派な人なのだ。その人に引き合わせてくれたのは、昨年知り合い、今年も今帰仁でも出店を出してくれた水田さんだ。

それから、先にも書いたが、残波岬。こちらは土曜日にきとね市という市がある。これは吉見さんご夫婦が立ち上げている、アンチ大型店舗の市だが、ナント130店舗ほどが出店する一日だけのバザールだ。雨天中止のリスクもあるのだが、私たちはきとね市をはさんでの4日間を芝居する。きとね市開催日は、2時、3時にツバメ恋唄の1幕、2幕、4時、5時は反原発紙芝居、6時、7時と鏡池物語と祭バージョンで最大限上演する。今日、奥さんがツバメ恋唄に大喜びしてくれた。

次に、12月17日、18日の東村(ひがしそん)の高江(たかえ)、N4テント。どちらも午後1時から。ここは米軍のヘリパッド工事阻止のための座り込み公演となる。地元の行政はすでに受け入れを了解してしまっているが、阻止のために座り込みを続けている人たちがいる。行くとすぐ上を二つのプロペラを回し、米軍ヘリが何台も低空飛行してきた。真上に滞空するとすごい風圧だそうだ。オスプレイというペリ仕様の飛行機(垂直に離陸できる軍用機)が配備されるという情報がある。こいつは不安定で事故も多いのだ。ここでの戦いは、沖縄の人でも知らない人がいるくらい、小さな、先端のような戦いだ。ここに1週間滞在し、座り込みに参加しつつ芝居する。座り込みに来ている人の娯楽と、少しでも高江のことを皆に知ってもらえたらという思い。

その後は、去年もやった金武(きん)町アクティブパークがほぼ決定。ここは、キャンプハンセンのゲートの前の、米軍の若い兵士たちの飲み屋街でもある。公園のヌシのようだった、あの人、この人、元気でいるかなあ。

次に、年末年始の本部、上善寺。ここもまた水田さんの紹介で、お寺の大晦日のカウントダウンのイベントに参加させてもらえることになった。1日だけでは私たちにはもったいないので、その前後、29、30に加え、年明けの1日にも芝居ができることになった。にこやかな若い副住職さんは、太鼓や獅子舞もされるという。せっかくの年末年始ということで、31日と1日は、5年前の作品だが、「新春初夢福袋」を演じることにした。12月はこの稽古もしていく。萌は初のジジイ役だ。萌、はじめての人間の役・・・ジジイとは。

さらに、その次の周、再度那覇の城岳(じょうがく)公園。ここは、今年那覇のにぎわい広場で見てくれた方のお誘いだ。30年前、黒テントがやった公園だという。また、もっと前には映画館やちょっとした遊園地にもなっていて、先日書いた沖縄喜劇の女王、仲田幸子一座がしばらくいたこともあるという。私はここで53歳の誕生日を迎えることになる。この方、神戸にもいたことがあるというが、地元の人で、地元の人たちが集まってくれそうだ。

ほかにも色々とやれそうな場所を紹介してもらいつつある。まだまだ2月中頃までというところだが、ま、なんとかなるさ〜。ホントに人との出会い、つながりがありがたい。

じゃりんこチエで中断していた読書も再会、奥野修司「ナツコ 沖縄密貿易の女王」を読了。糸満で生まれ、37才で亡くなるまで、戦後の沖縄の密貿易の女傑として莫大な取引を仕切った女性のドキュメントだ。その時代のことを「ケーキ(景気)時代」とも言うらしく、物資が足りていない日本、沖縄、そして台湾、香港、米軍を相手に、船をかけめぐらせた。琉球処分以降の「ヤマト世(ユ)」、敗戦後の「アメリカ世」、復帰後の「ヤマト世」と言うように、つねに時の統治者に翻弄され続ける沖縄と言われるが、作者はそのハザマに、大密貿易時代としての「ウチナー世」があったのではないかとしている。沖縄は大昔から貿易で栄えていたのだ。ワクワクしながら読んだ。沖縄では「太刀ぬ下でこそ銭は儲ける(たちぬしちようていどうじのーもうきゆん)」という諺があるそうだ。当時は天気予報もないから、シケに合うかどうかは神のみぞ知るところ。海賊も怖かったというから、命懸けだ。
「今ふり返れば、夏子さんは私たちに夢を与えてくれたと思いますねえ。努力すればそれだけ報われるという夢です。」というインタビューの言葉が出てくる。「努力すればそれだけ報われるという夢」という言葉、なんともいえん。

ところで、今日、橋下たちが大阪を制したようだ。大阪、大丈夫か?
2012年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29
最新コメント
長山現
新作「宝の島」は海賊の話! (2012年01月29日)
まんだい
新作「宝の島」は海賊の話! (2012年01月24日)
長山現
主に本部(もとぶ)の報告 (2012年01月11日)
長山現
主に本部(もとぶ)の報告 (2012年01月11日)
Miki
主に本部(もとぶ)の報告 (2012年01月10日)
まんだい
主に本部(もとぶ)の報告 (2012年01月09日)
やつ
高江から金武町へ (2012年01月02日)
長山現
高江から金武町へ (2011年12月29日)
やつ
高江から金武町へ (2011年12月21日)
長山現
今帰仁、読谷、そして夏子 (2011年12月05日)
QRコード
Yapme!一覧
読者になる