ふとした時に、すごく昔のことなのに何の脈略もなく思い出す出来事
ってありませんか?
私は高校生のとき、放送部に所属していました。
その放送部出身の先輩方が、毎年アナウンサーになっていくという
県内ではとても有名な学校だったのです。
(現在は私たち先輩の指導不足でそうではなくなったようですが)
毎年11月に行われる県大会に向けて、夏休みはほとんど毎日
練習に学校へ通っていました。
文化部なのに、まるで運動部のように規律正しく、
「礼に始まり礼に終わる」
という、武士道のようなものを叩き込まれたのもこの時期でした。
前置きが長くなりましたが、その高校の放送部時代にあったある
出来事が、今でも幾度となく蘇ってくるのです。
毎年県大会で競われるのは、ニュースを読むアナウンス部門と
小説を読む朗読部門(私は朗読部門でした)と、ラジオ番組を作る
番組部門の合計3つの部門がありました。
私は朗読部門でも出場していましたが、番組部門のアナウンスも
担当することになって、番組制作にも携わっていました。
その当時「盲導犬」について、私はすごく興味があったので、県内で
盲導犬とともに暮らしている方を探してお会いすることができました。
そして、その方が番組の主旨にご賛同くださったので、取材をさせて
頂けることになったのです。
その方はご結婚されていました。
ご主人は弱視と言われる、本当にぼんやりと輪郭が見えるぐらいの
視力で、マッサージ師のお仕事をなさっていました。
ご本人は全盲と言われる、全く光も何も見えないという方で、その奥様
が「ドリーナ」という盲導犬とともに、日々生活をなさっていたのです。
ドリーナは本当におりこうさんで、私たちがお家に伺ったときも、じっと
おとなしく見守ってくれていました。
バスに乗ったり、表町(岡山では一応人通りが多いとされている商店街)
を一緒に歩いたりたりして、まさに目の代わりとなって大活躍していました。
なので、数日ドリーナとそんな風に行動を共にするうちに、その方が全盲
であるということを忘れてしまうぐらいでした。
だから…というのはおかしいのかもしれませんが、インタビューが後半に
差し掛かったとき、私はこんな質問を無意識にしていたのです。
「○○さんの夢はなんですか?」
口に出した瞬間、「しまった!」という後悔が沸いてきました。
今思えば、何も問題ない質問なのですが、私はまだまだ子供でしたから
何か身体に障害を持たれている方が、「夢」を持つなんてないだろうと
勝手に思い込んでいたのです(本当に失礼な話です)。
私が後悔したような気配を彼女は感じとったのか、まるで
「大丈夫ですよ」と言う様に、優しくそしてかわいい笑顔で、こう答えてくだ
さったのです。
「赤ちゃんを産んで育ててみたいです。」
一瞬私は何を言われたかも理解できずに、その時なんと自分が言ったの
かも覚えていないぐらい動揺しました。
心の中で、「えっ?赤ちゃんを育てる?どうやって?」と…
私は子供ながらにも、赤ちゃんを育てるなんて本当に大変だと思っていた
ので、「目が見えないのにどうやって育てることができるんだろう?」と
不思議に思いながら、取材を終わらせたのでした。
そして、それから一年ぐらい経ってその方からお葉書を頂きました。
「赤ちゃんが産まれました。家族三人で幸せに暮らしています。」
そのお葉書を読んだとき、私は声を上げて泣きました。
そして、自分を恥じたのでした。
そのときから、
「できないことは何もない」
と思うようになり、
「やるならやる。やらないならやらない。やるんだったら死ぬ気でやる。」
という風に考えるようになりました。
皆さんの中に、もしも
「やろうと思ってるけどできない。」
という方は、この方のことを思い出してください。
○○さんとはそれ以来は、交流はなくなってしまいましたが、私の心の
中には永遠に残る出来事でした。
そんなすばらしい方に、高校生のころ出会えたことにこれからも感謝
していきたいと思っています。
ってありませんか?
私は高校生のとき、放送部に所属していました。
その放送部出身の先輩方が、毎年アナウンサーになっていくという
県内ではとても有名な学校だったのです。
(現在は私たち先輩の指導不足でそうではなくなったようですが)
毎年11月に行われる県大会に向けて、夏休みはほとんど毎日
練習に学校へ通っていました。
文化部なのに、まるで運動部のように規律正しく、
「礼に始まり礼に終わる」
という、武士道のようなものを叩き込まれたのもこの時期でした。
前置きが長くなりましたが、その高校の放送部時代にあったある
出来事が、今でも幾度となく蘇ってくるのです。
毎年県大会で競われるのは、ニュースを読むアナウンス部門と
小説を読む朗読部門(私は朗読部門でした)と、ラジオ番組を作る
番組部門の合計3つの部門がありました。
私は朗読部門でも出場していましたが、番組部門のアナウンスも
担当することになって、番組制作にも携わっていました。
その当時「盲導犬」について、私はすごく興味があったので、県内で
盲導犬とともに暮らしている方を探してお会いすることができました。
そして、その方が番組の主旨にご賛同くださったので、取材をさせて
頂けることになったのです。
その方はご結婚されていました。
ご主人は弱視と言われる、本当にぼんやりと輪郭が見えるぐらいの
視力で、マッサージ師のお仕事をなさっていました。
ご本人は全盲と言われる、全く光も何も見えないという方で、その奥様
が「ドリーナ」という盲導犬とともに、日々生活をなさっていたのです。
ドリーナは本当におりこうさんで、私たちがお家に伺ったときも、じっと
おとなしく見守ってくれていました。
バスに乗ったり、表町(岡山では一応人通りが多いとされている商店街)
を一緒に歩いたりたりして、まさに目の代わりとなって大活躍していました。
なので、数日ドリーナとそんな風に行動を共にするうちに、その方が全盲
であるということを忘れてしまうぐらいでした。
だから…というのはおかしいのかもしれませんが、インタビューが後半に
差し掛かったとき、私はこんな質問を無意識にしていたのです。
「○○さんの夢はなんですか?」
口に出した瞬間、「しまった!」という後悔が沸いてきました。
今思えば、何も問題ない質問なのですが、私はまだまだ子供でしたから
何か身体に障害を持たれている方が、「夢」を持つなんてないだろうと
勝手に思い込んでいたのです(本当に失礼な話です)。
私が後悔したような気配を彼女は感じとったのか、まるで
「大丈夫ですよ」と言う様に、優しくそしてかわいい笑顔で、こう答えてくだ
さったのです。
「赤ちゃんを産んで育ててみたいです。」
一瞬私は何を言われたかも理解できずに、その時なんと自分が言ったの
かも覚えていないぐらい動揺しました。
心の中で、「えっ?赤ちゃんを育てる?どうやって?」と…
私は子供ながらにも、赤ちゃんを育てるなんて本当に大変だと思っていた
ので、「目が見えないのにどうやって育てることができるんだろう?」と
不思議に思いながら、取材を終わらせたのでした。
そして、それから一年ぐらい経ってその方からお葉書を頂きました。
「赤ちゃんが産まれました。家族三人で幸せに暮らしています。」
そのお葉書を読んだとき、私は声を上げて泣きました。
そして、自分を恥じたのでした。
そのときから、
「できないことは何もない」
と思うようになり、
「やるならやる。やらないならやらない。やるんだったら死ぬ気でやる。」
という風に考えるようになりました。
皆さんの中に、もしも
「やろうと思ってるけどできない。」
という方は、この方のことを思い出してください。
○○さんとはそれ以来は、交流はなくなってしまいましたが、私の心の
中には永遠に残る出来事でした。
そんなすばらしい方に、高校生のころ出会えたことにこれからも感謝
していきたいと思っています。
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