沖縄切手

April 30 [Tue], 2013, 13:49
沖縄戦終結後の沖縄県は、鹿児島県所属であった奄美群島などを加え、4つの地区に分割統治された。

このとき、戦前の切手の在庫に、各群島の民政府通信部長の私印や検印を押したものが使われた。

判を押したのは、一般人が持っていた在庫の切手と区別するためである。

末期には日本からわざわざ新品の切手を取り寄せ、これに印を押したものもある。

このため種類は非常に多いが、現存するものは少ない。



久米島においては、郵便局長が米軍の許可を得て謄写版などで独自に印刷した切手がある(久米島切手という。

)。



1948年7月1日から、独自デザインと「琉球郵便」表示による切手が発行されるようになった。

1951年に4つの群島政府がまとめられて琉球臨時政府がつくられると、郵便事業をまとめる琉球郵政庁がつくられ、琉球臨時政府が翌1952年4月1日に琉球政府が成立すると、郵便は琉球政府の管轄となり、その後は「琉球郵便」の文字の入った琉球切手が発行された。



琉球切手は沖縄独自の文化を反映したデザインであることから、年が経つにつれて人気が高まり、外貨獲得にも大きな役割を果たした。

しかし、沖縄県の復帰に伴い1972年6月3日で使用が停止された。

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1971年から1973年にかけて「復帰により今後発行されなくなる」と本土の一部業者が煽り、投機目的で新規発行される切手を求めて大行列ができるなど社会現象化した。

ついには郵便局の前に本土からの買付業者が群がり、正価の3倍もの値段で買い取っていったケースもあった。

こうして集められた切手は本土の百貨店等で販売され、実態とかけ離れた高額な値段で取り引きされた。

たとえば1958年の「守礼門復元記念」切手は200円で購入できるものが10枚シートが1万円以上に切手投機業者の手で販売されていた。

全盛期には投機を煽る本なども多数出版されるなどしたが、1973年5月頃から大暴落し、大きな損失を抱える者が続出した。

それらの中にはお年玉を使い果たした小学生などもおり、社会問題となった。

なお、一時は正価とかけ離れたこれらの切手(未使用品)は現在正常な評価額に戻っているが、一方で当時の使用実態がよく分かる使用済み切手の人気が高まっていることから、使用済み切手の一部に消印の偽造等が発見されている。

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